音盤日誌『一日一枚』


ノン・ジャンル、新旧東西問わず、その日聴いたレコード・CDについての感想文です。

2006年12月3日(日)

フレディ・キング「フレディ・キング・イズ・ア・ブルース・マスター」(east west japan AMCY-6132)

AMGによるディスク・データ

フレディ・キング、コティリオンにおける初のアルバム。68年録音、69年リリース。キング・カーティスによるプロデュース。

まずはジャケット写真に注目。「ニカーッ」という感じの、満面の笑みが実にいい。このジャケ写だけで、リスナーを買う気にさせる、そんな一枚だ。

バックは、名サックスプレイヤーにしてプロデューサー、キング・カーティス率いるニューヨークの実力派ミュージシャン連。ホーンのデイヴィッド・ニューマン、ジョー・ニューマン、ギターのビリー・バトラー、ベースのジェリー・ジェモット、ドラムスのノーマン・プライドといった、名うてのプレイヤー達が勢揃い。

アナログ盤のA面にあたるM1からM6は歌ものオンリー。フレディ自身のオリジナルM1をはじめ、リトル・ミルトンのナンバーM2、バターフィールド・ブルースバンドの演奏でもよく知られるアラン・トゥーサン作のM6など、バラエティに富んでいる。

スローのM1、M4、M5あり、アップテンポのM2あり、カントリー・バラード調のM3あり。いずれも、非常にこなれた歌いぶりで、聴いていて心地よい。

個人的には、M6が一番聴きごたえがあると思う。イントロのギターソロからフレキン節全開、歌も力みなくナチュラルな感じ。彼らしさが最も発揮された一曲となっている。

アナログB面6曲は、M12をのぞき、インスト曲で構成。

十八番のM7の再録に始まり、フレディのオリジナル、プロデューサーのキング・カーティスの作品をとりまぜた構成。

キング・カーティスはファンキーなブルース・インストゥルメンタルの先駆者のひとりだが、彼のアレンジにより、おなじみの「ハイダウェイ」もすっかり装いを新たに、ヒップなファンク・ブルースに仕上がっている。

ジェモットのビンビンなベースに導かれ、フレディのファンク魂が炸裂! いやー、ソロがめちゃカッコええ。

ビートが別のものになると、ここまで印象が変わるのか!と思いましたわ。

実はこの曲、60年代初頭、キング・カーティスがキャピトル在籍時代に、すでにカバー録音していた。そのころから互いに引きつけあうものがあったんだろうね、フレディとキング・カーティスには。

タイトルがそのものズバリ!のオリジナル「ファンキー」も実にイカした一曲。

もう、カラダがビンビンに反応しちゃいます。

キング・カーティス提供の「ホット・トマト」「スウィート・シング」もごきげん。ブルースにファンクなスパイスが加わって、ピリ辛な美味さだ。

ラストもキング・カーティスのスロー・バラード「レット・ミー・ダウン・イージー」だが、これは歌もの。この曲がまたいい。リラックスしたムードで、じっくりと歌い上げるフレディ。

締めくくりにふさわしい、快唱であります。

才能に満ちあふれた「二人のキング」の邂逅により生まれた快作。聴いてて快く、これほど「快」の字がピッタリはまる一枚も珍しい。

というわけで、聴かない手はないのであります。

<独断評価>★★★★

2006年12月10日(日)

アイヴォリー・ジョー・ハンター「16 OF HIS GREATEST HITS」(KING KCD-605)

AMGによるディスク・データ

アイヴォリー・ジョー・ハンター、キング時代のベスト盤。アナログLPは58年リリース。

1914年テキサス生まれ、74年60才にて没。

シンガーにしてピアニスト、ソング・ライターでもあった彼の全盛期は40〜50年代。

初期はブルース、ブギ系の楽曲が中心だったが、その美声を生かして、よりポピュラーなバラード系のナンバーで人気を獲得。カントリーの殿堂、グランド・オール・オプリーに出演するなど、人種の壁を越えた支持を勝ち取っていた。

写真を見るに、結構若いころからルックスはオジさんくさかったが、歌声のほうはなかなかの二枚目。ひたすら甘く、艶と華があった。当時はラジオ全盛時代だから、シンガーは声さえよければ無問題だったみたい(笑)。

キング在籍時に飛ばしたスマッシュ・ヒット「ゲス・フー」を中心に、代表的ヒット16曲にて構成されているのが本盤。

2曲(M1、12)を除き、すべて彼自身のオリジナル。コンポーザーとしても、一流であることがよくわかるだろう。

当時はSP盤期ということもあり、すべて3分前後のコンパクトな曲ばかりなのが、時代を感じさせますな。

楽曲の傾向はといえば、ピュアなブルースは全体の4割程度(M2、 M4、M6、M8、M11、M16など)で、他はバラード。ジャズィなもの、二拍三連のカントリーっぽいものも含め、小唄系の楽曲が多いので、ブルースのコーナーにあるからと意気込んで買って来た手合いは、肩すかしをくらうかもしれんなぁ。

でも、当時のトッププロシンガー、つまりレコードを出して人気のある歌手って、ベタなブルースしか歌わないひとのほうが珍しい。ブルース畑出身のひとでも、この手のバラードを数多く歌っているものなのだ。

そして、そういう芸の幅の広さにこそ、アイヴォリー・ジョー・ハンターらしさがあるのだと思う。

筆者的には、彼のソング・ライティング力もすごいと思うが、何より歌のうまさにひかれる。

彼の歌唱力は、ブルースという「地方区」だけでなく、ノンジャンルの「全国区」に出ても十分通用するレベルだと思う。同じ黒人シンガーでいえば、ジャズ畑出身のナット・キング・コールに匹敵するものがある。

単に声がいいというだけでなく、歌ごころがあるといいますか、表現力が素晴らしいのですよ。

アイヴォリー自身は、その後、時代の流れに取り残された格好で、その曲も存在もほとんど忘れられてしまったが、意外とその影響力は強いと思う。クルーナー系のジャズ・シンガーとか、ロッカ・バラードを歌うシンガーなど(いずれも、おもに白人)に、彼の「遺伝子」を嗅ぎ取ることが出来る。

メロディアスな楽曲、甘さの中にも深いニュアンスをたたえた歌唱。時代を越えて、リスナーのこころを捉えて放さない魅力が、彼のうたにはある。

B・B・キングのような、後続のブルースマンにも、その歌ごころはしっかりと引き継がれていると思う。

荒削りで粗雑な要素もブルースらしい一面ではあるが、一方、音楽的にも緻密できめのこまかい、そんなブルースも存在する。この一枚はその証明といえよう。

ぜひ、いい酒と一緒に、じっくりと聴きこんで欲しいものだ。

<独断評価>★★★☆

2006年12月17日(日)

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル「PENDULUM」(FANTASY FCD-4517-2)

AMGによるディスク・データ

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、6枚目のアルバム。70年リリース。ジョン・フォガティによるプロデュース。

本欄では、CCRは4年4か月ぶりに取り上げるが、筆者的には五本の指に入るくらい、フェイバリットなバンドではあるのだ、実は。

なんたって、自分の小遣いでアルバムを買った最初のアーティストであるし、ギターを弾き始めた当初はジョンのプレイが一番のお手本だったぐらいで。

そのくらい、思い入れのあるバンドだが、本盤については、正直評価は微妙だった。

前作「コスモズ・ファクトリー」が、あまりに完璧な出来で、しかもヒット曲てんこもりだったので、どうしてもそのカゲに隠れてしまうというきらいがあった。

でも、ひさしぶりにCDで買い直して聴いてみると、当時の印象とはまた違ったものを感じる。

皆さんご存じの大ヒット(日本ではたぶん最大のヒットだったような)、大江戸ジャムセッションでも定番レパートリーの「雨を見たかい」とそのC/W曲「ヘイ・トゥナイト」を中心にした10曲。全曲、ジョンのオリジナルだ。

カバー曲ゼロ。これは、かつてのCCRのアルバムと比較すると、ものすごい変化である。

これまでのアルバムの、シングル・ヒット集的な作りから脱して、ある意味コンセプト・アルバムを目指しているように思われるね。

前作の「ランブル・タンブル」の流れを汲むような、パワフルな前奏曲「ペイガン・ベイビー」でスタート。

続くは「水兵の嘆き」。サックス、オルガンを加え、まったりとしたR&Bを聴かせる。このへんは、わりと従来のCCR路線かな。

ホーンをフィーチャー、オーティス・レディングばりにソウルしまくるのは「カメレオン」。ギターがほとんど聴かれないあたり、従来のジャンプ・ナンバーとの微妙な差を感じる。

4曲目が「雨を見たかい」。雨をナパーム弾の暗喩として使い、反戦のメッセージをこめたナンバー。アメリカ本国では、放送禁止にもなっている。日本ではそういった歌詞の問題など起こるわけもなく、ふつうのフォーク・バラードのように解釈され、ヒットしてますが。

A面ラストの「ハイダウェイ」は、もちろんフレディ・キングのあの曲ではなく、オリジナルのバラード。オルガンのイントロから始まるあたりからして、従来のCCRらしからぬ雰囲気がプンプン。ボーカルが違うから区別はつくものの、なんかトラフィックとかプロコル・ハルムを想い起してしまう。

B面トップの「ボーン・トゥ・ムーヴ」でも、ソロはギターでなくオルガンをフィーチャー。これには驚き。従来、バックには加わっていても、キーボードがソロで前面に出てくることは稀だったからね。

「トラベリン・バンド」「アップ・アラウンド・ザ・ベンド」に連なる。これまでのCCRらしさを最も感じさせる「ヘイ・トゥナイト」の後は、再びオルガンをフィーチャー、ゴスペルを隠し味にもつナンバー「イッツ・ジャスト・ア・ソート」へ。ジョンは過去にもたまにピアノなどを弾いていたものの、「ギター・バンド」のイメージが圧倒的に強かったCCRなだけに、その変貌ぶりはかなり衝撃的。スティーヴ・ウィンウッドばりのオルガン・プレイ、まことにカッコいい。

もちろん、ライブ・ステージではこの手の曲はほとんど演奏しなかっただろうし、一種の実験的試みなのだろうけど。

ジョンのテナ−・サックス、コーラスをフィーチャーした、すごく懐かしいR&B調ナンバーは「モリーナ」。こういうのが入っていると、ホッとしますな。

ラストは「手荒い覚醒」。これがなんとも形容しがたい、変わったナンバー。絶対ライブではやりようのない、アバンギャルドな楽曲。スタジオにあるすべての楽器を使って遊んでみました、みたいな構成。テープ逆回しも使ってる。いってみれば、チャンス・ミュージックの一種か。一部、ピンク・フロイドみたいな雰囲気もある。

果たしてこれを「曲」として捉えていいものか、という疑問はあるが、「懐かし系の曲ばっかりやってる古臭いバンド」というパブリック・イメージ、過去のカラを打ち破ろうという、ジョンの試みなのではないか。

CCR「らしい」曲、「らしからぬ」曲が混在した異色作。でも「らしい」なんてのは、聴き手の側の勝手な決めつけという気もする。

あのビートルズだって、初期と終期ではまったく違うサウンドになっている。すぐれたバンドほど、過去のものにこだわらず、変貌をとげていくものだ。

CCRの場合は、必ずしもカメレオンの如き変身が成功したとはいえないのだが、過去の固定した「田舎くさい、古臭いサウンド」のイメージ、「ギター・バンド」のイメージを塗り替え、「また違ったことをやってくれそうだ」という期待をリスナーに抱かせるような、意欲作には仕上がっている。

「アメリカのトップ・バンド」という、ハンパなくきついプレッシャーをものともせず、新しい世界を切り開いていくジョンの才能、やっぱホンモノです。脱帽。

<独断評価>★★★★

2006年12月24日(日)

T・ボーン・ウォーカー「THE COMPLETE IMPERIAL RECORDINGS, 1950-1954」(EMI USA CDP-7-96737-2)

AMGによるディスク・データ

T・ボーン・ウォーカーといえば、「ストーミー・マンデイ」の一曲であまりにも有名だ。そのせいか、「ストーミー・マンデイ」の収録されたキャピトルのアルバム「モダン・ブルース・ギターの父」(日本編集)ばかりが注目されがちだが、キャピトル/ブラック・アンド・ホワイトレーベル以外にも、すぐれた作品が数多く残されている。

このアルバムもそう。T・ボーンはインペリアル在籍時(1950〜54年)に、52曲もの録音を残しているが、それらを(別テイクは省いているが)すべて収録している。

おなじみの背中弾きプレイのショットがジャケ写。洒落たスーツに、白のシューズ。大胆な開脚ポーズがなんともカッコええのう。

中身も負けじとカッコよい。キャピトル時代よりさらにホーン・サウンドに厚みがまし、音の完成度の高さといったら、もうブルース界でも屈指の存在。多くのフォロワーを生み出したのも、納得がいく。

が、どのフォロワーも、ひとりとして、彼を越えることは出来なかった。当然といえば当然だが、もう役者が違い過ぎるのですよ。

彼のボーカル、ギターは、酒にたとえれば、ドライ・マティーニ。

超辛口のようでいて、適度にスウィートな味わいも含み、その酔い心地は極上。決して悪酔いするということが、ない。

ブルースとジャズの、なんとも絶妙なカクテルなんである。

この二枚組の52曲すべてにおいて、T・ボーンならではの名人芸が披露されている。

見事なサウンド作り、小粋な歌いぶり、そして一音一音、全く無駄というものがない、完成されたギター・スタイル。

「モダン・ブルース」というコンセプトを、その音世界で完璧に体現してみせた最初の男。

とにかく、リスナーの貴方が一番リラックス出来る環境で、ゆったりと聴いて欲しいもんだ。極上の酒とともに。

ストマン風のスロー・ブルースよし、ジャンプ・ナンバーよし、ミディアムテンポのスウィンギーなナンバーよし。軽快なインストもあれば、ディープな歌で聴かせるナンバーもある。要するに、彼の魅力のすべてを凝縮した二枚。

まちがいなく、おなか一杯になります。キャピトル/ブラック・アンド・ホワイトの三枚組と合わせて聴けば、T・ボーンの最盛期を堪能出来ます。

はっきり言って、文句のつけようのないアルバム。ブルース史上最高のサウンド・クリエイターのひとり、T・ボーン。アンタはやっぱりハンパなくスゴいお人ですわ。

<独断評価>★★★★★

2006年12月31日(日)

ムーンライダーズ「アマチュア・アカデミー」(RVC/dear heart RAT-8817)

ブリッジによるディスク・データ

今年、レコードデビュー30周年を迎えたムーンライダーズの、9枚目のアルバム。84年リリース。ライダーズおよび宮田茂樹によるプロデュース。

筆者は、彼らがあがた森魚のバックで「はちみつぱい」として演奏していた頃から、その独自のサウンドには注目していた。

多くの日本のロックバンドが、本場のロックの「なぞり」に明け暮れていた頃、早くから「なぞり」を脱却して、この国ならではのロックを創り出していた彼らは、まことに異彩を放っていた。

たいていのバンドが「ライブで乗れる」ことを第一義にして曲作りをしていたのに対し、そのことにこだわらず、「作品」としてのアルバム作りを行い、ほぼ一作ごとに新しい作風を掲げたのも、彼らならではのことだった。

これは彼らが一度も「売れた」ことがなかった(もちろんプロとして活動を維持していける最低限の実績はあったが)ことが、プラスの方にはたらいたといえる。

下手にスマッシュ・ヒットを出し、「売れて」しまうと、そのヒット曲のイメージにひきずられることになる。そうなると、次に出す曲もそのヒットの縮小再生産的なものになり、自己模倣を繰り返したあげく、リスナーに飽きられ、見捨てられ、解散せざるをえなくなる。あのYMOでさえ、その憂き目はまぬがれなかった。「売れる」ということは、諸刃の剣なのである。

そういう意味で、ライダーズほど、見事なまでに、セミプロというかセミアマ状態を30年以上、ずっと維持出来たバンドは他にない。

さて、このアルバムはレーベル遍歴のめまぐるしさでは他バンドの追随を許さない(笑)ライダーズが、四番目のRVC=dear heartレーベルにて出した一枚。

話題作「青空百景」「マニア・マニエラ」を経て、ライダーズ中期のサウンドを確立した一作といえそうな本盤は、まず曲名と歌詞カードに異様な特色がある。

タイトルはすべて欧文の略語。歌詞はまるで、コンピュータのプログラム・ソースのような文字の羅列。もちろんひとつひとつの言葉には意味はあるのだが、字間なしのベタ打ち状態ゆえ、ものすごくシュールな印象を見る者に与える。

歌における「意味性」の脱構築。いってみれば、幻想としての「伝統的ポップ・ミュージック」の解体。

22年前、パソコンの影も形もなかった当時、こういう究極のディジタル思考で一枚のコンセプト・アルバムを作ってしまったのだから、彼らがいかに先進的であったか、わかるだろう。

時代より一歩どころか、十歩くらい進んでいたのだから、こりゃ売れるわけないよなあ(笑)。

個人的には「ガッチャ!」とソウル・ミュージックをおちょくりパロった、白井良明作の「NO.OH」が好み。(そういやJBも死んじゃったよなあ)

「軽み」が身上の鈴木慶一のボーカルも、全曲で冴えわたってるし、ホ−ンを大胆に導入したアレンジ、打ち込みの多用も、実にグッド。もちろん、各メンバーの小技の聴いた演奏も、文句なしにいい。

「のせる」ことより「聴かせる」ことにポイントを置いたサウンド、まさにワン・アンド・オンリー。

日本にも、いやいや日本だからこそ、こういう英米ロックの汗臭さとは無縁の、独自のインテリジェンスに満ちたロックが生み出されたのだと思う。

ロックとは「テクニック」よりむしろ「発想」で勝負する音楽だと考えている筆者にとって、「わが意を得たり」という感じ。

彼らの音楽には一貫して、リスナーとの一定の「距離」があって、それが筆者には好ましく感じられる。「オレはキミたちの最大の理解者であり、代弁者なのだよ」と語りかけることでリスナーを取り込もうとするような、聴き手への「おためごかし」で成立している、多くのロック/ポップ・ミュージシャンのような「偽善」がそこにはない。

だから筆者は、ずっとムーンライダーズを信用していられるのである。

<独断評価>★★★★


「音盤日誌『一日一枚』」2006年11月分を読む

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