音曲日誌「一日一曲」


ノン・ジャンル、新旧東西問わず、その日聴いた曲についての感想文です。

2009年11月29日(日)

#101 カサンドラ・ウィルスン「I Can't Stand the Rain」(Blue Light 'Til Dawn/Blue Note)

1955年生まれのベテラン女性シンガー、カサンドラ・ウィルスンがアン・ピーブルスの代表曲をカバーしている。これが文句なしにいい。ブライアント=ミラー=ピーブルスの共作。

カサンドラ・ウィルスンといえば、ジャズ畑のひとというイメージがあるが、別にスタンダードばかり歌っているわけじゃない。オリジナルも作って歌うし、ソウル、ブルースもしばしば取り上げて歌っているので、結構目が離せない。

「Blue Light 'Til Dawn」は93年リリース、カサンドラの最高傑作との誉れ高いアルバムだ。ここでも彼女は当曲以外に、ロバート・ジョンスンの作品を2曲カバーしている。

アコギ、アコーディオンなど、アコースティック楽器中心のシンプルなコンボをバックに、おなじみの「Come on in My Kitchen」「Hellhound on My Trail」を歌っているのだが、ロバート・ジョンスンの狂気さえも感じさせるアクの強い歌唱とは対照的に、クールで淡々とした歌いぶりがなんとも印象的だ。

そのへんは、やはり、モダンジャズ・ヴォーカル的なアプローチといえそうだ。

さて、この「I Can't Stand the Rain」は、60年テキサス生まれの白人ミュージシャン、クリス・ウィットリー(2005年歿)のリゾネーターをバックに歌う一曲。

最小ユニットながら、カサンドラの落ち着いて深みのある歌声、マディやウルフなど黒人のブルースに強く影響を受けたというウィットリーの達者なギターが絡み合って、えもいわれぬブルーズィな世界を生み出している。

ソウル・シンガーならばフルにシャウトする曲だが、そこはカサンドラ、ひと味違う。悲しみ、苦悩、焦燥。こういった感情を、あえて爆発寸前の状態で蓄え、ラストまでそれを維持し続けているのが、まことに印象的だ。

歌って、こんなに奥の深いものなんだなぁと感じさせる一曲。

真にすぐれたシンガーは、いかなるジャンルの曲を歌っても、第一級の歌を聴かせてくれる。ぜひ一聴を。

2009年12月6日(日)

#102 ブラインド・ボーイ・フラー「Georgia Ham Mama」(Remastered 1935-1938/JSP)

戦前に活躍したシンガー/ギタリスト、ブラインド・ボーイ・フラーの30年代のレコーディングから。フラーの作品。

フラーは本名フルトン・アレン。1907年、ノース・キャロライナ州ウェイズボローの生まれだ。

ブラインド・ブレイク、ロニー・ジョンスンなどの影響でギターを始め、20代にはゲイリー・デイヴィス師について習う。

35年頃よりノース・キャロライナ州ダラムでプロとして活動、120曲ものレコーディングを残した。

だが、残念なことに、41年33才の若さで病死している。

そんな夭折のブルースマンだが、彼の影響をしっかりと受けている大物アーティストがいる。ブラウニー・マギーだ。

きょうの一曲を聴いていただくとよく判ると思うが、その特徴的な節回しは、クリソツといってもいい。

バックにはマギーの相方、サニー・テリーがハープで参加しており、知らずに聴くと一瞬、テリー=マギーと勘違いしそう。

その、いい感じに鄙びた味わいは、マギーに引き継がれたといっていい。

実際、フラーがなくなった時、マギーはそれを大いに悲しみ、一時はブラインド・ボーイ・フラーIIと名乗ったくらいだったという。

歌だけでなく、ギターでもフラーは後世に少なからぬ影響を残している。マギーとともにその代表格といえるのが、黒人女性ギタリストのエタ・ベイカー。さらには、シーファス&ウィギンスなどにもその強い影響が感じられる。

ラグタイムを基調としたそのプレイは、確かなリズム感とテクニックに裏打ちされたものだ。

ちょっと田舎くさい歌いぶりに、このリズミカルなギターが加わることで、なんとも魅力的なカントリー・ブルースに仕上がっている。

ハンチングなどかぶってリゾネーターをつまびく姿、実に粋なんである。

筆者にとっても、目標となるブルースマンのひとり。ホント、憧れちゃいます。

2009年12月13日(日)

#103 ヴァン・ヘイレン「Ice Cream Man」(Van Halen/Warner Bros.)

ヴァン・ヘイレン、78年リリースのデビュー・アルバムより。ジョン・ブリムの作品。

ヴァン・ヘイレンは、ここ10年ほどは活動休止状態ではあるものの、35年もの歴史を誇る長寿バンドだ。

オリジナル・メンバーはエディ(g)とアレックス(ds)のヴァン・ヘイレン兄弟に、デイヴィッド・リー・ロス(vo)とマーク・アンソニー(b)の4人編成。74年、カリフォルニア州パサディナにて結成。

78年にキンクスのカバー「You Really Got Me」のシングルヒットを飛ばしたときは、実に清新な衝撃をロック界に与えたものだ。

ブリティッシュ・ハードロックの強い影響を受けながらも一歩突き抜けた、アメリカのバンドならではの陽気で開放感あふれるサウンドは、それまでにないものだった。

デイヴの賑やかなキャラクターと超絶高音ボーカル、エディの派手なライトハンド奏法、そしてリズムセクションの切れのいいワイルドなプレイ。

先達であるZEP、エアロなどともひと味違った、まさに新世代ハードロックの幕開けだった。

ファーストにしてすでにベテラン・バンドに匹敵する完成度を備えたアルバムは、リスナーたちを大いに刺激した。これぞ80年代の音という評価も少なからずあった。

その後バンドは何回かのメンバー交代を経て、少しずつスタイルを変えつつも存続していくのだが、デビューアルバムを最高傑作と考える人は多い。

初々しさというよりは、既に十分な貫禄を感じさせるそのサウンドは、フツーのバンドならば3枚目か4枚目でようやく達成するレベルのものだ。

そんな良曲ぞろいの中でも、ちょっと異色の一曲が、この「Ice Cream Man」。

ジョン・ブリムといえば、50年代にシカゴで活躍した黒人シンガー/ギタリストだが、いくつかのレーベルを経て所属したレコード会社、チェッカー/チェスとの折り合いがあまりよくなかったため、そこでのレコーディングもお蔵入りになることが多く、わずかにエルモア・ジェイムズとの相乗りアルバム「Whose Muddy Shoes」(70年発表)収録の7曲で知られる程度であった。

60年代にはミュージシャンからほぼ足を洗って、クリーニング屋で生計を立てざるをえなかったという。

そんなブリムにとって思いもよらぬ朗報が、このヴァン・ヘイレンによるカバー・バージョンだった。

ブリムが再びブルースマンとして表舞台に立つことになったのも、このアルバムのヒットのおかげだったという。

オリジナルは、ブリムの友人リトル・ウォルターのハープを従えた軽快なシャッフルだが、ヴァン・ヘイレン版はちょっとひねってあって、前半アコースティック、後半ハードロックというアレンジになっている。

ブリムが妻のミュージシャン、グレイスの協力を得て作ったユーモラスな歌詞が、実に印象的。ダイヤモンド・デイヴの伊達男キャラにもマッチした、小粋でちょっとキワドく、そしてとことん陽気なナンバーだ。

デイヴの派手なボーカルに負けじと、目一杯ハジケて弾きまくるエディのギター・ソロも聴きもの。

ヴァン・ヘイレンによる、ブルース讃歌と言える一曲。ハードロックのルーツは、やっぱりブルースなんであります。

2009年12月27日(日)

#104 大貫妙子・山弦「snow」(note/EMIミュージック・ジャパン)

年の瀬にふさわしい一曲を。大貫妙子とアコギ・ユニット山弦の共演ナンバーだ。大貫のオリジナル。

早いもので、ター坊がシュガー・ベイブで75年にレコードデビューしてから、34年もの歳月が経ってしまった。

ソロデビューからでも33年。もう、押しも押されもしない大ベテランということやねぇ〜。

その間に出したアルバムも、オリジナルものだけでも33枚。平均すれば年に1枚。実に堂々たる仕事ぶりなんである。

でも、30数年たっても、彼女、デビュー当時とほとんど変わっていないのだ。見た目の楚々としたイメージも、その透明な歌声も。

これはホント、スゴいことでっせ〜。

まあ、その驚くべき若さの秘密は、ター坊自身も言っていたように、ずっと結婚せずに、自由な生き方をしてきたからに、ほかならないだろう。

さて、今日の一曲は、2002年のアルバムより。ここでは実力派アコギデュオ「山弦」との共演を果たしている。

そもそも彼らのなれそめは、山弦(小倉博和、佐橋佳幸)のオリジナル・インスト「祇園の恋」に、ター坊が歌詞をつけて「あなたを思うと」というタイトルで歌ったことから始まっている。これが実に素晴らしい出来映えだった。

そのコラボレーションを発展させ、アルバム一枚にまとめあげたのが「note」ということになる。

現在56才の大貫より、6、7才ほど若い山弦のふたりだが、キャリアは十分。決して、ター坊に貫禄負けしていない。小倉はもとより、ふだんはエレクトリック・ギターでハジけまくっている佐橋も、しっとりとした大人っぽい音を聴かせてくれる。

今日の「snow」は、ミディアムスローテンポのバラード。ター坊はいつものように、なんのギミックも使わず、さらっと歌い上げているのだが、これがまた極上の味わい。

彼女の澄み切った歌声に、山弦のふたりの爪弾きが重なりあい、純白の冬の風景を聴き手の心に浮かび上がらせるのだ。

これぞ、ピュア・ミュージックと呼ぶにふさわしい音。日頃ストレスで汚れきった心を、見事に洗い清めてくれるのです。

三人の生み出す、透明度100%のサウンドに、些事を忘れて身をゆだねていただきたい。

2010年1月10日(日)

#105 supercell「君の知らない物語」(Sony Music)

少し遅めのスタートとなったが、今年もよろしく。新年第一弾はこれ、話題のクリエイター集団、supercellのメジャーデビューシングルだ。

supercellは、作詞・作曲・プロデュース担当のミュージシャン、ryoを中心とするチーム。ボーカロイド・初音ミクをフィーチャーした一連の作品でネット界に大反響を巻き起こし、一躍メジャーな存在となった。まさにネット時代の、寵児的存在なのだ。

そのsupercellが、満を持して世に問うたのが、このシングル曲。昨年放映された中でも最も印象的なアニメのひとつだった「化物語(ばけものがたり)」(原作は西尾維新によるライトノベル)のエンディングテーマとして制作された。

この曲ではボーカルは初音ミクのようにバーチャルなものでなく、生身のシンガーを初登用している。ニコニコ動画で初音ミクの曲を何曲もカバーしていた縁でryoの目に(というか耳に)とまったらしい、nagi(ニコ動でのHNはガゼル)がリードボーカルをつとめているのだが、これがまた既存のシンガーにはない清新な魅力を放っているのだ。

あくまでも高く清く澄んだ声、でもちょっと儚さやもろさを感じさせるその歌声は、どこにでもいそうで実はどこにもいない、そんな印象だ。

高音部で少し苦しげな発声になり、素人っぽさが抜けきらないあたりも、逆に彼女ならではの持ち味。そういう意味で、亡き坂井泉水あたりに通じるものがある。

またバックには、ギターの西川進をはじめとする、実力派スタジオミュージシャンを揃えている。中でも、ピアノの渡辺シュンスケがダイナミックな演奏を聴かせてくれるので、こちらにも注目だ。

最近、スキマスイッチ、アンジェラ・アキ、WEAVERなど、ピアノ・サウンドをフィーチャーしたアーティスト、あるいは楽曲が増えてきているように思うが、supercellもまた、ピアノがそのサウンドの要であると見た。

なお、ご覧いただくPVの映像は、「化物語」本編とは独立した内容ながらも、主人公の高校生カップルが「ほしのさと天文台」(実在していない)に夏の星座を観に行くといった設定で、アニメの内容とも微妙にリンクした一編の青春ドラマになっている。

自分自身には、こんな甘酸っぱい青春の思い出など皆無ではあるが、これを観て「君の知らない物語」を聴くと、不思議と懐かしさがわき起こってくる。「セイシュンやな〜」という感じ(笑)。

誰の身にも起こりそうな、でも現実よりはずっと魅力的な「もうひとつの物語」を見事に作りあげ、若い読者やリスナーの心をガッチリとつかんだ西尾維新、そしてsupercellの実力。脱帽であります。

2010年1月17日(日)

#106 ギター・スリム「Down Through the Years」(Atco Sessions/Atlantic)

ふたたび、ピュア・ブルース路線に戻ろう。きょうの一曲はこれ。ギター・スリム、アトコ(アトランティック)時代のヒットを。レナルド・リチャードの作品。

ギター・スリムを取り上げるのは、今回が初めてだったと思うが、長いブルース史上においても極めてユニークなアーティストのひとりだと筆者は思っている。

本名エディ・ジョーンズ。26年ミシシッピ州グリーンウッド生まれ。59年に32才の若さでニューヨークにて亡くなっている。

ギター・スリムといえば、なんてったって「The Things That I Used to Do」。スペシャルティ在籍時代の54年に放ったこのビッグ・ヒットで、彼は全国区的人気を獲得した。

以後、亡くなるまでわずか5年だったのだが、その間にもアトコで何枚ものシングル・ヒットを出しており、このバラード・ナンバーもそのひとつ。

ギター・スリムは、いわゆるブルースの枠にとらわれない、非常に幅広い音楽性を持っていたひとだったと思う。

人種音楽だったブルースを、より多くの人々が楽しめるようなエンタテインメント・ミュージックに昇華させていったミュージシャンのひとりで、後のジミ・ヘンドリックス、スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクスンらにも匹敵するようなイノベーターであったと思うのだ。

ただいかんせん、短命過ぎた。もっと活動期間が長ければ、さらにすごい仕事を残したのではないだろうか。

とにかく、度肝を抜く派手なステージングにおいて、当時のブルース界では突出していたのが、ギター・スリムだ。

髪を染め、原色のスーツに身をつつみ、何十メートルもの長さのギターコードを使ってライブ会場中を動きまわる、といった今日ではごくフツーなステージ・パフォーマンスも、スリム自身の創出したアイデア。

とにかく「目立ってナンボ」という彼のミュージシャンシップには、唖然とさせられつつも、学ぶべきところが多いね。

きょうの「Down Through the Years」は、典型的な2拍3連バラードで、大ヒット「The Things That I Used to Do」にも通じるところのある、ニューオリンズ・スタイルのR&B。

ギター・スリムの歌声が、文句なしにエグい(いい意味で)。心の底からのシャウトが、耳をえぐるようだ。

やや走り気味の、間奏部のギター・ソロも、上手いというよりは、味があるって感じだ。

ブルーノートを余り多用せず、陽性のフレーズで彼らしさを出しているのである。

他の多くのブルースマンがどうしても抜け切ることができない「重さ」を、彼は見事に脱して、より多くのひとにアピールする「軽み(ポップ)」を達成している。まさにプロフェッショナルなのだ。

空前絶後の表現者、ギター・スリム。そのワイルドきわまりない音世界を、堪能してくれ。

2010年1月24日(日)

#107 ブッカ・ホワイト「The New Frisco Train」(Hellhounds on Their Trail: A History of Blues Guitar 1924-2001/Indigo)

カントリー・ブルースの雄、ブッカ・ホワイトのナンバーより。ホワイト自身のオリジナル。

ブッカ・ホワイトことブッカー・T・ワシントン・ホワイトは、1906年(他に諸説あり)ミシシッピ州ヒューストン生まれ。

30年に初レコーディング、77年にメンフィスにて亡くなるまで、カントリー・ブルースの大御所として多くのアーティストに影響を与え続けた。たとえば、ボブ・ディランやレッド・ツェッぺリンのような白人ロック・ミュージシャンたちにも。

その特徴ある、四角くいかつい顔同様、彼の野太いダミ声は多くのひとびとの印象に残ったのである。

有名な逸話だが、彼の19才年下のいとこがB・B・キングで、すでにメンフィスでブルースマンとして名を成していたホワイトを頼って彼のもとに身を寄せたのだが、ホワイトの弾く流麗なスライド・ギターに圧倒され、「自分はスライドが弾けないが、かわりにそういう効果を出せないものか」と苦心し、あのヴィブラート、チョーキングを駆使した「スクウィーズ奏法」を生み出したという。

そういう意味では、その後のポピュラー・ミュージックにおいて主役となる楽器、ギターの演奏法にさえ少なからぬ影響を与えたひとなのだ。

さてきょうの一曲は、ホワイトが得意としたアコースティック・スライド・ギターをフィーチャーした、アップテンポのナンバー。

とにかくそのスピード感は圧倒的だ。力強く繰り出すシンプルなツービートにのせて、リズミカルなスライド、そしてエグい歌声が炸裂する。

いまを去ること40年前、そう、筆者がZEPのサード・アルバムのB面(特に4、5曲目)を聴いたとき、「世の中にはこんなユニークなスタイルの音楽があるんだ」と、目からウロコが落ちたものだが、いま思えば、それがホワイトたちの演っていたカントリー・ブルースとの最初の出会いだったんだよなぁ。

それまで学校の音楽科の時間で習っていたような、いわゆる整然とした美しい音楽ではない。ノイズ、軋みの多い、雑然とした音楽。でも、これが実に魅力的に聴こえたのだ。

もちろんそれは、時代を経るにしたがってどんどんリファインされていき、シティ・ブルース、モダン・ブルースへと進化していくのだが、そうなる前のダイヤの原石のごとき音楽、それが戦前のカントリー・ブルースだった。

ブッカ・ホワイトの、凄みある歌声、そしてとても一人で弾いてるとは思えない達者なスライド・ギター。まさにカントリー・ブルースの粋(すい)なり。

その見事なダイナミズムに、身をゆだねるべし。

2010年1月31日(日)

#108 amingdon boys school「From Dusk Till Dawn」(ABINGDON ROAD/Epic)

西川貴教が現在所属しているバンド、amingdon boys schoolの8番目のシングル。西川貴教・柴崎浩の作品。

西川は70年生まれの39才。T.M.Revolutionとしてメジャーデビューしたのが96年。以来、足掛け14年のキャリアを持つシンガーだ。

楽器演奏、作曲はせず、ボーカル専任なのだが、このひとのうたは本当にハンパなくうまいと筆者は思う。

そのシャープにしてワイルドな歌声は、現在の日本のミュージックシーンにおいても、屈指の存在ではなかろうか。

たとえていうなら、ヒトではない、神もしくは悪魔の域に達した声。そういう、超越的なものさえ感じる喉なのである。

とはいえ、デビュー以来快進撃を続けていた西川にも、いささか失速していた時期があった。結婚、そして離婚というプライベート面の問題が大きかったのか、2000年前後は、本業の活動がしぼみがちであった。絶大であった人気も、正直下降線をたどっていた。

だが2005年、心機一転、amingdon boys schoolという名の新グループを立ち上げ、西川は復活した。以前よりもロック色を強め、バンド・スタイルでの再出発を果たしたのだ。

「ゼロからのスタート」。まさにそういうスタンスであった。

翌年12月にはメジャー再デビュー。人気TVアニメ「D.Gray-man」のオープニング曲で華々しく登場した。

エッジの立ったギター・サウンドにのって激しくシャウトしまくる西川のパフォーマンスに、デビュー以来のファンたちはホッと胸をなでおろしたものだ。

以来3年余、おもにアニメやゲームのタイアップ曲を中心に地道に活動しているが、もちろんヲタク御用達のみではない。TM時代以上に幅広い支持を集めており、さらには海外進出も果たしている。

インターネットでの世界同時発信/流通により、Takanoriの名前もワールドワイドになった。

昨年11月には初のワンマン・ヨーロッパツアーで6か国にて9公演を敢行。12日間のハードスケジュールを無事乗り切ったという。

きょうの音源の最後の部分で、4回ものライブを行ったドイツでのステージの模様を聴くことが出来る。西川が満場のドイツ人観客を前に「ダンケシェーン!!」と叫ぶさまに、思わず胸が熱くなる。

筆者の持論として、「歌手はいやしくもプロと名乗る以上、ただ上手いだけじゃダメだ。リスナーを感動させ、泣かせるくらいのものがないと」と思っている。

とはいえ、聴く者を思わず知れず落涙させてしまうぐらいの「チカラ」を持ったシンガーなど、いわゆるプロにだってそういるもんじゃない。

が、西川貴教は、まぎれもなく、その数少ないプロ中のプロといえる。少なくとも筆者は、そう思っている。

ワイルドなロックと正統派ポップスが完璧に融合した、西川畢生のバラード「From Dusk Till Dawn」。隠れもなき名曲であります。

2010年2月7日(日)

#109 タル・ファーロウ「Will You Still Be Mine?」(A Recital By Tal Farlow/Verve)

たまには趣向を変えて、スタンダード・ナンバーでも聴いてみよう。1940〜60年代に活躍した白人ジャズ・ギタリスト、タル・ファーロウの55年のアルバムより。マット・デニス=トム・アデールの作品。

タル・ファーロウは21年、ノースキャロライナ州グリーンズボロ生まれ。98年にニューヨーク市にて77才で亡くなっている。

ギターを始めたのは20代に入ってからだが、天賦の才能があったようでめきめきと腕を上げ、マージョリー・ハイアム、レッド・ノーヴォ、アーティ・ショーといったプロ・ミュージシャンのバックで頭角を表し、そして32才のとき、自身のコンボを組むに至る。

ファースト・リーダー・アルバムをブルーノートよりリリース(当時は10インチ盤)。以来、その軽快ながらも切れ味鋭いギター・プレイは、イーストコースト系ジャズの中でも際立った存在となる。

「A Recital by Tal Farlow」はロサンゼルスにて録音。ヴァーヴに移籍して2枚目、通算では4枚目にあたるアルバムだ。ここでは、ピアノレスの三管という、ちょっと面白いセクステット編成をとっている。

冒頭、ファーロウのイントロに続き、ボブ・エネボールゼンのトロンボーンを中心とした三管がおなじみのテーマを奏でる。1コーラス目の後半からファーロウも主旋律に加わる。

それに続き、テナー・サックスのビル・パーキンス、そしてトロンボーンにソロを取らせた後、ようやくファーロウがソロに入る。実に淡々としたというか、軽妙な感じのフレージング。

ゴリゴリ弾くことなく、あくまでもライトでさらっとした演奏。いかにも、イーストコースト・ジャズであるな。

最後にバリトン・サックスのボブ・ゴードンのソロからテーマに戻って、終了。時間はほぼ4分。

実にあっさりとした構成だが、たったこれだけの短い時間でも、各プレイヤーのスゴ腕は如実にわかる。

ベースのモンティ・バドウィッグ、ドラムスのローレンス・マラブル。彼らの刻む確かなビートに、絶妙なカッティングで絡み、ピアノのない状態を十二分にカバーするファーロウ。この見事なリズム・セクションに加え、3人のホーン・プレイヤーの抑制のきいた巧みなブロウ。

これぞ、アンサンブルの醍醐味!とでもいうべき演奏ぶりであります。

曲についても少しふれておくと、これは「エンジェル・アイズ」「コートにすみれを」といったメロディアスなナンバーで人気の高いシンガー兼ピアニスト兼コンポーザー、マット・デニスの作品。共作者の書いた小粋な内容の歌詞に負けない、センスあふれるメロディ・ラインで、聴き手を魅了するアーティストだ。もちろんこの曲も、彼の傑作のひとつと言えるだろう。

タル・ファーロウのプレイって、他のプレイヤーを食ってやろう、みたいなケンカっぽい雰囲気は全くないのに、なぜか最後は一番印象に残る。そんな感じだ。

あくまでもアンサンブルを重んじた上で、自分のソロの番がまわってきたら、さりげなく自己主張する。そんな奥ゆかしさがあるのだ。

彼のやってきたようなスタイルのジャズは、60年代後半から70年代にはほぼすたれてしまい、彼の出番も非常に少なくなってしまった。

が、やはり、いいものはいい。何度もそのアルバムは再発され、CD化され、いまになっても、少数ながら聴き続けているリスナーはいる。筆者のように。

マット・デニスの粋な歌曲同様、いい音楽というものは何かを知る人々がいる限り、タル・ファーロウの演奏はずっと聴かれていくにちがいない。

2010年2月14日(日)

#110 ダイナ ・ワシントン「Begging Mama Blues」(Blues for a Day/Delta Distribution)

ジャズ・シンガーとして名高いダイナ ・ワシントンが歌うブルース・ナンバー。ウィルバート・バランコ、チャールズ・ミンガスの作品。

ダイナ ・ワシントンは1924年、アラバマ州タスカルーサ生まれ。63年、39才の若さでデトロイトにて亡くなっている。

短命ながら膨大なレコーディングを残し、「恋は異なもの」「ハニーサックル・ローズ」「煙が目にしみる」など、さまざまなヒット曲を持つ。第二次大戦後、アメリカでもっとも人気を博した女性歌手のひとりといえる。

ダイナは、ベシー・スミス、ビリー・ホリデイといった先達に強い影響を受けながらも、彼女たちとは違った、どこかしら陽性で華のあるブルースを歌うことで個性を発揮した。

彼女の魅力はやはり、艶とハリのあるその「声」に集約されるといえるだろう。

ダイナの歌声を聴くと、たとえそれが沈鬱なブルースであったとしても、なにやら「ようし、きょうもがんばろうじゃないの」という気になるから、不思議である。元気を聴くものに与えてくれるのだ。まさにチアリング・ボイス。

ところできょうの一曲は、かの偉大なるジャズ・ベーシスト、チャールズ・ミンガス(とピアニスト、ウィルバート・バランコ)の曲というから、ちょっと面白いでしょ。あのミンガスの歌ものですよ。

でも、ミンガスは自身のバンドでボーカルをとることもあったひとなんで、実はそんなに不思議なことではなかったのだ。あまり知られていないことだけど。

この曲が収録されたアルバムでは、ミンガスのナンバーをもう一曲(Pacific Coast Blues)、あと、メンフィス・スリムの曲(Trouble Trouble)もカバーしている。

ブルースというと、音楽ジャンルのひとつだと多くのひとは理解しているようだが、必ずしもそれだけではない。

曲の形式としてのブルース、というのも忘れてはいけない。ジャズ歌手、カントリー歌手、さらにはオペラ歌手(!)が歌う12小節ブルースってのも、フツーにありってことなのです。

ダイナはジャズの枠を越えて、ポピュラー歌手の域にまで達していった人だが、その音楽の根底にあるものは、ジャンルとしてのブルースであり、そのレパートリーの根幹は、曲の形式としてのブルースだと思う。

ベシーやビリーの後を継いで王座についたブルース・ディーヴァ、ダイナ ・ワシントン。その歌声は、死後約半世紀を経た現在でも、輝きを失うことはない。

20世紀のすぐれた音楽遺産を、しっかり確認していただきたい。

2010年2月21日(日)

#111 阿部真央「ふりぃ」(ふりぃ/ポニーキャニオン)

若手女性シンガーソングライター、阿部真央のラジオシングルの4曲目。2008年リリース。彼女自身の作品。

現在、サードメジャーシングル「いつの日も」がヒット中の阿部真央は、1990年1月大分市生まれの20才。

九州出身、ハタチそこそこでメジャーブレイクした、「ギターをかき鳴らし歌う女性シンガー」といえば、ふたりほど連想されるんじゃないかな。そう、椎名林檎とYUIである。

31才の林檎、22才のYUI(ともにまだまだ若い!)をいま、猛追撃しているのがこの阿部真央なのである。

阿部真央。まず名前からしてシンプルでいい。略する必要がない。(もっともファンは「あべま」とさらに略して呼んでいるようだが、まんまでいいじゃん。アベマオで。)

彼女はふたりの先輩同様、作詞・作曲ともに自ら手がけている。うん、アーティストならそうでなくちゃ。曲のみ、あるいは詞のみ、みたいなハンパなヤツがアーティストと名乗ることには不満のある筆者としては、我が意を得たりという感じだ。

彼女の書く曲にはとにかく「ストレート」という形容詞がふさわしい。

特にその歌詞がそうだ。彼女の偽りのない本音がそこには満ちている。「貴方の恋人になりたいのです」しかり、「人見知りの唄」しかり。

きょう聴いていただく「ふりぃ」(高校生当時の作品。ファーストアルバムのタイトルチューンでもある)も、若い女の子の「いまはまだ誰にも束縛されたくない」という感情を、これ以上ないというくらいのど真ん中ストライクで投球してくる。その太い声で「ハッ!」なんて和田アキ子ばりに喝を入れられたら、気の弱い草食系男子など、タジタジだろう。

求愛し、ふられ、泣きわめき、恋を得て、歓喜する。まさに本能に忠実な、ゴーイング・マイウェイ・ガール。

かといって、ただただ強気一辺倒のじゃじゃ馬娘というだけでもない。「いつの日も」のようなバラードでは、年相応の初々しい乙女心も見せてくれる。このギャップがいいかも。

二先輩同様、早熟な才能の持ち主でありながら、プライベートではいろいろ悩みもあるようだ。こういう仕事につくと、のんびり恋などしている余裕などないようだし。

でもそこは、持ち前のバイタリティ、前向きな性格でこれからも乗り切っていくのだろう。実に頼もしいキャラクターだ。

ぷっくりした頬が愛らしい彼女は、気さくでぶったところがないので、異性にも同性にも好感をもたれそうだ。過去付き合っていた男性の話なども、隠したりすることなくしゃべってしまうアベマオ。実にいいコじゃないか。

すぐれたアーティストのパフォーマンスは、初見のときからとんでもない衝撃をもたらしてくれるものだ。筆者はこの「ふりぃ」でアベマオとファースト・コンタクトしたわけだが、それは11年前、椎名林檎の「ここでキスして。」を聴いた時以来のインパクトがあった、と言っておこう。

その太く(いい意味でね)力強い声は、一度聴いたら忘れることが出来ない。

等身大のアベマオが、どの曲にも息づいている。今後の彼女の成長が、ほんとうに楽しみだ。

2010年2月28日(日)

#112 ジ・エイシズ「Take a Little Walk With Me」(Devil's Music/TV O.S.T./Sanctuary)

今月最後の一曲はこれ。ジ・エイシズのライブより、ロバート・ロックウッド・ジュニアの作品を。

ブルース界における名門バンドといえば、エイシズをおいて他にない、そう言い切れるくらいの存在だが、彼らのスタートは1951年にまで溯れる。

26年生まれのデイヴ(ベース)、29年生まれのルイス(ギター)のマイヤーズ兄弟が、ジュニア・ウェルズとともに結成した「スリー・デューシズ」がその原型であり、さらにドラムのフレッド・ビロウが参加して「フォー・エイシズ」に改名、オリジナル・メンバーが揃う。翌52年、ジュニア・ウェルズをやめさせ、リトル・ウォルターと合流。彼のバックバンド「ナイト・キャッツ」あるいは「ジュークス」という名で活動する。

「オフ・ザ・ウォール」「ミーン・オールド・ワールド」に代表されるチェス時代のリトル・ウォルターの名曲群は、彼らとのコラボレーションから生み出されたものなのだ。

しかし、ウォルターとルイスとの間に確執が生じ、バンドは空中分解する。ルイスは脱退し、残るふたりのメンバーは彼の代わりにロバート・ロックウッド・ジュニアを加えて、レコーディングなどの活動を続けたのである。

70年代に入って、ようやくルイスが復帰、エイシズは再スタートする。それまではアルバム単位のレコーディングなどなかった彼らだが、71年以降、3枚のスタジオアルバムを残している。

今日の一曲は、英BBCで放送されたブルース・ドキュメンタリー番組「Devil's Music」のサウンドトラックより。

ロバート・ロックウッド・ジュニアと一緒に活動していた縁で彼らのレパートリーに加わったこのナンバーは、聴いていただければおわかりいただけると思うが、要するにロックウッドの義父、ロバート・ジョンスンの「スウィート・ホーム・シカゴ」の改作だ。

典型的なミディアム・テンポのシャッフル・ビート。いわばブルースのテンプレートみたいな曲調だが、エイシズの各メンバーが見事に心地いいビートを叩き出している。

格別のテクニックがあるわけではない。でも、このシャッフルの絶妙なタイム感は、ルイス、デイヴ、フレッドの三人でなくては生み出しえないというのも確かだろう。

適当にしょっぱい歌声、カチンカチンとまとまったギター・ソロも、いかにもいかにもという感じで、グー!である。

ブルースとは味わいで勝負する音楽である、ということがよくわかる一曲。彼らのキャリアは伊達じゃないね。

2010年3月7日(日)

#113 fripSide「only my railgun」(RONDO ROBE)

二人組ユニット、fripSideの再メジャーデビュー・シングル。sat(八木沼悟志)プロデュース。TVアニメ「とある科学の超電磁砲(レールガン)」のオープニング曲。

fripSideは女性シンガーのnaoとプロデューサー/キーボーディストsatにより2002年結成され、おもにゲームやアニメの分野で活動していた、知る人ぞ知るユニットだった。

どちらかといえば業界の裏方的存在だった彼らが、昨年秋、一躍表舞台に飛び出してきた。この「only my railgun」のスマッシュ・ヒット(オリコン総合チャート3位)によって。

昨年3月脱退したnaoに代わりボーカルとして参加したのは、声優の南條愛乃(25)。

彼女の抜擢が成功し、再デビュー曲は、深夜アニメという枠を越えて、全国区的人気を獲得したのだ。

彼らはアニメ/ゲーム系のアーティストとしては珍しく、ロックというよりは、ユーロビート/トランス系の音楽をおもに手がけている。

わが国でその手の音楽の先駆者といえば、いうまでもなく、小室哲哉だ。satももちろん、小室の絶大なる影響下にある。そのサウンドを一聴すれば、誰にでも判るぐらいの、ベタなコムロ・フォロワーだ。

しかしながらその曲作りのレベルは非常に高い。緩急自在の曲の流れ、ブレイクから間奏へとなだれ込む間合い、押さえるべきツボはすべて押さえたソツのないアレンジだ。なにより、打ち込みのサウンドと、南條の無機質なハイトーン・ボイスのマッチングが最高にいい。

こりゃあヒットしないわけがない。アニメファンに限らず、一般リスナーをも巻き込んでブレイクしたのも、むべなるかな、である。

きょうはこの曲を、彼らのPVで聴いていただくが、このPVも実によく出来ている。演出のコンセプトは、「とある科学の超電磁砲」の作品世界に連なる「魔術(マジック)」だが、単にシリアスに演出するだけでなく、息抜きの「笑い」の要素もうまく折り込んでいる。とある有名マジシャンがゲスト出演して、お茶目な芸を披露しているので、こちらにもご注目。

fripSideはこの曲のヒットの勢いに乗って、第2弾シングル「LEVEL5-judgelight-」も立て続けにヒットさせている。

このパワーで今後もトランス、レイヴ系の急先鋒としての活躍が期待できそうだ。要チェキ!ですぞ。

南條愛乃は、過去アニメのキャラクターソングを歌った経験はあるものの、これが実質的なメジャーデビューといっていい。が、とてもそうは思えないくらい、卓越したリズム感を持っており、satが作っためまぐるしく転調する難曲を、さらりと歌いこなしている。J-POP界に現れた、ひさびさの逸材といえるだろう。

その才能を見抜いたプロデューサー、八木沼悟志の炯眼もまたスゴい!ということでもありますな。

帝王コムロはいまだ復活せず。でも、そのDNAを受け継いだトランスの超新星satがいれば、全然いいんジャマイカ。そう思います、ハイ。

2010年3月14日(日)

#114 ジミー・ウィザースプーン「Trouble in Mind」(Atlantic Blues/Atlantic)

1940年代から90年代まで、息長く活躍したシンガー、ジミー・ウィザースプーンが歌う、ブルース・スタンダード。トラディショナルを元に作られた、リチャード・M・ジョーンズの作品。

ジミー・ウィザースプーンは、20年アーカンソー州ガードン生まれ。幼少時よりゴスペルに親しみ、10代なかばでカリフォルニアに移住。プロのシンガーとしての仕事を得て、当時の人気ビッグバンドのリーダーであるジェイ・マクシャンの目に止まり、ウォルター・ブラウンの後任として44年入団。

以来めきめきと名を上げ、49年にはソロシンガーとして独立。「エイント・ノーバディズ・ビジネス」「イン・ジ・イブニング」などを立て続けにヒットさせ、全国区的人気を得るようになった。

その後も活動の場所をジャズ界にまで広げ、77才でLAにて亡くなるまで、ブルース/ジャズ界の大御所として君臨した。まさに堂々たるキャリア。

ジミー・ウィザースプーンは、先輩格にあたるビッグ・ジョー・ターナーなどと同様、典型的なビッグ・ボイス・シャウターといえる。

その圧倒的な声量を生かした迫力ある歌唱は、40〜50年代、すなわちラジオの全盛時代に最もフィットしたものであったといえよう。

きょうのナンバーは、元々はトラディショナルだったものを、リチャード・M・ジョーンズがまとめたもので、黒人・白人を問わず実にさまざまなジャンルの、さまざまなアーティストがカバーしている。たとえばルイ・アームストロング、アレクシス・コーナー、キャノンボール・アダレイ、モーズ・アリスン、ビッグ・ビル・ブルーンジー、グレン・キャンベル、シーファス&ウィギンス、クリフトン・シェニエ、エリック・クラプトン、サム・クック、スペンサー・デイヴィス・グループ、ファッツ・ドミノ、ボブ・ディラン、エヴァリー・ブラザーズ、アレサ・フランクリン、ウディ・ハーマン、ロン・ウッド、エラ・フィッツジェラルド、ジャニス・ジョプリン、ニーナ・シモン、ピーター&ゴードン、そして憂歌団‥‥と、上げだしたら、キリがないくらい。

つまりこの曲はアメリカ人にとって、「こころのふるさと」的な歌だということが、よくわかる。

心に悩みをかかえたとき、ふと口をついて出る。そんなブルースなのである。日本でいうなら「上を向いて歩こう」にでも相当する歌、そういう感じだ。

そんな「国民的ブルース」の極めつけ版が、このウィザースプーンによる歌唱なんではないかな。

哀感をたたえたその美声は、ブルースを愛するすべての人々のハートに届くはずだ。

しっとりとしたジャズィな演奏にのって歌われる、心にしみる歌(ブルース)。

こういう曲こそ、末永く歌われ続けていってほしいものであるね。

2010年3月21日(日)

#115 ウィッシュボーン・アッシュ「Blind Eye」(Wishbone Ash/MCA)

ウィッシュボーン・アッシュのデビュー・シングル。70年リリースのファースト・アルバム所収。メンバー全員の共作。

筆者にとってウィッシュボーン・アッシュは、飛び抜けて一番とはいえないものの非常に好きなグループのひとつで、すでに4回ほど取り上げている。

66年結成。オリジナル・メンバーのアンディ・パウエル(g)を中心に現在も活動中で、歴代在籍メンバーは16名にも及んでいる。

44年もの歴史の中で、印象に強く残っているのは、いわゆる第一期のアッシュ。パウエル、テッド・ターナー(g)、マーティン・ターナー(b)、スティーブ・アプトン(ds)のデビュー時メンバーによる、73年までの4枚のスタジオ・アルバム、そして1枚のライブ・アルバムである。

10分以上の長尺の曲が多く、ヒットチャートよりはアルバム・オリエンテッドな作風が、彼らのパブリック・イメージだが、スタート当初はそうとは限らなかった。一例が、きょうの一曲。

元々はブルース・ロックを基調としていた、いまでいうところのジャム・バンドであった彼らは、この4分未満のブギのような曲を当時、主たるレパートリーとしていたのだ。以前取り上げたライブ・アルバムの中でいえば「When Were You Tomorrow」のような曲だ。

しかし、彼らはプロのバンドとしてやっていくには、大きな弱点があった。強力なボーカリストの不在である。

そこで、他のバンドのようにボーカルを前面に押し出したスタイルでなく、ボーカルもサウンドの一要素と捉えて、トータルな音作りをするという作戦に出た。曲作りも特定のコンセプト、たとえば伝説とか神話とかいったものに基づき、どちらかといえば非日常、ファンタシィの世界を歌うことで、オリジナリティを出そうとしたのである。

そうやって生み出された「フェニックス」「ブローイン・フリー」「戦士」「キング・ウィル・カム」といったマイナー系メロディが印象的なナンバーは、彼らの看板曲となった。

そして、アンディとテッドによるツイン・リード、それもしっかりとアレンジされたソロ・ラインをハーモナイズして弾くという、過去にはあまりないスタイルが、大ウケしたのである。

ギターが本当に上手いのはアンディのほうだったが、テッドやマーティンのイケメン系メンバーがステージに立つと、非常に見栄えがしたのもプラスし、英国や日本での人気は高かった。

ただ、その後企てたアメリカ進出は、思ったようにはいかず、いろいろと紆余曲折があったのは事実だ。決して同じ英国勢のレッド・ツェッぺリンのようには、爆発的なウケが取れなかったのである。つくづく、ショービズの世界での成功はラクじゃないな、そう思う。

それはさておき、この記念すべきデビュー曲は、ギターが売りのアッシュにしては、ピアノを加えているのが面白い。

ブルース、ブギなどの黒人系音楽にはつきもののピアノをフィーチャーしていることで、ツイン・ギター・ソロもあるとはいえかなりオーソドックスというか、古典的なサウンドとなっている。まるで初期のフリートウッド・マックのよう。

同じアルバムに収められている「フェニックス」あたりとは、ホント、だいぶん異質な曲に聴こえる。

バンド本来のブルース路線と、メジャー・デビューにあたって付け加えられたオリジナルな路線とが、まだ混在していたということなんだろうね。

そのあたりの「未完成」な感じが、デビュー作らしさでもある。もうひとつのウィッシュボーン・アッシュらしさを知ることのできる一曲。要チェキです。

2010年3月28日(日)

#116 キャンド・ヒート「Got My Mojo Working」(Let's Work Together/Goldies)

60年代より現在に至るまで活動している長寿バンド、キャンド・ヒートのベスト盤(オランダ版)より、マディ・ウォーターズでおなじみのナンバーを。

キャンド・ヒートは65年頃、アル・ウィルスン(g,hca)、ボブ・ハイト(vo)を中心にロサンゼルスにて結成された白人バンド。ブルース・バンドとは名乗っていないが、そのレパートリーの多くは黒人のブルースであり、当時としては先駆的なホワイト・ブルース・バンドであった。ちなみに、グループ名は黒人ブルースマン、トミー・ジョンスンの曲名からとっている。

ジョン・リー・フッカーとの共演アルバム「Hooker 'n' Heat」を出したり、モンタレーやウッドストックなどの大規模なフェスティバルに出演したりして知名度を上げた彼らは、ブルースのカバーだけでなくオリジナル曲も発表し、いくつかはヒット曲も出す。

だが、70年代後半は実質的に休止状態。長いブランクののち、80年代の末に活動を再開する。メンバーを変えながら現在に至っている、というわけだ。

筆者が思うに、彼らの演奏は「どれだけ黒人のサウンドを忠実に再現出来るか」が基本ポリシーなんだと思う。歌い方にせよ、演奏にせよ。あるひとはそれを「黒人ブルース原理主義」などともいう。

白人ロックミュージシャンの多くは、ブルースという原典を換骨奪胎して、自分たちにとって歌いやすい、演奏しやすいスタイル(たとえば、ロカビリー)に変えてしまった。だが、彼らは「それじゃだめなんだ」といわんばかりに、白人的なアプローチを拒否し、あくまでも原典の再現にこだわった。

そのこだわりぶりは、あまたあるホワイト・ブルース・バンドの中でも、頭ひとつ抜けているといっていいだろう。

その頑さゆえに、いわゆるポピュラリティは獲得出来なかったものの、そのこだわりに共鳴してか、いまだにファンが根強く残っているのが、彼らの特徴だといえそうだ。

ところで、きょうの一曲、説明など不要であろうが、ブルース・スタンダード中のスタンダード。ブルース・ファンでは知らぬ者などひとりもいない、超有名曲だ。

あまりにも繰り返し演奏されてきたせいで、「もう聴きあきた」などという評もないわけではないが、どこのブルースセッションでも、必ず一度は演奏される、そんな絶対的なポピュラリティを誇っている。

なにより特徴的なのは、その意味深長な歌詞だ。もともとこの曲はプレストン・フォスターが作り、女性R&B歌手、アン・コールがステージで歌っていたのを、当時彼女と組んでツアーをやっていたマディ・ウォーターズが気に入り、オリジナルの歌詞をつけてちゃっかり自分のレパートリーに取り込んでしまったのである。

以来、この曲は、黒人白人、ブルース、ロックを問わず、とんでもない数のアーティストによってカバーされることになる。日本でも60年代後半からブルース・クリエーション、ゴールデン・カップスをはじめとする多くのバンドが取り上げていたのは、50前後のひとならよくご存知だろう。

当時は「モジョ、それ何? 美味しいの?」みたいな感じで、正体不明のアイテムだったわけだが、要するに意中の女性を振り向かせるための、まじないグッズ。

つまり、歌の内容自体、かなーりインチキくさいのだが、それをとにかくノリと勢いで歌い切ってしまうのが、いかにも元祖モテ男、マディらしかった。

キャンド・ヒートの場合、(写真を見るとわかると思うが)イケメン、モテ系がひとりもいない、いやむしろムサい系以外の何者でもなかったわけだが(笑)、ひたすらモジョの、そしてマディのご利益を信じ切って歌っている感じで、なんだか微笑ましい。

そのくらい、この「Got My Mojo Working」という曲には、とてつもなくマジカルな力があるってことなのです。

マディのむこうを張って、超アップテンポで演奏されるこの曲。聴いていると、ガンガン、エネルギーがチャージされてきまっせ、お客さん。

2010年4月11日(日)

#117 ロイ・ミルトン「Information Blues」(25 Best: Blues Classics/Madacy Special MKTS)

1930〜50年代に活躍したシンガー/バンドリーダー、ロイ・ミルトンのスペシャルティ在籍時の録音より。ミルトンのオリジナル。

ミルトンは1907年、オクラホマ州ワインウッド生まれ。30年代より西海岸に移住、ロサンゼルスにて自身のバンド、ザ・ソリッド・センダーズを結成する。

ジャンプを軸にしたその勢いあるサウンドは、40年代半ばにブレイク。スペシャルティの前身レーベル、ジューク・ボックスから出した「R.M.Blues」(46年)が大ヒット。以来、50年代半ばまで約20曲のスマッシュ・ヒットを出し続けた、文字通りのヒット・メーカーだったのである。

「Information Blues」もそのひとつで、いかにもノリのいいジャンプ・ナンバー。

ミルトンの妻でもあるピアニスト、カミル・ハワードの軽快なプレイから始まるこの曲は、重厚な4ビート・サウンドにミルトンの軽めのボーカルが絡み、実に粋な雰囲気を醸し出している。

当時、爆発的な人気を博したというのも、うなずけるよね。

ルイ・ジョーダンあたりと並ぶ、黒人ロックン・ローラーの先駆け的存在ともいえそう。50年代後半にロックンロールの担い手が、より若い黒人や白人に移っていくまでは、ジャズを基盤としたいかにも手堅いサウンドで、ヒット曲を量産し続けたのである。

ミルトン自身はシンガー、リーダーだけでなくドラマーをも兼ねており、つまりはサウンド・クリエイターでもあったということだな。まさに手練のミュージシャン。

見た目は完全にオジサンで、ロック・スター的なビジュアルではなかったけれど、その歌声、ドラム、そしてバック・サウンドは、実にヒップでカッコいい。

スペシャルティが単なるローカル・レーベルのひとつの域を越えて、全米的な影響力を持つレーベルになったのも、このミルトンの活躍に負うところが大きいという。そういう意味でも、ブラック・ミュージック史上、無視できない存在なのだ。

そのビート感覚ひとつとっても、いまだに学ぶべきものが多いと思うよ、ロイ・ミルトンは。必聴であります。

2010年4月18日(日)

#118 フラワーカンパニーズ「元少年の歌」(Sony Music Associated Records)

結成20年を超えたロック・バンド、フラワーカンパニーズの新曲。リードボーカル鈴木圭介の作品。

フラカンもなんだかんだで昨年結成20周年を迎えた。CDリリースに若干波はあるものの、解散することなく、結成以来不動のメンバーで活動を続けているのは、ファンの一人である筆者としても喜ばしい限りだ。

21枚目のシングルにあたるこの「元少年の歌」は、彼らが結成20年にして初めて手がけた映画音楽。荻原浩氏の小説を映画化した「誘拐ラプソディー」(公開中)の主題曲である。

大人だってみんな元少年だったと歌うこの曲は、永遠の「ハタチ族」たるフラカンの原点再確認、みたいな一曲。

いま、若い世代にとって日本のロック・バンドといって想起されるのは、大御所のサザンオールスターズを除けば、40才の桜井和寿率いるMr. Childrenか、42才の草野マサムネ率いるスピッツ、このあたりか。

しかししかし、忘れちゃいけない。彼らとほぼ同世代であるフラワーカンパニーズを、である。

フラカンは目立ったヒットこそないが、ここ10年以上、「最強のライブ・バンド」という評価にはゆるぎないものがある。

もう10年も前(つまりこのHPを始めた年でもある)になってしまったが、2000年5月の日比谷野外音楽堂で、筆者は初めてフラカンの生音を耳にした。

とにかくスゴい、このひと言だった。音のキレ、集約度といい、国内外を問わずこれだけ完成度の高いライブ演奏は、他にまず見つからなかった。何かといえば難癖をつけたがる筆者も、あっさり脱帽した。

同日ファースト・アクトをつとめたデビュー当時のGO! GO! 7188も、「フラカンが観られて感激」みたいなことを言っていたぐらいで、プロのバンドマンでさえ憧れ、一目置く。そんな存在だったのだ。

さて今回の新曲の出来はどうかというと、記念すべき節目のシングルとしてはちょっと拍子抜けするぐらい「フツーの曲」である。

多くのバンドがサウンドに凝り、シンフォニック化の一途をたどる中、ホント、このシンプルさはどういうことだろう。

ストリングス、ホーンなど使わず、下手するとまったくオーバーダビングしていないんじゃないかと思うぐらい、一発録りに近いバンド・サウンドのみ。ごくごくシンプルな、60年代ふうフォークロック・スタイルなのだ。

ボーカルにしても、ごく一部にしかコーラスを入れず、あくまでも圭介の歌をフィーチャー。

彼の歌って、テクニックとか声量とかが特にあるわけじゃないけど、ストレートに歌詞の内容が伝わってくる。そんな素朴な味わいがあるのだ。いわば生成りの歌。

衒い、ギミックを排し、あくまでも自然体で歌う。その姿勢、好きだなぁ。

メンバー全員が同年生まれで同学年なのだが、全員40才を迎えたというフラカン。

かつて「子供」という言葉をアイデンティティにして活動していた某先輩バンドはいつのまにやら解散し、大人への道を歩んでしまったが、フラカンなら初心を忘れず、これからも10年、20年とマイペースで活動し続けてくれるだろう。そう筆者は信じている。

そう考えれば、20年という大きな節目も、つまるところはフラカンにとっては通過点、一里塚のようなものか。

あせらず気張らず、とにかくいい歌をうたい、演奏し続けていって欲しいものであります。

2010年4月25日(日)

#119 ピーティ・ウィートストロー「Crazy With The Blues」(Blues Classics/MCA)

戦前に活躍したブルースマン、ピーティ・ウィートストローのブルース・ナンバー。彼とチャーリー・ジョーダンの共作。

ピーティ・ウィートストローは1902年テネシー州リプリー生まれ。本名ウィリアム・バンチ。アーカンソー州にて育ち、20代の半ば、セントルイスへ移り住む。

ピアノを弾きながら歌っていたウィートストローは、ギタリスト/シンガーであり、また密造酒製造やタレント発掘なども手がけていた当地の顔役、チャーリー・ジョーダンと知り合い、その肝煎りで30年から41年にかけて約160曲ものレコーディングを行う。

代表曲は「Meat Cuffer Blues」「Don't Feel Welcome Blues」など。その歌い口はタフで、迫力に満ちている。

ウィートストローは、いってみればブルースマンという「役柄」を自覚的に「演じてみせた」先駆者のひとりで、自ら「悪魔の養子」「地獄の保安官」というおどろおどろしいキャッチフレーズを持っていた。

唯一残されている彼の写真を見るに、いかにもワケありげな、不敵な笑みを浮かべている。ブルースという一種「外道」な音楽、悪魔的な音楽の作り手であることを、彼ほど意図的にアピールしてみせたブルースマンはいなかったといえる。

この演出は、実に多くのミュージシャンに影響を与えた。一番有名なのはロバート・ジョンスンで、「Stones In My Passway」などの曲で、ウィートストロー独特の、裏声による節回し(フーフーウェルウェル)を聴くことが出来る。また、おなじみの「悪魔に魂を売り渡して、ギターの腕前を得た」という伝説にもつながっていくことになる。

ジョンスン以外では、ジョニー・テンプル、リロイ・カーなどにも彼の歌唱法の影響が見られるとか。

さて、今日聴いていただく一曲は、彼においてもっとも数多く作られた曲調のブルース。すなわちミディアム・テンポ、フォービートの12小節ブルースである。録音された曲は、これと同工異曲のものが大半といってもいい。

なんともワンパターンなのだが、これがいかにも彼らしいとさえ感じられる。

本来ブルースとは、ごく限られたメロディラインしかなかった。つまり2、3パターンしか、節回しがなかったのである。乱暴にたとえてしまえば、わが国の都々逸のようなものだった。

そういう原初的なブルースをまだまだ引きずっていたのが、ウィートストローの世代だったといえるだろう。

その後ブルースはどんどん変化をとげていき、今ではほとんど原型をとどめていないわけだが、それでもその節回しの中に、ブルースのエッセンスは生き残っていると思うのだ。

彼の野太い歌声や、時折り入る裏声、達者なピアノ演奏の中に、現在も脈々と続いているブルースの源流を感じてほしい。

2010年5月2日(日)

#120 プロフェッサー・ロングヘア「Rockin' With 'Fess」(Tipitina: The Complete 1949-1957 New Orleans Recordings/Important Artists)

プロフェッサー・ロングヘアの代表的ヒット。彼自身の作品。フェデラル時代の録音(51年)。

フェスことプロフェッサー・ロングヘアは本名ヘンリー・ローランド・バード。1918年ルイジアナ州ボガルーサ生まれ。80年、61才で同州ニューオーリンズにて亡くなっている。

N.O.が生み出した偉大な音楽家フェスについて、ここでいまさらくだくだしく語るつもりはないが、20世紀アメリカにおける天才の一人であることは、間違いないだろう。

ニューオリンズR&Bとよばれる音楽の一ジャンルは、まさにフェスが「発明」したものといっていい。

その左右の手をフルに駆使したピアノ演奏は独創的きわまりないもので、彼ひとりでフルオーケストラ一個分に相当するスケールのサウンドを叩き出していた。

フェスティバルのステージでフェスがピアノを弾き始めたとたん、他の会場の演奏がすべて止まってしまったとか、逸話にはことかかないのも、天才の証明か。

まさに空前絶後の存在だったわけだが、60年代までの日本においてはほとんど知る者がなかったのも事実で、このコンピアルバムに収録された50年代の曲群は、リアルタイムで聴く者などいなかった。いや、彼の音楽だけでなく、ブルース、R&B系の音楽全般に関してそうであった。

当時、いかに外来音楽の伝播が偏ったものであったか、ということやね。

だが、知られざる天才フェスも70年代に入って、ドクター・ジョンなどの白人ミュージシャン、あるいはミーターズのような若手黒人ミュージシャンらが礼賛していたこともあって、日本でも聴かれるようになってきた。

亡くなって既に30年の歳月が経ってしまったが、彼の音楽は、いまだに聴くたびに新鮮な驚きを筆者に与えてくれる。

ダイナミックに転がるピアノ、ほどよくラフなボーカル。これぞロックンロールの始祖形なのだと感じる。

きょう聴いていただく「Rockin' With 'Fess」は、テナーサックスをフィチャーしたジャズっぽいスタイルながら、しっかりロックもしている、アップテンポのブギ・ナンバー。「アルプス一万尺」をモチーフにしたユーモアあふれるアレンジがいい。

この卓越したリズム感覚こそが、ニューオリンズ音楽の本質であり、最大の魅力といっていい。

約60年の月日を経て甦る、フェスの名演・名唱。聴かんと、大損でっせ〜。

2010年5月8日(土)

#121 テキサス・ジョニー・ブラウン「The Blues Rock」(Atlantic Blues: Guitar/Atlantic)

28年生まれのギタリスト/シンガー、テキサス・ジョニー・ブラウンがアトランティックに残したインスト・ナンバー。彼自身のオリジナル。

ミシシッピ州チョクトーに生まれ、テキサス州ヒューストンにてミュージシャンとなる。40年代後半より、エイモス・ミルバーン、ボビー・ブランド、ジュニア・パーカーらのバックにて演奏。代表的なプレイは、ボビー・ブランドの「Two Steps From The Blues」におけるギター。

アトランティックやデッカ、デュークにて自分名義の録音をする機会をもつが、フル・アルバムを出すことはずっとなかった。

97年、ようやくチョクトー・クリークというレーベルからアルバム「Nothin' But The Truth」をリリース、01年にも「Blues Defender」を出している。苦節70年、とてつもなく遅咲きのブルースマンなのである。

さて、きょうの一曲はアトランティックで49年に録音した3曲のうちのひとつ。ラテン・ビートにのせてブラウンのギターとテナーサックスがリードをとる、重厚なホーンアレンジが印象的な一曲だ。

短めながらそのギター・ソロには、キラリとしたセンスが感じられる。ジャズっぽいサウンドの中でブルーズィな異彩を放っているといいますか。

ちなみにここでシブいピアノを弾いているのは、当時のバンマス、エイモス・ミルバーン。

ブルースというカテゴリに属してはいるものの、きわめてサウンド指向の高い、ハイ・クォリティな仕上がりだ。ジャズ・ファンにもおススメ。

ブラウンは今年82才。いまもしっかり健在のようで喜ばしい限りだ。

ほぼ同世代のBBなどとは、知名度的には比べるべくもないが、ブルースマンとは一国一城のあるじ。個性、そしてキャリアで勝負すればいいのだ。

テキサス・ジョニー・ブラウンもまた、曲数こそ少ないものの、いくつかの名演奏でわれわれの耳、そして心に残っていくであろう、筋金入りのブルースマンだ。ぜひ、聴いてみてほしい。

2010年5月16日(日)

#122 THE BAWDIES「HOT DOG」(Getting Better)

日本のロックバンド、THE BAWDIES(ザ・ボウディーズ)のニューシングル。メンバーのひとり渡辺亮(ROY)の作品。

昨年4月、当コーナーで初めてTHE BAWDIESを紹介したが、彼らのその後一年間の活動ぶりは「めざましい」のひと言だ。

メジャーデビューアルバム「THIS IS MY STORY」が第二回CDショップ大賞を受賞したほか、音楽系ケーブルテレビやFMではずっとパワープレイが続いているなど、しっかりその(実はエッチな)名が浸透している。

メジャーデビュー当初より彼らを絶賛してきた筆者としても、うれしい限りだ。

THE BAWDIESというバンドは、ロックンロール、R&Bといった黒人発祥の音楽の本質を、初めて正確に把握したジャパニーズ・バンドなのだと筆者は思っている。

一昨年、ザ・ネヴィル・ブラザーズの日本公演を観たときに筆者が感じたことは、「ロックンロールって、実に軽くて、実に重い音楽なんだな」ということ。

ハイスピードで軽快に流れていってしまうように見えて、実は非常にヘビーなサウンドの裏打ちをともなっている音楽、それがロックンロールなのだ。

その「重さ(ヘビーネス)」というのは、リズム楽器の演奏による「重さ」もさることながら、「ことば」をともなった「うた」の持つ「重さ」にこそ由来するものであると思う。

思えば何十年も、われわれ日本人はロックンロールの歌い方をはき違えていた。とにかく軽く、リズムにようやく乗っかってうたうことしかできなかった。

ごくまれに桑田圭祐のような天才が現れるものの、おおかたのシンガーには無理であった。

そんな中、ごく若い世代から、ボーカルに最重点をおく、真にロックンロールを理解した突然変異的なバンドが出現、筆者は狂喜したわけである。

20代の日本人バンドが、40年も前のCCR、ゼムといったバンド風の、玄人好みのブラックな音を歌い、演奏しているんだから、たまらない。

で、彼らのインタビューを聞くに、最も影響を受けたアーティストのひとりにリトル・リチャードがいる、と聞いて大いに腑に落ちた。

多くの日本のバンドが、比較的近年の国内アーティスト、あるいはせいぜい手を広げて同時代の海外バンドばかり聴いているのに対し、この「溯り」ぶりはハンパでない。筆者は、70年代に50年代の音を聴いて感動を受け、自分の音楽感性を培ったものだが、それ以上のマニアックな探求ぶりに、脱帽である。

まあ、しちめんどくさいことはこのへんにして、とにかくきょうの一曲を聴いてみよう。

まさにダンス・ミュージック、パーティ・ミュージック。ノリノリで踊れる音なんである。

ROYの最高に黒くパワフルな歌声、シンプルだが、彼の歌に見事ハマったバンド演奏。

自分も40年前、こういう演奏ができたらなと夢想しつつ、ついに実現できなかった音がそこにある。

THE BAWDIES、ブレイクはもう目前だ。貴方の耳で、そのスゴさを確認してほしい。

2010年5月22日(土)

#123 リル・サン・ジャクスン「Get High Everybody」(Restless Blues/Document)

シンガー/ギタリスト、リル・サン・ジャクスンのインペリアルにおける録音より。ジャクスンの作品。

リル・サン・ジャクスンは本名メルヴィン・ジャクスン、1915年テキサス州タイラー生まれ、76年同州ダラスにて60才で亡くなっている。

もともとはゴスペルを歌っていたが、ブルースにも興味を持つようになる。第二次世界大戦時は従軍し、帰還後本格的にミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせることになる。

まずはゴールド・スター、モダンにて録音、続いて50年以降はインペリアルにて約50曲ものシングルを出すことになる。

とりわけ、「Rockin' and Rolloin'」は大ヒットとなり、一躍人気シンガーとなる。のちのロックンロール黄金時代を予感させるようなタイトルだが、わりとゆったりしたテンポの弾き語りで、ロックというよりはブルースな一曲。

54年までは破竹の快進撃だったジャクスンも、インペリアルを離れた50年代後半からは表舞台から遠ざかってしまう。

60年に再発見され、アーフリーにてレコーディング。このときは、インペリアルにおいてメインであったバンド・スタイルではなく、彼本来の弾き語りであった。

人生のほんの一時期(12年ほど)、メジャーシーンで活躍したミュージシャンなのだが、50年たった今もCDが再発され聴かれているのは、草葉の陰の本人にとっても「望外の喜び」といったところではなかろうか。

彼の持ち味は、その力の抜けた素朴な歌声にあると思う。ちょっと鼻にかかった感じが、いなたくてGOOD。

今日聴いていただく「Get High Everybody」は、アップテンポのシャッフル。タイトル通り、ノリノリのダンス・ナンバーである。

バックのバンドは。完全にジャンプ仕様。ホーンセクションをバッチリ従えているが、彼のギタープレイは残念ながら表には出てこない。ジャクスンはまるでスタンダップ・ブルースマンのようだ。

せっかくメジャーブレイクしたのにその路線から降りてしまったのは、ジャクスン自身、こういうスタイルはあまりお好みでなかったのかもね。

ジャクスンのもうひとつの魅力、ギタープレイについてはここでは語らないが、興味のあるひとはアーフリーから出ている「Blues Come to Texas」を聴いてみてくれ。これもまたオツな味わいがある。

知る人ぞ知るテキサス・ブルースマン、リル・サン・ジャクスン。彼の音楽もまた、20世紀の重要な遺産だと思うね。

2010年6月6日(日)

#124 ビージー・アデール「Fly Me to the Moon」(Swingin' With Sinatra/Green Hill Productions)

1937年生まれのベテラン白人女性ジャズピアニスト、ビージー・アデールの最新作より。バート・ハワードの作品。

ケンタッキー州ケイブシティに育ち、5才からピアノを習った彼女は、音楽大学へと進み、セッションミュージシャンとなる。

30代前半にはジョニー・キャッシュのバックを務めていたが、彼女の本来のバックグラウンドはジャズで、80年代にはサックス奏者デニス・ソリーとともにカルテットを結成。

彼女自身のファースト・リーダー・アルバムを録音するのは、1990年代に入ってから。ビージー・アデール・クルーザー名義の「Escape to New York」('90録音)だが、これを発表するのは98年。その前に「Frank Sinatra Collection」で97年ソロ・デビューというかたちとなった。

きょう聴いていただく(映像だから観ていただくでもあるが)一曲は、シナトラのみならず、歌ではアニタ・オデイ、ナンシー・ウィルスン、演奏ではオスカー・ピータースンなど、さまざまなアーティストが取り上げ、好評を博したスタンダード中のスタンダード。

もともとは54年に「In Other Words」という原題でバート・ハワードが作曲したものだが、次第に最初のフレーズからとった「Fly Me to the Moon」というタイトルのほうが通りがよくなり、現在ではもっぱらそのタイトルで知られている。

このロマンティックな歌詞をもつ極上のラブソングを、ビージーもひたすら美しくメロディアスに奏であげている。

一聴するに、有名なオスカー・ピータースン版あたりの影響はもちろんだが、さらにいえば昨年77才で亡くなったエディ・ヒギンズの影響も感じられる。

ヒギンズ同様、非常に端正で、破綻のない演奏。ジャズピアノを志す全ての人々にとってよきお手本になる、そんな感じのプレイなのである。

裏を返せば、スリリングな要素、実験的な要素といった面白みはないのだが、ジャズというものが既に「完成期」に入ってしまった、つまりこれ以上新しいものを取り込んで変化していく可能性がほとんどなくなってしまった現在において、こういう決まりきったスタイルの演奏も、またありかなと思う。

こういうスタイルは、昔よく「カクテル・ピアノ」などと揶揄されていたものだが、ジャズがこの先もしっかり生き残っていくためには、一般大衆に好まれるカクテル・ジャズ的なありようも必要なのではなかろうか。

事実、彼女のCDは、現在ほとんど目立った売りもののない、日本のジャズ市場では、珍しくコンスタントに売れているらしい。それもコアなジャズファンというよりは、ごくフツーのリスナーに。

映像の冒頭で自己紹介をするビージーを観るに、アメリカのどこにでもいそうなおばあちゃん、って感じなのだが、いったんピアノに向き合うと、70年近いキャリアなくしては出せない、端正で優美な響きのピアノ・プレイを聴かせてくれる。

よい音楽は、一日にして成らず。何十年もの経験をへて、熟成していくものだということを感じる。

ほどよく歌い、かつスイングするビージーの演奏を聴いて、こころも体もリラックスしてほしい。

2010年6月12日(土)

#125 ジミー・リード「Honest I Do」(I'm Jimmy Reed/Vee Jay)

ジミー・リード、56年のヒット・シングル。リードのオリジナル。

50年代ブルース界有数のヒットメーカー、ジミー・リードについてこれまでほとんど取り上げることがなかったが、もちろん軽く見ているわけではない。個人的にもお気に入りのブルースマンだし、彼の輝かしいヒット実績を考えると、ブルース界のトップテンに入れておかしくない人だと思う。

ジミー・リードことマティス・ジェイムズ・リードは、1925年ミシシッピ州リーランド生まれ。

幼少からの友人、エディ・テイラーとともに、40年代前半シカゴ近郊に移住。以降、本格的にミュージシャンとしての活動を開始、ブルースの花道を歩んでいくことになる。

53年、チャンス・レーベルよりデビュー。同年、名門ヴィージェイと契約、64年の同レーベル倒産にいたるまで、数々のヒットを生み出していくことになる。

今日聴いていただく「Honest I Do」はリード最大のヒット。いわば名刺代わりの一曲だ。

彼の他の多くの作品と同様、相棒エディ・テイラーの弾く特徴的なウォーキング・ベースに乗って歌われるブギ・ナンバー。

タイトル通りに、ただ一人の女性への心の底からの愛を語る、究極のラブソング。彼の最愛のひと、メアリー・リー・リードに捧げた一曲ということになる。

この曲、メロディが実に覚えやすく美しいのだ。リードのちょっと朴訥でとぼけた味わいの歌唱もあいまって、好感度が高い。こりゃあ、ヒットしないわけがないね。

彼はこの曲も含め、ヴィージェイ時代に11曲をビルボードのポップチャートに、14曲をR&Bチャートにランクインさせている。これは、他のどのブルースマンも達成できなかった最高記録なのだ。もう黒人音楽の域を超えて、国民的なシンガーとして認められていたといっていい。

ただ、このようにヒット運には恵まれていたものの、リードは実生活では強度のアルコール依存症でよれよれ、ボロボロだったという。

すぐれたアーティストには、なにかしら創作上の苦しみがつきまとうものだろう。売れっ子リードも、命をすり減らすようにして、名曲群を世に出していたに違いない。

76年、カリフォルニア州オークランドにて50才で亡くなっている。いかにも短命である。

この曲がまさに示しているように、彼はあまりに真摯過ぎて、人生を器用にわたっていくことが出来なかったんだろうなと思う。

酔いどれ、でもひたすらハートフルなブルースマン、ジミー・リードの真骨頂な一曲。その高音が印象的なハープ・プレイも絶品だ。ぜひ聴いてほしい。

2010年6月20日(日)

#126 ジミー・ヤンシー「Shake 'Em Dry」(Best of Jimmy Yancey/Blues Forever)

ピアニスト、ジミー・ヤンシーのベースとのデュオによる演奏。ヤンシーのオリジナル。

ジミーことジェイムズ・エドワード・ヤンシーは1894年イリノイ州シカゴ生まれ(98年とも)。51年に同じくシカゴで亡くなるまで人生の大半をシカゴで過ごしている。シカゴ・ブルースマンは、他の地域から移住してきた者が結構多いが、彼の場合は、文字通り生粋のシカゴっ子なのである。

20代の初めからハウスパーティやクラブ等で演奏して生計を立てていたが、初レコーディングは39年で40代半ばになってから。小レーベルでデビューした後、その圧倒的な腕前を認められ大手レーベル、ビクターから再デビュー。51年までに100曲以上を残している。代表曲は「ヤンシー・スペシャル」「ホワイト・ソックス・ストンプ」「ステイト・ストリート・スペシャル」など。

デビュー当時、すでに地元では実力派ブギウギ・ピアニストとして名が通っており、彼より少し若いミード・ルクス・ルイス、パイントップ・スミス、アルバート・アモンズといった人気ピアニストにも、その独自な演奏スタイルが大きく影響を与えたという。

非常に力強く堅実なビート感覚、特にその左手の自由自在なプレイは、N.O.の天才プロフェッサー・ロングヘアにまで影響を与えたというから、ブルース・ピアノ界に冠たる存在といえるだろう。

きょうの一曲は、ラグタイム的な味わいのインスト・ナンバー。ヤンシーはラグタイム・ピアニストである兄、アロンゾ・ヤンシーからピアノの手ほどきを受けているので、彼のプレイにもそういった要素を散見できる。

ほのぼのとした雰囲気の小品だが、こういうなごみ系というか、リラックスしたプレイを得意とする一方で、「ホワイト・ソックス・ストンプ」のような激しいテンポのブギウギもうまい。緩急自在のピアノなのである。

シカゴっ子らしく、地元の野球チーム、シカゴ・ホワイト・ソックスの大ファン。25年間チームのグランド・キーパーをつとめたというから、相当な野球キチでもあったヤンシー。曲名にも、モロに使われているぐらい。

ヴォードビル芸人一家に生まれ育ち、幼少時からタップ・ダンスや歌を得意としてきただけあって、その音楽にはエンタテインメントのエッセンスが溢れている。

ヤンシーなくして、その後のブルース・ピアノの発展はなかっただろうと思われるくらい、卓越したリズム感をもったヴァーチュオーゾ。なかなか聴く機会はないと思うので、これをきっかけにぜひ。

2010年6月27日(日)

#127 オーティス・スパン「I Got Ramling On My Mind #2」(Otis Spann Is The Blues/Candid Records)

オーティス・スパンのソロ・デビュー・アルバムより。ロバート・ジョンスンの作品。ボーカルはロバート・ロックウッド・ジュニア。

オーティス・スパンといえば、マディ・ウォーターズのバック・バンドのピアニストとしてあまりにも有名だが、その一方、60年代からはソロ・レコーディングもしばしばおこなっている。

この「Otis Spann Is The Blues」はその第一弾。ジャズ評論家にしてプロデューサーのナット・ヘントフによりプロデュースされた。ニューヨーク録音。

ギターのロックウッドとのデュオで、ボーカルも二人が交互に担当しており、この一曲は作者ジョンスンの義理の息子であるロックウッドによって歌詞等がアレンジされている。

「(I Got) Ramling On My Mind」は、エリック・クラプトンの歌によって、いまや音楽ファンなら知らぬ者もない名曲という扱いを受けているが、当時はまだ、ブルースファンしか知らぬマイナー・ナンバーであったことだろう。クラプトンがブルーズブレイカーズで初カバーをするだいぶん前のことでもある。

だが、とにかく、この一曲の出来映えは素晴らしい。躍動感あふれるスパンのピアノ、息のぴったりあったロックウッドのギター、そしてハイト−ンのシャウトが心をゆさぶるようなボーカル。まさにこの曲のベスト・テイクと呼ぶにふさわしい。

なんのリズム楽器も伴わなくても、ギターとピアノだけでこれだけのグルーヴを生み出せるとは! やはり、プレイヤーの力量が桁外れというしかない。

このアルバムが高い評価を受け、スパンはいくつかのレーベルでアルバムを発表していくことになる。

きょうの一曲では聴けなくて残念だが、スパンはそのピアノだけでなく、歌声のほうも枯れた味わいがあってなかなかいい。シンガーとしても十分な才能を兼ね備えたひとだったのだ。

だが70年、40才の若さでガンのため亡くなってしまう。その溢れるようなピアノの才能をまだまだ発揮出来ただけに、悔やまれる死だ。

50〜60年代のスパンの演奏、そして歌声は、いまだに聴く者の魂に響き続けている。彼こそが、まさに生きたブルースなのだ。

2010年7月4日(日)

#128 ジャズ・ジラム「Key To the Highway」(Jazz Gillum: The Essential/Classic Blues)

シンガー/ハーピスト、ジャズ・ジラムの代表的ヒット。40年録音。ビッグ・ビル・ブルーンジー、チャールズ・シーガーの作品。

ジャズ・ジラムことウィリアム・マッキンリー・ジラム(正しい発音はギラム)は1904年、ミシシッピ州インディアノーラ生まれ。かのB・B・キングと同郷である。

ジラムもBBと同じように故郷を出て23年にシカゴに移住、シカゴでボス的存在だったブルーンジーのもとで本格的な音楽活動を始める。34年から49年にかけて、ブルーバードやビクターにて100曲以上を録音している。

さて、きょうの一曲はエリック・クラプトンがカバーしたことで20世紀の名曲として広く知られることになったが、もともとこのジラム版が最初に世に出たのである。

完全なブルーンジーのオリジナルではなく、ピアニスト、チャールズ・シーガーのブルース(12小節)をもとに、ブルーンジーが8小節ブルースに改作している。

ブルーンジーのパーカッシヴなギターをバックに歌われるジラム版「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」は、実にいい意味で「いなたい」。その素朴な歌声はもとより、高音域を生かしたハーモニカ・プレイが絶品だ。

ブルース・ハーピストの多くは、「セカンド(あるいはクロス)・ポジション」といって、曲のキーより4度上のキーのハープを使うことが多い。音の配列の関係で、このほうがブルーノートが出しやすいからだ。たとえば、Gの曲を吹くときはCのハーモニカを使うといったふうに。

ジラムの場合、これをせずにキー通りのハープ(これをファースト・ポジションという)で吹いている。これがなんともひなびた味わいを出しているんである。

シカゴに移住してジャズ・ジラムなどというスタイリッシュな芸名を名乗っているわりには、田舎くささ丸出し。でも、そこがいい。

田舎に住む貧しい労働者の、大都会への憧れを歌ったこの曲には、ジラムのような素朴な味をもったミュージシャンがもっともふさわしい。そう思う。

都会(まち)にいてふるさとの心を忘れず。これぞカントリー・ブルースマンの鑑なり。ぜひ一聴を。

2010年7月11日(日)

#129 MY LITTLE LOVER「Hello, Again 〜昔からある場所〜」(evergreen/トイズファクトリー)

MY LITTLE LOVERのサード・シングル。95年リリース。小林武史プロデュース。

同年5月デビューしたMY LITTLE LOVERは、akko、藤井謙二、小林武史の3人によるユニット。

「Man & Woman/My Painting」「白いカイト」の2曲のあとを受けてリリースされた本シングルは、彼らの最初のスマッシュ・ヒットとなった(オリコン2週連続1位)。

テレビドラマ「終らない夏」の主題歌という初タイアップの効果もさることながら、決めてはやはり楽曲の出来の素晴らしさ、そういうことじゃないかと思う。

マイラバの特徴というか最大のウリは、リードボーカルakkoの「声」にあることは間違いないだろう。決して「美声」とか「うまい歌」じゃないんだが、耳に妙に残る声なのだ。舌っ足らずで中性的、やや甘ったるいあの声なくしては、マイラバのサウンドは成立しなかったに相違ない。

「Hello, Again 〜昔からある場所〜」はこれまで美吉田月、Mi、JUJUの3アーティストによってカバーされていて、最近ではデジカメのCMソングとなったJUJUのバージョンがよく知られていると思うが、JUJUの美声や歌唱力をもってしても、この曲についてはどうしてもakkoに軍配が上がってしまう。

思春期の少年の心境をうたった歌詞に、akkoの中性的な歌声が、このうえなくフィットしているのである。

ある意味、ZARD坂井泉水にも通じる、ヘタウマの系譜といいますか。本当は下手なんていっちゃ失礼なんだが、いわゆる実力派シンガーとは違った魅力があるということですわ。

この曲、歌詞は小林が担当。曲は最初に藤井がプロトタイプを作ってきて、それを小林とで揉んで完成形にしたという共作。

筆者的に一番シビれた箇所といえば「記憶の中で ずっと二人は 生きて行ける」の転調のところだな。これが曲最大のフックといっていい。ちなみにこれは藤井作のプロトタイプ段階で既にあったという。

前半(いわゆるAメロ、Bメロと呼ばれるところ)がわりと淡々と進んできていたが、そこに来てグッとひきしまる。作曲者の見事なセンスを感じるところだ。

そしてもちろんバックグラウンドの音も見過ごすことは出来ない。藤井のギターリフやソロ、小林のアコースティック基調の緻密なアレンジ。こういったものが渾然一体となってマイラバらしさを生み出している。

それはひとことでいえば「清冽さ」ということになると思う。

男と女のドロドロ、みたいな世界は、マイラバには似合わない(その後、図らずもそういう問題に直面してグループは空中分解するという皮肉な道をたどるのだが)。

ファーストアルバムのタイトル「evergreen」そのままに、永遠に青春な音楽、それがMY LITTLE LOVERの世界なのだ。

芸術とは従来誰も気づかなかった「価値」を発見すること、というふうに筆者は考えているのだが、さしずめマイラバは、akkoのような歌声の魅力を発見したといえる。美声や圧倒的な声量を誇るシンガーよりもリスナーをひきつけてやまないものが、akkoにはあるのだ。

15年経っても、名曲はやはり名曲。必聴です。

2010年7月18日(日)

#130 リッチー・サンボラ「The Wind Cries Mary」(Original Soundtrack Recording:The Adventure of Ford Fairlane/Elektra)

リッチー・サンボラのソロ・デビュー曲。90年リリース。米映画「フォード・フェアレーンの冒険」のサントラより。

サントラ・アルバムを物色していると、収録曲の中に、たまにものすごい掘り出し物が見つかったりする。きょうの一曲もまさにそんな感じだ。

リッチー・サンボラといえば、83年のデビュー以来、ボン・ジョヴィのリード・ギタリストとして誰ひとり知らぬ者がない、そんな存在だが、普段はジョン・ボン・ジョヴィのバックでギターを黙々と弾く、そんなイメージの彼も、実は何枚かのソロCDを出している。

きょうの一曲はその口火となったわけだが、彼のソロ・アルバムには未収録なので、なかなか聴く機会がない。おおかたの皆さんは、今回が初聴であろう。

ボン・ジョヴィはアメリカのバンドだが、先輩格のエアロスミス、キッスなどと同様、ブリティッシュ・ハード・ロックの影響を強く受けている。クリーム、レッド・ツェッぺリン、そしてジミ・ヘンドリクス(ジミはアメリカ人だが、英国デビューなので入れておく)。

リッチー・サンボラは特にエリック・クラプトンに憧れてギターを弾き始めたようだ。91年にリリースしたソロ・デビュー・アルバム「Stranger in This Town」中の「Mr. Blues Man」という曲ではリッチーの熱烈ラブコールに応えて、ECがゲスト参加しているほど。

ECとともに、リッチーにとって神のような存在のギタリストが、ジミヘン。というわけで、彼の初ソロ・レコーディングはこの「風の中のマリー」となった。

この曲は、ジミの英国デビュー盤「Are You Experienced?」収録のナンバー。静謐なイントロから始まり、ゆったりしたテンポながら、次第にギタープレイがエキサイティングしていく様子が鮮烈なバラード。

ここでは、歌、ギターともにリッチーがえらくカッコいいのだ。

ボン・ジョヴィでの見事なコーラス・ワークから察せられるように、彼もなかなかの歌い手。

ジョンの陽性でやんちゃな感じの歌声とはまた違った、ちょいシブめといいますか、ブルーズィな声が印象的であります。

そしてもちろん、ギターのほうもパーフェクト。ワウなどのエフェクターを巧みにあやつり、トリッキーでエモーショナルなフレーズを繰り出すさまは、まさにジミの霊が降りてきた、というイメージ。

ジミのもつカラーをそこなうことなく、リッチー自身の個性も加味した、見事なトリビュート版となっとります。

ジミへンがもっともモダンなブルースマンであったように、リッチーも最高に素晴らしいブルースマンなのだということがわかるナンバー。

リズム・セクションのタイトなノリも相まって、ジミへン・カバーとして出色の一曲なんで、ぜひ聴いて欲しいです。

2010年7月24日(土)

#131 ハウンド・ドッグ・テイラー「Giive Me Back My Wig」(Hound Dog Taylor & the Houserockers/Alligator)

シンガー/スライド・ギタリスト、ハウンド・ドッグ・テイラーのデビュー・アルバムより。71年リリース。テイラー自身のオリジナル。

ハウンド・ドッグ・テイラーは1915年、ミシシッピ州ナッチェス生まれ。ハウリン・ウルフの「ナッチェス・バーニング」で歌われた街だ。本名はなんと、セオドア・ルーズベルト・テイラーという。えらくVIPな名前をつけられてしまったものである(笑)。

小作農として働くかたわら、20才頃からギターを始める。故郷周辺のジューク・ジョイントでの演奏活動を経て、42年シカゴへ移住。

いくつかのレーベルからシングルをリリースするも、ほとんど日の目を見ることなく30年近くくすぶっていた状態のテイラーを高く評価したのが、ブルース・イグロアという青年だった。彼は、テイラーのレコードを出したい一心で、勤務していたデルマークを辞して、アリゲーター・レーベルを立ち上げたのである。

このときから、テイラー、そしてアリゲーターの快進撃が始まった、ということだ。

記念すべきレーベル第一号が、まさにこの「Hound Dog Taylor & the Houserockers」なるアルバム。

デビュー盤とはいえ、すでに50代後半を迎えていたテイラー。その完成度はハンパなく高かった。

この一枚の成功後、73年にはセカンド・アルバム「Natural Boogie」を出し、75年には初のライブアルバムを準備していたが、テイラーが60才の若さでガンにより死去。ライブアルバムは死後リリースされる。

亡くなる前の、ほんの5年間だけ、スポットライトが当たったわけだが、残されたわずか数枚のアルバムによって、テイラーはブルース界において特別の存在となり、いまだに根強いファンが多いのである。

テイラーのサウンドの特徴は、まずそのエグみのある歌声、そして迫力満点のギター・サウンドにあるといえるだろう。

テイラー自身のスライド・ギターも、ナチュラル・ディストーションが目一杯かかっていて相当エグいのだが、もうひとりのギタリスト、ブルワー・フィリップスのプレイもかなりヤバい。ときにはリズム・ギター、ときにはベース、ときにはリード・ギターのようにと変幻自在のプレイで、テイラーを完璧にフォローしている。テッド・ハーヴェイのドラムスも、やたら元気がいい。スタジオ録音といっても、まるでライブのような熱さだ。

彼らの演奏のスゴさは、きょうの一曲を聴いていただければ、十二分に納得していただけるだろう。

ブルースにもさまざまなスタイルなものがあるが、ハウンド・ドッグ・テイラーらの演奏は、その中でももっともホットであり、パンキッシュであり、ロックであると思う。若い世代にもおススメ。

一度聴けば、その強烈な刺激にやみつきになること請け合い。ぜひ、猛犬テイラーのひと噛みにやられてみて。

2010年7月31日(土)

#132 ザ・フー「Magic Bus」(The Singles/Polydor)

ザ・フーのシングル。68年9月リリース。メンバーの一人、ピート・タウンジェンドの作品。

セールス的には全英で26位止まりと、あまりふるわなかったものの、彼らにとって非常に重要なレパートリーとなった作品だ。

名盤「ライブ・アット・リーズ」('70)で聴かれるように、彼らのコンサートの最終パートで必ず演奏され、ライブを最高潮に盛り上げるナンバーであった。

この曲は当時、アメリカ限定のコンピレーション・アルバム「Magic Bus」以外では聴くことが出来ず、日本では「ライブ・アット・リーズ」がリリースされるまで、ほとんど知られることがなかった。

約2年、幻の名盤というかコレクターズ・アイテム状態だったわけだが、いま聴くに69年の「トミー」のいくつかの名曲群と比較しても、まったく聴き劣りしない出来ばえだ。

まず、そのビートに、はっきりとした特徴がある。当時の日本ではほとんど知られていなかったジャングル・ビート、すなわちボ・ディドリーが得意とする、「アイム・ア・マン」などで聴かれる、あのリズムである。

ジャングル・ビートをさらに溯れば、ニューオーリンズのセカンド・ラインに行き着くわけで、この曲はもろにアメリカ・オリエンテッドな音なのだ。

アコースティック・ギターのイントロに始まり、賑やかなパーカッションのバッキングを従え、延々と繰り返されるシンプルなリフレイン。

次第にサイケデリックなギター・プレイへと突入していくも、シングルサイズでフェイドアウトしてしまう。どこがサビとかいう曲ではないので、とにかくエンドレスで続くのであろうなと感じさせる、麻薬的な曲調なのだ。そこで、この曲の威力が最も発揮されるのは、ライブにおいてということになる。

「ライブ・アット・リーズ」では、通常のバンド用のアレンジになっていて、8分近くの長尺で聴く者をノックダウンしてくれる。こちらもぜひ、聴き比べてほしいものだ。

チャートインの成績でわかるように、ポップ・チューンとしては、いまひとつ訴求力が足りない、地味なナンバーかもしれない。

だが、その音楽的な充実度は、見事なものだと思う。

ボ・ディドリーの亜流に終わらず、自らのオリジナリティを盛り込みつつ、骨太なサウンドを構築していたザ・フー。

同時期のヤードバーズ、ストーンズなどと比べてみても、68年当時もっとも先進的なロック・バンドであったといって、間違いないだろう。

そのエモーショナルなボーカル、コーラスは、あまたある白人バンドの中でも頭ひとつ以上突出した存在であった。

ニューオーリンズR&Bの本質をいちはやく体現したその比類なき才能、とくと確認してほしい。

2010年8月7日(土)

#133 キャロル「やりきれない気持」(ゴールデン・ヒッツ/マーキュリー・ミュージックエンタテインメント)

キャロルのサードシングル。73年2月リリース。大倉洋一・矢沢永吉の共作。

キャロルについて、いまの若いリスナーたちが知っていることは「その昔、矢沢永吉がデビューしたバンド」、そんな程度だと思うが、リアルタイムでキャロルの出現を体験した世代にとっては「存在そのものが、未曾有の衝撃」、そんな感じだった。いやホントに。

キャロルは1972年6月、ベース、ボーカルの矢沢永吉が書いた、一枚のバンドメンバー募集ビラから始まった。

「ビートルズとロックンロールの好きなヤツ、求ム!」

これにこたえて集まったのが、ジョニーこと大倉洋一(g,vo)、内海利勝(g)、ユウ岡崎(ds)だった。バンド名は、大倉が命名したという。

いまでいうところのライブハウス(「ヤマト」など)で活動を始めたところ、あっという間に人気が出て、10月にはテレビ番組「リブ・ヤング」に出演というビッグ・チャンスが舞い込む。

出演して即日、レコーディングの契約。12月にはシングル・デビュー。なんというスピード出世(笑)。

以降、怒濤の毎月シングルリリースが続く。きょう聴いていただく「やりきれない気持」はその第3弾で、その攻勢は6月に彼ら最大のヒット「ファンキー・モンキー・ベイビー」が出るまで7か月も続いた。

なにもかもが新記録ずくめのキャロルだったわけだが、キャロルがこれまでのバンドと最も違っていたのは「彼ら本来の不良性まる出しのファッションでデビューし、それがそのまま受け入れられた」ということだった。

彼らの少し前に一世を風靡したグループサウンズの連中、いやいや海外のご本家・ビートルズ、ストーンズでさえ、デビュー時には一般ウケするよう、それなりに不良性を抑えたファッションで登場したのにである。これは、ホント、衝撃だった。

ハンブルグ時代のテディボーイ・スタイルのままで突然登場した、ビートルズ・チルドレン。これには、現役の不良はいうにおよばず、元不良、さらには非不良層まで魅せられたんである。まさに革命だった。

いま改めて考えてみるにキャロルは、世界中に無数に存在する、あるいはしてきたビートルズ・フォロワーの中でも、もっともヒップでいかしたバンドだったと思う。

キャロルに先立ってビートルズ・フォロワーとして注目されていたのが、72年6月デビューのチューリップだった。が、このキャロルの出現で、見事にかすんでしまった。

大学のフォークサークルの匂いのする非不良、つまり草食でいかにも安全パイ的なチューリップに比べて、キャロルは肉食のガテン系。断然ワイルドでセクシーな不良の匂いをぷんぷんとさせていた。

歌も演奏もあきらかにキャロルのほうがうまい。となれば、「不良な男性は怖いですぅ」なんて言うオタク女子を除けば、男も女も、こちらにひきつけられるに決まっている。

当時の筆者も、自身不良としては中途半端で、髪型をリーゼントに変えこそしなかったが、「チューリップは音も見かけもダサい。キャロルのほうが上」と思っていた。

というわけで、前フリが長くなってしまったが、きょうの一曲、聴いてほしい。リードボーカルはジョニー大倉。

キャロルの曲は、ヒットしたのはどちらかといえば矢沢がリードをとったものが多いのだが、ジョニーの甘い声もなかなかいい。

後にはその出自をカミングアウト、俳優としても活躍。矢沢のような、なかば神格化されたスターへの道はたどらなかったものの、ジョニーもシンガーとして素晴らしいものをもっているし、日本語・英語をたくみに織り交ぜた作詞術にも、時代を先取りしたセンスを感じる。

ファッション的には、どちらかといえばメジャーデビュー後のビートルズの線を狙っていた矢沢に対して、あくまでもテディボーイスタイルにこだわって、キャロルの独自性、革新性をリードしたのがジョニーと聞くと、キャロルとは矢沢というよりはジョニーのバンドだったのかもしれない。

永遠の、そして唯一無二の不良バンド、キャロル。

その音楽のキャッチーさは、日本のポップ音楽史上でも突出したものだと思う。CHECK IT OUT!

2010年8月14日(土)

#134 憂歌団「ファンキー・モンキー・ベイビー」(ゴールデン☆ベスト/フォーライフミュージックエンタテイメント)

憂歌団によるキャロル・ナンバーのカバー。大倉洋一・矢沢永吉の共作。94年発表。

憂歌団は木村充揮(当初は秀勝)、内田勘太郎、花岡献治、島田和夫の4人により70年頃大阪にて結成、75年レコードデビュー。98年の活動停止に至るまで不動のメンバーで活動した、日本ブルース界の草分け的バンドだ。

SHOW BOAT(トリオ)、フォーライフ、ワーナーミュージックと3つのレーベルを渡り歩き、その演奏スタイルも初期のアコギ中心のものから、後期のエレクトリックを取り入れたものまで変化していったが、基本はずっとブルースだった。

憂歌団の魅力は、なんといってもそのライブ演奏にある。ステージに登場するや、しごく当然のように酒を飲み始めながら演奏する、そんなライブなのだ。観客も、もちろん飲む。そうやって演者と観客が和やかに一体化していく。従来のバンドにはまずなかった、リラックスした雰囲気。子供にゃわかんない世界だね。

ギターの内田の、戦前ブルースを基本にした通好みのプレイも人気の理由のひとつだったが、なんといっても、リード・ヴォーカル木村のダミ声が、このバンドの看板だった。一聴して彼のものとわかる、えもいわれぬしょっぱい声で、ファンを魅了し続けていたのである。

時には女性の声かと聴きまごうような、やさしい歌声を聴かせたかと思うと、一転、荒くれ男、酔いどれ男の猛々しさを見せたり、とにかくその歌は、他の追随をゆるさぬ迫力とオリジナリティに溢れていた。

そんな彼らが94年にリリースしたカバー・アルバム「知ってるかい!?」に収められていたのが、きょうの一曲。説明するまでもない、キャロル最大のヒット曲だ。

原曲は典型的なアップテンポのロックンロールだが、憂歌団は彼ら流に少しだけテンポダウン、ピアノサウンドをフィーチャーしたシャッフルにアレンジしてみせた。

これが実にいい感じだ。木村は矢沢永吉とはまたひと味違ったエグみのあるシャウトで、原曲以上にファンキーなノリを出している。

矢沢、清志郎あたりの陰にかくれて、あまり語られることのない木村だが、間違いなく日本を代表する、本物のシンガーだと思う。

歌詞のユーモラスな、いわゆるノベルティ・ソングがレパートリーに多いためか、いささか色もの的な扱いを受けやすい憂歌団だが、その実力は侮り難いものがある。

これを機会に、他の代表曲「嫌んなった」「10$の恋」「胸が痛い」あたりもぜひ聴いてみてほしい。

木村充揮ほど歌に「艶っぽさ」のあるシンガーはそういない、絶対そう感じるはずだよ。

2010年8月22日(日)

#135 サンタナ「Travelin' Blues」(Early Classics/Blumountain Records)

サンタナの、CBSデビュー以前のレコーディングより。チャールズ・ブラウンの作品。

サンタナのリーダー、カルロス・サンタナは1947年メキシコ生まれ。62年、10代の半ばにアメリカはサンフランシスコに移住。このことがカルロスの人生を大きく変えた。

当時はホワイト・ブルース・ムーブメントが始まろうとしていたころ、多感なカルロス少年は、その動きをフィルモアをはじめとする西海岸のライブハウス、モンタレー・フェスティバルのようなイベントで感じとり、大いに影響を受けた。たとえば、ポール・バターフィールド。たとえば、マディ・ウォーターズといった具合だ。彼らに憧れ、カルロスもブルース・ギターを弾くようになる。

66年、カルロスは自身のバンドを結成。サンタナの前身であるサンタナ・ブルース・バンドである。

そのころの彼らのレパートリーは、B・B・キング、レイ・チャールズといった黒人ブルースマンのナンバーのカバーが中心だった。

そして、ティンバレス、コンガといったラテン・パーカッションはまったく使っていなかった。あくまでも「ブルース」バンドだったからである。

きょうの一曲はその頃録音されたもの。西海岸系ブルース・ピアニスト、チャールズ・ブラウンのおなじみのナンバーである。

ここではピアノではなくオルガンを使い、小粋な西海岸ブルースというよりは、やや泥臭いアレンジだ。ジョン・メイオール率いるブルースブレイカーズ風のスタイルともいえる。

実際、ギターのプレイを聴くと、エリック・クラプトンあたりの影響がモロに感じられ、サンタナらしさ、オリジナリティといえるものはまだ確立されていない。

ブラインドフォールド(目隠し)テストをしても、カルロスのプレイと正しく当てられるひとは、まず、いないんじゃないかな。クラプトン? ピーター・グリーン? マイケル・ブルームフィールド? てな感じで。その演奏スタイルも、どこか借り物っぽいといわざるをえないのである。

その後カルロスは、己れのアイデンティティを確認し、それがブルースというよりはラテン・ミュージックであると意識したことから、自分なりの音楽作りを始めるようになる。

オリジナル曲を作り、パーカッショニストを迎えたころ、カルロスは決断した。バンド名からブルース・バンドを削り、「サンタナ」としたのである。

これが、「ラテン・ロック」誕生の瞬間だった。

自らの血が欲する音楽をうちたてたカルロスの、その後の快進撃は、ここに書くまでもないだろう。69年アルバム「サンタナ」でデビュー以来、60代となった現在でも、精力的な活動を続けるカルロス、そしてサンタナ。

彼らがオリジナリティを打ち立てるまでの「模索期」を知ることが出来る、貴重な記録。ぜひ、聴いてみてほしい。

2010年8月29日(日)

#136 タンパ・レッド「So far, So Good」(Great Piano/Guitar Duo 1941-1946/EPM)

1930年代〜40年代に活躍したシンガー/スライド・ギタリスト、タンパ・レッドとビッグ・メイシオ(p)の共演盤より。タンパ・レッドの作品。

タンパ・レッドは本名ハドスン・ウィテイカー。1904年、ジョージア州スミスヴィルに生まれる。

幼少期をフロリダ州タンパにて過ごし、髪が赤毛だったことからこのニックネームになったという。

彼が24才となった1928年にシンガー/ピアニスト、ジョージア・トムとのコンビで「It's Tight Like That」を大ヒットさせ、その名が広く知られるようになる。

レガシー、ヴィクター、ブルーバードなどのレーベルで、精力的にレコーディング。戦前だけでも200曲以上を録ったそうだ。

きょうの一曲「So far, So Good」は、41年以来シカゴで知り合い、生涯の盟友となるビッグ・メイシオとのコンビでの録音。

彼らの代表的ヒット「Worried Life Blues」とはだいぶん趣きの違った、明るい雰囲気のブルースだ。

やはりこれは、歌を担当したタンパ・レッドの、相方の重厚な歌声とは対照的な、非常に軽い歌い口によるところ大だろうな。

もし同じ曲をビッグ・メイシオが歌っていたら、かなりイメージが違っていたはずだ。

そのあたりがいかにもブルースなのだと思う。歌い手の個性がモロに反映され、同じメロディ、節回しでも陽性のブルースになったり、陰性のブルースになったりする。

いわゆる技巧を感じさせない素朴な歌声なのだが、よーく聴き込めば決してヘタではない。非常に個性的なタイプのシンガーだと思う、タンパ・レッドは。

さりげなく挟まれるスライド・ギターのソロ、そしてカズーのユーモラスな演奏もいい感じだ。

「ギターの魔術師」とよばれたその腕前は、代表曲「Black Angel Blues」あたりを中心に、ロバート・ナイトホーク、アール・フッカーといった後進のスライド・ギタリストたちに多大な影響を与えている。

スライド・ギタリストではないが、B・B・キングもタンパ・レッドのような流麗なギターが弾きたくて、あのスクウィ−ズ奏法を編み出したとか。

そういう意味で、20世紀ポピュラー・ミュージックにおいて、きわめて重要なアーティストだっだといっていい。

歌のほうは、まあご愛嬌なんだが、聴けば聴くほどそのよさがわかってくるような、独特の味わいがある。歴史的な名演、ぜひチェックしてみてほしい。

2010年9月5日(日)

#137 ラッキー・ピータースン「Nothig But Smoke」(I'm Ready/Verve)

ラッキー・ピータースン、92年のアルバムより。ボブ・グリーンリーとラッキーの共作。

筆者が思うにラッキー・ピータースンくらい、「ハク」のいっぱいついた中堅ブルースマンは他にいまい。

64年ニューヨーク州バッファロー生まれ。5才にしてウィリー・ディクスンの肝煎りでオルガニストとしてデビュー。早熟の神童として注目され、17才でリトル・ミルトンのバックバンドを率いるようになり、その後ボビー・ブランドのバンドを経て、89年ソロとなる。アリゲーターを経て92年、名門レーベル・ヴァーヴに移籍するといった、まことに華麗なる経歴の持ち主なのだ。父親がブルース・クラブを経営していた関係で、幼い頃よりブルースな環境にどっぷりつかって育ってきたことも大きい。まさにブルース界のサラブレッド。

ソロになってからは、本来のパート、オルガンよりもギターのほうに力点をおくようになり、現在ではどちらかといえば「ギタリスト」としてのイメージが強くなっている。

派手にチョーキングし、大きくタメるタイプのギター・プレイは、アルバート・キングやアルバート・コリンズの影響が強いとよくいわれる。

白人でいえば、スティーヴィー・レイ・ヴォーンの線か。SRV同様、非常に万人受けする要素をもったギターだと思う。王道ブルースギターといってもいい。

きょうの一曲は、ヴァーヴ移籍第一弾のアルバムからのスローブルース。ラッキーの歌、ギターを全面的にフィーチャーしたナンバー。

本来副業パートだったギターを、オルガンと同じくらい達者に弾きまくるラッキー。ホントに器用なひとだと思う。

歌の方もなかなかいい。派手やかさはないが、のどの渋さで勝負するタイプ。

本人も「プレイヤー」というよりは「ブルースマン」としての意識が強く、インタビューなどでもそういう趣旨の発言が多い。非常に歌に重きをおいていることがよくわかる。

ソロ歴も20年を突破した。なかなか来日する機会はないが、御年46才。これからがブルースマンとしていよいよ脂の乗ってくる世代だけに、もっとガンガン、自己の存在をアピールしてほしいもんだ。

ブルースの担い手は白人、アジア人とどんどん広がっているものの、やはり本来の担い手である黒人にこそ頑張ってほしい。

黒人ならではのボーカル表現、ギタープレイを聴かせるラッキー。まちがいなく、20年後には大御所になっているだろう器だ。

弱冠30手前にしてこの貫禄。若きブルースの王者、ラッキー・ピータースンの勇姿をとくと見てほしい。

2010年9月12日(日)

#138 ザ・ホームズ・ブラザーズ「Speaking in Tongues」(Speaking in Tongues/Alligator)

ザ・ホームズ・ブラザーズ、2001年アリゲーター・レーベル移籍第一弾のアルバムより、タイトル曲を。シャーマン&ウェンデルのホームズ兄弟の作品。

ホームズ・ブラザーズ(ホルムズと表記されることも多い)は80年ニューヨークにてホームズ兄弟、そしてポプシー・ディクスンの3人により結成。以来、現在に至るまで30年間、不動のメンバーで活動し続けている。

シャーマンが今年71才、ウェンデルが67才、ポプシーが68才と、現役黒人バンドの中でも相当高齢の部類に入るが、そのパワーはいまだに衰えていない。

CDデビューは90年。ラウンダーで4枚、アリゲーターで4枚のアルバムを出している。最新作は今年リリースの「Feed My Soul」。

もともと彼らはゴスペル畑の出身で、レパートリーもゴスペル調の曲が多いのだが、ブルースも同じくらい好きなようで、ライブステージでもゴスペルとブルースが交互に演奏されたりして、かなーり異色のバンドといえる。

で、歌が基本のゴスペル系だけあって、非常に達者なボーカルを聴かせてくれるのが、彼らの魅力。ギター/キーボードのウェンデルを中心に、他のふたりもコーラスだけでなく曲によってはリードもとるなど、歌がきわめて充実しているのである。とりわけポプシーのファルセット・ボイス、これまたバンドのチャーム・ポイントといえる。

きょうの一曲は、ソウルな味わいのアップテンポ・ナンバー。ゴスペルやブルースといったルーツ・ミュージックを土台に、ロックなどのコンテンポラリーな音楽のセンスも取り入れた音作りが見られる。

レコーディング当時の彼らの平均年齢は、57.7才といったところか。とてもそうは思えない、実に若々しくタイトでパワフルな音である。

最新作ではビートルズの「I'll Be Back」もカバーしている、ホームズ・ブラザーズ。何才になったって、ロックンロールは出来る。「Too Old to Rock'n'Roll」なんてことはないと、これを聴いて確信できる。

たった3人で、これだけの歌と演奏をこなすバンドなんて、他にはそう見当たらない。ネヴィル・ブラザーズと並ぶベテラン黒人バンドとして、今後も精力的に作品を世に出し続けてほしいもんだ。

2010年9月18日(土)

#139 シカゴ「25 or 6 to 4」(Chicago II/Columbia)

ブラスロックの大御所グループ、シカゴ、70年リリースのシングル。メンバーの一人、ロバート・ラムの作品。

これを聴いて「懐かしい!」と思わない50代の人間はそういるまい。シカゴの日本での出世作ともいえる大ヒット、「長い夜」である。アメリカ本国では70年6月にリリースされ、ビルボード4位のスマッシュ・ヒット。日本でヒットしたのは翌年に入ってからぐらいだったか。

いま、約40年ぶりに聴いてみると、実に新鮮なサウンドだ。いまどき、こういうサウンド・プロダクションをするロックバンドなんて絶対にないだろうと思うくらい、ユニークだ。

いきなり、ギター、ベースのみのシンプルかつ重厚なリフで始まるんだが、当時はこれがやけに衝撃的だった。ストーンズの「ブラウン・シュガー」に匹敵する、インパクトあるイントロだった。シカゴのシの字も知らなかったリスナーも、このイントロで一気にやられた。

キーボーディストであるラムが作った曲なのに、彼が歌うでもなく、キーボードが表に出てくるわけでもない、といった点も、いま考えてみればスゴいことに思える。ラムはこの曲においては、完全にバンド内プロデューサーに徹していたのだ。

この曲における主役はふたり。一人はいうまでもなく、リード・ボーカルをとったピート(あるいはピーター)・セテラ。彼の特徴ある甲高い声は、この曲や「Make Me Smile」あたりの曲により、シカゴの表看板として認知された。どちらかといえばポップとはいいがたい曲調のこの曲をヒットたらしめたのは、セテラの抜群の歌唱力によるところ大だろう。

もう一人の主役はリード・ギタリスト、テリー・キャス。愛器テレキャスターのソリッドな音がいかにも印象的だ。2分53秒のシングル・エディットではソロの大部分がカットされているが、4分50秒のアルバム・バージョンでは、ワウ・ペダルをフルに駆使して延々と弾きまくっている。

ワウ・ペダルというものも、まだあまり一般リスナーに認知されていなかったころなのだが、これがまたインパクト大だった。

当時中学生だった自分とそのクラスメート周辺では、キャスの超速弾き(いまなら、このくらい当たり前の速度になってしまっているが)を真似してみたり、挫折したり、みたいなヤツが結構いたような。まあ、なんとも牧歌的な時代だったのだ。

そんな、われわれAround Fiftyにとってみてはさまざまな思い出がリンクした名曲、リアルタイムで聴いたことなんかねーよ、とおっしゃるお若い方も、もう一度じっくり聴いてみてはいかが。

いろんな発見があって、実に興味深いのですよ。

2010年9月25日(土)

#140 バッド・カンパニー「Young Blood」(Run with the Pack/Swan Song)

バッド・カンパニー、76年リリースのサード・アルバムより。リーバー、ストーラー、ポーマスの共作。

バドカンは73年の結成以来、何度かの休止期をはさみながらも、いまだに活動を継続している息の長いイギリスのバンド。

とはいえ、全盛期はやはり、第一期といわれる73年〜82年、ポール・ロジャースが脱退するまでの約10年だろうな。

レッド・ツェッペリンを擁するレーベル、スワン・ソングよりデビュー。メンバー4人ともすでにプロとして十分なキャリアをもっていただけに、いきなりトップ・バンドの座へと躍り出た。

イギリス出身のバンドながら、ブルース、R&Bを主軸とするアメリカン・ミュージックを強く意識したそのサウンドで、本国よりむしろアメリカでブレイク。ZEPに続いて、70年代ロックの覇者となったのである。

とまあ教科書的な知識はこのへんにしておいて、バドカンの魅力、そしてブレイクの秘密はやはりポール・ロジャースの歌だと思う、なんといっても。

その男くさい容姿に負けず劣らず、男くさ〜い歌声。いわば声のマッチョ。これが、エルビス以来線の太いソロ・シンガーを求め続けてきたアメリカのリスナーに、大ウケしたといっていい。

きょう聴いていただく「Young Blood」は、もともと57年に黒人ドゥワップ・グループのザ・コースターズがヒットさせたナンバー。

ロックンロールのソングライターとして最も成功した二人、リーバー=ストーラーのコンビに、モート・シューマンとのコンビで数々の名曲をものしたドク・ポーマスが加わって書かれた。この3人で作れば、ハズレなんてありえない。いわば、最強のR&Bチューン。

その名曲を約20年ぶりに甦らせたバドカン・バージョンは、とにかくノーギミック、ストレートなバンドサウンドに、コースターズよりさらに男くささ50%増量のボーカルが乗り、完璧な出来ばえ。

これを聴いて体中の血が騒がないようなヤツは、若者にあらず。こう断言して間違いない。

バドカンではあまり使われないピアノが、この曲では非常に重要なアクセントになっている。タイトなリズムを見事にキープし、かつヤマ場を作り出しているのだ。永久不滅のロックンロール・サウンドとは、まさにこれ也。

先日も当欄で書いたことだが、ロックンロールとは、軽くてしかも重い音楽。バドカンはそれをパーフェクトに体現している。

曲よし、パフォーマンスよし。20世紀の音楽資産として末永く聴き続けてほしい、そんな一曲であります。

2010年10月3日(日)

#141 GRANRODEO「We wanna R&R SHOW」(GloryHeaven)

今年4月にリリースされた、GRANRODEO(グランロデオ)の13枚目のシングル。メンバーである谷山紀章、飯塚昌明の合作。

GRANRODEOといってもピンと来る人はまだあまり多くないだろうが、2005年デビュー、すでに14枚のシングル、3枚のアルバムを出している。もはや中堅といってもいい。

本職は声優である谷山紀章がボーカル、アニメの音楽担当であった飯塚昌明がギター。このふたりのユニットに、サポートメンバーを加えたプロジェクト、それがGRANRODEOというわけだ。

本来はお遊びチックな試みだったろうが、それが5年も継続し、なんと今年の5月には、男性声優としては初めて、日本武道館のステージに立った。これも、ふたりの豊かな才能、そして音楽への情熱あってこそのことだろう。

とにかく、谷山の歌は声優の中では群を抜いてうまい。いや、プロのシンガー全体から見てもなかなかのものだ。

まずは、きょうの一曲を聴いていただこう。これには、ある程度の年齢のリスナーなら思わずニヤリとしてしまうような、遊び心が満載である。

彼らのヒーロー的存在である、ハードロック・バンドへのオマージュ。たとえば、クイーン、キッス、Tレックスあたりのサワリがそこかしこにちりばめられている。

もちろん、そういうギミックだけでなく、曲が実にロックンロールの本質をとらえているのだ。言葉とリズム、このふたつが完全に融合した「神」のような曲。日本の多くのロックバンドの水準を軽く越え、本場英米のロックに迫るレベル。

サザン、B'Zといった人気バンド、ユニットにだって負けない、確かなロックへのセンス。

それがこの曲で見事に開花したと思う。

ノンタイアップというハンデをものともせず、オリコンで18位をとったという。まさに二人のロック魂の証(あかし)といえる。

セールス枚数だけが名曲の証明ではない。本物の音楽だけを感じとれる「耳」をもつリスナーに評価されること。これもまた名曲の証明だ。

飯塚のメロディメイカー&サウンドクリエイターとしてのセンス、谷山の類い稀なる表現力。この2枚のカードが揃ったGRANRODEOは無敵のユニットだと筆者は思っている。今後も、ハイレベルな仕事を見せてくれるに違いない。要チェック、ですぞ。

2010年10月9日(土)

#142 チャンピオン・ジャック・デュプリー「Frankie & Johnny」(Blues from the Gutter/Atlantic)

ニューオリンズ出身のブルースマン、チャンピオン・ジャック・デュプリーのアトランティック時代の録音より。トラディショナル。

デュプリーは1909年生まれ。幼い頃孤児となり、孤児院に入れられる。10代半ばにそこを出て、ピアノを覚え、プロのピアノ弾きとなる。

だが時代は大恐慌を迎え、不況のためその職では食えず、シカゴに移ってプロボクサーとなり、10年間活躍。つまりこのキャリアが「チャンピオン」というニックネームの由来なのだ。

ボクサー引退後、初レコーディング。特徴のある、半ば酔っぱらったようなラフな歌いぶり、ニューオリンズ・スタイルのピアノ・プレイで注目される。当時の代表曲は「ジャンカー・ブルース」。

兵役後ニューヨークに移り、いくつかのレーベルにて録音。しかし58年アトランティックで録音したのを最後に、60年代以降は、ヨーロッパへ活動の拠点を移してしまう。

きょうの一曲「Frankie & Johnny」は渡欧前に録音されたもので、白人・黒人を問わずアメリカの国民的歌手とよばれるようなアーティストなら誰もが歌っていたトラディショナルだ。ルイ・アームストロングをはじめとして、ビッグ・ビル・ブルーンジー、サム・クック、ブルック・ベントン、ジョニー・キャッシュ、エース・キャノン、マービン・ゲイ、エルビス・プレスリー、ハンク・スノウ、ジミー・ロジャーズ(白人)、ジーン・ヴィンセント、ドク・ワトスン、メイ・ウェスト、レイ・チャールズ、スティービー・ワンダーといった歌い手たちがレコーディングしており、もちろん、エリントン、ベイシーほかによる、インストものも数限りなくある。アメリカ人なら誰もが知っている愛唱歌、そんなイメージだ。

デュプリー版は、いかにも彼らしいパーカッシブなピアノと、天衣無縫なボーカルを聴くことが出来る。これにゆるい感じのサックスが加わり、この曲のもつ脳天気な雰囲気をいっそう盛り上げている。

デュプリーの滞欧は実に30年に及び、その間、膨大なレコーディングを行っている。ようやく故郷のニューオーリンズに戻ったのは90年であった。

以降、92年1月に亡くなるまでの短い期間を、レコーディングやコンサート出演に追われるようにして、忙しく過ごしたという。傘寿にして人生最大のハイライトを迎えたってわけだ。見事なフィナーレである。

デュプリーの生み出したブルースは、出身地がニューオリンズなだけに、とても陽性で賑やかなものである。その個性的な歌や演奏は、ファッツ・ドミノ、プロフェッサー・ロングヘアにさえ影響を与えたという。

上手い下手というよりは「味わい」で勝負するのがブルースという音楽。ニューオリンズが生んだ唯一無二のチャンプ、デュプリーの鋭いアッパーカットを、ぜひ味わってみてくれ。

2010年10月17日(日)

#143 マウンテン「Hotel Happiness」(Man's World/Dream Catcher Records)

70年のデビュー以来、現在も活動を続けるアメリカの代表的ハードロック・バンド、マウンテン、96年のアルバムより。レズリー・ウェスト、エディ・ブラックの共作。

マウンテンは、クリームの名プロデューサー、フェリックス・パッパラルディ(b)が、彼が見出したギタリスト、レズリー・ウェストとともに結成。当初のメンバーは、彼ら二人とスティーヴ・ナイト(kb)、コーキー・レイング(ds)の4人であった。

ハードロックをベースに、音楽的素養豊かなパッパラルディのアイデアをフルに駆使した、華麗なサウンドでまたたくまにブレイク。

一時はグランド・ファンクと並んでアメリカン・ロックを牽引するスター・バンドとして君臨したかに見えたが、バンドの双頭、パッパラルディとウェストの音楽的指向の違いから、活動に不協和音が生じるようになり、72年に解散。

その後、二人はそれぞれの道を歩むが、パッパラルディは83年、妻に射殺されており、一方、ウェストは、何度もマウンテンを再結成し、現在もその活動を続けている。なんとも対照的な末路ではある。

さて、今日の一曲は、96年、11年ぶりにレコーディングされたアルバムから。

メンバーは、ウェスト、レイング、そしてマーク・クラーク(b)。クラークはユーライア・ヒープ、コロシアムに在籍したこともある実力派。

この3人が生み出すビートは、実にタイトでヘビー。カッコいいの一言だ。

パッパラルディが仕切っていた第一期マウンテンは、ウェストにとって自由に好きなことを出来る環境とはいいがたかったが、パッパラルディが去った後は、実にのびのびとプレイしているように思える。

きょうの一曲もまた、ウェスト本来の「ブルース指向」がはっきりと感じられるナンバー。

その巨大な手がレスポールから軽くひねり出すように弾くブギのリフは、強力にして堅実このうえない。

そして、その熱くソウルフルなシャウトは、ウェストの目指す音楽をそのまま現わしている。

第一期マウンテンの名曲「アニマル・トレーナー」を彷彿とさせる、陽性でファンキーなチューン。

音楽的に特にひねりはないが、ストレートなパワーに満ち溢れている。

このアルバムを発表した頃、ウェストは持病の糖尿病のためげっそりと痩せてしまい、かつての巨漢とはまったく別のイメージになってしまっていた。

でも、太っていようが痩せていようがウェストはウェスト、そのハイテンションな声とギター・プレイが健在な限り、全然オッケーなのだ。

初期マウンテンのドラマチックなサウンドも捨て難いが、ウェストの本来の持ち味は、やはりブルースにあり。コテコテの歌とギター、楽しんで欲しい。

2010年10月22日(土)

#144 シーファス&ウィギンズ「Trouble In Mind」(Homemade/Alligator Records)

アコースティック・デュオ、シーファス&ウィギンズによる、カントリー・ブルース・スタンダードのカバー。リチャード・M・ジョーンズの作品。

シーファス&ウィギンズはギター、ボーカルのジョン・シーファス、ハープ、ボーカルのフィル・ウィギンズのコンビ。ともにワシントンDCの出身だが、シーファスが30年生まれ、ウィギンズが54年生まれと、親子ほど年が離れているのが、ちょっと珍しい。1970年代の後半に知り合い、ともにウィルバート・エリスのバンドに参加したこともあって、コンビを組むようになる。

都市部の出身ではあったが、バージニアや南北カロライナのミュージシャン、ブラインド・ボーイ・フラー、ゲイリー・デイヴィス師、サニー・テリーといった人たちから強い影響を受け、テリー&マギーをお手本にしたデュオ編成で、アコースティック楽器のみの素朴な音楽を追究するようになる。

デビューは84年、エビデンス・レーベルからの「Sweet Bitter Blues」。以来、精力的に活動を続けてきたが、惜しくも昨年シーファスが78才で亡くなり、デュオは終焉を迎えている。

きょうの一曲は、ビッグ・ビル・ブルーンジー、ライトニン・ホプキンス、テリー&マギーなど、カントリー・ブルース系のシンガーなら必ず一度は取り上げた名曲。ブルーンジーの「Key To The Highway」にも共通した曲想をもつ、8小節ブルースのスタンダードだ。

日本でも、憂歌団がこの曲に想を得て「嫌んなった」を作っているなど、その人気はひじょうに高い。

シーファス&ウィギンズ版では、シーファスがギターを弾きつつリード・ボーカルを取り、それにウィギンズがハープで合いの手を入れている。

ふたりのよどみなく端正な演奏、そして優しく味わいの深いシーファスの歌声。

音的にはごくごく正統派、でも都会に生まれながら、田舎を強く指向するシーファス&ウィギンズは、やはり新世代のブルース・デュオといえるだろう。

だいぶん前(2001年12月)、彼らがパークタワー・ブルース・フェスティバルに出演したとき、そのライブに触れることがあったが、そのなんの衒いもハッタリもないステージングに、いかにも音楽一筋に生きている、ジェントルでピュアなひとたちなんだなと感じた。

心の悩みをせつせつと歌うこのブルースに、聴くものはみな共感をもつのではないかな。必聴です。

2010年10月30日(土)

#145 シャ・ナ・ナ「Blue Moon」(Grease Original Soundtrack/Polydor)

サーバー移転前ラストの更新は、この一曲。コーラスグループ、シャ・ナ・ナによるスタンダードのカバー。ロジャーズ&ハートの作品。

不朽のスタンダードとして知られる「ブルー・ムーン」も実は人気曲となるまでには、いろいろといわく因縁があった。

もともとこの曲は、人気女優ジーン・ハーロウが主演する予定のMGM映画「Make Me A Star」の主題歌「The Prayer」として33年に書かれた。ところがハーロウはMGMともめて主役を降板、映画制作は頓挫してしまう。曲も当然、宙に浮いた状態となる。

翌年、この曲は別の映画「Manhattan Melodrama」(クラーク・ゲーブル、ウィリアム・パウエル主演)に使われることになる。最初は「It's Just A Kind Of Play」という題にして歌詞を書き直したものの、ボツ。再度「The Bad In Everyone」という題で書き直して、ようやく採用。しかし結局、映画中での扱いは、女優シャーリー・ロスがメロディをちょっと口ずさんでおしまい、というトホホな扱い。

しかし、捨てる神あれば拾う神あり。楽譜出版社を経営するジャック・ロビンスが「歌詞がよくないので、書き直してくれたら出版したい」と申し出て、曲は再度日の目を見ることになる。それがこの「Blue Moon」として知られる曲だった、というわけだ。

同年11月にグレン・グレイ楽団が演奏したバージョンが翌年大ヒット。以来、ベニー・グッドマンをはじめとする楽団や歌手が次々と競作して、数あるロジャーズ&ハート・ナンバーの中でも不動の人気を得るに至ったのである。

同じくスタンダード「Fly Me To The Moon」にも似たようなエピソードがあったと思うが、いろいろとタイトルや歌詞を変えて、ようやくひとつの完成形に至る、なんてことは結構あるものだね。

さて、この曲を70年代に活躍し、現在も活動を続けている大所帯グループ、シャ・ナ・ナがカバーしている。

懐かしの映画、ジョン・トラボルタ、オリビア・ニュートン・ジョン主演の「グリース」(1978)に彼らも出演、その歌声を聴かせるシーンがあるのだ。

この「ブルー・ムーン」、音だけ聴く限りでは、ひたすらロマンティック&ノスタルジックなサウンドなのだが、そこはやはりド派手なパフォーマンスをほこるシャ・ナ・ナだけあって、映画ではお笑い一歩手前(いや十分に踏み込んでいるか?)の演出を見せつけている。興味のあるかたは、ぜひ映画のほうもチェックされたし。

聴いてよし、観てさらにGOOD。いかにもアメリカ的なロックンロール・ショーを提供してくれるシャ・ナ・ナ。

お家芸のドゥ・ワップ、ロックンロールだけでなく、ありとあらゆるアメリカン・ミュージックを料理してリスナーを楽しませてくれるサービス精神。本場ものはやっぱり違いますな。

わが国のロックンローラー、キャロルやクールスも一目おいていたパフォーマンス、ぜひチェックしてみてくれ。

2010年11月6日(土)

#146 ファッツ・ドミノ「Be My Guest」(Only the Best of Fats Domino/Collectables)

当HPもついに11年目に突入した。これからも「巣」を、そしてこの「一日一曲」をよろしく。

さて、今週はアメリカの「国民的スター」とよばれていたファッツ・ドミノの大ヒットを。彼自身のオリジナル。

ドミノは28年、ルイジアナ州ニューオリンズ生まれ。本名アントワーヌ・ドミニク・ドミノ。元はフランス領だったN.O.の土地っ子っらしく、いかにもラテンの匂いのする名前であるね。

通称の「ファッツ」はその堂々たる体格から来ているのは、いうまでもない。

ピアノを弾きつつ歌うスタイルで若くから頭角をあらわし、はたちそこそこの49年にレコード・デビュー。最初のシングル「Detroit City Blues」のB面「The Fat Man」(いかにも名刺がわりの一曲だな) がいきなりの大ヒット、ビルボードR&Bチャートの2位となる。以来15年近く、トップ・シンガーの名を欲しいままにすることになる。

デビュー即大スターなんて例は、長いポップス史上でもめったにない。やはり彼は、戦後アメリカという時代が求めていた才能だったのだろう。

デビュー後64年までになんと63曲をR&Bチャートに送りこみ、9曲で1位。総合チャートでも10曲がベスト10入りしている。白人のエルヴィスにも匹敵する、黒人シンガーの王者だったドミノ。ラジオがテレビにとってかわられるまでの時代において、彼の歌声は最強だったといっていい。

その彼をトップスターたらしめた最大の仕掛人は、同じくニューオリンズ出身のトランペット奏者にしてバンドリーダー、作編曲家、プロデューサーであったデイヴ・バーソロミューだ。ドミノが最初に所属したレコード会社、インペリアルは本来メキシコ系の音楽を手がけるレーベルだったのだが、次第にR&B/ブルース系音楽もリリースするようになり、49年からはバーソロミューをプロデューサー兼タレント・スカウターとして起用した。その最大の功績が、ファッツ・ドミノという才能を見出し、育てたということだったのだ。バーソロミューとドミノは数多くの曲を共作しており、いわば実質的なコンビでもあった。

きょうの「Be My Guest」も、デイヴ・バーソロミュー楽団をバックに録音されたもの。ひじょうにノリのいいシャッフル・ビートにのせて、ドミノのちょっと鼻にかかったようなマイルドな歌声が聴ける。

とにかく陽性、これがドミノの身上。畢生のヒット「Blueberry Hill」をはじめとして「Ain't That A Shame」、「Walking To New Orleans」、「I'm Walkin'」、いずれにせよ、明るく陽気なドミノ・サウンドは、戦後アメリカの上昇的なムードを象徴したものといえそうだ。

60年代、すなわちテレビの時代に入ると、よりそれに適したビジュアルをもった若手歌手たちが人気を博すようになり、ドミノのかつてのスーパースター的人気は沈静化してしまうのだが、そのサウンドは、ニューオリンズR&Bのスタンダードとなり、ミーターズ、ドクター・ジョンといった多くの後続アーティストたちのお手本となっていく。

辺境でありながら、アメリカのポピュラー・ミュージックを60年以上にもわたって力強く牽引してきたニューオリンズ。まさに音楽の都であるが、その最大の王であったのが、このファッツ・ドミノ。

彼なしに、戦後のポップスは語れない。ぜひ、その力強く包容力あふれる歌声を味わってみてほしい。

2010年11月13日(土)

#147 ルース・ブラウン「Mambo Baby」(The Platinum Collection/Rhino)

ルース・ブラウン 、54年のヒット。マッコイ=シングルトンの作品。

ルース・ブラウンといえば、「R&Bの女王」と呼ばれることが多いが、事実、その名にふさわしい、輝かしい実績をもったシンガーだ。

28年、ルース・アルストン・ウェストンとしてバージニア州ポーツマスに生まれる。最初は教会の聖歌隊でゴスペルを歌っていたが、10代半ばでクラブなどで歌うプロ歌手になる。45年、故郷を離れてトランペット奏者ジミー・ブラウンと結婚、ブラウン姓に。ワシントンDCで活動していたラッキー・ミランダ楽団を経て、キャブ・キャロウェイのもとで才能を認められる。

アトランティック・レコードの創始者、アーメット・アーティガンと契約をかわし、49年「So Long」でデビュ−、これがたちまちヒットとなる。翌年、「Teardrops From My Eyes」も連続ヒット。これにより、ルース・ブラウンは人気歌手としての地位を確たるものとした。

以来、55年までに16曲がチャートイン、5曲は1位をゲット。アトランティックの稼ぎ頭として、もっとも勢いのあった時期である。同社のビルは「ルース御殿」と呼ばれていたくらい、彼女の人気は絶大だった。

きょうの「Mambo Baby」は、まさにその頃の代表作。タイトル通り、軽快なマンボのリズムにのせて、ルースの歯切れのいい歌声が、聴き手の耳を心地よく刺激するナンバーだ。

ルース自身、もともとジャズ畑の歌手といえるし、影響を受けたのもサラ・ヴォーン、ビリー・ホリデイ、ダイナ・ワシントンといったジャズ色の強い歌手たちだ。

そのためか、リズム&ブルースといっても、リキんだシャウトはあまり使わず、わりと抑えめで歌詞も聴き取りやすい歌いかたをしており、これが一般リスナーに受けたんじゃないかな。

ブルースの濃い原液を少し希釈したかたちで提供、ポップ・ミュージックとして聴きやすいものにしているのだ。

彼女以後、さまざまなR&B系女性シンガーが登場してくるが、ルースは多くの後輩たちのお手本的存在となった。たとえば、「ソウルの女王」と呼ばれることになるアレサ・フランクリンをはじめ、カーラ・トーマス、シャーリー・ブラウン、アン・ピーブルスらだ。

いわば、今日に続く女性R&Bシンガーの系譜の、開祖的な存在。

人種音楽であったブルースが、人種の壁を超えた人気音楽、R&Bにリニューアルしていく過程において、彼女のジャズ、あるいはポップ的センスが非常に重要なはたらきをしたのだ。

その、のびやかな中音域をフルに生かした歌声は、いま聴いてもとても魅力的だと思う。

まずはちょっと体でも動かしつつ、「ミス・リズム(ルースの呼び名のひとつ)」の世界を楽しんでみてちょ。

2010年11月20日(土)

#148 チャック・ベリー「Everyday I Have the Blues」(Live at the Fillmore Auditorium/Special Product)

チャック・ベリー、67年サンフランシスコ、フィルモア・オーディトリアムでのライブより。メンフィス・スリムの作品。

チャック・ベリーといえば、説明不要の「キング・オブ・ロックンロール」。ビートルズ、ストーンズ、ビーチボーイズをはじめとする白人ロックバンドたちに、最も強い影響力を持った黒人シンガー/ギタリストだ。

26年、カリフォルニア州サンノゼ生まれ。50年代には連続して大ヒットを放った彼も、60年代には女性スキャンダルで刑務所入りを経験するなどやや失速気味だったが、彼を父のように慕う白人ロッカーたちのおかげもあって、60年代後半には表舞台への復活を果たすこととなる。

67年のこのライブ盤は、まさに「王の復権」を象徴する記録といえそうだ。

バックにはデビューしてまもないスティーブ・ミラー・バンドを従え、個人的にも親交のあったメンフィス・スリムの代表作を歌い、かつ弾きまくっている。

これがまたなんというか、まんま「チャック・ベリー節」なんだよなあ。

もともとこの曲は、戦前のブルースマン、アーロン・スパークスの曲にヒントを得て、48年にメンフィス・スリムが作曲、「Nobody Loves Me」というタイトルで初録音をしているが、彼固有のレパートリーというよりは、「Everyday I Have the Blues」という別のタイトルでブルース界全体にスタンダードとして広まっていく。よく知られているのは、B・B・キング、ローウェル・フルスン&ロイド・グレン、そして以前「一日一枚」で取り上げたこともあるジャズ歌手、ジョー・ウィリアムズのバージョンだ。

他にもさまざまなシンガーが取り上げているが、チャック・ベリーが歌うとはちょっと驚きではあるね。

このフィルモア・ライブでは他にも「C・C・ライダー」チャールズ・ブラウンの「ドリフティン・ブルース」、「フーチー・クーチー・マン」といったブルース・ナンバーを演っており、チャックのステージとしては異色の構成となっている。

これはまあ、チャックの原点回帰ともいえなくもない。ロックンロールも、もとをたどれば黒人のブルースをルーツとする音楽。これに白人のカントリー系音楽がブレンドされ出来たハイブリッドなんだから。セントルイス育ちのチャックも、子どものころは極めてブルースな環境で育ったはずだ。

とはいえ、彼の歌うブルースは一般的に知られるブルースのスタイルを、もののみごとに逸脱している。とにかく陽気というか、若気の至りというか、ノリノリな音楽なんである。

リズムからして、元気がよすぎるくらい。エルモア・ジェイムズ風のビートにのせて、べらんめえ調で威勢良くシャウト。ギターも、例によってペケペケとしたチャック・ベリー・スタイルで妙に歯切れがよく、ブルースギターにありがちなタメは、一切なし。

本来はけっこう陰鬱な内容のブルースなのに、「毎日しんどいわ〜」というよりは「毎日しんどいですが、それが何か?」という居直りさえ感じられるね、個人的印象では。

この、底抜けの明るさ、タフネスこそがチャックの身上。不遇もスキャンダルもすべてはねのけ、しぶとく生きていく不屈の精神ってやつです。

この何年か後、彼は折りからのオールディーズブームにのり、ヒットチャートに返り咲く。72年には最大のヒット「My Ding-a-Ling」も出る。

人生で二度頂点にのぼりつめた男、チャック・ベリー。その天衣無縫な魅力を、このブルースナンバーで味わってみてくれ。

2010年11月28日(日)

#149 マイケル・バークス「Time I Came In Out Of The Rain」(I Smell Smoke/Alligator Records)

マイケル・バークス、2003年のメジャー・セカンド・アルバムより。バークスの作品。

マイケル・バークスといっても知らないひとがほとんどだと思うけど、57年ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれの53才。筆者ともタメ年の、壮年ブルースマンなんである。

若い頃は父親の経営するアーカンソーのジューク・ジョイントでバンド出演をしていたが、ようやく99年にVentレーベルより自主制作盤でデビュー。その後シカゴ・ブルース・フェスティバルでの熱演によりその才能を認められ、アリゲーター・レコードと契約。現在までに3枚のアルバムを出している。

その歌とギターのスタイルは、フライングVを愛用していることから察しられるように、アルバート・キングの影響が極めて大きい。

アルバートに負けぬ巨体から、まことに力強い歌声とギター・プレイを聴かせてくれる。その安定感はハンパじゃない。

これでもかと大きくスクウィーズするギター、変にリキむことなく余裕たっぷりのスモーキー・バリトン・ボイス。まさにアルバートの再来といえよう。

「Time I Came In Out Of The Rain」は、アルバートの曲でいえば「As The Years Go Passing By」あたりを彷彿とさせる、ドラマティックなマイナー・ブルース。

サイド・ギター、オルガンを配したバンド編成も、アルバート・スタイルをまんま踏襲している。

新味といえるような要素は格別ないのだが、ブルース、ソウル、ロックなどさまざまなスタイルの音楽をふまえたそのサウンドは、スケールが大きい。その安定した実力は万人が認めるところだろう。

50代に入り、これからがブルースマンとしての正念場のバークス。オーティス・ラッシュ、バディ・ガイに匹敵するような、将来の大物となるべき度量は十分にもっていると思うので、今後はさらに曲作りに精を出してほしい。

目の前で、その圧倒的パフォーマンスを見たいアーティストのひとりだ。ぜひ日本に来て欲しいものであります。

2010年12月4日(土)

#150 J・J・ケール&エリック・クラプトン「Danger」(The Road to Escondido/Reprise)

2006年リリース、J・J・ケールとエリック・クラプトンの共演アルバムより。ケールの作品。

大半の曲はケールの作品であることからわかるように、ケール名義のアルバムにクラプトンが客演しているというかたちなのだが、まるで古くからのコンビのように、息がぴったり合っている。

それもそのはず、彼らの親交は60年代末より40年の長きにわたって続いているのだ。

デラニー&ボニー・ブラムレットとともにアメリカ・ツアーを始めたころ、クラプトンはオクラホマ出身のシンガー、J・J・ケールの存在を知る。それまでクラプトンのやってきたハード・ロックとは全く違う、ブルース、R&B、ソウルに根ざしたアーシーな音にクラプトンは新鮮さを感じたのである。

クラプトンはケールの作品「After Midnight」を70年リリースのファースト・ソロ・アルバムで取り上げ、シングルカット 。クラプトンの初ヒットともなる。

でもケールの名前がより大きくクローズアップされたのは、クラプトンが78年のアルバム「Slowhand」で再びケールの「Cocaine」を取り上げたときだろうな。

ケールはそのボーカルスタイルにせよ、曲調にせよ、ドラマチックな感じはほとんどなく、実に淡々としており、素朴な味わいをもっている。

そういうところが、本来シャウトがあまり得意とはいえないクラプトンの気に入った理由かもしれないね。

この「Danger」も、何かヤバそうなタイトルとは裏腹に、曲調はあいかわらずマイペースなケール節。「Cocaine」をどこか彷彿とさせる。

オルガンをフィーチャーしたことで、スモール・フェイセズにも通じるところのある懐かしめのサウンドとなっている。

ボーカルは二人のユニゾン・コーラス。ギター・ソロは前半はクラプトン、後半はケール→クラプトンの順に演奏している。ケールのプレイのほうが断然シブかっこよく聴こえてしまうのだが、皆さんはどう思う?

いわゆる「いまどきのロック」とは明らかに違い、ゆったりまったりした「大人な」音なんだが、これが意外とイケる。

ボーカルにもさまざまなスタイルがあるが、シャウトをほとんど使わずにロックしてみせたJ・J・ケールの独創性は大いに評価していいんじゃないかな。それをまんま真似たクラプトンは、ただのミーハーって気もするが(笑)。

二人のミュージシャンの友情が、一枚のアルバムにあふれております。一聴を。

2010年12月11日(土)

#151 流田Project「only my railgun」(流田P/ジェネオンユニバーサルエンタテイメント)

fripSide、2009年のヒットのカバー。この曲、実は今年3月に当欄でオリジナル版について書いていたのだが、まさかもう一度取り上げることになるとは思わなかった(笑)。

流田(ながれだ)Projectといっても、ごく一部のリスナーを除けば、まったくご存じないだろうが、ひょんなことでこの12月1日にいきなりメジャーデビューした、正体不明の4人組(+1)バンドなんである。

覆面バンドといえば、先日解散してしまったビート・クルセイダースが代表格だが、この流田Projectも、終始紙製のお面を被っており、その素顔をさらすことはまったくない。流田Pことボーカル&ギターの流田豊、ギターの穴澤淳、ベースの桃山竜二、ドラムの栗川雅裕に、S総帥という謎の人物が加わった編成。とはいえ、デビューアルバムのプロデュースを担当した、fripSideのsatこと八木沼悟志その人であろうことはほぼ間違いない(笑)。

彼らのデビューのきっかけとなったのが、ニコ動ことニコニコ動画という動画投稿サイト。大学の軽音楽サークルで他の3人とともに組んだバンドでアニメソングのカバーを歌い、そのスタジオ演奏の記録を流田が同サイトに投稿したことが、この電撃デビューにつながったのだ。「only my railgun」「LEVEL5」といったfripSideの曲をカバーした縁で、ご本家のsatにも才能を認められ、プロデュースまでしてもらえたのだから、かなりのラッキーボーイズ。

とはいえ、その実力はかなりのもので、きょうの「only my railgun」一曲を聴くだけでもそれは十分おわかりいただけるだろう。

まず、流田Pの歌がいい。もともと女性用の曲をカバーしていることからわかるように、かなりキーの高めの曲に果敢に挑戦している。だが実にうまいのである。こういう「ネタで勝負系」のバンドとはとても思えないくらいの高い歌唱力だ。ボーカルスタイルとしては、シャ乱Q、つまりつんく♂のそれに近いのだが、キーはつんく♂より若干高めであり、彼ほどネットリした感じはなく、実に爽やかでカッコいい印象。でも演歌チックなビブラートも聴けたりするので、どうしてもシャ乱Qを連想してしまうのである。

バンド演奏のほうも、なかなかイケている。サウンドの基本はオルタナティヴ系のようだが、アンサンブルが非常に高レベルで安定していて、ボーカルを巧みにバックアップしている。また、ときおり聴かれるコーラスも上手い。キャリアの短さを、まったく感じさせないのである。

ニコ動やyoutubeで最近人気のあるのが「歌ってみた」「弾いてみた」というアマチュアミュージシャンによるカバーものだが、その手のなかでも、歌、演奏ともに最も高いレベルにあったのが、この流田Projectだったということだ。評判は評判をよび、彼らの動画は累計700万回以上、再生されることとなった。無名のアマチュアが、プロ以上に注目を集めたのである。

ここで連想されるのはやはり、動画投稿サイトの常連で、supercellのリードボーカルとして抜擢されたnagi(ガゼル)嬢だろう。彼女も初音ミクのカバーがきっかけで一躍メジャーデビューとなった。いかにもインターネット時代らしい、シンデレラストーリーだ。

ネットの時代には、オーディションから何年も経てデビューなどというまだるっこしいシステムを経なくとも、動画サイトにアップするだけで真にすぐれた歌や演奏は何万、何十万、いや何百万回も聴かれ、自然とプロたちの耳にも入っていく。

今後、こういった「オーバーナイト・センセーション(一夜明けたら、無名の人間が名声を勝ち得ていた)」のケースは、さらに増えていくのであろうね。

とはいえ、今回の彼らのアルバムは、プロジェクトと名付けたように、あくまでも「企画もの」という意識をもって出しており、二枚目以降の可能性はまったくの白紙なのかもしれない。いかにカバーが上手くても、オリジナルの出来がいいかどうかは判断できないしね。

でも、いいんじゃないかな、「企画もの専門です」というバンドがあったって。(昔のデッド・ツェッぺリンみたいに。)これだけの歌唱力と演奏力、アルバム一枚だけで終らせたんじゃもったいない。

次回もアニメソングカバーでもいいだろうし、筆者の個人的嗜好でいえば、そのつんく♂ばりの歌唱力、高いキーを生かした「ハロー!プロジェクト」のカバー集なんてのもいいんじゃないかな。ね、聴いてみたいでしょ?

ともあれ、あの敏腕プロデューサー、satが認めた歌&演奏の実力、まずはじっくりとたしかめて欲しい。

2010年12月19日(日)

#152 エッタ・ジェイムズ「I Want To Ta-Ta You Baby」(Life, Love, & the Blues/Private Music)

今週は困ったことにPCディスプレイが壊れてしまい、代用品のテレビの画面を見ながらこれを書いている。これが実に字が見づらいのである。そういうことで、今回は短文にて失礼。

エッタ・ジェイムズ、1998年のアルバムより。ジョニー・ギター・ワトスンの作品。

エッタ・ジェイムズは1938年カリフォルニア州ロサンゼルス生まれの72才。前のコラム「一日一枚」でも一回だけ取り上げたことがあるが、おもに50年代にR&Bの分野で活躍した、混血女性シンガーだ。

豊満な体躯から発される迫力満点のシャウトがウリの、パワフル・ガール。10代から20代にかけての彼女は、もっぱらそういうイメージだった。

だが、長ずるにおよび、より深い味わいをもった歌声を聴かせるようになっていく。R&B、ソウルを根幹としながらも、ジャズ、ゴスペル、ブルースなど幅広いジャンルの歌を取り上げていくようになる。

初期のただパンチがあふれる歌声から、抑制をきかせた、円熟味の感じられる歌声へと成長をとげていったのだ。このへん、40年以上同じ歌い方しかできない日本のア●コさんあたり、見習ってほしいもんだ。

今年でデビューして56年。実に半世紀以上、現役トップを走り続けてきたのだから、敬服に値するね。

さて、きょうの一曲は、いわずと知れたジョニー・ギター・ワトスンのカバー。オリジナルはアルバム「Ain't That A Bitch」に収録されている。メローなアレンジは、原曲にほぼ忠実だ。

これがまた実にセクシーなんだわ。男性なみに低めのキーで歌っているんだが、両性具有者にささやかれている、みたいな妙なエロティシズムが感じられる。歌詞のエロさもあいまって、アダルト風味全開。「エッタ、GJ!」と喝采を叫びたくなる。

齢60にして、この現役ぶり。まっこと脱帽ものです。ぜひ一聴を。

この曲を聴く

2010年12月26日(日)

#153 ジョニー・ラング「Good Morning Little School Girl」(Lie To Me/A&M)

今年最後の更新であります。若手白人ブルースマン、ジョニー・ラングのメジャー・デビュー・アルバムより。サニーボーイ・ウィリアムスン一世の作品。

ジョニー・ラングは、81年ノースダコタ州ファーゴ生まれの、29才。

幼い頃からギターを始め、十代でいっぱしのセミプロとなり、15才の若さでA&Mよりメジャーデビュー。これまでにインディーズ盤、ライブ盤を含め、6枚のアルバムを出している。

デビュー当時はロン毛でなよっと中性的な感じだったが、セカンドアルバムの頃からツンツン・ショートに変え、男っぽくなってきた。

最近の白人ブルース界は、男性にせよ女性にせよ、とにかく若いうちにデビューさせる傾向が強く、彼ラングもその例外ではないのだが、筆者としては「ポップアイドルじゃないんだから、そーゆー青田買いって意味ないんじゃないかなあ」と思ってしまう。だって「人生」を歌う音楽、ブルースなんだぜ。右も左もわからない青臭いガキに歌わせてどうするよ、って感じだ。

とはいえ、才能があるヤツは、早く世に出てしまうのも、いたしかたないかな。

歌はともかくギターの腕前は、高校に入りたてとは思えないほど達者なのだ。メジャーレーベルが買いに走るわけだ。

さて、この「Good Morning Little School Girl」はサニーボーイ一世がオリジナル。サニーボーイといえば、二世のライス・ミラーのほうを指すことが一般的なようだが、一世も「Sugar Mama Blues」「Early In The Morning」など後世に歌い継がれる曲を数多く残していて、この曲はその際たるものだろう。

おもなカバー・ミュージシャンを上げてみると、そのスゴさがよくわかる。マディ・ウォーターズを筆頭に黒人ではライトニン・ホプキンス、ミシシッピ・フレッド・マクダウェル、ビッグ・ジョー・ウィリアムズ、ジュニア・ウェルズ、ビリー・ボーイ・アーノルド、リトル・リチャード、タジ・マハールなど。白人が意外と多く、ヤードバーズを皮切りに、テン・イヤーズ・アフター、オールマンズ、グレイトフル・デッド、バターフィールド・ブルースバンド、ジョニー・ウィンター、ロッド・スチュアート、ステッペンウルフ、ロベン・フォード、デレク・トラックスなどなど。まことにキリがない。

とにかく、これだけ多くのミュージシャンを引きつけた理由としては、やはり歌詞の魅力が大きいんじゃないか、そう思う。

BBの「Sweet Little Sixteen」じゃあないが、ティーンの女のコに臆面もなく求愛をする、このストレートというか捻りのない歌詞、これがポイントだろう。

若い男だろうが、オッサンだろうが、ジョシコーコーセイは、男の永遠の憧れなんである。

ブルースを分別くさいジジイのものと思っている人も多かろうが、基本的には人間臭〜い、ボンノーのかたまりのような歌詞が意外と多かったりする。

ティーンネージャーにもストレートにアピールするブルースを作り出したジョン・リー・ウィリアムスンは、見事なセンスの持ち主だと思うのであります。

彼は吃音、つまりどもり気味のようだったのだが、それを生かした歌いかたで個性をアピールしたんだから、なかなかの策手だったのかも。

ところで本曲のカバー版は、アレンジにいくつか系統があるといえるが、ラング版はジュニア・ウェルズのバージョンをほぼ踏襲していて、落ち着いたミディアムテンポのビートにのせて、シャウトしまくってる。

若干青さはあるものの、高校生にしちゃなかなかシブい歌声。売り物はギターの腕前だけじゃないことをアピっていて、たのもしい限りだ。

まあ、まだ三十手前の若さ。ブルースマンとしての精進はこれから、といったところだが、十代なかばにしてこれだけの表現力があるのだから、前途は洋々。今後の活躍を見守っていきたい。日和ってポップな方向に寝返らないことをくれぐれも祈ってます(笑)。

2011年1月2日(日)

#154 ヘンリー・トーマス「Bull Doze Blues」(Ragtime Texas. 1927-1929/Document)

テキサスで活躍していた黒人ソングスター、ヘンリー・トーマスの代表曲。彼自身のオリジナル。

トーマスは1874年、テキサス州ビッグ・サンディの生まれ。ブルース、フォーク、バラッド、ミンストレル・ナンバーなどさまざまなジャンルの歌をレパートリーとする、生きたジュークボックス=ソングスターとして活動していたが、レコーディングをしたのは実に50才を過ぎてからだった。27年から29年の間に、ヴォキャリオン(後にあのロバート・ジョンスンもそこでレコーディングしたというレーベルだ)にて23曲を録音。30年には亡くなっている。

ヘンリー・トーマス?誰それ?というヒトが多いだろうが、きょうのこの曲を聴いて、ピンと来た人が結構いるのではないかな。そう、白人ブルースロック・バンドのキャンド・ヒートが「Goin' Up The Country」というタイトルでカバーしているのである。記録映画「ウッドストック」でも聴かれた、あのフォーキーな曲だ。

トーマスは歌、ギターのほかにパン・パイプ(パン・フルートともいう)も吹いており、それがこの曲でも聴くことが出来る。

フォルクローレなどでも使われることの多い、葦の笛の素朴な音(ね)が、この曲の見事なアクセントとなっている。

どこか遠くの草原から流れて来るような、実にのどかな調べだ。

形式的には12小節のブルースであるのだが、陰鬱さをみじんも感じさせない陽性の、そして力強い歌声。フィールド・ハラーをどこか想起させる。

ブルースにもいろいろあるが、これこそもっとも原初的なスタイルであるといっていいんじゃないかな。この後、さまざまなフォーク・ブルース、カントリー・ブルースのミュージシャンがレコーディングを行うようになるが、74年生まれのトーマスはそれらの最年長格のひとりといえる。

カントリー・ブルースの源流、ヘンリー・トーマスの歌を、ブルースファンならば一度は味わってみてほしい。一服の清涼剤、という感じです。

2011年1月9日(日)

#155 ビーディ・アイ「Bring The Light」(Big Brother)

英国のバンド、ビーディ・アイのデビュー曲。リアム・ギャラガーの作品。スティーブ・リリーホワイトのプロデュース。

ビーディ・アイとは、平たくいえば「オアシス・マイナス・ノエル・ギャラガー」。何かとケンカばかりしていたギャラガー兄弟の兄、ノエルが2009年ついにバンドを脱退。当初は残ったメンバーがオアシス名義で活動を続けることも考えていたが、結局ビーディ・アイに改名、再スタートを切ることとなった。

メンバーはリアム(vo)の他、ゲム・アーチャー(g)、アンディ・ベル(b)、クリス・シャーロック(ds)というオアシスの最終期メンバーがそのまま残った(ただし、ベルはベースからギターに転向)。

09年末よりデビューアルバムの制作に入り、すでに完成、この2月に「Different Gear, Still Speeding」いうタイトルでリリースされる予定だ。

新生オアシスであるビーディ・アイの新曲「Bring The Light」を聴いてみると、オアシス時代からけっこう変化があるのに気づく。

オアシスは基本、ギター・バンドであったが、この曲においてギターはほとんどアクセント程度。変わってメインにフィーチャーされているのが、ピアノだ。

イントロからノンストップで激しいビートを叩き出しているのは、90年代ウルトラサウンドというインディーズバンドにいたマット・ジョーンズというピアニスト。この人についてはこれ以上の情報がないのだが、これぞロックンロール!と快哉を叫びたくなるような、まことにパワフルなプレイを聴かせてくれるのだ。彼は今回、あくまでもゲスト参加のようなのだが、この曲では見事に影の主役となっている。

あと、もうひとつ特徴的なのが、リードボーカルのリアムに絡む、3人の黒人女性コーラスの存在。そのグループ名やメンツも不詳ではあるが、アイケッツやブラックベリーズをほうふつとさせる激しいダンスも披露してくれる。明らかにブラック・ミュージックの匂いが感じられるね。

つまり、これまでのビートルズ・フォロワー的なギターバンドからひと皮むけて、よりスケールの大きい、普遍的なロックンロール・バンドへと生まれ変わったような印象だ。リアム自身も、この方向転換に相当自信をもっているらしく、昨年のインタビューでは「オアシスよりビッグになる」と豪語しているほどだ。

たしかに、ジョーンズのイアン・スチュアートばりのプレイから見ても、ビートルズというよりはストーンズ的な方向に近づいている。メロディよりもビートを強調した、以前よりR&B、ロックンロール色の濃いサウンド。これは本国のみならず、アメリカのリスナーにもウケそそうである。

個人的なことを言うと、筆者は従来さほどオアシスを評価してはいなかった。あのギター・プレイがどうも好みではなかったのである。筆者はオールド・スクールなロックで育ってきたので、正直言ってああいう「弾きっぱなし」みたいなコード・カッティング、リズムの刻み方にはイマイチ乗れないのだ。

だが、今回はだいぶん見方を改めた。彼らはギター・バンド、あるいはフォーキーなテイストのバンドではなく、ボーカル先導型のロックンロール・バンドとして生まれ変わったのだ。そこに今後の活路を見出していくに違いない。

筆者としては若い世代のリスナーのようにリアムを神格化するつもりはないが、現役ロックミュージシャンの中では、シンガーとしてもソングライターとしても、非常にすぐれた才能をもった一人だと思う。

ビーディ・アイ、今後も目が離せないバンドだ。CHECK IT OUT!

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2011年1月16日(日)

#156 ジージー・ヒル「Open House at My House」(Greatest Hits/Malaco)

ブルースシンガー、ジージー・ヒルの代表的ヒット。ボビー・パタースン、ジェリー・ストリックランドの作品。

ジージー・ヒルことアーゼル・ヒルは1935年、テキサス州ネイプルズ生まれ。60年代からウェストコーストを中心に、ソウル・シンガーとして活動していた。初期のレーベルは、ケント、コロンビアなど。70年代には何曲かヒットも放っている。

ずっとソウル寄りだったそんな彼が、ブルース中心へとシフトしたのは80年代に入ってから。81年、マラコへ移籍、アルバム「Z.Z. Hill」をリリースする。翌年に出した「Down Home Blues」がスマッシュ・ヒットとなり、ジージー・ヒル=ブルース・シンガーというイメージが定着したのである。

残念ながら2年後の84年に48才の若さで他界。まだまだ活躍を期待されていただけに、その死を惜しむ声は多かった。

80年代、南部を中心にブルースがリバイバルを遂げたが、その原動力として、このジージー・ヒルの存在が大きかったという。

アフロヘアに秀でたおでこと豊かな口ひげ、ひじょうに濃いキャラのヒルだが、なんといってもその声が特徴的だな。塩辛声といいますか、タフガイ・ボイスといいますか、その無骨ながらハート・ウォーミングな声が、南部の素朴な人々を癒したといえそう。

きょうの一曲はもともと70年代にリトル・ジョニー・テイラーが放ったヒット。これをヒル流にカバー、熱く熱く歌いあげとります。

ヒルはボビー・ブルー・ブランドにも強い影響を受けており、歌い口にもそれが明らかにうかがえるが、ブランドをさらにいなたくラフにした感じで、まさにダウンホーム・ブルースの味わい。

マラコには死後リリースのものも含めて6枚のアルバムが残されているが、いずれも名盤との誉れが高い。

すでに30年近くの歳月が経過しているが、いいものはいつ聴いてもいい。ぜひ、ヒル謹製「濃い口のブルース」を、体験してみて欲しい。

2011年1月23日(日)

#157 山下智久「はだかんぼー」(Johnny's Entertainment)

アイドルシンガー、山下智久の4枚目のシングル。大竹創作の作品。

ご存知NEWSの看板男、山Pこと山下智久がこの19日にリリースした最新ソロシングルなのだが、なぜか目下筆者の脳内では、絶賛へビロテ中なのである。

21日のMステでライブ披露されたこの曲、なんでこうも心を惹き付けるのか、考えてみた。

ぶっちゃけ山Pの歌声など筆者的にはどうでもいい(笑)。問題はそのバックのサウンドだ。

調べてみると作詞・作曲をしている大竹創作というひとは、「乙三.(オッサンと読む)」という7人編成のバンドのリーダー兼ピアニスト、ボーカリストだという。この曲のアレンジも、彼とバンドとの共同作業によるものだ。レコーディングのバックも当然、乙三.が担当している。

「はだかんぼー」が筆者のツボにはまったのは、大竹の楽曲、そして乙三.の演奏によるもの。これは間違いない。

乙三.とはまた自虐的ネーミングだが、その活動歴は意外と長く、2003年頃から。現在の7人のメンバーはもとはアーティストのバッキング、ジャズバンドなどで別々に活動していたのが、仕事を離れた個人的な楽しみとして始めたもののようだ。2004年からストリート・ライブを始めたことがきっかけでどんどん固定ファンがつき、インディーズデビューを経て、エイベックスからお声がかかり、2006年にはメジャーデビュー。何枚ものアルバムを出している。

レパートリーの多くを手がけているのが、ボーカルもつとめる大竹創作(pf,g)。彼の実弟、大竹幸平がギター。彼らを軸に、ベース、ドラムス、トランペット、サックス、トロンボーンの4リズム、3ホーン体制のバンドなのである。

「はだかんぼー」を聴いていただくとわかると思うが、どこか懐かしい昭和ファンク歌謡といった趣きで、アース・ウィンド&ファイアーや、スペクトラムを彷彿とさせるものがある。三管体制とコンパクトなのに、その2バンドなみに、ホーンのサウンドがダイナミックで切れ味抜群なのである。

メロディラインのツボでいえば、サビ部分の「(そのままじゃ)無理〜」「(片言で)いい〜」と高音に抜けてくとこだな。ここは何度聴いても、グッときちゃう。

PVの演出のほうも、グランドキャバレーのショーを模してみたりで、なかなかレトロチック。高島田頭のバックダンサーも、いまふうの激しい動きのダンスというよりは、ゆったりめの動きを基調に、キメのところではビシッとキメる、みたいな動きが面白い。

山Pの、お世辞にも上手いといえないボーカルでも、えらくカッコよく感じられるのは、ファンクな曲作り、そしてアレンジが一分の隙もなくキマっているからで、もしこれを上手いシンガー、たとえば久保田利伸あたりに歌わせれば、もう完璧なんじゃマイカ。

ぜひ、競作というかカバーバージョンが出てくることを期待したい。ちなみに乙三.のほうでも、次回作のアルバムで自ら歌うらしい。

大竹創作のボーカルはクワタばりのファンキー系で、ちょっとコテコテ過ぎて、何曲も続けて聴くのは正直しんどいのだが、インスト・バンドとしては何曲聴いてもあきるということがない。ホント、クルセイダーズあたりと比べても遜色がない。すげえバンドが出てきたもんだ。それもそのはず、7人中5人は音大で正規の音楽教育を受けてきたというから、その実力はホンマものということだ。今年、ブレイク必至だな。

あまり乙三.のことばかりクローズアップしちゃ、主役の山Pに悪いのでこの程度にしとくが、新春早々、いいめっけ物をしました。ジャニーズ事務所って、達郎とか、林田健司とか、スガシカオとか、なにげにセンスのいいコンポーザーを見つけてくるのがうまいので、筆者的にはけっこう買ってます。

新年会など、カラオケで歌ったら、もの凄くウケそうな曲でもある。さっそく、練習しとこうかな(笑)。

この曲を聴く

2011年1月29日(土)

#158 タブ・ベノワ「Match Box Blues」(Standing on the Bank/Vanguard)

白人シンガー/ギタリスト、タブ・ベノワのサード・アルバム(95年)より。ブラインド・レモン・ジェファースンの作品。

タブ・ベノワは1967年、ルイジアナ州バトン・ルージュの生まれ。早くから自らのバンドを率いて、各地でライブ活動を行っていた。

92年、25才のときにアルバム「Nice & Warm」でヴァンガードよりデビュー。99年にはテラークへ移籍。1〜2年に1枚のペースでコンスタントにアルバムを発表、いま一番脂ののったブルース系アーティストのひとりといえる。

日本ではまだ「知る人ぞ知る」のレベルではあるが、本国では80年代におけるスティービー・レイ=ヴォーンのようなポピュラリティを獲得している。

これはやはり、わが国では「白人のブルースはブルースに非ず」みたいな原理主義的ファンがまだまだ多いということなんだろうな。

小出斉さんの「ブルースCDガイド・ブック2.0」のような本でも、見事にスルーされているし、非常に残念なことだと思うのである、筆者は。

若い黒人がほとんどブルースに興味を示さず、ヒップホップのような音楽にばかり向かうようになった現況では、白人、アジア人などの非黒人のほうがむしろブルースを志す人口が多かったりする。

たしかにブルースは本来黒人より生まれてきたものであるが、誕生後約1世紀を経過した現在においては、すでに「レース・ミュージック(人種音楽)」の域を越えて、普遍的な音楽へと変化してきているのだ。いまさら「黒人以外のブルースは認めん」なんて言ってる場合じゃなかろう。

われわれ日本人だって、きちんとブルースの本質を理解した上で、日本人なりのブルースを歌い、演奏する人々が増えてきているし、要するに、すぐれたブルースでさえあれば、誰が演ろうがオッケーなんだと思う。

ということできょうの一曲「Match Box Blues」である。ブラインド・レモンの曲とはいえ、大半のリスナーにとってはアルバート・キングのレパートリーといったほうが通りがいいだろう。実際、ベノワも、特徴のあるリフなど、アルバート・キング版のアレンジをそのまま使っているぐらいだ。

ギターはもちろん、歌もベノワ自身が歌っているのだが、これが意外とイケる。彼の声はやや高めで、ブルースというよりはソウル・テイストなんだが、聴いているだけでは、白人が歌っているふうにはまず思えない。非常にブラックな味わいのある歌なのだ。

ギターのほうも、もちろんいい味を出している。テレキャスター・シンラインという、他のアーティストはあまり使わないモデルをベノワは愛用しているが、この非常にソリッドで鋭角的な音が、彼の個性を際立たせている。

レイ=ヴォーン的な線の太い音とはまた違った、シャープなプレイで、聴くもののハートをえぐって行く、それがタブ・ベノワ流。アルバート・キングの影響も強いが、もうひとりのアルバートであるコリンズのスタイルも、色濃く感じられる。ちょっとせっかちというか前のめり感のあるリズムで、ぐいぐいと弾きまくるベノワ。官能的な泣きもたっぷり入っていて、日本のリスナーにも絶対ウケそうである。

ヒゲをたくわえたタフガイ風の容姿は、婦女子にはまずウケそうにないが、何が本当にいい音楽であるかを知る者ならば、彼の音楽をスルーできないはずだ。

ブルースのみならず、さまざまなアメリカン・ミュージックのエッセンスを盛り込み、ロック世代にも違和感なく受け入れられるサウンドを作り続けるタブ・ベノワ。今後、まちがいなくトップに出て行く実力を持った人だ。活躍を期待したい。

2011年2月6日(日)

#159 ラムゼイ・ルイス「太陽の女神」(Sun Goddess/Columbia)

ジャズ・ピアニスト、ラムゼイ・ルイス1974年のアルバムよりタイトル・チューンを。モーリス・ホワイトの作品。

まずは筆者とこの曲のなれそめを述べておくと、高校2年か3年のころ、FM東京の洋楽番組(DJは広川太一郎さんだったような)でエアチェックして、以来それを35年以上にわたってカセットで聴き続けてきた、そういう付き合いの長〜い曲なのである。

その後何年かして、「シャイニン・スター」あたりから日本でも人気の出てきていたアース・ウィンド&ファイアーが、ライブでこの曲を演っていることから、もともとモーリス・ホワイトが作った曲であることを知った。アースは何度もライブ・レコーディングをしているので、彼らとしても相当気に入った曲だったようである。

で、ひさしぶりにこの曲を聴いたのは、古馴染みのカセットによってではない。先日、初めてアマゾンで購入した、直輸入CDで聴いているのである。

今回、オリジナルのCDを入手したことで、ひとつ、意外な発見があった。この8分半にもおよぶ大曲「太陽の女神」には、実はラムゼイ・ルイスは一切演奏に参加していないのである。

一体どーゆーことかというと、アルバムの7曲のうち、この「太陽の女神」「ホット・ドーギット」の2曲はプロデュースを完全にホワイトに委ねており、ルイスは一切タッチしていないのだ。いわば丸投げ状態(笑)。

つまり、その2曲に関してはルイスの作品とはいいがたいのである。いやー、これにはビックリした。筆者は35年以上、彼の作品&演奏と信じて疑わなかったんだから。

なにゆえ、こういうことになったのかというと、ラムゼイ・ルイスの過去の経歴を溯るとはっきりする。

彼のバンド(ピアノ・トリオ)には60年代、ホワイトがドラマーとして在籍していた。有名なライブ・アルバム「ジ・イン・クラウド」の時代はホワイトでなくレッド(イザーク)・ホルトだったのだが、ホルトの後釜として66年から70年まで活躍していたのである。その後、ホワイトはアースの前身となるバンド、ソルティ・ペパーズを結成、ジャズではなく、ポップ・シーンへ躍り出ることになる。

74年にルイスかソロ・アルバムを制作するにあたって、過去彼の世話になったホワイトが、恩返しの意味を込めて、彼が率いるアースのメンバーらによる演奏曲を2曲、献上したということなのである。

ここで、どなたも次のような疑問をお持ちになると思うだろう。「ルイスが弾いていないんなら、一体誰が2曲のキーボードを弾いているんだ? アースのラリー・ダンか?」

ところが、その答はラリー・ダンではないのだ。正解は、チャールズ・ステプニーなのである。

「ステプニー? 誰それ」という方のために説明しておくと、彼はもとはチェスレーベルにいたアレンジャー/プロデューサー/キーボーディスト。ルイスもかつてチェスに在籍していた関係で、仕事仲間でもある。

つまり「太陽の女神」のフェンダー・ローズやアープ・シンセサイザーによるサウンドは、ステプニーによるものだったのだ。うーむ、目からウロコ(笑)。

目からウロコついでにもうひとつ付け加えとくと、イントロのギター・カッティング、あれもネットなどで見るにアル・マッケイが弾いていると思っている人が多いようだが(筆者もそうだった)、実はマッケイではない。アースのもうひとりのギタリスト、ジョニー・グレアムなのだわ。

いやはや、LPのパーソネルを見たことがなかったばかりに、とんだ勘違いの上重ねだったわけだが、情報が少ないとそういう間違いもえてして起こったものなのだよ、洋楽に関しては。

さてさて、曲の素晴らしさを書くのが後回しになってしまった。とにかく、この曲に関してはまったく非の打ちどころがないといっていい。ホワイトとフィリップ・ベイリーのコーラスといい、モーリス(ds)&バーディン(b)・ホワイト兄弟の生み出すグルーヴといい、ステプニーのツボをおさえたメロウなバッキングといい、ジャズ畑のサックス奏者ドン・メリックの軽快でダイナミックなブロウといい、「神曲(かみきょく)」とよばれるにふさわしい出来ばえである。

37年の年月を経ても、その黄金の輝きは褪せていない。これを機会にぜひ聴いてみて。

2011年2月12日(土)

#160 クイーン「アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」(Made in Heaven/東芝EMI)

クイーン、1995年のアルバム「メイド・イン・ヘヴン」より。フレディ・マーキュリーの作品。

皆さんご存知のように、クイーンのリード・ボーカリスト、フレディ・マーキュリーは91年11月、HIV感染合併症によるニューモシスチス肺炎のため、45才の若さで亡くなっている。

彼が85年にリリースしたソロ・アルバム「ミスター・バッド・ガイ」に収録されていたのが、「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」。シングルカットもされ、スマッシュ・ヒットした。日本でもノエビアのCFソングに起用されていたので、覚えている人も多いだろう。

フレディの死後4年を経て、未発表の音源等をもとに、最後のオリジナル・アルバムが制作された。それが「メイド・イン・ヘヴン」だ。

リリースされるやたちまち大ヒット、全世界で2000万枚以上を売り上げ、クイーンのオリジナル・アルバムとしては最高枚数を記録した。

そのアルバムの目玉といえるのが、きょうのこの曲。ソロ・アルバムのボーカル・トラックに、残ったメンバー3人の演奏を加えたもので、アレンジは大幅に変わっていて、いかにもクイーンなサウンドに仕上がっている。

考えてみればフレディの死から約20年、このアルバムの発表時点からも16年近くの歳月が経っている。いやはや、時の流れの早さときたら‥。

しかし、いったんCDをかければ、そんな感慨はどこかに吹き飛び、リアルな興奮が筆者を襲う。とにかく、フレディのボーカルが圧倒的なのである。

ここで筆者の個人的な話を書かせていただくと、75年、クイーンが初来日した際、筆者は日本武道館までコンサートを観に行った。高校3年のときのことだ。

筆者の親戚や知り合いにクイーンの熱烈ファン(もちろん、女性だ)がいて、彼女たちの薦めで観に行った記憶がある。

初めてクイーンを聴いたのは、高校時代、クラスメートの家にて。たぶん、73年だ。ファースト・アルバムを何人かの友人と一緒に聴かせてもらったのだが、そのときの皆の感想は「何これ。ZEPの亜流じゃね?」という酷評ばかりだった。

そういう、オトコ受けの悪いクイーンだったが、セカンド、サード(ともに74年)とアルバムを発表するごとにめきめきと頭角をあらわしていき、女性を中心に人気が急上昇していった。

で、武道館で初めて彼らのパフォーマンスに接したわけだが、正直度肝を抜かれてしまった。

クリアだが、すさまじい大音量の演奏。ブライアンのディレイを駆使した、ひとりハーモナイズ・サウンドにも驚いたが、何より、フレディのタフな歌声が強烈な印象として残った。オペラ歌手にも匹敵する声量、声域の広さ、そしてその説得力。すげえ歌い手が出てきたもんだ、と思った。

公演終了後、しばらく(数時間)耳鳴りがやまなかったのを、昨日のことのように覚えている。

そんな彼の歌が、盟友たちの努力により、4年ぶりに甦ったのが、本アルバム。

世界中の人が愛してやまなかったフレディの歌声を、ふたたび堪能できる、ということで、この一枚の大ヒットは至極当然のものであった。

彼はカラード(有色人種)としては初めて世界的に成功したロック・ミュージシャンだ。われわれアジアの人間としても、彼の存在はとても心強いものであった。

いくつもの意味でマイナリティであったフレディ・マーキュリーが、強い意志、自己への確信をもって生き抜いていったことに、筆者は惜しみない賞賛を送りたい。

その気合いに満ちた歌声、いのちの讃歌を、もう一度味わってくれ。

キング・エルヴィスにまさるとも劣らない、20世紀最高の歌い手、それがフレディ・マーキュリーなのだ。

2011年2月19日(土)

#161 クイックシルバー・メッセンジャー・サービス「フレッシュ・エア」(Just For Love/One Way Records)

クイックシルバー・メッセンジャー・サービス、70年リリースの4thアルバムより。メンバー、ディノ・ヴァレンティの作品。

若いリスナーはまずご存じないだろうが、このバンド、70年代ロックをリアルタイムで聴いてきた人間には「おぼろげながら記憶として残っている」、その程度の存在だと思う。大ヒットがあるわけでもなく、スーパースターを輩出したということもない。ごくごく地味なバンドであった。

しかしながら、今聴いてみると、意外といい仕事を残していたことに気づかされるのだ。たとえば、きょうの一曲またしかり。

クイックシルバー・メッセンジャー・サービス(長いので以下クイックシルバーと略す)は65年、サンフランシスコにて結成。グループ名は、メンバー4人全員が乙女座であったことから付けられたらしい。

フォーク系シンガー/ソングライターのディノ・ヴァレンティが加わり、キャピトル・レーベルの目にとまって、68年にレコードデビュー。以来、75年までに8枚のオリジナル・アルバムをリリースしている。3枚目からは、英国の著名なセッション・プレイヤー、ニッキー・ホプキンスがピアノで加入している。

クイックシルバーは同じ西海岸のバンド、ジェファーソン・エアプレインやグレイトフルデッドと同様、サイケデリック・ロックとよばれることが多いが、そのサウンドは非常に多様性に富んでいて、フォーク、ブルース、R&B、ジャズ、ラテンなどの要素を含んでいる。

きょうの「フレッシュ・エア」はディノ・ヴァレンティ(本名チェット・ウィリアム・パワーズ、コンポーザーとしてはジェシ・オリス・ファーロウとも名乗っていた)の作品で、実にソウルフルかつラテン・フレーバーあふれる佳曲だ。

聴きどころとしては、ヴァレンティの熱唱はいうまでもないが、中間部の官能的なギター・ソロ、そしてそれに続くホプキンスのピアノ・ソロがまことに素晴らしい。

ホプキンスといえば、ジェフ・ベック・グループ(第一期)のセカンド・アルバム「ベック・オラ」における好演がいまも語り草となっているが(たとえば「プリンス」は、ハードロックにおいてもピアノが主役たりうることの、見事な証明になっている)、それにも匹敵する出来ばえだと思う。

JBG同様、クイックシルバーにおいても、ホプキンスの果たした役割は極めて大きかったといえるだろう。

リズム・セクションの弱さを補って余りある、ボーカル、コーラス、ギター、ピアノパートの充実ぶりが、このバンドの身上だったと思う。

このアルバム発表後、ホプキンス、ジョン・シポリナ(g)、デイヴィッド・フライバーグ(b)と相次いでメンバーの脱退が続くなど、クイックシルバーはトラブルが多かった。結局、73年頃には活動停止に追い込まれ、75年に再結成するもアルバム一枚で後が続くことなく終ってしまった。

それでも、セカンド・アルバム「Happy Trails」(邦題「愛の組曲」)は、ジャングル・ビートを前面に押し出した意欲的なサウンド作りが高く評価されて、ローリングストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500に選出されている。派手な人気こそ獲得できなかったが、ロック史上にしっかりその名を残しているのだ。

先鋭的なサイケデリック・ロックにカテゴライズされてはいたものの、今聴くと、実にオーソドックスな王道サウンドという気もする。ぜひ、その充実した歌と演奏を味わってみてくれ。

2011年2月26日(土)

#162 フリートウッド・マック「フォー・ユア・ラブ」(Mystery to Me/Reprise)

フリートウッド・マックによる、ヤードバーズ・ナンバーのカバー。1973年のアルバム「Mystery to Me(邦題・神秘の扉)」に収録。グレアム・グールドマンの作品。

フリートウッド・マックは67年結成、現在も活動中なので、実に44年のキャリアを持つバンドだ。70年代後半には、大ヒットを連発しスーパースターとなった彼らにも、不遇の時代があった。それが、このアルバムが発表された前後だ。

元リーダー、ピーター・グリーンが精神を病んで脱退、変わりにベースのジョン・マクビーの妻、クリスティン(vo,kb)やアメリカ人のギタリスト、ロバート(ボブ)・ウェルチが中心となって活動していた70年代の前半である。

その頃はヒットにも恵まれず、地道にアルバムを作っていた。が、そのクォリティは結構高く、一部のリスナーからは注目され始めていたのである。

で、きょうの一曲だ。ロックファンなら知らぬ者もない、ヤーディーズ65年の代表的ヒット。この曲に拒絶反応を示して、エリック・クラプトンがバンドを脱退してしまった、といういわくつきのナンバーでもある。

作曲者は、後に10CCを結成し、その中心となったコンポーザー、グレアム・グールドマン。彼のポップセンスあふれる一曲により、ヤーディーズはブルースバンドのイメージをかなぐり捨てて、メジャーなロックバンドへの道を爆走することになる。バンド史上、きわめて重要な転換点でもあったのだ。

さて、その10年近く前のヒットを、彼らの後輩、あるいは好敵手的存在でもあったフリートウッド・マックがどのように料理したか。

これが、なかなかイケるんである。

オリジナルのポップな持ち味を損なうことなく、一方その欠点であったビートのもたつきを解消、ラテンフレーバーも加味し洗練されたアレンジの、安定した演奏を聴かせてくれるのだ。

リード・ボーカルはウェルチ。彼のソフトでどことなくオトボケな歌声が、ポップなこの曲には意外とマッチしていてグー。

その一方で、ギターソロでもなかなかカッコよくキメていたりするので、あなどれない。

西海岸出身のアメリカ人であるウェルチがもたらした陽性なノリが、バンドをいい方向に導いているといっても、過言ではない。

もっとも、ウェルチはこのアルバムの後は、もう一作だけアルバムに携わったのちバンドを脱退、「パリス」というスリーピース・バンドを結成することとなる。

そして77年にはソロデビューしてアルバム「French Kiss」、シングル「Ebony Eyes」を大ヒットさせるに至る。かたやマックの方もほぼ同時期に、アルバム「Fleetwood Mac(ファンタスティック・マック)」で大ブレイクし、今日までのスーパースターの座を獲得するに至っている。

このシンクロニシティは、もちろん偶然のものではないはずだ。

アメリカ人が好むようなポップネスを、英国のバンドであるマックに植え付けてくれたのが、ウェルチ。それにより、バンドは変貌をとげることになる。成功の度合いからいえば、二者はまるでスケールが違うのだが、70年代前半のマックにおいてウェルチの果たした役割は、非常に大きかったといえよう。

ギターなどの演奏主体であったマックを、ボーカルやコーラスメインにシフトさせ、サウンド全体のバランスを重んずるように変えていった、そういうことなのだ。

いま一度、ウェルチの隠れた名演をチェックしてみてちょ。驚くほどモダンだから。

2011年3月6日(日)

#163 ポンティアックス「SHINJUKU」(GALAXY HEAD MEETING/SEXY STONES RECORDS)

ポンティアックスのデビュー・アルバムより。浅井健一の作品。

先日、ケーブルテレビの音楽番組を観ていて、妙に耳に残る曲があった。女優の栗山千明が歌う「コールドフィンガーガール」だ。

シンプルなギターリフの繰り返しにのせて、ちょっと気だるい雰囲気の栗山嬢のボーカルが流れてくる曲なのだが、その独特のメロディ・ライン、そしてバック・コーラスやギター・ソロに、明らかに既聴感があったのだ。

ネットで調べてみて、疑問はたちまち氷解した。そう、まぎれもなくベンジーこと浅井健一のプロデュース曲だったのだ。

ロック・バンド、ブランキー・ジェット・シティのメンバーとしてデビューしたのが1990年。10年後にブランキー解散。浅井はその後SHERBETS(シャーベッツ)やAJICO(アジコ)、JUDE(ユダ)といったバンド、ソロ名義等で音楽活動を続けてきた。また自ら社長となってインディーズ・レーベル、SEXY STONES RECORDSも立ち上げている。

そんな彼が昨年秋、ブランキー解散10年にして結成したバンドが、PONTIACS(ポンティアックス)。

メンバーは浅井、ブランキーでの盟友、照井利幸(b)、そしてBACK DROP BOMBほかのバンドで活動していたドラマー、有松益男の三人で、最小編成のスリー・ピース・バンドということでは、ブランキーと共通している。

年齢的にはベンジー46才、照井47才。このふたりはほぼタメだが、有松は38才。少し若めなのである。

そのメンツから、何かと「ブランキーの再来」的な見方をされやすいのはしかたないが、とにかくそのサウンドを聴くに、ブランキー以上にタイトでカッコいい。今さら、過去のバンドを引き合いに出してもしょうがない、そう思えてしまうのだ。ビートが、圧倒的なのだよ。

論より証拠、「SHINJUKU」を聴いてみてほしい。この曲は、「コールドフィンガーガール」にも近いスタイルで、ギターリフの繰り返しが印象的なナンバー。おなじみのグレッチ・テネシアンのソリッドな響きが、これぞベンジー・サウンドって感じだ。

いまさらのように思うのは、ベンジーの歌声って、ホント、唯一無二の個性を持ってるよな、ということ。その心持ち上ずった声は、人間のそれというよりも、むしろ、けものの鳴き声、咆哮に近い。この、誰にも真似の出来ないボーカルこそが、ベンジーに今もなお不滅のカリスマ性を与えているのだと、筆者は確信している。

そして、もうひとつ、忘れちゃいけないのは、彼の生み出すユニ−クな歌詞の世界。クールというか、シニカルというか、対象を一歩突き放した視線がそこにはある。20年以上にわたって、これだけ我が道をひたすら行く人を筆者は知らない。彼って、根っからの「詩人」なんだ。そう思う。

それにしてもベンジー、椎名林檎が「丸の内サディスティック」で彼のことを歌ってたころと、まったく体型も顔立ちも変わっていないのには、驚きますな。あれからもう、12年も経っているのにね。

売れ線かどうかとかまったく気にせず、ひたすら自分のやりたい音楽を貫き続ける男、浅井健一。もはや若くはないけれど、彼より年下のミュージシャンで、これだけホネのあるヤツはそうそういない。

ブランキー時代からのファンはいうにおよばず、若いロックファンにも強くアピールするに違いない、ポンティアックスのストレートなロック・サウンド。今年はヤツらがキマっせ。

この曲を聴く

2011年3月12日(土)

#164 トッド・ラングレン「Counldn't I Just Tell You」(Something/Anything?/Bearsville)

トッド・ラングレン、72年リリースのサード・ソロ・アルバムより。彼自身の作品。

トッド、そして彼が率いるバンド、ユートピアは、筆者がハイ・ティーンだった頃、最も好んで聴いていたアーティストだった。

76年、ユートピアとして初来日したときも、当時予備校生だった筆者は当然のごとく中野サンプラザへ公演を観に行った。そして、その期待をはるかに上回るパフォーマンスに狂喜したものだ。

ユートピアは、ビートルズに関してはリアルタイム経験がほとんどなかった筆者にとって、初めて本格的に入れ込んだポップ系(そう書くといささか語弊があるだろうが、あえて書く)のバンドといえるだろう。

白人系/黒人系を問わず、ありとあらゆるポップ・ミュージックを渉猟し、サウンド作りのノウハウについては誰よりも通暁していた、天才トッド。天才なんて呼称は、ハンパな才能の人間に与えちゃいけないものだとは思うが、彼の作ったカバー曲中心のアルバム「Faithful」のA面を聴けば、それが過大評価でもなんでもないことがわかるだろう。

ロックのあるべき方向性を、自ら率いるバンドで示してくれたのが、ユートピアの諸作品群なのだと、筆者は当時真剣に思っていた。

まあ、実際にはロックは、そのベクトルとはかなり違う方向に向かってしまった。

オアシスみたいにぬるいサウンドのバンドが、ビートルズの正統の後継者ということになってるみたいだし‥。筆者としては、80年代以降ロックがたどって来た道については、大いに不満がある。

まあ、それはさておき、きょうの一曲である。72年、つまり約40年前に作られたものなれど、どうだろう、この歳月などみじんも感じさせない、みずみずしいサウンドは。

ユートピアの来日ライブでも演奏されていたのだが、後半のクライマックスを飾る曲として、いまも目と耳にしっかと焼き付いている。足を蹴り上げる、キメのアクションでさえも。

一度聴いたら忘れられない、甘いメロディ・ライン&ボーカル・ハーモニー。イントロのギター・フレーズ、中間のギター・ソロ等々、完璧なアレンジ。いっときますがこの音源、すべてトッドがすべてひとりで作り上げたのですぞ。まさに宅録派の本家本元。

70年代のトッドは、ビートルズが何故あれだけの支持を受けたのか、その魅力の謎を執拗なまでに研究し続けていた。「Counldn't I Just Tell You」は、まさにトッドによる、その「答」なのだと思う。

ポップ・マエストロ、トッド・ラングレンの超弩級の才能を、とくと味わってみてくれ。

2011年3月19日(土)

#165 クリス・トーマス・キング「Wicked」(Why My Guitar Screams & Moans/21st Century Blues Records)

シンガー/ギタリスト、クリス・トーマス・キングの2004年のアルバムより。彼自身の作品。

クリス・トーマス・キングは64年、ルイジアナ州バトン・ルージュ生まれの46才。86年にアーフリーよりデビューしているので、すでに四半世紀のキャリアがある。もはや立派な中堅である。

彼のやっている音楽は一応ブルースにカテゴライズされているものの、伝統的なスタイルに固執せず、ラップ、サンプリングなどヒップ・ホップの要素も取り込んでいるあたりが、いまどきのブルースマンなところである。

メイン楽器のギターはエレクトリック、アコースティックともに弾くうえに、他の楽器もひとわたりこなし、ドラム・プログラミング、スクラッチまでやってしまうという多芸ぶり。先週取り上げたトッド・ラングレンにもひけを取らない、マルチな才能の持ち主なんである。

とはいえ、彼の音を聴いてみれば、他のどのジャンルの音楽よりもブルースを愛する、根っからのブルースマンであることがよくわかる。きょうの一曲はまさにその一例。

愛器ギブソン・エクスプローラから紡ぎ出されるのは、ラウドで艶のあるナチュラル・ディストーション・サウンド。

ブギのリフなどのブルースの基本フォーマットはあくまで崩さず、でも彼が最も影響を受けたジミ・ヘンドリクスのように自由かつワイルドに弾きまくっている。そう、伝統をなつかしむのでない、現在進行形の音楽としてのブルースが、ここにはある。

現在ブルースは黒人のコミュニティにおいてはさほど人気のある音楽ではなく、絶滅危惧種の動物のように、その血筋を途絶えさせないよう、「保護」されているような状態である。おもに白人ミュージシャンたちによって。

しかし、黒人にだって、ブルースを愛し、歌い続けているアーティストは少数ながらいて、このクリス・トーマス・キングは、その中でも特にすぐれた才能を持った一人だと思う。

ギターばかりが注目されがちのキングだが、そのラフで辛口な味わいの歌にこそ、彼のブルースマンとしての本領はあると思う。

「ブルース愛」が溢れ出てくるような、ベタベタのスローブルース。21世紀になったって、ブルースの本質は変わらない。これでいいのだ!

2011年3月26日(土)

#166 A・C・リード「These Blues Is Killing Me」(I'm In The Wrong Business!/Alligator)

テナーサックス奏者、A・C・リードの1987年のセカンド・ソロアルバムより。彼自身の作品。

A・C・リードは26年、ミズーリ州ワーデルの生まれ。第二次大戦中にシカゴへ移住して、プロとなる。アール・フッカーやウィリー・メイボンなどのバックを経て、バディ・ガイやアルバート・コリンズ、マジック・サムなどのバンド・メンバーとして世間に知られるようになるが、その一方で、60年代からはUSA、エイジなどのレーベルで、個人名義のシングルも地道にリリースしていた。つまり、シンガーとしても活動していたのだ。

82年、ようやくファースト・アルバム「Take These Blues and Shove」を発表。リード、56才のことであった。

以後、4枚のアルバムを出して、2004年78才にて亡くなっている。

楽器をこなすブルースシンガーといえば、フツーはギタリスト、ピアニスト、ハーピストといったあたりだが、まれに管楽器奏者もいて、A・C・リードはその代表格といえよう。

彼のボーカル・スタイルは同姓のブルースマン、ジミー・リードの影響を強く受けていて、ホノボノ系といいますか、ちょっとトボけた味わいが非常に似ている。

きょう聴いていただく一曲は、ゲスト・ギタリストとして、スティーヴィ・レイ・ヴォーンが参加している、「ロケット88」に通じる雰囲気をもつロックン・ロール・チューン。ワンコードでグイグイと押し通す、ドライブ感満点のナンバーだ。

聴きどころとしては、やはりレイ・ヴォーンのシャープでソリッドなギター・ソロではあるが、リード本人のサックス・ソロも素晴らしい。ひたすら図太く、タフで、これぞブルース・サックス!と唸りたくなる。

彼の歌そのものは、飄々としているが、それもまたブルースなんだよなぁ。シブくリキむだけが、ブルースじゃあない。ジミー・リードもそうだが、肩の力を抜いたブルース、これも意外とイケるんである。

日頃「歌わないブルースマンはブルースマンに非ず」とうそぶいている筆者なので、A・C・リードのように積極的に歌おうという姿勢の感じられる楽器奏者は大いに評価したい。たとえ、技術的にはあまり高くなくても、である。

なんたって、ブルースは個性で勝負する音楽だけんね。A・C・リードのユニークな歌心を、感じとってほしい。

2011年4月2日(土)

#167 ジュニア・ウェルズ「Shaky Ground」(Everybody's Gettin' Some/Telarc)

早いもので、もう4月だ。新年度に入っての第一弾はこれ。ジュニア・ウェルズ、95年のアルバムより。ジェフリー・ボゥーエン、アルフォンソ・ボイド、エディ・ヘイゼルの作品。

ウェルズは98年に63才で亡くなっているから、これは最晩年の作品といえるだろう。この後、97年にライブ・アルバムを出してそれが遺作となったので、スタジオ録音としてはこれがラスト。

ボニー・レイット、カルロス・サンタナ、サニー・ランドレスら有名ゲストも多数よび、アル・グリーンのような他のアーティストのカバーを多数やっているのが、本アルバムの特徴。きょうお聴きいただく「Shaky Ground」も、オリジナルはテンプテーションズだ。曲を作ったのはPファンク軍団のエディ・ヘイゼルらの面々。

したがって、サウンドは極めてファンク。のっけからスラップ・ベースが景気よくはじけて、テンションが一気に上がる。

ウェルズの辛口でラフなシャウトが、またこの曲調にぴったり。お得意のハープ・ソロでもカッコいいところを見せてくれる。

ウェルズは活動期間が長かっただけに、サウンド的には相当幅が広いアーティストだ。アコースティックなブルースもやれば、もろファンクな音も聴かせる。

この曲の元ネタのテンプスだって、同様だ。多くの一般リスナーにとってみれば「マイ・ガール」のテンプスであって、甘甘なバラードばっかり歌っているような印象があるのだろうが、実際にはサイケデリックなサウンド、ファンクなサウンドなどさまざまな試みを60年代〜70年代に行っている。

つまり、息の長いアーティストはたいてい、出世魚のように何回は作風の変化を見せるってことだ。何も変化できないようなら、時代に取り残されていく、そういうものなのだ。

ウェルズはジェームズ・ブラウン、スライ・ストーンなどと並んでブラック・ミュージックのパラダイムを大きく変えたひとと言われている。ブルースが出発点ではあったが、そのひとつのジャンルにとどまることなく、ジュニア・ウェルズ自身がひとつのジャンル、といえるような広がりを見せた。われわれ日本人にはピンと来ないかもしれないが、結構スゴい人なのだよ。

なお、余談だがこの曲、ウェルズに先立って94年、エルトン・ジョンとドン・ヘンリーがデュエットでカバーしている(「デュエット・ソングス」に収録)。聴き比べてみるのも一興でっせ。

2011年4月10日(日)

#168 グレイトフル・デッド「Walkin' Blues」(Without a Net/Arista)

アメリカのロック・バンド、グレイトフル・デッド、90年リリースのライブ・アルバムより。ロバート・ジョンスンの作品。

グレイトフル・デッドは65年サンフランシスコにて結成、95年に解散している。30年の歴史を持つ、老舗バンドだった。

グループの中心だったのが、ギター、スティール、ボーカル、作曲をつとめたジェリー・ガルシア。95年の彼の急死により、その活動は幕を下ろさざるをえなかったのである。

グレイトフル・デッド、通称デッドといえば、カントリータッチの曲調でよく知られている。彼ら自身の曲ではないが、ガルシアがペダル・スティールで参加したCSN&Y「Teach Your Children」みたいなカントリー調の印象が強い。彼ら自身の曲でいえば「Till The Morning Comes」「Sugaree」とか。たしかに、白人バンドだけに、その傾向は間違いではない。

とはいえ、デッドにはもうひとつの側面もある。彼らはもともとはジャム・バンド、すなわちブルースロックのバンドの性格も濃かった。デッド、バッファロー・スプリングフィールド、CSN&Yといった西海岸のバンドに共通していえることだが、黒人音楽やラテン音楽などに強い影響を受けて、白人音楽との融合を試みたバンドが多かった。

で、きょうの一曲も、デッドの「ジ・アザー・サイド」的なサンプル。89年から90年にかけてのライブを収録した、デッド活動期中のライブアルバムとしては最後のものからだが、ロバート・ジョンスンの代表曲を取り上げているのだ。

これを聴いてみると、他アーティストの同曲のパフォーマンスをなんとなく思い出す。そう、ポール・バターフィールドである。

バターフィールド・ブルース・バンドがセカンド・アルバム「East - West」においてこの曲を取り上げたのが、66年。白人がこの曲をカバーした、ハシリだったといってよいだろう。

それ以後、西海岸を中心に、この曲はジャム・バンドの定番になっていったといえる。バターフィールド後年のバンド、ベター・デイズ、先日も当欄で取り上げたクイックシルバー・メッセンジャー・サービス、そしてこのデッド。いずれもバターフィールド・ブルース・バンドの演奏スタイルを基本にして、それぞれの個性を加味した演奏を聴かせてくれる。

ことにデッドはライブバンドとしての評価が高いだけに、このライブ・バージョンは非常に見事な出来ばえだ。

スライドと手弾き、2本の達者なギターを主軸に、オルガンがからみ、奥行きの深いサウンドを構築している。

ボーカルにしても、演奏にしても、黒人のブルースとはまたひと味違った、繊細な味わいがある。

デッドは、同時期の、もう少しテンポの遅いバージョンの演奏を「Dozin' at the Knick」(96)というライブ・アルバムにも残している。ギター・アレンジとか微妙に違っていて、興味深い。

ロックというフィルターを通した、白人バンドならではの解釈、アレンジから逆に、黒人ブルースの本質がかいま見えてくるように思う。ぜひ聴いてみて。

2011年4月17日(日)

#169 ビリー・スチュアート「Billy's Blues, Part II」(One More Time: The Chess Years/Chess)

50〜60年代に活躍したR&Bシンガー、ビリー・スチュアートのヒット曲を。スチュアート、ジョー・ウィリアムズの作品。

ビリー・スチュアートは37年、ワシントンDCの生まれ。母親がシンガーだったこともあり、彼女の率いるスチュアート・ゴスペル・シンガーズに参加、プロ活動をスタートする。

歌のみならず器楽にもたけ、ピアノやドラムスを演奏していたことから、まずはピアニストとしてボ・ディドリーから声がかかる。これが縁でボの所属するチェス・レーベルと契約し、最初のソロ・シングルを56年に発表した。それがこの「Billy's Blues」である。

エコー、トレモロがギンギンにかかったギター・サウンドには、いかにも50年代という時代を感じてしまうのだが、ブルースと題しているわりにはきわめて陽性でノリがよく、キャッチーなナンバーである。

何より、スチュアートの歌声がユニークだ。ゴスペル・グループ出身だけに、その歌の根底にゴスペルがあるのはもちろんだが、それだけにとどまらず、ジャズのスキャット唱法をたくみに取り入れた、人間リズムマシーンともいうべき、パーカッシブな歌い口なのだ。

その、足柄山の金太郎のような健康優良児的ルックスとは裏腹に、繊細でのびやかなハイ・トーンを聴かせてくれる。まさに唯一無二の個性。

たちまち時代の寵児となり、翌年にはオーケー・レーベルにて「Billy's Heartache」をバーケイズをバックに録音。62年には再びチェスに戻って「Fat Boy」「Reap What You Sow」「Strange Feeling」「I Do Love You」「Sitting in the Park」「How Nice It Is」「Because I Love You」といったヒット曲群を数年の間に連発していったのである。

そして、彼の華麗なボーカル・テクニックの頂点ともいうべきアルバムが66年に発表された。「Unbelievable」である。そのタイトルに恥じない出来ばえは、アルバムのトップ・チューン「Summertime」を一曲聴けばわかる。ガーシュインの原曲とも、またジャニス・ジョプリンのバージョンなどともまったく異なる、スチュアート独自の解釈による、超絶技巧のサマータイム。一聴の価値はある。

もちろん高度のテクニックだけでなく、人気シンガーとしての必須条件、声量や音程の正確さ、明瞭な発音、そして明るいキャラクターといったものをすべてもっていた。

まさに天性のシンガー、ビリー・スチュアートだったのだが、残念なことに70年、事故により32才の若さでこの世を去ってしまう。

残された音源はアルバム5枚分程度なのだが、それらはすべて彼のたぐいまれなる才能を証明している。「モーターマウス」とあだ名された、彼のアンビリーバボーな歌いぶりを、ぜひ味わってみてくれ。

2011年4月24日(日)

#170 ジミー・ドーキンス「Me, My Gitar And The Blues」(Me, My Gitar And The Blues/Ichiban)

シカゴ・ブルースマン、ジミー・ドーキンス97年のアルバムより。ドーキンス、リック・ミラーの作品。

ドーキンスは36年、ミシシッピ州チューラの生まれ。74才になった現在も、活躍中である。

55年にシカゴに出てきて以来、ブルース一筋。半世紀以上のキャリアを持つ、シカゴ・ブルースの生き証人のようなひとだ。

そのプレイ・スタイルは、B・B・キングの流れを汲むスクウィーズ・ギター。ナチュラル・ディストーションが特徴的な、ラウドなプレイが身上である。

69年、デルマークからの「Fast Fingers」でアルバム・デビュー、これまでに15枚以上のアルバムをリリースしている。また、オーティス・ラッシュとも親交があり、何枚かで共演も果たしている。

ドーキンスの人気は、BB、あるいはラッシュといったスター・プレイヤーに比べると、いかにも地味だ。相当なマニアでもない限り、その音を聴いたことさえない、というリスナーが大半だろう。

マニア向けのブルースCDガイドでさえ、一枚紹介してハイおしまい、みたいな感じなのだから。

だが、だからといって、ドーキンスが聴くに値いしない、無視して問題ないアーティストである、というものでもない。

たしかにお世辞にもうまい歌い手とはいえないし、ギターもワンパターンの感を否めない。聴き手によっては、全然魅力を感じない、という意見もあるだろう。

しかし、それでも一度は彼の歌やプレイを聴いてみてほしいのだ。もしかしたら、貴方の耳に強い印象を残し、お気に入りのアーティストの仲間入りをするかもしれないのだから。

ということで、きょうの一曲である。

まずはタイトルについてふれておこう。Guitarではない、Gitarなんである。もちろん誤植ではなく、意図的なミススペルだ。

ドーキンスは91年のアルバムに「Kant Sheck Dees Bluze」という異様な綴りのタイトルを付けていたが、これもまた彼流のセンスの表れなんだろうな。

曲調は、きわめてオーソドックスなスロー・ブルース。リードを弾くのは彼のみ、あとはサイド・ギター、ピアノとオルガンがバックを固めている。何のギミックもない、直球一本勝負って感じのサウンドだ。

歌も彼が担当している。ラフなドラ声で迫力は十分なのだが、言い換えれば、一本調子ということでもある。

だが、それも含めて、ドーキンスの持ち味なのだ。

ミュージシャンは、他人に歌をまかせず、自ら歌うことによって、初めて「ブルースマン」と呼ばれるにふさわしい存在となるのだ。筆者はそう思っている。

ドーキンスも、デビュー当時は自分の歌に自信があまりなかったのか、ゲスト・シンガーの力を借りるようなところがあったが、その後、やはり自ら歌うことに大きな意義を見出していったのだろう。

ブルースは技術よりも個性で勝負する音楽。ドーキンスの曲を聴くたび、そう感じずにはいられない。ぜひ、一聴を。

2011年5月1日(日)

#171 DEEN「Brand New Wing」(Ariola Japan)

DEENの最新シングル。メンバーである池森秀一、田川伸治の作品。

DEENは93年結成の中堅バンド。これまでに38枚のシングル、18枚のアルバム、7枚のベストアルバムを発表し、1000万枚以上を売り上げている。爆発的な人気こそないもの、その実績は大したものだ。

DEENといえばビーイング系バンドのひとつ、というイメージが強いのだが、現在ではGOOD-DAYという事務所へ移籍しており、ビーイングとは袂を分たっている。

バンドの顔といえば、もちろんリードボーカルの池森秀一。というか、彼以外のメンバーがいることを知らないリスナーが多い。

まあ、CFやPVなどでは、たいていの場合池森ばかりをクローズアップしているので、無理からぬことだが。

実際には曲の作り手として、キーボードの山根公路、2代目ギターの田川伸治のふたりが果たす役割は大きい。デビュー当初の90年代には織田哲郎、栗林誠一郎らのバンド外部の作曲家の力を借りることが多く、また大ヒットはその時期に集中していたが、次第にセルフプロデュース中心に移行しており、近年の曲の大半は詞・池森、曲・山根または田川のチームによって生み出されている。バンドとしての結束はきわめて強固なんである。

さて、DEENの魅力はといえば、その曲、サウンドなどにもあるだろうが、なによりも池森の歌声にあるといえよう。茫洋としていてつかみどころがなく、でもなんだか爽やかな、不思議な魅力をもった歌声。

たとえていうと、フンフンとうたった鼻歌をそのまま録音したかのような、カジュアルな感じなのだ。

もちろん、これはあくまでも「そう聴こえる」だけであって、実際に彼の歌をヘッドホンなどでじっくり聴いてみると、あるいはカラオケで歌ってみると、鼻歌どころか細部まで非常にテクニカルであることがよくわかる。

軽く抑えめな声なので、ついつい鼻歌っぽく聴こえるのだが、その歌唱力はビーイング時代の仲間、前田亘輝にもひけをとっていない。「あっさり風味の前田亘輝」とでも言うべきか。

これが、バンドとしてはかなり地味なDEENを支持するファンが、いまだに多い理由だと思う。

きょうの一曲は、ひさしぶりのオリジナル曲によるシングル。ギターの田川による、アップテンポのダンサブルなナンバー。フュージョンなアレンジがなかなかカッコよろしい。

PVでは池森がダンサー達をバックに、小粋なダンスを披露しているので、そちらにも注目だが、なによりも事務所やレーベルを移り、自分たちだけでやりたい音楽をやろうという意気込みがビンビンに伝わってくる佳曲である。

ボーカルをオフにしてバックサウンドだけを聴いてみても、非常に演奏のクォリティが高い。

いわゆる「流行りもの」の音楽とは一線を画して、オーセンティックな音作りを目指しているのが、好感がもてるのだ。

そして、なんといっても決め手は、池森の昔とまったく変わらぬ、爽やか青春系ボイス。とても今年42才とは思えないね。

今後も、そのいい意味での「青さ」を、失わずにいて欲しいものであります。

この曲を聴く

2011年5月7日(土)

#172 ビリー・ジョエル&レイ・チャールズ「Baby Grand」(The Bridge/Columbia)

ビリー・ジョエルとレイ・チャールズのデュエット曲。86年発表のアルバムより。ジョエルの作品。

ビリー・ジョエルは49年NYC生まれ。この9日で61才になる。

筆者と彼との出会いは77年、筆者が予備校生だった頃だ。同年のアルバム「ストレンジャー」で一躍日本のリスナーにも知られるようになった彼を筆者もいたく気に入り、翌年の初来日公演(中野サンプラザ)をさっそく観に行き、79年の再来日のときも日本武道館まで観に行ったクチなのだ。

以来、30年以上の付き合いとなるわけだが、いまだに70年代後半から80年代にかけての、ジョエルの黄金時代のアルバムは愛聴している。

86年の「The Bridge」は、彼が37才のときの作品。その人気も安定したものになってきて、若さにまかせて作ったというよりは、熟成した味わいが出て来た頃のアルバムだ。

ここでは、それまでほとんどやったことのなかった、他のアーティストとのコラボレーションをいろいろと試みている。

そのひとつが、R&B界の大御所、レイ・チャールズ(当時56才)との共演である。

50代というと現役バリバリ、まだまだ大御所よばわりする年齢でないような気もするが、当時すでに他の追随を許さぬマエストロ的存在であったのも事実。

同じようにピアノを弾き歌うビリー・ジョエルにとって、雲の上のヒーローのような存在であったに違いない。「プロシンガーとして、いつかレイ・チャールズと共演できたら」、そう願いながら71年のデビュー以来、長い道のりを歩んできたのだろう。

そんな彼の夢が、ついに叶った一曲。

スーパースター、レイ・チャールズは実際は意外と気さくで、彼の願いをふたつ返事で引き受けてしまうような気のいいオジさんだった(なにせ、日本のケイスケ・クワタやアキコ・ワダのオファーも気軽に受けた位ですからw)。

というわけで「世紀のスター共演」みたいな仰々しさはみじんもなく、遠い親戚のオジさんがふらりとやって来て、レコーディングに参加した、みたいな雰囲気に仕上がってます。

ひさしぶりに聴き直してみて感じたのは、ジョエルの声が「若い!」ってこと。それは、チャールズのシブい声とのコントラストでさらにはっきりと判る。

歌だけでなく、ピアノも連弾。ジャズィなフレーズもさらりと織り交ぜたりして、なかなかこころにくい。子供にゃわかんない「大人の音楽」ですな。

歌に関しては、やはり貫禄といいますか、生真面目に歌うビリー・ジョエルに対して、絶妙な「ヨレ具合」を見せるレイ・チャールズが圧倒的な存在感を見せつけてますが、オジさんは別に偉ぶるふうでもなく、若造の背中をトンと押して、親切にリードしてやってる、そんな感じです。

いやー、歌の世界はホント、奥が深いわ。

同じアルバムでは、ジョエルにとって憧れのカッコいい先輩的なスティーヴィ・ウィンウッド(1才年上)、少し年下だけどユニークな個性、実力をもったガールフレンド的なシンディ・ローパーとも共演してますが、やはりこの曲が目玉といって、間違いないはず。

20世紀アメリカン・ポップスを代表するふたりが、がっちりスクラムを組んだ、記念すべき一曲であります。必聴。

2011年5月15日(日)

#173 ジョー・ルイス・ウォーカー「Blue Guitar」(Live at Slim's, Vol. 2/Hightone)

ジョー・ルイス・ウォーカー、90年サンフランシスコ「Slim's」におけるライブより。アール・フッカーの作品。

ジョー・ルイス・ウォーカーは49年サンフランシスコ生まれの60才。西海岸ブルースマンの中堅格といえるギタリスト/シンガーだ。

デビューは86年。アルバム「Cold Is The Night」を皮切りに5枚のアルバムをハイトーンでリリース。以降、ヴァーヴ、JSP、ストーニー・プレインなどで精力的にレコーディングを続けており、今一番脂の乗ったブルースマンのひとりなのである。

歌もこなし、そのやや高めの歌声は、ロバート・クレイに通じるものがある。とはいえ、彼の本領がギター演奏にあることは、そのサウンドを聴けばすぐわかる。非常にテクニカルで、精度の高いプレイをするひとなのだ。

さて、今日のライブ音源は彼が40才、デビューして数年後のもの。曲は、ブルースファンならおなじみの、アール・フッカーのカバーだ。

ブルース界のスライド・ギターの達人といえば、まずエルモア・ジェイムズの名前が挙がるだろうが、忘れてはいけないのがアール・フッカーだ。マディ・ウォーターズの「You Shook Me」のバックでの名演は、レッド・ツェッぺリンにも強い影響を与え、かの有名なカバー・バージョンが生まれた。

その他、ジョン・リー・フッカー、チャールズ・ブラウン、サニー・テリー&ブラウニー・マギーといった有名ブルースマンのバックでも見事なソロを聴かせてくれた、職人肌のギタリストなのである。

ワイルドでアグレッシブなエルモア・ジェイムズに対して、アール・フッカーはデリケートでキメのこまかいスタイル。まさに対極的な芸風のふたりだ。

ジョー・ルイス・ウォーカーは、通常の指弾きギターも達者だが、スライド・ギターも大の得意。そのスライドはやはり、手本とするアール・フッカー流の繊細なスタイルを踏襲している。

とにかく音源を聴いてみよう。背筋がゾクッとするようなスリルに満ちたインストゥルメンタルが、5分以上にわたって展開されている。

トーキン・ギターという言い方がよく使われるが、まさに呟くように、語るように、あえぐように奏でられるスライド。

官能にダイレクトに訴えてくるプレイに、もう完全にノックアウトでっせ。

歌わずとも、ギターだけでこれだけ「うたう」ことが出来るとは、スゴいの一語であります。

他の曲での歌もそれなりに味わいはあるのですが、やっぱりJLWはスライド! そう断言しちゃいます。

2011年5月28日(土)

#174 関ジャニ∞「マイホーム」(インペリアルレコード)

関ジャニ∞、17枚目のシングル。A.F.R.Oの作品。

現在7人組のアイドル・グループ、関ジャニ∞は2004年、アイドルとしては異色のテイチクレコードから演歌「浪花いろは節」でデビューしている。全員が関西出身だけあって、お笑いもOK。またライブではバンド演奏もこなす。ミュージカルなどのステージ経験も豊富で、従来のアイドル・グループとはひと味ちがった魅力がある。

筆者が彼らに注目するようになったのは、THEイナズマ戦隊・上中丈弥のペンによる「無責任ヒーロー」のヒット(2007年)あたりからだ。PVでの「スチャラカ社員」ばりのお茶目な演技を観て、「こいつらアイドルの枠をふみ外しとるw」と感心したものだ。

東京のアイドルみたいな「ええかっこしぃ」を許されず、常に「ウケをとってナンボ」「前に出て目立ってナンボ」を肝に銘じている姿勢には「さすが関西人、ド根性やなぁ」と拍手を送りたい。

さてさて、そんな彼らも、最近では演歌や色モノソングだけでなく、正統派ポップスにも取り組むようになってきた。デビュー7年、知名度も上がり、そこそこ売れてきたという証拠だな。

きょうの一曲も、ミディアムテンポの、いかにも売れセンなロック・バラード。

PVではタイトルにちなんでか家のリビングルームでバンド演奏を行っている。歌は渋谷、横山、村上、錦戸(アコギも)、ギターは安田、ベースは丸山、ドラムスは大倉という編成だ。

これがなかなかいい感じの歌に仕上がっているのだ。ソロパートでの各人の個性的な歌いぶりもいいし、全員のコーラスも息が合っている。

ほめ過ぎかもしれないが、ビートルズ、あるいはモンキーズのような洋モノコーラス・バンドは長らく日本には根付かなったが、それが彼らにより、ようやく形になってきたのではないかと思う。

彼らの歌はテクニック的に特筆すべきものはないのだが、長い間のステージ経験や、楽器演奏などから体得した「リズム感」そして「チームワーク」、これには手堅いものがある。

そういう「蓄積」のおかげか、デビュー後約7年を経て、他のジャニーズ事務所の先輩・後輩の歌とはかなり趣きが異なってきているようだ。

ちなみに、この曲を書いているのは、A FUNKY RYHTHMIC ORGANIZER、略してA.F.R.Oという名のバンドだ。3人のMC、1人のDJ、ギター、ベース、ドラムスからなる、平均年齢25歳の札幌在住7人組。現在も活動の拠点は北海道だという。つまり、一般的にはほぼ無名のバンドといっていい。

だが、彼らの作り出す楽曲は、メジャーなヒット曲の「ツボ」をしっかりおさえたキャッチーなものである。とりわけ「ありふれた日常に/手のひらかさね」ってとこのクリシェっぽいメロディがグッとくるなぁ、筆者的には。

それがA.F.R.Oとはまったく個性の違う関ジャニ∞にもぴったりとフィットし、見事なスマッシュ・ヒットとなった。

これはもう、曲自体のもつ「力」、そういわざるをえない。

以前、山下智久と乙三.のコラボ曲「はだかんぼー」のときにも書いたことだが、ジャニーズ事務所は、作曲家を選ぶセンスがとてもいい。たとえば、嵐のシングル曲がそうだ。

すでに名のあるコンポーザーだけでなく、無名に近いアーティストであっても、いい曲ならば積極的に使おうという姿勢は素晴らしい。AKB48などについてもいえることだが、出来るだけ多くの作家の曲の中から、一番上質で旬な曲を選ぶことで、連続ヒットを出すという戦略。これは正しい。

関ジャニ∞のコーラス・サウンドは、デビュー以来、いい意味で青くささを保ち続けている。これぞ青春!って感じだ。「聴くとホッとする」、そんなアットホーム・サウンドを聴いてみてくれ。

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2011年6月5日(日)

#175 ザ・ジョン・アール・ウォーカー・バンド「I Still Got It Bad」(People Are Talkin'/Orchard)

昨日、当HPはひさしぶりのキリ番、95,000ヒットを突破した。これからもよろしく。

さて、6月に入っての第一弾はこれ。白人ブルース・バンド、ザ・ジョン・アール・ウォーカー・バンドの登場だ。

シンガー/ギタリスト、ジョン・アール・ウォーカー率いるバンドで、4人編成。ウォーカーは生年未詳だが、キャリアから察するに1940年代後半の生まれのようだ。16才でバンドを結成、ローカルな活動を始める。

67年に現在も一緒に活動しているメンバーとともにプラスティック・ピープルを結成し、それを改名したプラム・ネリーとして大手キャピトルと契約。しかし、ヒットに恵まれず76年に解散。

その後は地道なローカル活動に戻り、現在のザ・ジョン・アール・ウォーカー・バンドを90年代にスタートさせている。メジャー再デビューは2003年。ニューヨークのオーチャード・レーベルより「I'm Leaving You」をリリース。当初はトリオ編成だったが、途中からハーピストを加えて4人編成になった。

現在はウォークライト・レーベルに移籍、ソロ+バックバンドというかたちで世界各国をまわっているようだ。

推定60ン才。ウォーカーもまた、ご多分に漏れず遅咲きなブルースマンなわけだが、作詞作曲、歌、ギターと八面六臂の活躍を見せている。

他のアーティストのカバーはまずやらず、基本オリジナルで勝負しているのが、彼の特色だと言っていいだろう。

つまり、ブルースが基本ではあるが、ブルース・クラシックに頼らず、あくまでも新作で勝負していく姿勢なのだ。

多くのローカル・バンド、ご当地バンドとの違いはそこにある。彼が売ろうとしているのは、「自分自身の作品」なのだ。

さて、きょうの一曲は05年のサード・アルバムから。やや早いテンポのブルース・ナンバー。ハープ、そしてギター・ソロをフィーチャーしている。

ウォーカーの愛器はストラトキャスター。そのソリッドなトーンを生かして、ひじょうにタイトなサウンドを生み出している。

BB、アルバート・キング、フレディ・キング、マジック・サム、Tボーンなど、さまざまなブルースマンの影響を受けているようだが、誰かのデッドコピーみたいなものに陥らず、ブルースのフィーリングそのものを継承していくのが彼なりのスタイルのようだ。テクに走ったり、溺れたりせず、トータルに音楽を作り出す姿勢がそこにはある。SRVみたくギター・キッズのアイドルになるタイプではないが、本当に音楽がわかっているリスナー層には高い評価を得そうである。

日本ではまだまだ知名度が低く、来日も果たしていない。黒人ブルース原理主義者が多い現状では、なかなか紹介される機会もない。

しかしこのまま地味に埋もれていくには惜しい才能だ。本欄でぜひプッシュさせていただく。

そのロック感覚もふまえたギター・プレイはいうまでもないが、歌ももちろん注目してほしい。いわゆる歌唱力のあるタイプではないが、ラフな歌い口に、ウォーカーならではのやさぐれたカッコよさを感じてもらえると思う。

わが国では最近、古希越えのオールド・ロッカーが(本業外のしょうもない醜聞で)話題を集めてしまっているが、ロックなジジイはやはり本業の歌で勝負しなくちゃ、である。

酸いも甘いも噛み分けたシニア・ミュージシャンの、イカした歌声、そしてプレイを聴いとくれ。

2011年6月11日(土)

#176 リッケ・リー「Get Some」(Wounded Rhymes/Atlantic)

スウェーデンの女性シンガー、リッケ・リーの最新曲。リーとビョルン・イットリングの共作。

リッケ・リーは86年ストックホルム生まれ。今年25才になる。ミュージシャンの父、画家の母という芸術家一家に生まれ、若くして自己表現に目覚めた。2000年代の初頭よりネット上に自作の曲を発表し、次第に注目を集めるようになる。

2007年には最初のシングル「Little Bit」でインディーズ・デビュー、そしてテレビにも出演。これによりメジャー・ブレイクのきっかけをつかむ。

翌08年には米アトランティックと契約、ファースト・アルバム「Youth Novels」をリリース。

これが各国で話題を呼び、そのメロディのセンスや、独特の歌声がおもに玄人筋で高い評価を得るようになる。

3年ぶりのセカンド・アルバムをリリースするにあたって、きょうの「Get Some」のPVを制作。これがyoutubeなどで200万回近く再生されている。非常にインパクトのある映像と共に、そのユニークなサウンドが日本でも大いに注目されているのだ。

スウェーデン・ポップスといえば、当然その頂点にたつのはABBA。でも彼ら以外にもさまざまなアーティストが世界的な活躍をしている。「ファイナル・カウントダウン」でおなじみのロック・バンド、ヨーロッパ。ロクセット、エース・オブ・ベース、メイヤ、カーディガンズ、リッケ・リーのプロデューサー、イットリングも参加しているピーター、ビョルン&ジョンといったアーティストたちがそうだが、彼らに共通しているのは、基本英語で歌い、アメリカン・ポップスのビートを強く意識しながらも、ヨーロッパならではのメロディアスな要素もしっかりと折り込んでいること、独自のヘタウマ系ボーカル・スタイルで個性をうち出している者がけっこう多いことかな。

リッケ・リーのきょうの一曲など聴くに、そのあまりにアメリカンな指向には驚く。完全にニューオーリンズですよ、このビートは。

でもボーカルは決してアメリカ風でない。それが面白いところだ。ちょっと舌ったらずで甘い、ウィスパー・ボイス。ジャングル・ビート×フレンチ・ロリータ・ポップスの遭遇ってとこか。これは新鮮だ。

25才にしては、見た目は小柄細身でどことなく幼女っぽく、未成熟な感じ。でもそれでいて、みょうにエロい。それがリッケ・リーのアンヴィバレントな魅力だといえる。

ブードゥー教の儀式をイメージしたかのようなおどろおどろしい演出、扇情的な衣装、むき出しの太もも、きわどい歌詞など、マニア心をくすぐる(笑)PVにも、ぜひ注目していただきたい。

聖女のようで妖女のようでもある。一筋縄ではいかない新星、リッケ・リーの問題作。チェックしてみてちょ。

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2011年6月19日(日)

#177 Heavenstamp「Stand by you」(ワーナーミュージック・ジャパン)

5月11日にメジャーデビューしたロックバンド、Heavenstamp(ヘブンスタンプ)のファーストシングル。

Heavenstampは2009年、Sally#Cinnamon (Vo, G)、Tomoya.S(G)、Shikichin(B)、Mika(Dr)の4名で結成。ライブ活動、インディーズ・シングル「Hype」で注目され、トントン拍子でメジャーデビューの運びとなった、今一番イキのいいバンドだ。

このデビュー曲はケーブルテレビの音楽専門局でやたらとかかっていたが、筆者が最初に聴いたときは「ン? チャットモの新曲?」と思ってしまったものだ。

やや甲高い女性ボーカルが、チャットモンチーに通じるところがあるよね。あと、ディスコ・ビートも。

でもよく聴き込んでみると、やはりチャットモのエリコともちょっと違う。もっと攻撃的で鋭角的な声なのだ。

男女混成バンドで、テクノ風アレンジということでは、近年ブレイクしたサカナクションにも通じるところもあるHeavenstampだが、こちらでの主役は、男性でなく女性シンガーのSally#Cinnamonだ。

女性ロッカーといえば、かつてはユニセックスなスタイル、つまりジーンズやジャンプスーツのようなカッコの人が多かったが、Sally#Cinnamonはそういう伝統(?)とは違って、スカートにスパッツかタイツ、みたいなわりとフェミニンな衣装が多いように思う。女子大生/専門学校生によく見かけるような格好。

セクシーというのともちょっと違うんだけど、女っぽいのだ。この流れは、椎名林檎、さらに溯れば戸川純あたりから始まっているんだろうが、変にオトコに対抗意識をもってユニセックス化したりせず、むしろ自分の「女性」性を自然に主張するような方向性へ、女性ロッカーのありかたが変わってきたのだろう。スカート・スタイルにそれを感じる。

まずはPVでそのサウンドを確かめて欲しいが、このバンドのフックは、Sally#Cinnamonの「声」にあるといって間違いないだろう。

どんな斬新なバンドサウンドだろうが、ボーカルに魅力がなければ、リスナーの耳をひきつけることは出来ない。逆にごく普通のサウンドでも、突出した個性をもつシンガーさえいれば、バンドは天下を取れる。そういうもんだと思う。

Sally#Cinnamonの声は、そういう意味で椎名林檎以来の、十年に一人の逸材だという気がする。

林檎・Sallyともに言えることだが、彼女たちの声はいわゆる完全無欠型の美声とはいえない。

ちょっと乱調気味で、エキセントリックなところがある。だがそこがまた、聴き手の心をかきむしるのである。

"Stand by you"といった英語の歌詞をうたったときの、ビシッとヌケていく感じ。コーラスのキマリかた。そのへんが、非常に洋楽っぽい。海外でライブをやっても、間違いなくウケるんじゃないかな。実際、海外のバンドが来日した際の前座なども既にやっている彼らだから、インターナショナルな活躍が期待できそうだ。

新世代のロックバンド、Heavenstamp。そのユニークな歌声と歯切れのいいダンサブルなサウンドは、絶対に要チェキ!でっせ。

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2011年6月26日(日)

#178 B・B・キング「Second Hand Woman」(Take It Home/MCA)

B・B・キング、79年リリースのアルバムより。ウィル・ジェニングスとジョー・サンプルの作品。

ブルースの大御所、B・B・キングも今年でおん年86才。健康上の問題はあるものの、地道に新作を発表し続けているのは見事というほかない。いつまでも長生きして、このブルース界を見守ってほしいものだ。

そんなBBが54才、ブルースマンとして一番円熟していた時期にリリースしたのが、「Take It Home」というアルバムだ。

プロデューサーにウィル・ジェニングスとジョー・サンプルを迎え制作されたこの一枚、ブルースというよりはだいぶんポップなサウンドに仕上がっている。

ウィル・ジェニングスといえばバリー・マニロウ、スティーヴ・ウィンウッド、ディオンヌ・ワーウィック、ホイットニー・ヒューストン、セリーヌ・ディオンなどにヒット曲を提供してきた白人ソング・ライター。一方、ジョー・サンプルはいうまでもなく、クルセイダーズの中心的存在のキーボーディスト、アレンジャー。2人はクルセイダーズの同年のアルバム「Street Life」でもコラボレーションしている。

そんな超一流プロデューサー達に曲を完全にまかせ、BBは歌い手/弾き手に徹しているわけだが、どれだけプロデューサーの個性が強かろうと、BBはやっぱりBBである。

きょうの「セコハン女」もしかり。バックにサンプルのピアノ、ホーン・セクション、女声コーラスが配されて一分の隙もない仕上がりなのだが、BBの怒り節とファンキーなギターが決して負けていない。いやむしろ、一人でそれら全体を凌駕しているといいますか。

どんなバックが来ようが、俺は俺。そんな感じで、ブルースを歌うBB。さすが、ブラック・ミュ−ジック界のドンである。

ブルースという音楽も、大昔の「素朴な音楽」というイメージから大いに変化をとげて、BBによって「もっとも都会的で洒脱な音楽」へと成長したのだと思う。

ただ歌で聴かせるだけでなく、バックのサウンドも含めて、トータルで勝負する音楽へと進化したのだ。

同時期のアルバート・キングあたりについてもいえることだが、ブルースという素材を調理して、ひじょうに複雑な味わいの料理に仕立てていくことで、ブルースの枠を越えた「各アーティストの音楽」が形成されていった時代だったのだと思う。

ブルースは変わらない。でも、ひとところに留まることもない。

音楽を時間軸で見ると、またいろんなことが見えて来る。ぜひ、32年前の先端的なブルースを味わってみてくれ。

2011年7月3日(日)

#179 ランディ・クロフォード「Rainy Night In Georgia」(Secret Combination/Warner Bros.)

7月だ。今年も後半に入ったということか。時のたつのは、早いのう。で、今月の第一弾はこれ。ランディ・クロフォードによるカバー・ナンバー。トニー・ジョー・ホワイトの作品。81年録音。

ランディ・クロフォードは52年ジョージア州メイコン生まれ。79年、クルセイダーズのアルバム「Street Life」にボーカルで参加し、同題のシングルをヒットさせたことで一躍スター歌手となる。以来、現在までに15枚以上のアルバムをリリースしているベテランだ。

圧倒的な歌唱力をほこる彼女は、オリジナル曲を作る一方で、R&B、ソウル、ロックなどさまざまなジャンルの曲をカバーしているのだが、きょうの一曲も70年にソウル・シンガー、ブルック・ベントンにより大ヒットしたバラードだ。

もともとは白人シンガーソングライター、トニー・ジョー・ホワイトが62年に作った曲。ホワイトといえばエルヴィス・プレスリーがヒットさせた「ポーク・サラダ・アニー」の作者としてつとに知られているが、ルイジアナ出身者らしい土臭いメロディの中にも、白人ならではの洗練も感じられる、スワンプ・ロックの先駆者であった。オトコっぽい歌声、ダウンホームな雰囲気は、一度聴くと必ずや耳に残るはずだ。

最も知られたブルック・ベントンのほか、作者自身、レイ・チャールズ、コンウェイ・トウィッティ と サム・ムーアのデュエットなどでも知られるこの名曲に、クロフォードはどのように挑んでいるのか。まずは聴いていただこう。

聴くとおわかりいただけると思うが、実に静かな雰囲気のバラードである。おさえめのバック・サウンドにのせて、クロフォードの歌声が、孤独感、憂鬱、焦燥、倦怠感といった、若者の心の影を見事なまでに伝えている。その繊細にして大胆な表現力は、さすがトップ・シンガーになるべくしてなった彼女ならではのものだ。

一般的な若者の青春というものは、どの時代にせよ、幸福感とはおおむね無縁のものであり、むしろ、たいていの場合、孤独や絶望と隣りあわせである。

長引くベトナム戦争の影響で、さまざまなネガティブなムードが充満していたアメリカ。その気分をうつし出した曲としても、この「Rainy Night In Georgia」は歴史に残る名曲といっていいだろう。

心に沁み入ってくるようなクロフォードの円熟した歌声は、何度聴いてもあきるということがない。

ジョージアにちなんだ曲は、「Georgia On My Mind」「Midnight Train To Georgia」と、なぜかいい曲ばかりだが、この曲もまた、今世紀に末永く残していきたいナンバーだ。知っている人も、知らない人も、ぜひ聴いてほしい。

2011年7月17日(日)

#180 アルヴィン・ヤングブラッド・ハート「Gallows Pole」(Big Mama's Door/Sony Music Distribution)

毎日暑いねぇ。そんなときは、清涼感溢れる、アコースティック・ギターの響きはいかが?

黒人シンガー/ギタリスト、アルヴィン・ヤングブラッド・ハートのデビュー・アルバムより、レッド・ツェッぺリンのカバー・ナンバー。ジミー・ペイジ、ロバート・プラントによるトラディショナルの改作。

アルヴィン・ヤングブラッド・ハートは63年カリフォルニア州オークランド生まれ。96年、33才にしてメジャーデビュー。以来、10年間で5枚のアルバムを発表している、新進気鋭のアーティストだ(もう48だけど)。

きょうの一曲は、皆さんご存知、ツェッぺリンのサード・アルバムのB面、いわゆるアコースティック・サイドの一曲目にあたるナンバーだ。

ハートもZEP同様、アコギを弾きつつ、このトラディショナルを歌う。その演奏スタイルは、そうだな、ゲイリー・デイヴィス師あたりを思わせる、リズミカルで軽快なサウンドだ。

また、その歌声は、派手やかなプラントとは対照的にひなびた、素朴な味わいをもつ。どこかの南部農園の片隅で、休み時間にギターをかきならしながら、歌う農夫。そんな趣きだ。

たとえてみれば、新時代のミシシッピ・フレッド・マクダウェル。そんなところか。

で、よく聴き込むと、実にギターの腕前が達者なことがわかる。早いパッセージも、難なくリズムにのせて弾いている。見事なもんだ。

デビュー・アルバムでは、タジ・マハールをゲストに迎えた3曲以外はすべて、この曲のようなアコギ弾き語りスタイル。オリジナルと、チャーリー・パットン、レッドベリー、ブラインド・ウィリー・マクテル、ウォルター・ヴィンスン(ミシシッピ・シークス)らのカバーが半々の構成だ。

2枚目以降は、スタイルを広げ、バンド編成でエレクトリック・ギターを弾き、スカやロックなども演奏しているのだが、ウケはイマイチといったところか。

やはり、彼の歌声は、アコースティックのサウンドにのることで本来のひなびた魅力を発揮できるような気がする。

だからかどうか、4枚目のアルバムでは、再び弾き語りでアコースティックという路線に戻っている。

60年代生まれだから、モダンなもの、コンテンポラリーなものをやって当然ではあるのだが、それでも彼の真の面目は、ブルースの一番原初的なかたちを再現できるところにある。

5枚目のアルバムは、再度ロック路線になったようだが、並行して戦前のアコースティック・ブルース曲群を、今後も歌い続けていってほしいものだ。

それらは、いってみれば、20世紀の無形の財産。誰かが生で歌い継ぐことで、今世紀にもしっかりと生き残っていくはずだから。

2011年7月23日(土)

#181 ロニー・ホーキンス「Neighbor, Neighbor」(Red Hot Blues/Castle Music)

白人ロックンローラー、ロニー・ホーキンスによるR&Bナンバーのカバー。ジミー・ヒューズの作品。

ロニー・ホーキンスは1935年、アーカンソー州ハンツヴィルの生まれ。50年代後半よりメンフィスでプロとなるも、ロックンロールが下火になったこともあって、59年カナダへ活動の拠点を移す。当時彼のバックをつとめていたバンド、ザ・ホークスが後の「ザ・バンド」である。

63年、ザ・ホークスと決別したホーキンスは、別のメンバーをバックに迎えて活動を継続する。60〜70年代末までは比較的コンスタントにアルバムを出しており、そのいくつかは高い評価を得ている。単なる懐メロ歌手ではなく、コンテンポラリーなアーティストとして活躍を続けていたのである。ザ・バンド解散のときには、フェアウェル・コンサートにゲストとして出演している。

ロックンロールと一言でいっても、いろいろとスタイルがあり、ホーキンスの場合、出発点はいわゆるロカビリーだったといえる。59年、ルーレットで出したヒット「メリー・ルー」はその典型例だ。だが、彼のサウンドはロカビリーの狭い枠にとどまるものではなかった。

オリジナル以外に、黒人シンガーの曲も積極的にレパートリーに取り入れた。ボ・ディドリーの「フー・ドゥ・ユー・ラブ」、チャック・ベリーの「メンフィス」「メイベリーン」、ファッツ・ドミノの「エイント・ザット・ア・シェイム」などが好例だ。

こういった曲が意外とホーキンスの声になじんだのは、彼の歌声が白人にしては珍しく重く、太い「ブルースな」声質だったということが大きいと思う。

きょうの一曲を聴いていただくと、よくわかると思うが、「Neighbor, Neighbor」というかな〜り鬱な内容のヘビーなブルースを、見事に歌いこなしている。知らずに聴いたら、白人シンガーと気づかないかもしれないね。

もともとこの曲は、60年代前半にR&Bシンガー、ジミー・ヒューズがアトランティックで録音、ヒットさせたものだ。オリジナルのヒューズ版では、かなり声が高めで、ホーキンスのそれとは趣きを異にしているが、ホーキンズ版もなかなかの出来映え。ヘビーなムードにおいて、原曲を上回っているように思う。

以前、ネヴィル・ブラザースを取り上げたときに「ロックンロールは軽くて重い音楽」と書いたことがあるが、ホーキンスについても、同様なことを感じる。ブルース的な重いものを隠し味にもってこそのロックンロールなのだ。

日本のチャンジー・ロックンローラー某氏(特に名を秘すw)も、軽めのロックンロールだけでなくこういうヘビーな曲がちゃんと歌えていたら、ロックの歴史に残っていたかもしれないんだがねぇ。

「ロックな」という形容は、ともすれば、アーティストの行動のありかたがロックっぽいという意味でばかり使われがちだが、それ以前に彼の歌そのものが、音楽として聴くに足るかということについて、語られるべきだと思う。歌自体がロックであること、これが大前提だと思う。

そういう意味でロニー・ホーキンスは、真にロックな歌い手であると思う。

弟子のザ・バンドがらみでしか、語られることのない、ちょっと気の毒なお人だが、そのタフな歌声にロックの本質を感じるぜ、ベイベー。

2011年7月31日(日)

#182 エース「ハウ・ロング」(Five-A-Side/Anchor Records)

英国のバンド、エース、1975年の大ヒット曲を。メンバー、ポール・キャラックの作品。

エースは72年結成。フィル・ハリス(g)、アラン・バム・キング(vo,g)を中心とする5人組だが、彼ら2人が見出して参加させたポール・キャラック(vo,kb)のほうにむしろスポットが当たる格好となった。

キャラックが作曲し、歌ったきょうの一曲「ハウ・ロング」が全米、全英両方のチャートで上位にランクする大ヒットとなったのだ。特に全米では最高2位まで昇りつめ、まったく無名の外国バンドの名を一気にアメリカ中に知らしめることとなった。

いったい、この曲の何がそんなにアメリカ人の琴線にふれたのか。まずは聴いてみよう。

サウンド的には、特筆すべき何かがあるわけではない。エースはその結成、活動形態から本国において「パブ・ロック」とよばれていた。でもパブ・ロックとされるバンドのすべてに共通した音楽スタイルがあるわけではない。

パブ・ロックの代表格、ドクター・フィールグッドのように、ロックンロール、ブルース系のサウンドもあれば、このエースのように、ややメロウなサザン・ソウル系のサウンドもある。要するにパブのような場所で活動するライブ・バンドという括りってことなんだろうな。

それはさておき、サウンド的に格別特徴のないエースがいきなりメガヒットを飛ばしたのは、ひとえに歌を担当したキャラックの声の魅力、これによるものに違いない。

どちらかといえばバラード向きの、甘いが落ち着いた声質。でもそれだけじゃなくて、非常に「ソウル」を感じさせる巧みな歌い口。派手なものはないのだが、聴くものをホッとさせる魅力に溢れている。

もうひとつは、彼の作り出すAORなメロディ・ライン。これによるところも大きい。

キャラックは見てくれ的には残念ながらオッサン系なので、スター性はないのだが、彼の歌声とセンスはオール・アメリカンな指向とぴったりと合致していた。そういうことだ思う。

この大ヒット後、エースは残念ながらというかやっぱりというか、鳴かず飛ばず。デビュー曲のようなヒットは出ず、結局バンドは77年に解散となってしまう。

「偉大なる一発屋」で終わってしまったわけだが、でもこの曲の素晴らしさに変わりはない。

そしてそれを生み出した、キャラックの才能のスゴさも。

それは、バンド解散後の彼のキャリアを見ればすぐわかる。

その後すぐにブライアン・フェリー率いるロキシー・ミュージックに参加。80年代半ばにはスクィーズというバンドで再びリードボーカルをとり、さらにはニック・ロウのバンド、カウボーイ・アウトフィットや、マイク・アンド・ザ・メカニックス、エリック・クラプトンのバックなど、見事なキャリアを築いているのだ。

そのボーカル、コーラス、キーボードの実力で、スターたちの絶大な信頼を得ているキャラック。ミュージシャンズ・ミュージシャンとは彼のことだと思う。

ポール・キャラック畢生の男伊達は、当然このバラード「ハウ・ロング」で知るべし。ホンマ、ええ曲でっせ。

2011年8月14日(日)

#183 アイク・アンド・ティナ・ターナー「プラウド・メアリー」(Proud Mary/Point Productions)

アイク・アンド・ティナ・ターナーによる、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのカバー。ジョン・フォガティの作品。

「プラウド・メアリー」はアイク・アンド・ティナの71年のアルバム「Workin' Together」やライブ・アルバム「What You Hear Is What You Get」に収められ、日本でもシングル・ヒットしたから覚えている方も多いだろうな。

でも、今日聴いていただく「プラウド・メアリー」はそのどちらのテイクでもない。まったく別録音なのだ。

CCRのオリジナル・ヒットは69年。ゆえにこのバージョンの録音は69年か70年と推定されるが、スローで始まり激しいアップテンポに切り替わる、あの有名なアレンジとは全く違う。

全編カントリー・ロック風のもったりしたサウンドで、テンポはオリジナルより少しスローなミディアム。ギター・イントロに続き、アイクとティナが合唱する構成なのだが‥。

これがちょいと肩すかし。約2分半と短めで、ヤマらしいヤマもなく、あっさりと終わってしまう。なんていうか、盛り上がりに欠いているとしかいいようがない。

このままじゃ、絶対に「Workin' Together」版のようにはヒットしなかったろうなと思う。

CCRをカバーしようというアイデアは悪くなかったのだが、アレンジがあまりに平板なのだ。

たぶんこのレコーディング後、いろいろとアレンジを練り直し、71年初頭には「What You Hear Is What You Get」で聴かれるようなスタイルにまとまっていったのだろう。

いくら名曲だからといって、原曲そのままのスタイルでカバーしたのでは能がない。オリジナルに拮抗する名曲にするには、大いに知恵を絞る必要がある。

そこはさすが、ロックンロールを発明した男のひとり、アイク・ターナー。初回レコーディングの失敗をふまえて、見事なアレンジを完成させている。

ご存知のバージョンと比べて聴くと、実に興味深いファースト・テイク。これを聴くと、才能とはつねにより良きものを生み出そうとする姿勢のこと、そう感じるね。

2011年9月13日(火)

#184 ザ・コミットメンツ「グリッツ・エイント・グロッサリーズ」(THE COMMITMENTS VOL.2/MCA)

ごぶさたスマソ。ひさしぶりの一曲はこれ。映画「ザ・コミットメンツ」のサントラより。タイタス・ターナーの作品。

アイルランドの首都ダブリンで結成されたアマチュア・ソウルバンド、ザ・コミットメンツの活動を描いた映画だが、ドラマの内容以上にわれわれを魅了したのは、役者達が自ら演奏・歌唱した、懐かしのソウル・ミュージックが全編でフィーチャーされていたことだ。

中でも、リード・ボーカリスト、デコ役を演じたアンドリュー・ストロングの歌は強烈だった。

彼が映画に出演したのは、弱冠16才の頃。しかしその堂々たる歌いぶりは、長いキャリアを持つプロ・シンガーも顔負けの出来ばえだった。

それもそのはず、ストロングは11才からプロのバンドで歌ってきたという、文字通りの天才少年。昨日今日、ソウルを歌い始めたわけではない。

器楽なら十代に満たない若さで異能を発揮するケースも少なくないが、大人の音楽ソウルの歌い手で、これだけの早熟ぶりを示したのは、スティーブ・ウィンウッド以来かもね。

本日聴いていただくのは、ベテラン・ソウルシンガー、リトル・ミルトンのオリジナル歌唱で知られるナンバー。

ストロングのワイルドな咆哮、ホーン・セクションのハジけっぷり、そしてタイトなリズムが渾然一体となって、聴く者を「これぞソウル!」と唸らせてくれる。理屈なんかいってないで聴くしかない。ノレまっせ。

2011年9月18日(日)

#185 やくしまるえつこメトロオーケストラ「ノルニル」(スターチャイルド)

やくしまるえつこの、この10月5日発売予定の第5弾シングルより。やくしまる自身の作品(ティカ・α名義)。

天才、すなわち天賦の才能とは何か。その定義は極めて困難であるが、筆者は経験的にこういう自説を持っている。「天才とは名状しがたいものである」と。

容易に言葉によって説明が可能なものは、ごくごく並みの才能であって、天賦の才能ではない。ことに芸術においては。

そういう意味で天才はごく稀にしか発見されえないのだが、筆者的に「このひとはもしかしたら、天才なのかもしれない」と最近(椎名林檎以来ひさしぶりに)思っているのが、やくしまるえつこなのだ。

年齢、出身地等、そのプライベートな情報がほぼ完全に非公開なアーティスト。年齢は5年のキャリアのわりには、まだかなり若いようだ。

恥ずかしながら筆者は、彼女について最近まで「不思議ちゃん系シンガー」「アイドルもどきのアーティスト」程度の認識しかなかった。その往年のビッグ・アイドルを連想させる芸名と、フレンチ・ポップス風のウィスパー・ボイスから、どうしてもそういう先入観を持たざるをえなかったのである。

しかし、ここのところ、彼女の活躍ぶりは目覚ましい。いくつもの主宰/客演ユニットに参加。坂本龍一、鈴木慶一、近田春夫、高橋幸宏、砂原良徳(まりん)、光嶋誠(BOSE)といった錚々たるベテラン・ミュージシャンたちがこぞってコラボレーションを申し出てくるといった人気ぶりなのだ。まさに「小蹊を成す」が如き状態。

単に彼女が可愛いとかいったレベルで説明出来ることではない。「才能は才能を知る」。明らかにそういうことなんだと思う。

論より証拠。まずはこの7月からの深夜アニメ「輪(まわ)るピングドラム」オープニングテーマ「ノルニル」を聴いて欲しい。アニメオープニング用のショート・バージョンながら、その異才ぶりは十分に感じとってもらえると思う。

冒頭からのフレンチ・ロリータなささやき歌唱でずっと通すかと思いきや、サビ直前で急激な昂りを見せ、あとは雪崩のようにサビへと突入。序破急、1分半の見事なドラマを作り上げている。

その独自の(としかいいようのない)言語感覚といい、特異なメロディのセンスといい、まぎれもなくワン・アンド・オンリーな世界を持っているのだ。

しかもそれらすべてを自分自身がディレクトし、プロデュースしているというところが、他のアイドルとアーティストの境界線上にある女性シンガーとの決定的相違点だと思う。

プロ・ミュージシャンが注目する特別な才能、やくしまるえつこ。一般リスナーもこれからは目を離せないね。いやマジで。

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2011年9月24日(土)

#186 小林麻美「TYPHOON」(CRYPTOGRAPH〜愛の暗号/ソニーミュージック)

「その女(ひと)のことを、僕は40年前から好きだった。そして、今もなお」

な〜んて、いかにもセンチな書き出しでスマソ。今回は筆者の個人的思い入れ120%を書きつけるだけなんで、それが気に入らないご仁は「てめぇの呟きなんか聞きたかねぇよ。チラシの裏にでも書いてろ、ペッ!」とスルーしてくれ。

小林麻美という、4才年上の、特別に美しい女性のことを意識したのは、71年。彼女がテレビドラマ「美人はいかが?」で脇役として出演しているのを観てからだ。。

主演の奈良富士子(今どきの女優でいうと柴咲コウタイプの女優さん)を明らかに食う(ように筆者には見えた)愛らしさで、彼女は筆者のハートをわしづかみにした。

以来、彼女は自分のアイドル・ランキングの、トップ1か2に、常にランクされていた。

ときおり芸能活動を休止したり、仕事をセーブしたり、そして結婚して完全に引退したりと、彼女のアイドル/芸能人としての実質的な活動期間はわりと短かったが、それでも十分印象に残る作品を残してきた。

その代表格が、彼女が30才を過ぎてから本格的に現場復帰して発表したアルバム「CRYPTOGRAPH〜愛の暗号」だ。

彼女はそれまでのアイドル・ポップス路線を脱皮して、よりアーティスティックな表現をそのアルバムで見せてくれた。

アルバムほぼ一枚分、まるまるビデオ化するという、ビジュアル的展開も、84年当時では斬新なものだった。

きょう聴いていただくのは、シングルにはならなかったが、まちがいなく佳曲といってよいだろう「TYPHOON」だ。

松任谷由実の作品。アレンジは武部聡志。

ユーミンの曲ながら、小林麻美が歌うことにより、いわゆるユーミンぽさはほとんど感じられない。声のキャラクターがいかに、曲のイメージを塗り替えるか、よくわかるね。

でも何度も聴き込めば、ユーミンならではのセンスも十分感じられる。ことに転調してからの「あの夏の島の〜」からのメロディラインとか、最高だよね。

武部聡志の繊細でやや控えめなアレンジも、彼女の線の細い、物憂げなボーカルと見事にマッチングしていた。今はもう製造されていない電子管楽器、リリコンかと思われる間奏の調べも、実にいい感じだ。

とにかく、曲を聴くだけで、あのPVの映像がいまも目に浮かんできて、至福のときを筆者に与えてくれる。これを神曲といわずして、何を神曲というのだ。

ところで筆者はほんものの小林麻美に、一度だけ遭遇したことがある。それもコンサートとかそういうのでなく、彼女のプライベート・タイムのときに。

十二、三年くらい前であったか、当時筆者はゴルフのレッスンを受けるために大森駅近くのスクールに通っていたのだが、ある日自転車に乗ってそこへ向かおうとしている筆者の目に、見覚えのある女性の姿が飛び込んできた。

それが、小林麻美だった。

彼女は車から降りてきて、笑顔で家族かだれか連れの人に手振りの合図をしていた。

長めの髪。長い手足。アイドル時代に比べてもさらに小顔になり、くっきりとした目鼻立ち。可愛いというよりはむしろりりしいといったほうがいい。見まちがえようもない、彼女本人だった。

そして彼女は僕の目には、うつし世の女神(ディーバ)そのものに見えた。

が、至福の瞬間は短かった。筆者は自転車に乗って移動していたのだ。立ち止まることも出来ず、あっという間に彼女の姿は視界から消えていった。

その間、ほんの1分足らず。

だが、その記憶は筆者の脳髄に一生刻み込まれた。

筆者は感謝した。最も美しいと30年近く思い続けていた女性が、そのイメージをまったく裏切らないかたちでいてくれたことに。

27年とはとんでもなく長い歳月だが(自分にとってもこれまでの人生の半分に相当するぐらいだ)、そんな隔たりなど、この曲は一瞬で忘れさせてくれる。

そう、この台風の季節が来るたびに「TYPHOON」は、不滅の佳曲としてよみがえるのである。

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2011年10月1日(土)

#187 ラリー・カールトン「BLUES FOR TJ」(FRIENDS/MCA)

今年も残すところ三月かぁ。ホント、一年ってあっという間に過ぎてしまうよね。

さて、10月の第一弾はこれ。ラリー・カールトン、83年のアルバムより。ゲストにB・B・キングを迎えてギター共演をしたブルース・ナンバー。カールトン、キングの共作。

ラリー・カールトンというギタリストは、ジャズ、フュージョン、ロックなど、さまざまな引き出しを持っているが、やはりその音楽の原点はブルースだといえるだろう。彼のプレイには常に、濃厚なブルースの「匂い」がぷんぷんと漂っている。

彼が最もインスパイアされた先輩ギタリストの一人、BBとの共演。これはもう、聴かないわけにいかない。

この曲は、カールトン名義のアルバムということもあってか、あえて歌は入れず、インストのみの構成となっている。

まずはBBのソロから、スタート。おなじみのタメのフレーズが炸裂する2コーラスの後、カールトンにバトン・タッチ。

ナチュラル・ディストーションをばりばりに効かせて、盛り上がった彼のソロの後は、ふたたびBBが、ぐっとトーンを落したソロで引き継ぐ。

ときには二人でハモりを入れるなど、息の合ったところを見せているうち、このスロー・ブルースは静かに幕引きを迎える。

実にさらっとした、リキみのない仕上がり。さすが、大御所と実力派のタッグでありますな。

ボーカルは入っていないもの、歌心に満ちた二人のソロは、ハンパなシンガーよりは、よっぽど説得力のある「うた」だといえる。

エイブ・ラボリエル、ジェフ・ポーカロ、ジョー・サンプルをはじめとする、バック・ミュージシャンの前に出過ぎないサポートぶりもまた、素晴らしい。

ブルースにもいろいろなスタイル、サウンドがあるが、この曲こそはインストゥルメンタル・ブルースの粋(すい)といっていいんじゃないかな。

白人・黒人それぞれのトップ・ギタリストの共演。聴かなきゃ、ソンです。

2011年10月8日(土)

#188 サム・クック「ユー・ガッタ・ムーブ」(Night Beat/RCA)

サム・クック、63年のアルバムより。ミシシッピ・フレッド・マクダウェルの作品。

ロサンゼルスにてスタジオ・ミュージシャンをバックに、主にブルース系の曲をカバーしているのだが、ソウル・シンガーというイメージが極めて強い彼の、別の顔を知ることが出来る貴重な音源だ。

なかでも、カントリー・ブルースの名曲に、ジャズィなアレンジをほどこしたこの曲は、とりわけ異彩を放っている。

皆さんはこの曲を、おそらくストーンズ、あるいはエアロスミスのカバーで知ったことと思うが、マクダウェルの原曲はいかにも泥臭さを絵に描いたような8小節ブルースであるにもかかわらず、クックの明るめの歌声で聴くと、まるで別の曲のように思えたのではないかな。

ほどよくスウィングしたサウンドは、どう聴いてもジャズ。

クックの歌いまわしも絶妙で、ジャズ・ナンバーをフェイクして歌っているかのよう。

しかしながら、よく聴き込めば、原曲のブルース感覚、その特徴あるメロディ・ラインを決してそこなっていのがわかる。さすが、天性のソウル・マン、サム・クックである。

バックでは、ビートルズとの共演でおなじみのビリー・プレストンがオルガンを弾いており、それがまた、非常にリラックスしたムードを醸し出している。

ブルースの曲ながら、あくまでもクックの陽性な歌声をひきたてるような洗練された味付けをしているのが、心憎いね。

ナイトクラブで歌われていても違和感のない、カントリー・ブルース。アレンジの妙をとくと味わってほしい。

2011年10月15日(土)

#189 パット・ベネター「I Get Evil」(True Love/Chrysalis Records)

白人女性シンガー、パット・ベネター、1991年のアルバムより。アルバート・キングの作品。

パット・ベネターは53年、ブルックリン生まれの御年58才。でも外見からは、とてもそんな年齢には見えない。

79年デビューだから、実に32年のキャリアがある、大ベテランなんだけどね。

デビュー当初は、ハートのウィルスン姉妹などと並ぶ、白人女性ロッカーの旗手、そんなポジションだった。

スレンダーな体つきでショートヘア、大きな瞳が印象的な小顔美人だったので、女性ロッカーというよりはむしろ、ファッションモデルのような雰囲気があった。

歌声のほうも、他の多くの女性ロッカーがハスキー・ボイス系、低音系だったのに対し、澄んだ高音で異彩を放っていた。ブルースっぽさも、ベネターの声には希薄だった。

そんな彼女が最初に放ったシングル・ヒット、「Heartbreaker」は都会的なハードロックナンバーで、リスナーの耳にはとても新鮮に感じられたものである。

その後も着実にヒットを飛ばし、80年代は確実にアメリカの音楽シーンの中心にいたといえる。

90年代、すなわち彼女自身が30代後半に入ったあたりから、ハードロック中心の音作りに変化が見られるようになる。

それがきょうの一曲を含むアルバム「True Love」だ。

単に「ロック」というジャンルにこだわらず、そのルーツたるブルース、R&Bにも目を向けた、意欲的な試み。バックのサウンドも、かなりジャズやブルースに接近している。

「I Get Evil」は、おなじみアルバート・キングの60年代前半の代表作だが、このルンバ・ビートの陽気でダンサブルなナンバーを、ちょっとドスを効かせた低めの声で歌い上げている。姐御っぽいカッコよさがあるよな。

このアルバムでは、他にBBやチャールズ・ブラウンあたりの曲もカバーしていて、これまでのロック、ポップ路線のベネターからは想像できなかった、大人のシンガーとしての魅力がかいまみられる。

本来の彼女の持ち味とはいささか違うのだが、これもまた佳き哉。すぐれたブルースは、何十年たっても古びないこと、そして新しい魅力的な歌い手を得て再び甦ることが、よくわかる。必聴です。

2011年10月23日(日)

#190 トム・ジョーンズ&ジェフ・ベック「Love Letters」(Martin Scorsese: Red White & Blues/HIP-O Records)

英国人監督マイク・フィギスによるブルース・ドキュメンタリー映画「Red, White & Blues」より。エドワード・ヘイマン=ビクター・ヤングの作品。

まず、この顔合わせにビックリされる人も多かろう。コテコテの歌い方でおなじみの絶倫シンガー、トム・ジョーンズに、孤高のギター・ヒーロー、ジェフ・ベック。なんともはや濃ゆ〜いお二人が、なぜかナット・キング・コールやプレスリーでおなじみの甘いラブ・バラードを演っているのだ。おもわず聴いてみたくなったでしょ?

でも、これが意外とイケるのだ。トムの大げさな歌いぶりはいつもの通り、一方ジェフは特にジャズっぽく弾くでもなく、さらりとしたバッキングをつけ、ソロもあっさりとしてる。でもスタジオ・セッションらしく、リラックスした、いい感じにまとまっている。

そして、何よりもはっきりといえるのは、原曲そのものはブルース色がほとんどないのに、ちゃんとブルースとして聴こえてくるのだ。

それは、そのリズムの取り方、特にピアノやリズム隊の、「タメ」のリズムによるところが大だろうな。そしてもちろん、演ずる者の強い個性が、この曲に内包された「ブルース性」を見事に引き出しているのだと思う。

ブルーノートで書かれていなくても、8小節や12小節形式でなくとも、3拍子のワルツであっても、そのノリがブルースであれば、ブルースとよんでいい。そういう好例だ。

この二人はトムの方が4才年上。音楽性には違いがあるものの、ブルースに親しみ、60年代に出身地英国、さらに世界でブレイクしたという点では共通している。いわば仕事仲間だな。

レコーディング当時(2002年)、トムは62才、ジェフは58才ってところか。ふたり合わせて120才の超ベテランコンビが生み出す、ハートフルなブルース・バラード。その名人芸に酔い痴れてくれい。

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2011年10月30日(日)

#191 ARB「ROCK OVER JAPAN」(ROCK OVER JAPAN/ビクターエンタテインメント)

息の長い日本のロックバンド、ARB(エーアールビー)、1987年のアルバムより(映像は1988年の武道館ライブ)。バンドメンバー、Ryo & Hisashi(石橋凌・白浜久)の作品。

この曲が発表されたのは24年も前のことなのだが、ここのところにわかに再注目を浴びている。何がきっかけかというと、先日も当欄で取り上げた人気深夜アニメ「輪(まわ)るピングドラム」にて、カバー・バージョンが挿入曲として頻繁にかかっていることが大きい。それもピンドラの中で最も印象的なシーン、「生存戦略〜!」のくだりで繰り返し使われているので、その認知度は相当高いのだ。

ピンドラのほうでは、トリプルH(高倉陽毬役の荒川美穂、伊空ヒバリ役の渡部優衣、歌田光莉役の三宅麻理恵によるユニット)が歌っており、橋本由香利によるシンセサイザーを多用したエレクトロ・ポップ調のアレンジになっているが、オリジナルのARB版とはだいぶん印象が違う。なんといっても、女声ユニゾンコーラスと男臭い石橋のソロ・ボーカルとでは、ポップスVSロックというぐらい雰囲気が違う。

古くからの硬派なARBファンが聴いたら「なんじゃこりゃあ〜っ?」みたいな感じだろうが、ここはまったく別物として聴いたほうがよさそうだ。

むしろこの曲を、そして他のいくつかの曲(「灰色の水曜日」「Bad News 悪い予感」「イカレちまったぜ!!」「ダディーズ・シューズ」)も含めてARBといういにしえのアーティストを、2011年の新作アニメの中で改めてフィーチャーした発想が、スゴいという気がするね。

筆者はARBを今からだいぶん前、まだ大学生だった80年頃(!)にライブを観たことがあるが、当時から骨太でビターな持ち味のバンドだなぁと思っていた。デビュー当時はキーボードも含めた5人編成で、後にチューリップへ流れて行った2人のメンバーも含まれており、だいぶんポップス寄りだった記憶もあるが、セカンド・アルバムあたりからロック指向にまとまってきて、当初の「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」(もちろん、ジャズのアーヴィング・バーリンの曲名が由来である)という名も捨て、ARBというシンプルなバンド名を選んだ。

ファン層もこの手のバンドにしてはどちらかといえば男性が多く、後続のボウイのようにはミーハーな女性ファンもつかず、特に大ブレイクするようなこともなく男ウケするバンドとして地道に活動していたが、彼らに影響を受けた後輩ミュージシャン達は意外に多いようだ。たとえばユニコーン。たとえば現在クロマニヨンズの甲本ヒロト&真島昌利。「日本語によるロック」というものを、はっぴいえんど流でもツイスト流でもサザンオールスターズ流でもなく独自のアプローチで追究していた姿勢に共感し、けっこう多くのフォロワーが生まれていったのだ。

筆者的には、そのメロディラインもちょっとユニークだなと感じることが多い。必ずしもブルース色が強いとは限らず、ときには日本的な陽旋法も織り交ぜて、民謡風のノリで日本のロックを生み出している。この「ROCK OVER JAPAN」 はその好例といえるんじゃないかな。ロックとは標榜しているものの、海外の人々が聴いたら、オリエンタルなものを感じるのではないかと思う。

日本語でロックするからには、日本流のアプローチでやっていいんじゃないか、そういう風にARBは、われわれに道を指し示してくれたんだと思う。

ピンドラのヒットのおかげで、ARBへの再評価の動きも出てきた。まさに温故知新である。

ライブ映像は、第3期後半のARBを知ることが出来る貴重なもの。石橋、白浜、浅田孟、KEITHらの一体となったパフォーマンスが実にカッコいい。トリプルHとはまたひと味違うARBの、ロック魂を感じてくれ。

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2011年11月5日(土)

#192 the pillows「When You Were Mine」(Swanky Street/キングレコード)

先週のARBほどではないが、1989年結成とこれまた息の長い日本のロック・バンド、the pillows(ザ・ピロウズ)の7枚目のシングル(96年リリース)より、カップリング曲を。プリンスの作品。

ピロウズはギターの山中さわお、真鍋吉明、ドラムスの佐藤シンイチロウの3名によるオルタナティブ・ロック・バンド(レコーディング等では、ベースの鈴木淳がサポートで入っている)。

格別のヒットがあるわけではないが、どちらかといえばクロウト受けのする幅の広いサウンドで、現在も根強い人気を保っている。

近年ではアニメ「けいおん!」の中で山中・真鍋を意識して作られた山中さわ子、真鍋和というキャラクターが登場したこともあってか、固定ファン以外にもその存在を広く知られるようになってきた。

商業バンドとしての「成功」は果たしていないが、一時休止期はあったものの、その22年という歴史は、彼らの確たる実力の証明であるといっていいだろう。

そう、22年間にシングル34枚、アルバム17枚(ベスト盤を除く)を生み出したそのパワーは、ホンモノだ。

さてきょうの一曲は、15年前に出したシングルに収録されたカバー・ナンバー。オルタナ・バンドのピロウズが黒人アーティストのプリンスをカバー? なんだか不思議な感じもするが、聴いてみると意外とイケるのだ、これが。

原曲はプリンスのサード・アルバム「Dirty Mind」(1980)に収録。当然、プリンスのあの挑発的な声、そして耳を刺激するエレクトリカルなアレンジがそこでは聴けるのだが、ピロウズ版は一転、まるで自分たちのオリジナルであるかのように、山中の素朴な歌声になじんだ一曲になっている。

まさにアレンジの妙。もともとギター・バンド用に作られた曲のようにさえ聴こえる。

まあこれは、元の曲の懐の深さをしめしているといえるし、また、ピロウズの引き出しの多さをしめしているともいえる。

プリンスは、マイケル・ジャクスンなどとともに、黒人でありながら、白人のロックも取り込んで従来の黒人音楽を越えた音楽を作り出したスーパースターのひとりだ。マイケルが輝かしい「光の王子」的な存在ならば、プリンスは常に毒をはらんだ「闇の王子」的な存在といえよう。このふたりは表裏一体、インアンドヤンみたいな関係にある。

プリンスの作る音楽世界は、明らかにレース・ミュージックとしてのブラック・コンテンポラリーを越え、黒人以外のリスナーの心をとらえた。

そしてその曲をピックアップしたピロウズもまた、従来のロック・バンドのフォーマットにこだわらない柔軟な音作りの出来る稀有なバンドだと思う。

この曲以外にも、サイモン&ガーファンクル、ルースターズ、コレクターズ、Mr. Childrenの曲をカバーレコーディングしているほか、ステージではビートルズ、ニルヴァーナ、バグルスの曲なども演奏してるとか。とにかく、守備範囲が広いのだ。

2004年には彼らへのトリビュート・アルバム「SYNCHRONIZED ROCKERS」もリリースされていることからわかるように、多くの後発バンドにも影響を与え、また慕われているピロウズ。強烈な個性があるというタイプではないが、ソウル、ロカビリー、ボサノバなどさまざまなジャンルの音楽をベースにした曲作りのセンスのよさは、さすがのものがある。ミュージシャンズ・ミュージシャンとは彼らのことだな、うん。

惜しむらくは、ヒットらしいヒットがないということ。。この2年ほどはコンスタントにシングル・リリースをしているのだから、ここいらでガン!とヒットを飛ばして欲しいものだ。

「邯鄲の枕」のような、イマジネーションに満ちた音世界をもつピロウズ。日本にもこんなハイセンスなバンドがあるんだから、ぜひ耳を傾けてほしい。

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2011年11月20日(日)

#193 ラリー・カールトン&松本孝弘「Room 335」(Live 2010 Take Your Pick at Blue Note Tokyo/335)

2010年、ラリー・カールトン来日時に企画されたコラボレーション・ライブより。カールトンの作品。

このふたりについては説明不要だろう。日米のトップ・ギタリストの共演。なんとグラミー受賞のおまけまでついた話題のライブ盤である。

オリジナルは78年の「Larry Carlton(邦題・夜の彷徨)」収録。カールトンの名刺代わりともいえる代表曲だ。

61年生まれの松本は当時17才。憧れのギタリストのフレーズを日夜コピーして、プロを目指していた時代である。その曲の中には、この「Room 335」も含まれていたはずだ。

その後、プロデビューを果たし、国内でもっともCDを売るアーティストへと昇りつめた松本だったが、30年以上、雲の上の存在であり続けたギターの大先輩からの、いきなりの共演の指名である。天にも昇る思いだったに違いない。

瓢箪からコマ、みたいなこの顔合わせ企画は、予想以上に高い評価を得て、見事グラミーまで取ってしまった。

もちろん双方のファンからは、いろいろと否定的な意見もあった。ことにカールトン・サイドからは「格が違うだろ」的な意見。また松本サイドからは「ラリー・カールトン? 知らねえな、そんなヤツ」的な意見もあった。

もちろん、ふたりの音楽性がぴったり一致しているわけではないし、師弟関係ともいいがたい。でも、松本がカールトンを聴いて、ギターの腕前をブラッシュアップしてきた事実を否定できるものでもない。

若いリスナーには「ギターを弾く初老のオジさん」くらいの認識しかないだろうが、やっぱりカールトンは特別にスゴい人なのだよ。

ギタリストのみならず器楽プレイヤーには「テクニック」と「フィーリング」という二大要素が問われるものだが、このふたつをともに持ち合わせている人は、なかなかいない。が、カールトンはデビュー当初から、このふたつを見事に兼ね備えていた。まさに、ギタリスト中のギタリストだった。

これは筆者の私見だが、松本孝弘というギタリストは、B'Zでデビューする前、スタジオ・ミュージシャンだった若いころからテクニック的には申し分なかったが、フィーリングのほうはどうかというと、まだまだ発展途上かなぁと思っていた。

人のフレーズならどんなものでも吸収消化してしまう器用さはあったが、それは彼自身のオリジナリティがどこにあるかわからないという、器用貧乏さにもつながっていた。

そんな松本も、今年50才。押しも押されもしない重鎮的な存在だ。もう、器用さだけでなく彼自身のカラーを前面に押し出していかなきゃいけない年齢だと思う。そういう意味で、大先輩はいいチャンスを彼に与えてくれた。

昨年のコラボがきっかけとなって、ホームだけでなくアウェイな環境でも活動をひろげていってほしいもんだ。それに見合った音楽の才能が、松本にはあると思う。

ところできょうご覧いただく映像は、ブルーノート東京でのステージより。おなじみのテーマを合奏→カールトンのソロ→松本のソロが応酬という流れで、終始リラックスしたムードで進んでいく。

ふたりともスクウィーズ・スタイルを得意とするギタリスト、ということもあって、サウンド上の違和感はほとんどない。カールトン・ファンにも松本のプレイは楽しめただろうし、松本ファンにもカールトンの音は十分なじめたのではなかろうか。

意外な顔ぶれが共演することで、それぞれのファンにも、ふだん聴くものとは違ったジャンルの音楽への理解が生まれる。

少し世代は違うが、彼らのギター・ミュージックへの愛は共通のものだ。ぜひ、そのコンビネーション・プレイの妙を味わってみてほしい。

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2011年11月27日(日)

#194 チャールズ・ブラウン&エイモス・ミルバーン「I Want To Go Home」(ACE)

ともにブルースシンガー兼ピアニストである、チャールズ・ブラウンとエイモス・ミルバーンによるデュエット曲。ブラウン=ミルバーンの共作。

59年にエースよりリリースされたシングル。日本ではほとんど知られることのない曲だが、実はポピュラー音楽史上、大変重要な曲なのだ。

まずは一聴願いたい。ね、ピンときたでしょ?

ブラック・ミュージック、いやポップス系の音楽を聴かれるかたなら、まず100%おわかりになると思うが、そう、かのサム・クックの名曲、「Bring It On Home To Me」の原曲ともいうべきナンバーなんである。

両者を聴きくらべてみると、若干のフレージングの違いこそあれ、コードやメロディの大半(おもに前半)は、この元ネタに忠実であることがわかる。一番大きな違いは、歌詞がまるごと新作であることと、テンポが大幅に違い、元曲がスローであるのに対し、クックのはミディアムであることだろうか。

デュエットする二人のアダルトな雰囲気もあいまってか「I Want To Go Home」は非常にまったり、しみじみとした「望郷の歌」になっている。それに対し「Bring It On Home To Me」は、失恋というテーマを前面に押し出した歌に仕上がっている。

クックは元歌のブルースっぽさを極力おさえて、歯切れのよい歌い口により、いかにもソウルフルな歌へと生まれ変わらせている。これぞ、ミスター・ソウルの面目躍如といったところか。

ブルースが「おっさん」の歌なら、ソウルは若さ、血気にあふれた「あんちゃん」の歌。その躍動的なリズム感で、過去のブラック系ミュージシャンをすべてけちらし、あれよあれよという間にスターダムにのし上がったのも、むべなるかな。

ブラウン、ミルバーン、あるいはファッツ・ドミノのようにピアノを弾きながら歌うスタイルでなく、また多くのブルースマンのようにギターを弾きながらでもなく、スタンダップで身振り手振りも自在な歌唱スタイルをとった彼こそ、60年代、つまりテレビの時代をリードするスターたりえたのだ。

ブルース、R&Bの時代から、ソウルの時代へ。その立役者だったサム・クックも、まったくゼロの状態から新しいサウンドを、魔法のようにひねり出したわけではない。

過去のブルース、R&B、ゴスペル、そういった自分がリスペクトしてきたものをベースに、新しい発想で新しいアレンジを加えて生み出されたもの、それが60年代のソウル・ミュージックなのだ。

まさに結節点の時代にリリースされた名曲、「I Want To Go Home」。クックとはひと味もふた味も違った、「おとな」の音を楽しんでみてほしい。

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2011年12月4日(日)

#195 ジェイムズ・コットン「Buried Alive In The Blues」(GIANT/Alligator)

ジェイムズ・コットン、2010年のアルバムより。ニック・グレイヴナイツの作品。

コットンは1935年生まれの76才。説明するまでもなかろうが、50年代後半、マディ・ウォーターズのバックで名を上げ、60年代後半からは自らのバンドを率いて活躍してきたブルースハープの大御所。シンガーを兼ねていたが、喉頭がんをわずらったためかすれ声となり歌うことが出来なくなって久しい。が、ハープのプレイのほうは健在、現在もレコーディングにライブにと、精力的な活動を続けている。バリバリの現役なのだ。

さて、現時点での最新アルバムは、彼自身のバンド「ジェイムズ・コットン・ブルース・バンド」の演奏によるもの。

きょう聴いていただく曲は、ジャニス・ジョプリンの遺作「パール」に収められていたナンバー。レコーディング中に彼女が亡くなってしまったため、歌抜きのインストゥルメンタルとして収録せざるをえなかったという、いわくつきの曲なのである。タイトルの特殊性とあいまって、まさに彼女の「葬送曲」として作られた曲のような印象を与えてしまったわけだが、もちろん、そういう意図で作曲されたわけではない。

エレクトリック・フラッグのボーカリストとしても活動していたニック・グレイヴナイツのペンによるこの曲は、もともとアップテンポで威勢のいい曲調。けっして、しんねりとした雰囲気のナンバーではない。

筆者が考えるに、白人女性ながらブルースという「生き方」を決然として選んだジャニス・ジョプリンのマニフェストを、代弁するかたちでグレイヴナイツが作った歌なのだと思っている。

だから、このうえなくアグレッシブで力強いのだ。

ジェイムズ・コットン版「生きながらブルースに葬られ」はコットンのかわりにバンドのギタリスト。スラム・アレンが歌っている。ちょっと軽快明朗にすぎるかなという感じはあるが、非常に勢いのある歌いぶりだ。ノエル・ニール、ケニー・ニール・ジュニア(名前からわかるように、ルイジアナのブルースマン、ケニー・ニールの兄弟と息子だ)のリズム・セクションも、ごきげんなシャッフル・ビートを聴かせてくれる。

そしてなにより、御大ジェイムズ・コットンのブロウが文句なしに素晴らしい。70代半ばとはとても思えない、もたつきのないパワフルなブロー。おなじみの速いパッセージを連発して、健在ぶりを見せつけてくれている。

「ジャイアント」というアルバム・タイトルは、そのままブルースの巨人、ジェイムズ・コットンのことを意味しているのだろう。老いや病などものともせず、ブルース道をひた進む綿爺、ハンパなくカッコええ!

2011年12月11日(日)

#196 ハウリン・ウルフ「Spoonful」(Howlin' Wolf/MCA)

先週4日、ヒューバート・サムリンが亡くなった。80才だった。

サムリンといえばウルフ。彼らは50年代の前半よりタッグを組み、ウルフが76年に65才で亡くなるまで一緒に活動を続けた刎頸の仲だ。

親子ほど年齢が違っていたが、ウルフは実の息子のようにサムリンをかわいがり、ウルフの葬式のときには、サムリンが息子扱いで列席したくらいだ。

サムリンはウルフよりも相当長生きして天寿を全うしたが、今ごろ天国では二人がようやくの再会を喜び、さっそくジャムっているに違いない。

サムリンというギタリストは、テクニック的には突出したところはなかったが、別の意味では、非常に革新的な存在だったと思う。

ブルースマンはおおむね自分でギターを弾くが、ウルフの場合は自分でも少しリズムギターを弾くものの、ほぼサムリンに任せ切っていた。

ボーカルとギターの因数分解。これが従来の弾き歌い型のソロ・ブルースマンとは違い、新鮮だった。

このスタイルだと、歌い手は身振り手振り、いわゆる派手なアクションでオーディエンスにアピールすることが出来る。ステージングも、華やかなものとなる。

彼らのやり方に影響されて、ジャガー&リチャーズ、プラント&ペイジ、ダルトリー&タウンゼントといった白人ロッカーのコンビ、さらには日本でも清志郎&チャボ、ヒロト&マーシーのようなコンビが続々登場していったと言えよう。

さらにいえるのは、サムリンはあまたいるブルース・ギタリストの中でも、ギターを弾く立ち姿がずばぬけて格好よかったということだ。

中年のオッサンが多いブルースマン連中の中では20代前半と若く、長身、スマートでイケメンなサムリンは、かなり目立っていた。いわば元祖ビジュアル系ブルースマン。

十代の頃のクラプトン、ペイジ、ベック、リチャーズらは、ジェイムズ・バートンやスコッティ・ムーアみたいな白人アダルト・ギタリストよりもサムリンのほうをカッコいいと思っていた。それこそ写真をピンナップにするくらいの憧れかたで。

筆者も一度だけ、2001年5月のブルース・カーニバル(@日比谷野音)で生のサムリンを観ることが出来たが、ダンディぶりは健在で、背筋がピシッと伸びていて、70才目前とは思えない若々しさがあった。文句なしにカッコいいんである。

プレイのほうも、ものすごくテクがあるわけではないが、とにかく意表をつくような音の選び方をし、自由奔放に演奏するサムリンに、みな度肝を抜かれていた。そう、あの天才ジミ・ヘンドリックスでさえも。

そのへんは以前、当HPの「週刊ネスト」でも取り上げたのでぜひ読んで欲しいが、そういう意味で白人のロックにもっとも大きい影響を与えたブルース・ギタリストのひとりだったのだよ、サムリンは。

サムリンのブルース本来の「お約束」を無視したかのようなトリッキーなプレイは、彼ら白人ロッカーたちに「ギターってどんな弾き方をしたっていいんだ」という確信を与えてくれたのだと思う。

さて、きょうの一曲は通称「ロッキンチェア・アルバム」に収録された60年録音のナンバー。ウィリー・ディクスンの作品。

ウルフ、サムリンの他にオーティス・スパンのピアノ、作者ディクスンのベース、フレッド・ビロウのドラムスという黄金の布陣だ。

ウルフの咆哮に負けない、ソリッドでシャープなサムリンのギター・プレイがリスナーを捉えて離さない。

リズム楽器としてのギターを越えて、ソロで勝負するリード・ギター、ボーカルとさえ拮抗するギター・スタイルが、当時のサムリンによって確立されたといえる。

クリームでのクラプトンのプレイもたしかにスゴい。でも本家の音も、ハンパなく衝撃的だ。ビートルズ、ストーンズさえ登場していなかった1960年にこのプレイをしていたウルフ&サムリンは、真の意味でパイオニアだったといえる。

筆者も個人的に師と仰ぐサムリン殿。80年間、生涯現役でわれわれにカッコいい音楽を提供してくれて本当にありがとう。あなたを継いで、これからもイカした音楽を追究していくからね。

2011年12月25日(日)

#197 ココ・モントーヤ「Am I Losing You」(Gotta Mind to Travel/Blind Pig)

今年もあとわずか。おそらくこれが今年最後の更新になると思うが、クリスマス・デーに聴くのは、あえてブルース(笑)。

きょうの一曲は、アメリカの実力派シンガー/ギタリスト、ココ・モントーヤのデビュー・アルバムより。モントーヤの作品。

モントーヤは1951年、カリフォルニア州サンタモニカ生まれの、当年60才。

多くのブルース系アーティスト同様、一人のローカル・ミュージシャンに過ぎなかったモントーヤの運気が一気に上がったのは、彼のナイトクラブでの演奏を、たまたまアルバート・コリンズが聴いたことに始まる。コリンズに気に入られて彼のツアーバンドに加入。モントーヤはなんと当時、ギタリストではなくドラマーだったという。

バンドメンバーとしてのおつとめが終わった後もコリンズとの付き合いは続き、ギターの手ほどきも受けたというから、実にラッキー・ガイであるな。

80年代にはギタリストとして、地元のバンドで活動するようになる。そして彼にとって、人生二度目の幸運が舞い込む。

クラブで演奏していたところ、ジョン・メイオールが来店。憧れのアーティストへの敬意を捧げて「All Your Love」を演奏したところ、メイオールはこれをいたく気に入り、かつてクラプトン、グリーン、テイラーらを見染めたときのように、「おれのバンドに入らないか」との誘いをモントーヤにかけたのである。もちろん、そのバンド名はブルースブレイカーズ。

85年以来モントーヤはメイオールのもとにて活動、10年後に独立して、このファースト・ソロ・アルバムを世に出したのだ。時にモントーヤ、44才。

ホント、絵に描いたようなシンデレラ・ボーイなサクセス・ストーリーなのだが、それに十分値いするだけの実力が、歌と演奏から感じられる。本当に安定したボーカルとギターなのだ。

強烈な個性みたいなものはあまりないのだが、常に平均点以上を獲得できるスキルの持ち主。それがモントーヤ。

これはごく個人的な意見だが、英国でいえばゲイリー・ムーアに通じるところがあるように思う。世代もほぼ同じだし(ムーアがひとつ年下)、歌の雰囲気、ギターのスタイル、曲作りのセンスなど、同じような音楽を聴いてきただけに、出身国の違いはあっても、共通したものが感じられるのだ。

ふたりとも、ものすごく器用なだけに、自分ならではの独自なカラーがないという点も、似通っているような気がする。

きょうの一曲も、ムーアがお得意としているマイナー系R&B。芸風かぶりまくりではあるが、いいものはいい。

ワイルドだがコクのある歌声、王道な泣きのギター。新味はないけど、これがプロの仕事だと思う。

コリンズにメイオール。師匠に比べるとまだ全然知名度はないが、60代を迎え、これからがミュージシャンとしての正念場だろう。

ブルースをもちろん基本としているがそれにこだわり過ぎず、幅の広いスタイルでロックしている姿勢が彼には感じられる。ブルースマンという枠組みにおさまらない、スケールの大きな活躍を期待したい。

2012年1月8日(日)

#198 エッタ・ジェイムズ・ウィズ・スティーヴ・ウィンウッド「Give It Up」(The Right Time/Elektra)

明けましておめでとう。今年もよろしく。2012年の第一弾は、これだ。

ベテラン女性シンガー、エッタ・ジェイムズ、90年のアルバムより。ハリー・ウェイン・ケイシー、ジョー・サンプル、アラン・トゥーサンの作品。

エッタ・ジェイムズは38年LA生まれの73才。「一日一枚」でも一回彼女を取り上げたことがあるので(2002年6月30日)、そちらも読んでほしい。アフリカ系黒人とイタリア系白人のハーフで、ブルース、R&Bの女王として50〜60年代に君臨した彼女は、その後も精力的にアルバムをリリースし続け、現在に至っている。

最近では、自分の中の白人的要素を意識したのか、あるいは年齢的なものか、激しいソウルフルなものから、ジャズィな作風に移行しているが、きょうの一曲はまだエネルギッシュにソウルしていた頃(エッタ52才)のナンバー。

ゲストとして、既にソロデビューして10年以上が経っていたスティーヴ・ウィンウッドを迎えている。

ふたりの年齢差は10才。歳の離れた姉と弟ってところだが、このコンビネーションが実に見事だ。ともに名うてのシャウター、姉貴が唸れば、弟も負けじと吠え返す。

もちろん、曲の素晴らしさ(実に豪華なライター・チームではないか!)があってのこそだと思うが、あまたある「Give It Up」のカバーの中でも、特筆すべき出来ばえだと思う。

いまでもバリバリの現役で活躍しているという点で共通している二人だが、残念ながら日本ではいまひとつ英米ほどの突き抜けた人気がないのも似ている。

ウィンウッドは昨年も来日しているが、クラプトンとの抱き合わせ(一応、ブラインド・フェイスの再結成みたいな扱いになっているが、明らかにクラプトンの人気に大きく依存しているよな〜)でしか、大きなハコでやれないのも、ちょいと残念。

はっきり言って、クラプトンじゃあ、エッタとデュオしようとしてもまったく太刀打ち出来ないっしょ。歌い手としての実力は、明らかにウィンウッドの方が上である。

単に黒人っぽいフィーリングがあるとか、そういうレベルを遥かに越えて、ウィンウッドの歌(ソウル)は、ハンパなくスゴい域に達している。同じ歌い手なら皆そう思うはず。

もちろんエッタは、さらにその上を行き、年齢を重ねるほどに、誰も追いつけない高みに到達している。某極東の島国のゴッ●姐ちゃんに、エッタの歌を聴かせて、教えてやりたいぜ。「あんたのソウルは40年間成長がない」って。

世の中、上には上がある。ソウルを語るなら、まずこの魂の姉弟(きょうだい)を聴いてからだ。

2012年1月14日(土)

#199 アール・フッカー「The Foxtrot」(Smooth Slidin'/CLP)

ブルース・ギタリスト、アール・フッカーによるインスト・ナンバー。フッカー自身の作品。

アール・フッカーは29年、ミシシッピ州クラークスデール生まれ。デルタ・ブルースの故郷の地から、家族と共にシカゴに移住したのが、10代はじめの41年。以降、デルタ・ブルースとシカゴ・ブルースの両方を聴いて育ち、特にスライド・ギターの名手、ロバート・ナイトホークに強い影響を受ける。

自らもスライド・ギターを弾くようになり、50年代後半からプロとしての活動を開始。おもに他のアーティスト、たとえばジュニア・ウェルズ、マディ・ウォーターズといったブルースマンのバッキングで名を上げ、自らのリーダー・アルバムもリリースするようになる。

きょう聴いていただく「The Foxtrot」は、その題名通り、ダンススタイルの一種、フォックストロットをモチーフにした軽快なシャッフル・ナンバー。初出は彼の67年のデビュー・アルバム、「The Genius Of Earl Hooker」。

ここでフッカーは、いつものスライドではなく、指弾きによるスピーディな演奏を聴かせてくれる。リズム感といい、アタックといい、スライド・プレイにまさるとも劣らぬ見事な出来映えだ。

指弾きよし、スライドよし、さらにはダブル・ネック・ギターを弾きこなしたパイオニアでもあり、とにかく彼に死角、弱点はなかったといえよう。

テクニックとフィーリング、その両方を兼ね備えた最上級の奏者のことをヴァーチュオーゾと人は呼ぶが、アール・フッカーこそはまさにその呼称にふさわしいプレイヤーだった。B・B・キングでさえ、フッカーのスライド・プレイには憧れたという。

70年に41才の若さで亡くなってしまったのが、本当に惜しまれる。彼ならば、生きていればさらにスゴい演奏を残してくれたはずだ。

ほんの2分たらずのナンバーに込められた、並々ならぬ気迫を、とくと聴いとくれ。

2012年1月22日(日)

#200 カーク・フレッチャー「Bad Boy」(Shades of Blue/Delta Groove Productions)

皆さん、いつも応援ありがとう。ついに、記念すべき200曲目である。西海岸出身の黒人ブルースマン、カーク・フレッチャー、2004年のアルバムより。エディ・テイラーの作品。

カーク・フレッチャーは1975年カリフォルニア州ベルフラワー生まれの36才。若手ブルースマンとしては注目株のひとりだ。

兄の影響で幼少よりギターを弾き始め、10代にしてすでにプロ活動をしていたというから、非常に早熟な才能の持ち主である。

2004年からは同じく西海岸出身のギタリスト、フランク・ゴールドワッサーやキッド・ラモスとともにザ・マニッシュ・ボーイズという超実力派ブルース・バンドに参加する一方、自身のアルバムも地道にリリースしている。

マニッシュ・ボーイズと同じインディーズ・レーベルからリリースした一番最近のアルバム「Shades of Blue」では、自分が影響を受けたブルースマン、B・B・キング、ウィリー・ディクスン、ジミー・ドーキンス、MG'Sなどのカバーを数多くやっていて、若いのにいかにもピュア・ブルース指向なところを見せてくれているが、その中でもきわめつけは、エディ・テイラー作のこの曲だろう。

皆さんにはクラプトンのバージョンでおなじみだろう。エディ・テイラーならではの愚直なまでにステディなビートが、まさにピュア・ブルースな名曲。これをカークが、しっかり自分のものにしている。

ワイルドで張りのある歌声、ひたすらソリッドでシャープなストラトキャスターの音色、30前の若者とはとても思えぬシブカッコよさだ。巨体にヒゲ面と、ちょっとコワモテのルックスで、貫禄も十分。

バックの、やけに野太いハープもそのサウンドに実にマッチしていて、お見事。これだけ骨太なブルースは、最近なかなか聴けないだけに、うれしい限りだ。

近年ではキム・ウィルスン率いる人気バンド、ファビュラス・サンダーバーズにもゲスト参加するなど、その才能を広く認められてきたカーク・フレッチャー。ブルースとは何かを、体で知っている正統派プレイヤー、今後の活躍が本当に楽しみだ。


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