音盤日誌『一日一枚』


ノン・ジャンル、新旧東西問わず、その日聴いたレコード・CDについての感想文です。

2006年11月5日(日)

ライトニン・ホプキンス「it's a sin to be rich」(VERVE 314 517 514-2)

AMGによるディスク・データ

ライトニン・ホプキンス、72年5月録音、92年リリースのアルバム。ロサンゼルスにて収録。エド・ミシェルによるプロデュース。

20年間もこんなテープがお蔵入りしていたとは、驚きな一枚。ライトニンとしては非常に珍しい、大人数によるスタジオ・セッションを収録している。

主な参加メンバーは、ギターのジェシ・エド・デイヴィス、ドラムスのジム・ゴードン、ギター&キーボードのメル・ブラウン、そしてなんと、ライトニンと並ぶダウンホーム・ブルースの雄、ジョン・リー・フッカーまでもが登場!

ジョン・リーとのスタジオでの会話も収録されているなど、非常にリラックスした雰囲気の中、セッションが展開されている。

曲は、アップテンポのナンバーが2曲ほど入っているものの、スローの似た雰囲気のものが多く、ワンパターンのそしりは免れないだろう。が、実にいいムードなんだな、これが。

実際にはアルコールとか入っていないんだろうが、ほどよく「ほどけた」感じの歌と演奏になっている。

ジョン・リーのオリジナル「ロバータ」に始まり、ライトニンのオリジナルの「キャンディ・キッチン」に終わるまでの11曲は、トラディショナルの改作ものが中心。なかには、ラップというか、ライトニンのしゃべくりも2トラック、含まれている。

ライトニンの魅力は、なんといってもあのシブいダミ声。喋りでも、十分聴かせます。

タイトル・チューンでは、「It's a sin to be rich, it's a low-down shame to be poor」と歌っている。この歌詞には、なるほどと同感。

富を得るということは、他人から金を掠め取るということにほかならないし、だからといって貧乏が美徳というものでもない。「貧すれば貪す」といわれるように、品性がいやしくなりがちだ。

それらの中間がいいのだという、ライトニンの生活哲学のようなものには、筆者も同調できる。

DVD「ライトニン・ホプキンスのブルース人生」を観ても感じたことだが。仕事があって、メシが食えて、一日の終わりには酒が飲めるような生活、これで必要十分。そういう気がする。

ブルースというのは、生活に根ざした「褻(け)」の音楽。ビッグ・ヒットで成金を生むような音楽、つまり産業化された音楽になるべきではないのだ。

本盤録音当時、ライトニンはちょうど60才。ブルースマンとしては、一番脂の乗った年齢だったといえそうだ。ちなみに、ジョン・リーは55才。

本セッションでは、ジョン・リーをはじめとする気のおけない音楽仲間たちに囲まれ、オレ節を思う存分歌いまくっている。まさに、理想のブルース・ライフではないか。

筆者も、こういう悠々たる人生を全うするチャンジーになれたら、本望であるな。

ライトニン死後、10年を経て遂に日の目を見た貴重な一枚。

個人的にはラストの「キャンディ・キッチン」が好みかな。おなじみの、ドロ〜ッとしたヘビーなライトニン・サウンドが堪能出来るナンバー。

ライトニンとジョン・リーの歌での共演、サイコーです。このグルーヴィなジジイたちに、乾杯!

<独断評価>★★★★☆

2006年11月12日(日)

エルモア・ジェイムズ「THE COLLECTION」(DEJA VU DVCD 2035)

Discogsによるディスク・データ

エルモア・ジェイムズのベスト盤。イタリア「DEJA VU」レーベルより88年にリリースされている。

筆者にとって「激情のブルースマン」といえば、オーティス・ラッシュとこのエルモア・ジェイムズの二人だな。ともに、歌もギターも、熱い熱い!

でも、そのニュアンスは、二人微妙に違っていて、オーティス・ラッシュはどこかオプティミスティックというか、悲しい内容の歌をうたっていても、どこか救いがあるのに対し、エルモア・ジェイムズには、悲劇の影が常につきまとっており、彼のうたうラブソングも、いまは幸せであってもいずれ破局を迎えるような、そういう雰囲気を漂わせている気がする。これは、病気からのリハビリ中とはいえいまも健在のオーティスと、早くに亡くなっているエルモアの違いといえなくもない。

そう、エルモアは、嵐のように来て、嵐のように去る、文字通り激情の人生を送った男なのだ。

51年に初録音をして、63年になくなるまでの極めて短い間に、実に精力的な活動をかさねている。他のブルースマンの何倍ものスピードで生き、そして45才であの世に直行してしまった。

ジャズにおけるチャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、ロックにおけるジミ・ヘンドリックスのような生涯だったといえそうだ。

そのへんの詳しい話は、最近出版された大著「伝エルモア・ジェイムズ 〜ギターに削られた命」(ブルース・インターアクションズ)にまかせることにして、本題、このコンピ盤についてである。

選曲としては、エルモアの代表曲の大半を収録してある。とはいえ、名曲名演の多いエルモアのこと、20曲ではおさまり切るわけがない。

欲をいうと、筆者の好きな「THE SUN IS SHINING」「I NEED YOU BABY」「IT HURTS ME TOO」「SOMETHING INSIDE OF ME」「GOT TO MOVE」「SHAKE YOUR MONEY MAKER」あたりも入れて欲しかった。

つーことは、やっぱり、一枚では無理。最低二枚組は必要ということかな。

三連符が印象的な、もっぱら「ブルーム調」とよばれるM1、その改作M2、そしてその流れにあるM4、M5、M11、M12、M16、ミディアム・テンポのM3、M10、M17、M18、M19、アップ・テンポのシャッフルM6、M8、M13、スローの名曲M9、ラテン調のM15などなど、 エルモアの音楽のいくつかの流れを捉えることが出来る。

スライド・バーでなく指を使って弾く曲では、ふだんとひと味違ったジャズっぽい、たとえばT・ボーンにも通じるところのあるエルモアを聴くことが出来て、興味深い。彼のキャリアのスタートは30年代末〜40年代。ジャズ、ジャンプな音楽にもしっかりなじんで来たっちゅーことやね。

そういった土壌の上に、エルモアならではのオリジナルなサウンドが次第に築きあげられ、50年代に一気に開花した、そういうことだな。

たとえばラストM20などは、典型的なエルモア・スタイルといえよう。アグレッシヴな歌と闊達なスライド・ギターが織りなす、刺激的なアーバン・ブルース。

クラプトン、ベック、ジェレミー・スペンサー、ストーンズ‥。彼のサウンドに、どれだけ多くのミュージシャンが魅せられて来たことだろう。

曲よし、歌よし、ギターよし。まさに不世出の才能を堪能していただきたい。

<独断評価>★★★★

2006年11月19日(日)

織田哲郎「ヴォイス」(CBSソニー XDKH 93023)

amazon.co.jpによるディスク・データ

1958年3月11日生まれというから、筆者と同世代にあたるシンガー・ソングライター、織田哲郎のソロデビュー・アルバム。83年6月リリース。

筆者は仕事の関係で、織田に一度だけ会ったことがある。このアルバムをリリースしたばかりのころだ。

同じ25才なのに、彼はひどく落ち着いた雰囲気があり、大人びていて、とても筆者とタメ年には見えなかった。それもそのはず、彼はそのとき初めてメジャーデビューしたわけでなく、79年に「WHY」というユニットですでに世に出ており、すでに4年のメジャーキャリアがあったのだ。落ち着き払っていたのも、当然といえば当然か。

作詞、作曲はいうにおよばず、全曲のアレンジまで手がけている。こんな新人、フツーはおらんよな。

というわけで、このアルバムは、ソロ一作目にしてかなりのクォリティを持っている。

ほぼ同時期にデビューした大江千里のアルバムの、まだどこか拙い、アマチュアっぽい感じと比べれば、一目瞭然であるな。

で、ひさしぶり(たぶん10年ぶりくらい)に聴いてみての感想は、「すげー、何で売れなかったの、これ(笑)」というものだ。

メロディ・ラインは非常にキャッチーで覚えやすいし、歌も若干線が細いけど下手じゃないし、バックもビーイング系の巧者でかためているんで、ソツがない。

彼ならではの強烈な個性とか、唯一無二のオリジナリティみたいなものは感じられないんだけど、常に平均点以上のスコアをクリアしている、そんな印象だ。

彼には何人かのロック・ヒーローがいて、それへのトリビュートという感じでサウンドを生み出している。それは、あるときはB・スプリングスティ−ンだったり、あるときはジョン・レノンだったり、ビリー・ジョエルだったりする。これらの人たちに共通しているのは、フィル・スペクター・サウンドへの指向だから、「スペクター指向」とひとつにまとめてもいいかもしれない。

万事に器用で「これぞオダテツ!」という決め技、「これっきゃない!」みたいな一つ覚え芸は特にないのだが、それが逆に災いしてしまったのか、しばらく彼は冷や飯を食うことになる。

で、一躍彼の名前を世間に知らしめたのは、皮肉なことだが、他人への楽曲提供、すなわちコンポーザーとしての活動であった。

ごぞんじ、TUBEのサード・シングルにして大ヒットとなった「シーズン・イン・ザ・サン」(1986)を皮切りに、ZARD、DEEN、相川七瀬などの楽曲で大いに名を上げ、その余録というか、彼自身もいくつかのヒット曲を出すようになる。もちろん、あくまでも「中程度」のヒットで、TUBEらには遠く及ばなかったが。

結局、彼はミュージシャンとしては高い実力をもちながら、スター性、つまり「華」がなかったということなんだろうな。

彼の弟子格、ZARDの坂井泉水と比較してみれば、それはよくわかる。坂井の歌って、けっして巧くはないんだけど、あの声の魅力、そしてルックスに、スターの資質があるってことなんよ。織田にはそういう華は、残念ながらない。

裏方役はけっして本人が望んでやっていることではないんだろうけど、やっぱり彼は良質のポップスを製造し続ける「職人」なんだと思う。

プロ活動もはや27年を越えた。サザンオールスターズもすごいけど、オダテツも別の意味ですごい人だと思っている。

いまも変わらず、ソロデビューのころと同じように自然体で飄々とやっているのが、彼らしくていい。ヒットしなくてもいいから、たまには、自身の新作を出してほしいものです。

<独断評価>★★★★

2006年11月26日(日)

ブライアン・アダムス「カッツ・ライク・ア・ナイフ」(アルファ AMP-28069)

AMGによるディスク・データ

カナダ出身のロックシンガー、ブライアン・アダムスのサード・アルバム、1983年リリース。ブライアンとボブ・クリアマウンテンによるプロデュース。

ある世代にとって「スペシャル」なアーティストというのが、いつの時代にも存在する。

僕ら50年代生まれの人間にとっては、ビートルズ、ストーンズ、ZEP、パープルあたりがそうなのだが、僕らよりもう少し(5〜10年)若い連中にとっては、それがエアロ、ボンジョビ、そしてこのブライアン・アダムスだったりする。

ブライアンの存在を知ったのは、筆者が社会人になってから。会社の仕事でレコード・レビューに書くため聴いたのが、このアルバムやデビュー・アルバム「ブライアン・アダムス」だった。

以来23年来、たまに引っぱり出して聴くし、その後リリースされたアルバムも何枚か購入して聴いている。仕事ではなく、個人的趣味として。

ということで、たしかに嫌いなアーティストではないのだが、かといって自分の青春のカリスマというほどの重要性はない。

これはやはり、十代でなく、大人になってから彼に出会った、ということが大きいんだろうな。

エルヴィスに熱狂していた筆者の前の世代の感覚を、筆者が理解しづらいように、ブライアンをカリスマ、アイドル視する筆者より若い世代の感覚は、どうにもピンとこない。一プロミュージシャンとしてしか、見ることが出来ないのである。

とはいえ、やっぱり彼はカッコいいことに違いない。

いわゆる「白人ロックンローラー」なのだが、先輩格のブルース・スプリングスティーンあたりと比較してみると、全然違うよね。

まず見てくれ。ブロンド、青い眼、ヒゲなし、そしてスリムで長身。黒髪、ヒゲもじゃでいかにもオッサン臭く、わりと小柄なブルースと違い、女性にも受けそう。

それからサウンド。同じロックンロールとはいっても、ブルースは60年代のR&Bをずっと引きずっているのに対し、ブライアンのそれは、もう70年代ハードロック期以降の音でしかない。

たとえばA面2曲目の「テイク・ミー・バック」とか聴くと、明らかにエアロやZEPの影響を感じますな。

ギターのハードなリフ中心の音作り、歯切れよく抜けのいいパワフルなサウンド。これは共同プロデューサーにして名エンジニアとしても知られた、ボブ・クリアマウンテンの手腕によるところが大きいんじゃないかと思う。

とにかく、一曲一曲、ソツなく丁寧に作られていて、安心して聴けるのである。

ことにA面。ハスキーな声でロッド・スチュアートばりの熱唱を聴かせる「ディス・タイム」、メロディアスなバラード「ストレート・フロム・ザ・ハート」(ホンマに名曲です)、そして「カツラがない!」の空耳でおなじみの「カッツ・ライク・ア・ナイフ」の流れは、もうパーフェクト!としかいいようがない。この奥行きのあるサウンド、当時の日本のポップスにも、どれだけ影響を与えたことか。

B面も負けてはいない。ギターリフで始まる「アイム・レディ」。ジャーニーやボストンあたりのプログレ・ハードにも通じるものがあり、実にカッコいい。

ミディアム・テンポの「ホワット・イッツ・ゴナ・ビー」、これはちょっと曲調がブルース・スプリングスティーンぽいかな。サウンドは80年代風だけど。

TOTO、フォーリナーを連想してしまうのは「ドント・リーヴ・ミー・ロンリー」。コーラスはデュランデュラン風とちょっとヒネってありますが。

プチ・モータウンな曲調ながら、バックは明らかにハード・ロック、コーラスはフォークロック・バンド系という面白い取り合わせは「レット・ヒム・ノウ」。

ラストはしっとりとしたバラード「ザ・ベスト・イズ・イェット・トゥ・カム」で締めくくり。ブライアンの、説得力ある歌いぶりが光ってます。

こうして聴いてくると、なんていうか、やっぱりホンモノは違うなあと感じる。日本のポップス&ロックシンガーたちが、彼からパクろうとして、しきれなかったもの。それは「うた」なんだなと痛感。

欧米と日本のポップスは、演奏においては相当差が縮まってきたが、「うた」に関してはまだまだ差が開いたまま。

ハンパな和ものを聴くよりは、やっぱり本場ものを聴くにしくはない。

47才になったいまも、バリバリの現役ロックンローラーなブライアン。その若き日のエネルギー全開な一作、いまだに新鮮な感動をもたらしてくれます。おすすめ。

<独断評価>★★★★☆


「音盤日誌『一日一枚』」2006年10月分を読む

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