音盤日誌『一日一枚』
ノン・ジャンル、新旧東西問わず、その日聴いたレコード・CDについての感想文です。
2006年8月6日(日)
ワイルド・チェリー「WILD CHERRY」(EPIC EK 34195)
白人バンド、ワイルド・チェリー のデビュー・アルバム。76年リリース。バンドのリーダー、ロバート・パリッシによるプロデュース。
このアルバムが出た当時、筆者は予備校生。そうかー、あれから30年もたってしまったのか〜(溜息)。
デビュー・シングル「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」が全米のみならず、日本でも大ヒット。今でも、昨日のことのように覚えている。AMもFMも、こぞってこの曲をパワー・プレイしていた。
その歌詞、「PLAY THAT FUNKY MUSIC, WHITE BOY」に衝撃を受けた人は、実に多かったはず。「ええっ、これ本当に白人が歌ってんの?」と。
白人音楽には、いわゆるブルー・アイド・ソウルなるジャンルが以前からあったけど、これほどコテコテのファンクな歌ものバンドは前例がなかったからである。
とにかく、「コテコテ」。この一言に尽きる。
ヒット曲「プレイ〜」にせよ、その裏ヴァージョン的「I FEEL SACRIFICED」にせよ、「WHAT IN THE FUNK DO YOU SEE」にせよ、もう「ど」がつくくらいファンクの塊。歌いぶりも、濃ゆーいコーラスワークも、そしてもちろん、ひたすらねちっこいリズムも。
でも、よくよく考えてみれば、彼らが「白人」であることをのぞけば、フツー過ぎるぐらい、フツーの音でもある。ごく標準的なファンク・ミュージックといいますか。ただ、演奏しているのが、白人であるというのが、目新しいだけ。
たとえば、プリンスやレニー・クラヴィッツのように、人種と音楽ジャンルの壁などあっさりと乗り越えて、まったく新しいタイプの音楽を作り出した、みたいな「天才性」あるいは「変態性」は感じられない。
いかにも、職人肌のローカル・バンド、場末のライブ・ハウスで、こつこつと演奏し、腕を磨いてきた連中、という感じなのである。
そうはいっても、このアルバム、新人バンドのデビュー盤としては、出来すぎというぐらいよく出来ていると思う。
スライ・アンド・ファミリー・ストーンに強く影響を受けたという、バンドの立役者パリッシ(ボーカル、ギター、作曲他)は、もちろん他のファンク・アーティストにも通暁しており、ファンクの一番美味しい部分を、凝縮して聴かせてくれる。
黒人の作るファンクは、その本人の「個性」が前面に出ているのだが(例えていうなら、ウイスキーにおけるシングル・モルト)、ワイルド・チェリーは、ファンクのもつさまざまな要素を解析し、それらを自分たち流に再構成してみせた(ウイスキーでいえばブレンデッド・ウイスキー)、そういう感じがする。
黒人たちにおいては、ただただ肌で感じ、実践する音楽であるファンクを、異人種である彼らは、頭の中でいったん客体化してから、自分たちの音楽に変換しているのではなかろうか。
古くはシカゴ・ブルースを、ポール・バターフィールドやマイケル・ブルームフィールドが自家薬籠中のものとしていったように、彼らはファンクという黒人音楽を完全に理解し、吸収し、そして再構築していった「フロンティア」なのだ。
「プレイ〜」の後、大きなヒットに恵まれず、「究極の一発屋」の代表みたいにいわれがちなワイルド・チェリーだが、歌唱にせよ、曲作りやアレンジにせよ、リ−ダー、パリッシの才能はけっこうハンパではなかったと思う。
たとえば、バラード・ナンバー「HOLD ON」を聴いてみるといい。パリッシは、われらが山下達郎と並んで、異人種ながら「ファンク」なるものを的確に把握している数少ないひとりであることが、はっきりとわかるはずだ。
ファンク万歳。そう叫びたくなるような一枚。30年の歳月など、ものともせぬナイスな一枚である。
<独断評価>★★★★☆
2006年8月13日(日)
マイケル・シェンカー・グループ「神(帰ってきたフライング・アロウ)」(東芝EMI CP21-6052)
日頃、ブルースばかり聴いていると、たまにまったく違うノリの音楽を聴きたくなる。ひたすらハードで、脳髄にガツン!と来るようなパワフルなヤツを。
ってことで、今日の一枚はこれ。
マイケル・シェンカー・グループのデビュー盤。80年リリース。ロジャー・グローヴァーによるプロデュース。
ドイツのハードロックバンド、スコーピオンズに、えらく若いのに凄腕のギタリストがいるらしいという情報が、ロック少年だった僕たちに伝わってきたのが72年ころ。それがマイケルだった。
兄ルドルフ率いるスコーピオンズを離れ、73年に英国のバンドUFOに加入。デビューヒットの「カモン・エヴリバディ」以降、パッとしなかったUFOを、その神業ともいえる鮮やかなギター・プレイで見事再生させる。まさに「救世主」であったのだ、マイケルは。
しかしながら、バンドでひとり異邦人だったマイケルは孤立しがちで、いろいろな精神的葛藤を抱えてしまい、5年ほどの在籍後、UFOを脱退。
しばらくの休養期間を経て、ついに本格活動再開!となったのが、このMSGなるグループというわけだ。
このアルバム発表時、マイケルは弱冠25才。だが、71年にプロデビューしてからすでに9年がたっており、そのプレイはもはや「王者の貫禄」さえ感じさせた。
コアなファンからは現人神のごとく崇められていたが、それも無理からぬことだったわな〜。
事実、聴いてみればいい。たとえば「アームド・アンド・レディ」を。
このイントロ、リフ、そしてソロ。もう、ハードロック/へヴィーメタルの必修教科書とさえいえる、実に整然たるプレイ。一糸の乱れもない。
現在、第一線で活躍しているHR/HM系のギタリストで、彼の演奏に影響を受けなかった人間などひとりもいない。そう断言して間違いなかろう。
その太く、官能的で、しなやかなディストーション・トーンが、どれだけの数のロック少年たちを虜にしてきたことか。
あるいは「クライ・フォー・ザ・ネーションズ」「ヴィクティム・オブ・イリュージョン」「イントゥ・ジ・アリーナ」でもいい。
その正確無比なリズム感、そして頭に浮かんだフレーズをそのまま完璧に表現する高度のテクニック。ギタリストとして必要なすべてをもった男。神とよばれるゆえんである。
もちろん、マイケル個人だけでなく、それを支えるバックのメンバーのプレイも素晴らしい。
ヴォーカルのゲイリー・バーデン。MSGはマイケルが主役のバンドとはいえ、もちろん歌もののバンドである以上、シンガーは重要だ。彼の歌いぶりは、格別の個性は感じられないものの、声域、声量等、マイケルのプレイと比べてけっして聴き劣りはしない。及第点はクリアしている。
べースのモ・フォスター、キーボードのドン・エイリー、ドラムスのサイモン・フィリップス。彼らリズム隊も、表に派手に出てはこないが、正確で堅実なプレイぶりで◎。
リスナーの予想を絶対裏切らない「黄金分割」的な展開を見せる「イントゥ・ジ・アリーナ」とかを聴くと、「よっ!名人芸!」と大向こうから声を掛けてしまいたくなる。
現在、HR/HMは、いい意味でも悪い意味でも、歴史的な成長段階を終え、「伝統芸能」化しているような気がするが、そういうニュアンスでいえば、マイケルは、最初の「家元」なんだよなあ。
それまでは一種の実験音楽で、混沌とした状態だったHR/HMの世界を再構築し、造物主よろしく秩序を与え、音楽としてのかたちを整えたのが、マイケル。こうくれば、こう受ける、みたいな「型」が、彼のおかげで80年代以降、きちんと定着していくのだ。
やっぱり、彼は神だった、ということか(笑)。
それはともかく、このアルバム、歌とギターのそれぞれ占める割合が非常にバランスよい状態で、何度聴いてもあきるということがない。
そのへんは、バンド外の第三者であるロジャー・グローヴァーにプロデュースをまかせたことが功を奏したということかな。
マイケルのギターだけが浮き上がらず、ちゃんと「バンド」のサウンドとして成立しているのだ。
その後マイケルは、一時休止時期もあったものの、四半世紀以上にわたり着実に活動を続け、いまでは帝王の座をゆるぎないものとしている。
近年では、HR/HMだけでなく、ルーツ・ミュージック、ブルース・ロック的な方向性にも大いに興味を示して、「シェンカー=パティスン・サミット」なるユニットでも活動している。ブルース・ファンとしてはうれしい限りである。
25才にして、これだけのものを打ち立てた男である。今後も、つねに第一線でその才能ぶりを発揮していくに違いない。
<独断評価>★★★★☆
2006年8月20日(日)
V.A.「紫のけむり(ジミ・ヘンドリックス・トリビュート)」(ワーナーミュージックジャパン WPCP-5639)
ジミ・ヘンドリックスに影響を受けた新旧のアーティストによるトリビュート盤。93年リリース。エディ・クレーマー、ジェフ・ゴールドらによるプロデュース。
ジミとほぼ同世代のエリック・クラプトン、バディ・ガイ、ジェフ・ベックから、ザ・キュア、リヴィング・カラー、M.A.C.C.(パール・ジャム、サウンド・ガーデンによるプロジェクト)等若い世代に至るまで、さまざまなアーティストが、それぞれに趣向を凝らしてジミのナンバーをカバー。
なんと、ジャズ/フュージョン畑のパット・メセニーまで登場しているのには驚き。ロックにとどまらず、さまざまなジャンルのミュージシャンに影響を与えているんだなあ、ジミという人は。
比較的原曲に忠実なアレンジのもの(M3、M4、M5など)のものもあれば、かなり自己流というか、好きに改変しているケース(M1、M13など)もある。ギターをヴァイオリンに置き換えてのインスト、ふだんはクラシックを弾いているナイジェル・ケネディによる「ファイアー」なんて異色作もある。
ふだんはまったりとしたアダルト系の音楽ばかりやっているECも、本盤の「ストーン・フリー」では、けっこう歌、ギターともに"ロック"しているのが、ちょっと嬉しい。ちなみに、プロデュースはナイル・ロジャーズ。
個人的にイチ押しなのは、シール&ジェフ・ベックによる「マニック・ディプレッション」かな。
シールというのは、63年ロンドン生まれの黒人シンガー(ブラジル&ナイジェリア系)なんだが、抑え気味の中低音の声がなかなかソウルフルでシブく、おなじみジェフ・ベックの枯れることのないトリッキーなプレイと、見事なコンビネーションを見せている。一聴の価値ありです。
「マニック〜」といえば、ポール・ロジャーズがジミヘン・トリビュートライブ盤で、実にカッコいい歌を聴かせていたが、そのロジャーズも、もちろん本盤に参加している。スラッシュ、そしてバンド・オブ・ジプシーズとの超強力コラボによる「今日を生きられない」で登場。パワフルなコクのある歌声で、聴き手を魅了してくれる。
クリッシー姐さん率いるプリテンダーズによる「ボールド・アズ・ラヴ」もいい。本盤で歌が抜群にうまいのは、彼女だな。
バックのハードなサウンドとは対照的に、意外とポップなボーカル・アレンジがなされているのは、米国の男女混成バンド、ベリーの「アー・ユー・エクスペリエンスト」。なんか、日本のブリグリにも通じる雰囲気があって、面白い。
ギター・プレイに、ジミの影響が色濃いのは、黒人バンド、リヴィング・カラーのコーリー・グローヴァー。ジミとの年齢差は22才だが、そんなことは感じさせないくらい、ジミの感性をまんま継承している。
ジミのファンキー&ラテン路線のナンバー「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」をカバーしてみせたのは、パット・メセニー。ふだんのメロウでマイルドなメセニーとは、ひと味違ったトリッキーなプレイが新鮮です。
大トリは、若手代表という感じでM.A.C.C.の「ヘイ・ベイビー」。これが意外とストレートなカバー。変に今ふうのアレンジにせず、オリジナルのビートを尊重したのが、彼らのジミへの強いリスペクトをあらわしているようだ。
ロックの革命児、ジミ・ヘンドリックス。死後35年以上が経過した今でも、その影響力は現役トップ・ミュージシャンのそれにも匹敵するものがある。
そのギター・プレイはいうに及ばず、そのラフながらもインパクトにあふれたボーカル・スタイルにも、多くのファンがいるのだ。この一枚を聴き、さらにジミ自身の演奏に触れていくことで、ジミのスゴさは、よりはっきりと判ってくるはず。乞うご一聴。
<独断評価>★★★
2006年8月27日(日)
メンフィス・スリム「MEMPHIS SLIM」(MCA/CHESS CHD-9250)
メンフィス・スリムの、チェスにおける初アルバム。61年リリース。
チェスからはもう一枚、66年に「THE REAL FOLK BLUES」も出ている。
メンフィス・スリム、本名ジョン・ピーター・チャットマン。その芸名の通り、テネシー州メンフィスにて15年に生まれ、88年パリにて亡くなっている。
メンフィス・スリムといえば「エヴリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」の作者というイメージが強いが、他にも名曲を数多く作っている。「ステッピン・アウト」しかり、「マザーレス・チャイルド」しかり、「マザー・アース」しかり。
本盤はその「マザー・アース」をフィーチャーし、他にも「ROCKIN' THE PAD」「REALLY GOT THE BLUES」「SLIM'S BLUES」「BLUES FOR MY BABY」といった佳曲を多数擁している。
「マザー・アース」は既にヴィー・ジェイのライブ盤でもレコーディングしているが、これをスタジオで再録。「SLIM'S BLUES」も同様である。ロックンロール調の「ROCKIN' THE PAD」は、ヴィー・ジェイ・ライブ盤の「ROCKIN' THE BLUES」の改作にあたる。
メンフィス・スリムの魅力を一言でいうなら、「成熟したおとなのブルース」といったところか。
荒削りな激情のブルースは他のブルースマンにまかせておいて、彼はひたすら、彼ならではのライプでマイルドなピアノ・ブルースを追求している。
ギター・ブルース偏重の傾向が強い、日本のブルースファン、ブルースマニアたちには、一番敬遠されがちなジャンルといえるが、聴かず嫌いでは実にもったいないのである、これが。
ブルースといえば単調なパターン化されたメロディ、紋切り型の歌詞、つまり過去のブルースの引写し、みたいなケースがよく見られるのだが、真にクリエイティブなブルース作曲家というのも少数ながら存在していて、メンフィス・スリムはそのひとりといえる。
そのメロディラインは、ジャズの影響もあってか、非常に変化にとみ、過去のパターン化されたブルースとは明らかに違う。
歌詞にしてもしかり。「マザー・アース」「SLIM'S BLUES」の歌詞など聴き込むと、「ああ、このひとは詩人だなあ」と思う。他のブルースとは作詞術がだいぶん違うのである。
モノローグ、孤独なつぶやきではなく、歌を介して聴き手に語りかける、そういうスタイルなのだ。「エヴリデイ〜」もまた、そのラインの上にある。
いってみれば、彼においてブルースは、彼の音楽を形成する「一部」ではあっても、すべてではない。
ジャズやクラシック、あるいはその他の音楽もいろいろとのみ込み、吸収した地盤の上に、彼の豊穣な音楽は花開いている。
すぐれた音楽家は、その人自身がひとつのジャンルだといわれるが(たとえば、サッチモ、マイルス、スティービー・ワンダーetc)、メンフィス・スリムもまた、そういうひとりだと思っている。
文句なしの流麗なピアノ・テクニック、ハイトーンが印象的な、ソフトな歌唱、そして含蓄にとんだメロディアスな楽曲。実に創造的だ。
ミュージシャンもまた「作家」であることを感じさせてくれる、そういう一枚なのであります。
<独断評価>★★★★