音盤日誌『一日一枚』
<2001年3月>
2001年3月3日(月)
J・J・ケール「THE VERY BEST OF J.J.CALE」(Polygram/Mercury)
実に「シブーい」一枚をゲットしてしまった。
「今年買ったシブいCD」のベスト1にはやくも当選確実、というくらいシブい。
エリック・クラプトンが「コケイン」「アフター・ミッドナイト」をカバーしたことで、一躍その名を知られるようになったシンガー・ソングライター、J・J・ケールのベスト盤である。
よれよれのダンガリー・シャツを着た、しらが交じりのヒゲ面。ジャケットのJ・J・ケールの写真からして、まことにシブい。
いうまでもなく音のほうも、負けじとシブい。
基本はカントリー調の鼻歌ボーカルなのだが、いわゆるC&Wの臭みはない。
彼の昔のアルバム「ナチュラリー」のタイトルのごとく、リキむことなくあくまでも自然体の歌いぶりだ。
そのメロディも、ちょっと聴いたところでは無雑作につくられているようでいて、聴き込むほどに深い味わいが出てくるようなものが多い。
さまざまなアーティストがこぞって歌いたがるのも、納得である。
「コケイン」「アフター・ミッドナイト」はいうまでもなく、ヒット曲「クレイジー・ママ」、それにホセ・フェリシアーノがカバーした「マグノリア」も収録されている。
ブルース風味の一番濃いのは、唯一未発表の「ミッドナイト・イン・メンフィス」。
これが実にいい感じ。タイトル通り、ホーンも加えてメンフィス・ソウル風のインストに仕上がっている。
全編、いぶし銀を思わせるレイド・バックしたサウンドに、ひなびた歌声。
彼のギターソロもおさえめで、これまたシブいのひとこと。
これみよがしの刺激的な音はひとつも入ってないが、心やすらぐ一枚だ。
違いのわかる貴方に、ぜひお薦めしたい。
2001年3月4日(日)
グレイプバイン「LIFETIME」(ポニーキャニオン)
1999年5月発表の、彼らのセカンド・アルバム。
ここ数年着実にシングル・ヒットをとばして、いまやトライセラトップスと並んで20代ロックバンドの代表的存在となった彼らの、いわば出世作だ。
最初のスマッシュ・ヒット「スロウ」とそれに続く「光について」、先行のシングル曲「白日」、コンサートで人気の「いけすかない」など、全13曲。
非常にメロウでメロディアスな「バイン・サウンド」が、二枚目にして早くも確立されているのがよくわかる。
バインには、他の多くの若手バンドにはほとんどない、はっきりした特徴がひとつある。
それは「ブルースの匂い」だ。
いわゆるブルースの3コード進行の曲などひとつもないが、リードボーカル・田中和将のフレージング、ギターやベース、ドラムスのやや「重たい」ノリにそれを感じる。
聞けば、フロントマンである田中の愛聴するのは、他のメンバーがどちらかといえば80年代以降のロックであるのに対して、ストーンズやR&Bなど60〜70年代の「黒い」音が中心だそうだ。
明らかに彼の年齢にしては、「古め」のサウンドがお好きのようである。
当然ながら、グループ名もマーヴィン・ゲイのあの名曲からとったもの。
ファンキーなインスト・ナンバー「ラバーガール」「ラガーガールNo.8」などに、「その手」の音への偏愛が強く感じられる。
もちろん、ただのオールドスクール・ロックやR&Bの再現ではなく、より高度の演奏力と、彼ら独自の深みのあるグルーヴを加味したところが、またすごい。
これには、プロデュースをしたDr.Strageloveの根岸孝旨に負うところも大であろう。
一方、サウンドのみならず、坂口安吾の「堕落論」に大きな影響を受けたという、田中の特異なる歌詞世界もまた聴きどころ。死滅したといわれる「文学」が、そこにまだ生き続けている。
いまどき、「一発録り」が基本というのもうれしいじゃないか。
「ライブの音こそが自分たちの音だ」というグレイプバイン、これぞロック・バンドのあるべき姿勢だと思う。
このアルバム発表後の活躍は、皆さんご存知であろうが、99年のベスト・ジャパニーズ・ロックアルバムといって間違いない本作、今からでも聴いて絶対損はない。
2001年3月10日(土)
V.A.「GREAT BLUES GUITARISTS:STRING DAZZLERS」(COLUMBIA/LEGACY)
「ROOTS & BLUES」シリーズも、これで3枚目。今回は輸入盤にて、最近購入したやつだ。
これも、相当「古〜い」音のコンピレーション。1924年から40年までの録音である。
当然、すべてアコースティック。ブルースがまだ、ラグタイム、ジャズ、フォークなどと未分化だったころのノスタルジックなギターサウンドに浸れる。
ビッグ・ビル・ブルーンジー、ブラインド・ウィリー・ジョンスン、ブラインド・レモン・ジェファースンといった、おなじみのブルースの巨人たちが取り上げられているが、この一枚で一番注目すべきはロニ―・ジョンスンだろう。
ロニ―・ジョンスン、1889年ニューオーリンズ生まれのシンガー兼ギタリスト。
戦前のブルース界において、いわば「スター」だったひとで、「トゥモロー・ナイト」の大ヒットがある。
メリハリのきいた、リズム感あふれる達者なギター・ワークで一世を風靡したが、ボーカルはどちらかというと、甘ったるい感じの泣き節。
このコンピでは、白人ギタリスト、エディ・ラングとのデュオ、彼のギターソロ、そしてボーカル曲と、5曲が収録されている。
「I LOVE YOU,MARY LOU」という曲のボーカルを聴くと、すぐに判ると思うが、彼は同姓の後輩、ロバート・ジョンスンに多大な影響を与えている。
その母性に訴えるかのような甘い歌い方は、ロバートの「MALTED MILK」や「DRUNKEN HEARTED MAN」あたりでまんまパクられている。
また、ギター奏法においても、その2曲や「TERRAPLANE BLUES」「STONE IN MY PASSWAY」などでそのカッティングや単弦奏法などが巧妙に取り入れられている。
あくまでも陽性のロニーにくらべて、ロバートのほうはよりブルース性を煮詰めたという個性の違いはあるが。
ロバートは生前、「自分はあくまでも一流を目指す」と周囲に公言していたようだが、スターとして確固たる地位を築いていたロニ―が目標となったのは間違いのないところだろう。
ただ、その単なるコピーに堕することなく、ワン&オンリーなRJワールドを構築したことにロバートの面目がある。
ロニ―自身は、その時代のヒーローで終わってしまったが、ロバートはいまだに聴き継がれる、エヴァグリーンな存在にまでなっている。まさに「青は藍より出でて、藍より青し」である。
すぐれたアーティストの登場のかげには、かならず良き手本となるすぐれた先達の存在がある、ということの例証といえるだろう。
ロニ―・ジョンスンに限らず、ギタリストがテクを磨くヒントになりそうな、バラエティゆたかな名演奏のつまった一枚である。
2001年3月11日(日)
ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ「ライヴ・アット・ウィンターランド」(ビクターエンタテインメント)
以前、スタジオ録音の「イット・オール・カムズ・バック」を紹介したが、その後、日本限定発売のライヴ盤が出ていることを知り、さっそくゲットしたのがこれだ。
1973年2月23日、サン・フランシスコはウィンターランド・ボールルームでのライヴ。
とにかく、メンバー6人のリズム感の良さ、演奏力の凄さに、1曲目「COUNTRYSIDE」から圧倒されまくりである。
日本人でこれだけの演奏を出来るミュージシャンがいない、とはいわない。
ベター・デイズをよくカバーしているtRICK bAGだって、素晴らしい演奏力を持っている。
だが、これが28年も前のバンドであり、6人ともこれだけの力量を持っているという事実に、アメリカという国の底知れぬ威力を感じてしまう。
演奏されるのはファーストおよびセカンド・アルバムの曲を中心に9曲。
カバー物が多く、ロバート・ジョンスンの「NEW WALKIN' BLUES」やパーシー・メイフィールドの「PLEASE SEND ME SOMEONE TO LOVE」、ニーナ・シモンの「NOBODY'S FAULT BUT MINE」などを演っている。
もちろん、名曲「SMALL TOWN TALK」も収められている。
ロニ―・バロンを中心に、ポール、エイモス・ギャレット、ジェフ・マルダーもボーカルをとっているが、皆なかなか味わいのある歌を聴かせてくれる。演奏同様、歌のほうも実に巧者なのである。
パワーとテクニック、そして細やかな表現力と、すべてを兼ね備えた究極のバンド。
メンバー6人のうち、すでにポールとロニーのふたりが他界してしまったとは実に残念だが、こうやってCDを聴くことで、彼らのガッツ溢れる歌や演奏に、いつでも触れることが出来る。
世紀を超えて、永久に残していきたい一枚。
こんな素晴らしいアルバムが、日本からしか出ていないなんて、本当にもったいない。
BBAやチープ・トリックのライブ盤同様、ぜひ世界中で発売して、その良さを知らしめてほしいものだ。
2001年3月17日(土)
フレディ・キング「THE BEST OF FREDDIE KING:THE SHELTER RECORD YEARS」(東芝EMI)
フレディ・キング、1934年テキサス生まれのこのブルースマンは、俗に「三大キング」のひとりと称せられているが、あとのふたりより約10才若く、プレイヤーとしてのセンスも、よりロックに近いものがある。
エリック・クラプトンが最もお手本にしていたブルース・ギタリストだというのもうなずける。
実際、ふたりの共演曲がおさめられた編集ものアルバム「1934‐1976」もリリースされている。
彼は76年、42才の若さでこの世を去るまで、キング/フェデラル、コテリオン/アトランティックなどいくつかのレーベルを渡り歩いており、発表したアルバムも膨大な数になるが、今回はあえてシェルターでのベスト盤を選んでみた。
通称「アルマジロ」盤。
シェルターといえば、銀の長髪にヒゲ、ギョロ目のシンガー・ソングライター、レオン・ラッセルの設立したレーベルとして知られているが、フレディはここに70年から72年まで在籍し、3枚のアルバムを残した。
このアルバムはその中および未発表曲から、18曲をセレクトしたもの。
アルバムは、サザン・ロックの名シンガー・ソングライター、ドン・ニックスによる「ゴーイング・ダウン」から、いきなりのフル・テンションでスタートする。
ちなみにこの曲はBB&Aもライブ盤で取り上げている。
続く「ファイブ・ロング・イヤーズ」も、エディ・ボイドのドロドロの恨み節とは一味ちがったモダンな味わい。
tRICK bAGもレパートリーとしており、ライブでもしばしば演奏されるバラード「セイム・オールド・ブルース」も素晴らしい。
ディープな歌い込み、そして痙攣し、泣きまくるギター。これもドン・ニックスの作品である。
ローウェル・フルスン作の「リコンシダー・ベイビー」も、クラプトンに多大な影響を与えたという、彼のギター・プレイの真骨頂が堪能できる。
ブルース・ファンのみならず、ロック・ファンにもすんなり入っていける出来ばえである。
イスラエル・トルバードが歌った「ビッグ・レッグド・ウーマン」のカバーも、ひたすらノリのいいファンク・ブルースに仕上げている。
tRICK bAGもファースト・ライブ・アルバムで取り上げている、あの曲だ。作曲はレオン・ラッセル。
同じく、レオン・ラッセルによるスロー・ナンバー「ヘルプ・ミー・スルー・ザ・デイ」に漂う、深い哀感もいい。
シェルターに移籍してから、フレディはこういうバラードを積極的に歌うようになったという。
パーシー・メイフィールドの「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」も、せつなさで胸が痛くなるような名演だ。
tRICK bAGのホトケさんもお気に入りの一曲だ。
もちろん、バリバリ、ゴリゴリの彼本来のギター・プレイも忘れちゃいない。
L・ラッセルほかの作品「パレス・オブ・ザ・キング」「ブギー・マン」、マディの名唱で知られる「アイム・レディ」ほかでは、ハードなアタックでガンガンに弾きまくる。
彼の嬉々として弾いている姿が目に浮かぶよう。
聴いているこちらまで、なんだか嬉しくなってしまうような、そんな絶好調のプレイなのである。
スタジオ、ライブを問わず、いつも脳の血管がぶち切れそうなハイ・テンションさ、それがフレディの身上であり、魅力でもある。
出し惜しみすることなく、歌いまくり、弾きまくったフレディ。そしてあの世へ直行してしまったわけだが。
死後4半世紀がたった今でも、これらの熱いプレイはまだまだ聴く者に感動を呼び起こしてくれる。
ロック感覚あふれるフレディ・キングのサウンドに、若いかたがたも触れてみてほしい。
2001年3月18日(日)
エリック・クラプトン「BLUES」(Polygram)
「師匠」の次は「弟子」というつながりである(笑)。
クラプトンはフレディ・キングのデビュー・インスト曲「ハイダウェイ」を、ブルースブレイカーズ時代にカバーしていることからわかるように、フレディのプレイをお手本にして、自らのギター・プレイを磨いてきた。
フレディだけではない。BBはいうに及ばず、アルバート・キング、バディ・ガイ、オーティス・ラッシュ、ヒューバート・サムリンなど、代表的な黒人ブルース・ギタリストのレコードを手当たり次第に聴きあさり、コピーしまくったという。
いってみれば、クラプトンは究極の「パクリスト」。
彼ら先達がいなかったら、いかな天才クラプトンといえども、我々を魅了してきたあのプレイは存在しなかったはずだ。
そういう恩恵を、クラプトンは十二分に感じているから、彼らに対するリスペクトを惜しみなく表明する。
「ライディング・ウィズ・ザ・キング」の制作は、その端的な例のひとつといえるだろう。
さて、このアルバムはそのタイトル通り、クラプトンのルーツ・ミュージックであるブルースの、主に既録音のナンバーを2枚のCDに収めた編集もの。
1970年発表の名盤「いとしのレイラ」に収録された「愛の経験」にはじまり、99年の新録「ビフォア・ユー・アキューズ・ミー」(ボ・ディドリーの曲)にいたるまでの全25曲。
CD1枚目はスタジオ録音、2枚目はライブ録音という色分けだ。
中には「ワンダフル・トゥナイト」のような非ブルースも入っているが、セールス上の対策なんだろうな。
基本的には、スタンダードなブルース、そして一部に自作のブルース・テイストな曲という構成。
皆さんおなじみの曲としては、レッドベリーの「アルバータ」、マディの「ブロウ・ウィンド・ブロウ」、T・ボーンの「ストーミー・マンデイ」、ビッグ・メイシオの「ウォリード・ライフ・ブルース」、ロバート・ジョンスンの「カインド・ハーテッド・ウーマン」、オーティス・ラッシュの「ダブル・トラブル」、チャールズ・ブラウンの「ドリフティン・ブルース」などなど。
さて、出来のほうはといえば、1曲1曲はそこそこなのだが、通しで聴くと、ちょっとゲップが出そうというかんじではある。正直言うと。
やはりクラプトンの歌は、基本的に「へたウマ」なので、あまり連続して聴きたくなるようなものではない。
とくに胃にもたれそうなのが、「ストーミー・マンデイ」。
ライブとはいえ、超スローテンポで、12分以上も延々と演奏されると、いいかげんゲンナリしてしまう。
この曲に関しては、迷うことなく、BBやアルバート・キングらのバージョンに軍配を上げたい。
クラプトン氏の、ブルースが好きでたまらないというお気持ちはよくわかるのだが、趣味の押し付けはいかんよな。
自己陶酔する前に、まず観客を楽しませないと。
ちょっと辛口な言い方のようだが、クラプトンの「驕り」のようなものをその1曲に感じたので、あえて書いておく。
やはり、彼の真の面目は、もっと気合いの入った、アップ・テンポのナンバーにこそあるだろう。
たとえば、亡くなる直前のフレディ・キングと共演した、ライブ・バージョンの「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」(1976)。
「E.C. WAS HERE」に収められたバージョンも名演だが、こちらも負けじと素晴らしい。
「師弟」の、まさに火花を散らすような、熱気にみちた競演が聴けるのだ。
死の間際のフレディの、渾身の名プレイ。
クラプトンを聴くつもりで、結局、本物のブルースをそこにこそ感じてしまった。ちょっと皮肉ではある。
でも、クラプトン自身のプレイももちろん、悪くはない。
ブルースのアルバムとして聴くよりは、やはりクラプトンのアルバムとして聴くべし。
コアなブルース・ファンより、ブルース・ビギナーのかたに聴いていただきたい一枚である。
2001年3月24日(土)
ピーター・グリーン・スプリンター・グループ「ホット・フット・パウダー」(日本クラウン)
ピーター・グリーンといえば、1960年代後半、フリートウッド・マック時代のブルーズィーなプレイがあまりに有名なロック・ギタリスト。
「ブラック・マジック・ウーマン」に代表される、マイナー・ブルース・チューンを弾かせれば、右に出る者はないとまで言われていた男。
1946年生まれの現在54才、もはや「伝説」と化していたひとだが、どっこい、まだまだ現役でがんばっていた。
それも、実にシブい、イナタいブルース・シンガー/ギタリストとして。
彼は96年にステージにカムバック、以来、97年の「スプリンター・グループ」、98年の「ザ・ロバート・ジョンスン・ソングブック」、99年の「SOHO SESSION」(ライヴ)、「デスティニー・ロード」とコンスタントに作品を発表し続けている。
2000年に「ザ・ロバート〜」の続編として、前作でカバーした以外の13曲をレコーディングしたのが本作である。
「スプリンター・グループ」とは、ギター・ボーカル担当のピーターとナイジェル・ワトスンを中心とする6人組。
今回はこれに、実に豪華な6人のゲストが加わっている。
バディ・ガイ、オーティス・ラッシュ、ヒューバート・サムリンという60代のトップ・ブルースマンたち。
ロバート・ジョンスンと共に活動していた、現役最長老といってもよい1915年生まれのハニーボーイ・エドワーズ。
そして、ドクター・ジョンとジョー・ルイス・ウォーカー。
まさに話題盤なのだが、残念ながら彼らゲストから「これは!」というソロを聴くことは出来なかった。顔見世程度でしかないのである。
しいてあげれば「フロム・フォー・アンティル・レイト」「ゼイアー・レッド・ホット」でのドクター・ジョンのピアノくらいか。
ラッシュもサムリンも今ひとつ自身の個性を発揮していない。いつもノリノリのバディ・ガイの「クロスロード」でさえ、なんだか控え目のプレイだ。
エレキは添え物、あくまでもアコースティックなサウンドで、ロバート・ジョンスンをいま風(8ビートなど)に演奏するのがピーターのやり方。
このサウンド・ポリシーを優先させた結果、こういうまとめ方になってしまったのだろうな。
だから、コアなブルース・ファンにはおすすめできない。
ゲストを目当てに聴いても、がっかりするのがオチだからだ。
話題盤必ずしも名盤ならず。
でも、聴く価値のない駄作だとも思わない。
ピーターのひなびた(言い換えればジミということだが)ボーカルにも、それなりの味わいはある。
ピーターの熱心なファン、それからロバート・ジョンスンをカジュアルな感覚で(たとえば、家の中でBGMとして流すみたいな)聴きたいひとにはいいかも知れない。
ロバート・ジョンスン自身の弾き語りの、あのゴツゴツとした魔的な雰囲気とはかなり違った、淡々としたムード。これはこれでひとつの個性ではないかと思う。
2001年3月25日(日)
ポール・ロジャース「マディ・ウォーター・ブルース」(ビクターエンタテインメント)
今日の「マディ・ウォーター・ブルース」もまた、「ホット・フット・パウダー」にまさるとも劣らない超話題盤といえよう。
フリー、バッド・カンパニー、ファーム等々、常にブリティッシュ・ロックの第一線で活躍してきた名ボーカリスト、ポール・ロジャースが、マディ・ウォーターズをトリビュートして、彼の死後10周年の1993年に発表した、セッション・アルバム。
ゲストの顔ぶれが、とにかくスゴい。
ロック畑からはトレヴァー・ラビン、ブライアン・セッツアー、ジェフ・べック、スティーヴ・ミラー、デイヴ・ギルモア、スラッシュ、ゲイリー・ムーア、ブライアン・メイ、二ール・ショーン、リッチー・サンボラと、聞いているだけでため息の出そうな面々が参加。
ブルース畑からは、御大バディ・ガイも登場。ポール・ロジャースの声がかりでなくては、これだけのメンツが揃うことはもちろんなかったろう。
収録曲は「キャント・ビー・サティスファイド」「ローリン・ストーン」「フーチー・クーチー・マン」「アイム・レディ」など、おなじみのマディ・ナンバーが勢揃い。それに、アルバート・キングの「ザ・ハンター」「ボーン・アンダー・ザ・バッド・サイン」も。
ゲスト・ギタリストはゴリゴリのメタル系から目一杯タメるブルース系まで、それぞれ個性あふれるプレイヤーばかりだが、意外にサウンドに一貫性が感じられる。ひたすらストレートでパワフルなハード・ロックに仕上がっているのだ。
これは、ベースのピノ・パラディーノ、ドラムスのジェイスン・ボーナム(ボンゾの息子)の好演によるところが大きい。
もちろんポールのボーカルも、切れ味鋭くかつディープで、ご本家マディに迫るものがある。
トリビュート・アルバムというと、総花的でお祭り的要素の強い、作品的にはどうってことのないものになりがちなのだが、この一枚は、珍しく一本筋の通った仕上がりになっている。
ポール個人の作品としてみても、一定水準に達した出来である。
これはやはり、ポール・ロジャースがいかにマディ・ウォーターズを真剣にリスペクトしているか、その表れだと思う。
その真摯な思いは、アコースティック&エレクトリック、2タイプのヴァージョンが収録されたオリジナル、「マディ・ウォーター・ブルース」に結実している。
私個人としては、デイヴ・ギルモアを迎えた「スタンディング・アンド・クライング」が、シカゴ・スタイルをきっちりふまえたオーソドックスなプレイで、一番気に入っている。
ゲイリー・ムーア参加の「シー・ムーヴス・ミー」も重心の低いへヴィーなサウンドで、泣きのギターが実にカッコいい。ベテラン組の面目躍如といったところだ。
マディの曲をカバーしているとはいえ、あくまでも「ロック」のアルバム。ブルース・ファンにとってみれば、「守備範囲外」の音かも知れない。
だが、ポール・ロジャースは、まちがいなく、マディのスピリットを継承するひとりといえよう。その歌声、一聴の価値はある。
2001年3月31日(土)
ヴァリアス「天国への階段」(イーストウェスト・ジャパン)
トリビュートつながりで、もう一枚。
タイトルでお察しいただけるように、レッド・ツェッペリンへのトリビュート盤である。1997年作品。
ZEPが解散して、優に20年以上の歳月が過ぎ去ったが、いまだに彼らのCDがきちんと売れており、その後の彼ら(というかプラントとペイジ)の活動もつねに注目の対象になってきたことを見れば、やはりZEPはスゴいグループだったのだなと思わざるをえない。
後続のグループに直接・間接に与えた影響は、はかり知れない。
とくにアメリカのハードロック/ヘビーメタル系のミュージシャンたちにおいては、それは絶大なものがある。もともとZEPがメジャーになれたのも、アメリカ人にウケたから、という事情があるわけだし。
ただし、ZEPを好んでコピーしてきた後続の彼らが、ZEPがやろうと考えていたことを、どのくらい正しく理解していたかというと、かなり懐疑的にならざるをえない。
たとえばボン・ジョヴィとZEPは、ちょっと見には似ているかもしれないが、その音楽はまるきり別のテイストのものである。 ボン・ジョヴィに限らず、どのフォロワーもZEPにはなりえなかった。
やはり、ZEPは空前絶後の存在であり、今後も彼らのサウンドは、どんなバンドだって再現できないだろうと思う。
マクラが長くなった。本題に移ろう。
このCDは、フリートウッド・マック、ホワイトスネイク等との仕事で有名なエンジニア/プロデューサー、キース・オルセンのもと、ルー・グラム(フォーリナー)、ザック・ワイルド、リタ・フォード、セバスチャン・バック(スキッド・ロウ)、ジェフ・ビルスン(ドッケン)、ジェイムズ・コタック(スコーピオンズ)といった、おもに80年代活躍したハードロッカーたちを集めてレコーディングされたものである。
収録曲は、タイトル・チューンのほか「ブラック・ドッグ」「コミュニケーション・ブレイクダウン」「ハートブレイカー」「移民の歌」「胸いっぱいの愛を」など、代表曲ばかりだ。いかにも売れセンの作り。
基本的には、ZEPの原曲のイメージを崩さず、アレンジもできるだけ似せてカバーしている。
トリビュート盤には、大別すれば、原曲を出来るだけ忠実に再現するようなものと、新しい解釈を加えるようなものの二通りがあると思うが、この盤は明らかに前者である。
というよりもむしろ、「ZEP大好きだから、オレらも歌っちゃうもんね〜」みたいな、ミーハー的な姿勢といったほうが近いかも知れない。「夜もヒッパレ」みたいなものか。まあ、トリビュート盤なんて、所詮それでいいのだが。
とはいえ、80〜90%くらい元のアレンジを再現していても、残りでどうしてもZEPにはなりきれない異質のものを感じる。
いかにペイジのフレーズをなぞろうとしたって、ザックはザック流のギターを弾いてしまうし、ルーの超高音シャウトも、プラントのもつエロティシズムまでは再現できない。
コタックのドラムも巧みではあるが、あの唯一無二のグルーヴを叩き出したボンゾとは別のビートだ。比較するのも気の毒ではあるが、それは事実だからしかたがない。
たとえ、実の息子であるジェイスンだって、ボンゾの代わりにならない、だから再結成は出来ない、そう判断したペイジは正しかった。
レコードやCDさえ聴けば、ZEPはいつだってベストな演奏を聴かせてくれるのだから、それで十分じゃないか、ってことだ。
となると、トリビュート盤はどう考えたって、本物に負ける。分が悪すぎる。
でも、けっこう聴ける。
ZEPの音楽の「深い」部分までは理解できなくても、「運動神経」的にはしっかりコピー出来ているからだ。
大音量でガンガンならして、カラダで聴く、そういう理屈抜きの聴き方なら、全然オッケー。
まちがっても、原曲との比較なんかしちゃダメだからネ。