音曲日誌「一日一曲」


ノン・ジャンル、新旧東西問わず、その日聴いた曲についての感想文です。

2007年6月10日(日)

#1 アルバート・キング「Call It Stormy Monday」(BUES AT SUNSET/STAX)

本日より、この新コーナー、音曲日誌「一日一曲」を始めさせていただきます。

皆さま、これまでの音盤日誌「一日一枚」同様、ご愛読よろしくお願いいたします。

さて、第一回の今日はこれ。ブルース・スタンダード中のスタンダード、「ストーミー・マンデイ」。

オリジナルはもちろん、Tボーン・ウォーカーだが、これを東の横綱とするならば、唯一タメを張れる西の横綱は、この人だと思う。キング・オブ・ブルース・ギター、アルバート・キング。断じて、オールマンズなどではないと思う。

アルバート・キング・バージョンの特徴は、コード進行がいわゆるストマン進行ではなく、通常の3コード・ブルース進行であること。また、アレンジもTボーンのジャズィなそれに比べて、ぐっとオーソドックスな、スローのシャッフルである。

そのため、Tボーンより、ずっとブルース色の濃いものとなっている。

Tボーンの都会性、洒脱さに対して、もっと日常的で生活感があるのがアルバート版。

アルバートはこの曲を結構気に入っていてライブの定番としており、いくつかのバージョンがあるのだが、筆者的に気に入っているのは、スイスのモントルーにてのライブ(73年)。

その、燻製の肉を思わせる(?)スモーキーな味わいあるボーカルはいうまでもないが、気合一発、瞬発力では誰にも負けない、エモーショナルなギター・プレイも圧巻のひとこと。

必聴の一曲であります。

2007年6月16日(土)

#2 ザ・マーク・マイケル・バンド「Emerald Ace」(Steppin' Stone/Note)

「一日一曲」、今回は日本ではおそらくほとんど知られていない、英国のバンドのご紹介。

「ザ・マーク・マイケル・バンド」である。

ギター、ボーカル担当のマーク・シムキンス率いる4人組。ベースのスティーヴィ・ストークス、キーボードのロジャー・コットン、ドラムスのスティーヴ・ジェームズ。いずれもいくつもの有名バンドでのキャリアをもつ、実力派ぞろいだ。

ジャンル的にはブルース・ロックに入るのだが、サウンドのニュアンスとしてはHR/HMにもかなり近い。

メンバーに誰も「マイケル」という名の人間がいないのに、マーク・マイケル・バンドとはこれいかに?という感じだが、筆者が推測するに「マイケル・シェンカー」へのリスペクトをこめて命名したのじゃないかと思う。

そのくらい、今年48才のシムキンスのギター・プレイには、マイケルの影響が色濃いのである。

ことに、今日紹介する「Emerald Ace」(2002)にはそれが顕著だと思う。マイケル以外には、リッチー・ブラックモア、ゲイリー・ムーアあたりの影響も感じないではないが、やはりマイケルの影響は絶大で、それだけにシムキンスのテクニックには確かなものがある。

歌のほうは、ものすごくウマいというレベルではないが、ちょっと鼻にかかったような声でシャウトする歌には、彼ならではのオリジナルな魅力がある。

他の曲ではアコースティックなサウンドを展開したり、ブルーズィな世界を見せたりと、引き出しも多い。

オジサン・ロッカーの急先鋒として、これからの活動が見逃せないひとりだ。サンプル音源で、ぜひチェックしてみて欲しい。

Note-Musicによる紹介ページ

2007年6月24日(日)

#3 ザ・ジェフ・ヒーリー・バンド「Badge」(Cover to Cover/Arista)

前回、イギリスのブルースロック・バンドを取り上げたので、今回はカナダのブルースロック・バンド。

66年トロント生まれ、今年41才のギター/ボーカルのジェフ・ヒーリー率いるスリーピース・バンド、それがザ・ジェフ・ヒーリー・バンドだ。

彼は生後まもなく目を患い、盲目となったのだが、耳の力だけを頼りにギターをマスターし、17才でバンドを結成。メンバーは同郷のジョー・ロックマン(b)、アメリカ人のトム・スティーブン(ds)。インディーズでデビュー後、アリスタ・レコードに認められ、22才でメジャー・デビューしている。

そのプレイはまさに「心で弾く」というべきもので、エリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリクス、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、ジョン・フォガティ、ビートルズなどの先人の影響を強く受けながらも自由闊達、迫力にあふれたものだ。

実年齢のわりにオールド・スクール寄りなのは、ギターを始めた3才、つまり69年頃、ラジオで流れていた曲を手当たり次第にコピーしていったことによるようだ。

ふつーの若者はティーンエージャーになってロックに開眼するものだが、彼はまるまる10年早かったということやね。

そんな彼が95年、29才になる年にリリースしたアルバムがある。題して「Cover to Cover」。

前述したような、自分がリスペクトするアーティストの曲ばかり14曲、ズラリとカバーしてみせた一枚。

基本的には原曲に近いアレンジながらも、彼なりのセンスを生かした味付けをほどこして、一曲一曲が聴いていて実に楽しい。歌もイケる。

そんな中から、今日お聴かせするのは、クリームの「バッジ」のカバー。

あの名曲を「ピアノを使わずに」スリーピースのみで演奏しているのがミソであります。

究極の耳コピの達人・ジェフ・ヒーリーの、魂のプレイを聴いとくれ。

2007年6月30日(土)

#4 ザ・スウィート「My Generation」(Hot and Slow/Silver Sounds)

今回取り上げるのは、70年代に活躍していたイギリスのロック・バンド、ザ・スウィート。

そう、「ブロックバスター」「フォックス・オン・ザ・ラン」「アクション」「愛は命」といった多くのヒット曲を持つ、4人組である。

82年に解散したが、いまでも結構根強い人気がある。バンド名が象徴する甘いポップな曲調と、ハードなサウンドが渾然一体となって、独自の魅力を生み出している。

そんな彼らが2000年にリリースしたのが、過去のレコーディングをコンピした「Hot and Slow: Sweets, Glams & Glitter Rocks」というアルバム。これにザ・フーのカバー、「My Generation」が収められている。

ザ・スウィートとザ・フー、それもごく初期のモッズ・バンドだったころのザ・フー。だいぶん系統が違う気もするんだが、聴いてみると意外やいける。

この曲のキモはやっぱりボーカルで、一聴してアッパーな感じ、でもどこかダルなものも感じさせる、ほどほどのユルさがあるとキマるのだが、ザ・スウィートのリード・シンガー、ブライアン・コノリー(残念ながら故人)は、そのへんを実にうまく表現している。

バックコーラスの、ちょっとふてくされたような雰囲気も、◎。

この曲の生み出されてきたバックグラウンドを知る、40年代生まれのロッカーならではの、すぐれたトリビュートだと思う。

アレンジは基本的には原曲をふまえているが、エンディングではかなり「お遊び」をしている。このへんも聴きもの。

2007年7月8日(日)

#5 フィリップ・ウォーカー「Happy Man Blues」(Going Back Home/Delta Groove Productions)

1937年生まれ、今年70才のベテラン、フィリップ・ウォーカーの最新作(2007)である。

フィリップ・ウォーカーというと、コアなファンでもない限り、知っている人は少ないだろうが、実に経歴豊富なミュージシャンなのだ。

ルイジアナ州ウェルシュに生まれ、50年代はN.O.でクリフトン・シェニエのバンドに参加。その後、ロサンゼルスへ拠点を移す。ヒュー・ヘフナーのPLAYBOYレーベルにて初ソロアルバムを録音。79年に初来日を果たし、ピットインでのライブはCD化されている。

その後も、ときには何年かインターバルを取りつつも、地道にアルバムを発表し続けている、超ベテラン。

ルイジアナ出身ながら、そのプレイはかなりテキサス系のブルースマンに影響を受けているようだ。たとえばライトニン・ホプキンス、ロング・ジョー・ハンター、ゲイトマウス・ブラウン。

決して斬新なスタイルではないが、ツボをおさえた歌とギターには、なかなか通好みのものがある。

さて、今日お聴きいただくのは、パーシー・メイフィールドのナンバー、「Happy Man Blues」。

ピアノ、サックスをフィーチャーしたジャズィなサウンドをバックに、ゆったりと歌うウォーカー。

うんと上手いわけではないけど、彼の塩辛い声ってとっても「ブルース」を感じさせるのである。適度にレイジーで、リラックスしていて。

間奏のギター・プレイも、力まず、よく歌っている。なんていうか、彼のエッセンスをちょっとだけ披露してみたという感じで、さりげない味わいがある。

筆者も70才になったら、こういうふうに淡々と、飄々とブルースを奏でるチャンジーになりたいものであります。

2007年7月15日(日)

#6 シェンカー・パティスン・サミット「The Hunter」(Endless Jam/Mascot)

ギタリスト中のギタリスト、マイケル・シェンカーの一番最近のグループがこれ。ボーカルのデイヴィ・パティスンとのコラボによる、シェンカー・パティスン・サミットざんす。2006年リリース。

60〜70年代ロックをトリビュートした企画もの。たとえば、「いとしのレイラ」、「アイム・ルージング・ユー」、「バッジ」、「ディア・ミスター・ファンタジー」といった具合。はっきり言って、何も目新しいことはやっておりません。もう、ひたすら王道HR/HMを突き進むのみ、そんな感じであります。

そんな中でも、とりわけ「フルーい」感じの一曲がこれ。いや、別にけなしてるわけじゃなくて、お酒と同じで年代もののほうが、絶対味わい深いんであります。

「ザ・ハンター」といえば、おおかたの皆さんにとってみれば、ポール・ロジャーズのいたバンド、フリーの曲というイメージが圧倒的でしょうが、この曲、もともとはブッカー・T&MG'Sの四人のメンバーの共作。

それをアルバート・キングが歌い、世間に知らしめたわけで、もともとはファンキー系のブルース。で、ご存知のようにフリーが、ブルース・ロックとしてアレンジ、以後そのイメージが定着したのですわ。

さて、マイケル師匠はといえば、あくまでも自分のスタイルを固守。実は30年前に録音されたと聞かされても全然不思議でないくらい、超ワンパタにハードロックしとります。あくまでも「お約束」は外しておりません。

この曲、一方では、パティスンがポール・ロジャーズばりの黒いフィーリングのある歌を聴かせてくれます。そういう意味では、けっこうブルースを感じさせる一曲。

ガキのころはやれハードロックだ、ヘビメタだ、パンクだなどとツッパっていても、50凸凹のオヤジになれば、ブルースが不思議と似合ってくる。そういうものなんでしょう。

ファンキー系不良オヤジのテーマ・ソングには、この「ザ・ハンター」。ちょいと出来過ぎの気もしますが、なかなかマッチしてません?

2007年8月5日(日)

#7 スタン・ウェッブ「Strange Situations」(Webb/Indigo)

しばらく更新が滞ってしまった。スマソ。

3週間ぶりの一曲はこれ、スタン・ウェッブ2001年リリースのソロ・アルバム「Webb」より、「Strange Situations」ナリ。

スタン・ウェッブといえば、フリートウッド・マック、サヴォイ・ブラウンとともに、「3大ブリティッシュ・ブルース・バンド」と呼ばれていた、チキン・シャックのリーダー。

チキン・シャックっつーと、日本にも同名のフュージョン・グループがあったけど、もちろんこちらが先だ。

また、チキン・シャックには、のちにマックに移ったクリスティン・パーフェクト(マクビー)が在籍していたことでも知られており、ウェッブはサヴォイ・ブラウンにいたこともある。この3バンドは、非常に近しい関係にあったってことやね。

さて、ウェッブは66年にメジャーデビューしているから、もう40年選手。派手な人気を博したことは一度もないが、地道にブルース道を歩んで、今年61才。まさにブルースに一生を捧げる男なのだ。

アルバム「Webb」では、盟友フレッド・ジェイムズとのコラボにより、ほとんどの曲を生み出している。この「Strange Situations」も同様。

愛器レスポール・スタンダードを抱き、熱唱するウェッブ。その歌声を聴くに、硬い発音とか表現スタイルとか、やっぱり白人だなぁ〜という感じはするけど、黒人ブルースマンとはまた違った魅力がある。線がやや細いけど、端正な印象のブルース。

結局、そのひと、そのひとなりのブルースがあるということやね。

愁いを含んだマイナー・メロディが◎なこの曲、泣きのギターもいい感じ。流行りのサウンドではないけど、不易なものならではのよさが、そこにはある。

あえてブルース・スタンダードのカバーに頼らず、セールス的には不利を承知で、オリジナルで勝負した心意気に拍手したい。

ベテラン・ブルースマン、今も健在なり。

2007年8月11日(土)

#8 ザ・バンド featuring ボビー・チャールズ「Down South In Neworleans」(The Last Waltz/Warner Bros.)

皆さんご存じ、ザ・バンドのアルバム「ラスト・ワルツ」からの一曲。

ザ・バンドのラスト・ステージにゲストとして登場したのは、本欄でも取り上げたことのある(2001.4.28の項参照)白人シンガー、ボビー・チャールズ。彼が、カントリー界の大ベテラン、ジム・アングリン、ジャック・アングリン、ジョニー・ライトの作品「Down South In Neworleans」を自分流にアレンジ、ザ・バンドの面々を交えて大合唱。これがいかにもニューオリンズっぽい、いなたいサウンドで◎なんだな。

ボビー・チャールズ。38年、ルイジアナ州アビーヴィルの生まれ。以前にも書いたように、チェスの白人シンガー第一号として、50年代より活躍。白人・黒人、音楽のジャンルを問わず、さまざまなミュージシャン達と交流があった。

白人でいえば、前述のアングリン・ブラザーズ、ジョニー&ジャックのようなカントリー系。黒人でいえば、ファッツ・ドミノ、デイヴ・バーソロミューのようなN.O.のR&B系。

70年代には、所謂ウッドストック派のアーティスト、ポール・バターフィールド率いるベター・デイズ、そしてザ・バンドらとも親交を深める。

まさに、ジャンルフリーの、クロスオーバーなミュージシャンの元祖といっていいだろう。

で、この曲を聴いて感じるのは、黒いフィーリングを持ちながらも、やはり白人、カントリー的な要素を抜きにボビー・チャールズの(そしてザ・バンドもそうだが)音楽は成立しないということ。

日本において、ブラック・ミュージック好きな人々の中には、あからさまにカントリー的なもの、白人的なものを嫌悪するひとが結構いるのだが、それってすごいナンセンス。

白人音楽、黒人音楽は、相互に隔離状態におかれたまま、おのおの独自に発展したものではなく、常におたがいを意識し、刺激を与え合いながら成長してきたのだ。

ラジオから流れてきた曲は、それがどんな人種・民族が生み出したものであれ、いかしたものならば遠慮なく取り込んでいく、そういうゴッタ煮性こそが、アメリカ南部に育った音楽の本質なのだと思う。

ボビー・チャールズは、まさに南部音楽の象徴とでもいうべき人物。

このライブでは、もうひとりのクロスオーバーなミュージシャン、ドクター・ジョンのピアノもフィチャーされ、非常に豪華な演奏だ。フィドルやアコーディオンも実に効果的に配されている。

チャールズ、ヘルムらが軸となった分厚いコーラス、短くとも、聴き応え十分な一曲であります。

2007年8月18日(土)

#9 スティーヴン・スティルス「Love The One You're With」(Stephen Stills/Atlantic)

スティーヴン・スティルスのソロ・デビュー作「Stephen Stills」から、A面トップ、初ソロ・シングルでもある「Love The One You're With(愛への讃歌)」を。

スティーヴン・スティルスについて、くだくだしい説明など不要だろう。バッファロー・スプリングフィールド、CSN&Yにおいて、リーダー的な存在感を発揮してきたこの男。でもスターというよりは 地道なミュ−ジシャンというイメージなんだな、筆者においては。

いかにもヤサ男なんだけど、彼がおそらく大目標にしていたであろう、エルヴィス・プレスリーみたいな万人向きの人気者というよりは、人によってちょっと好き嫌いの分かれるクセ者タイプ。歌声にしても、誰もが「うまい!」というよりは、評価がふたつに分かれるところがある。

スティルス本人は、ストレートなタイプのスターになりたかったのかも知れないけどね。

でも逆にいうと、それがスティルスなりの「個性」なんだろう。

なんていいますか、ものすごくベタな白人的要素、つまりフォーク、カントリー的なものへの傾倒が一方にありながら、その一方で黒人音楽、とりわけソウルへの入れ込みかたはハンパじゃない。

それは、このデビュー・ヒットを聴けば、よくわかるはずだ。

白人向けにだいぶんフォーキーな味付けはしてあるものの、その躍動感、グルーヴは、まさにソウルのそれ。

アコギやオルガンの響き、女声コーラスなど、寸分の隙もない見事にソウルなアレンジに、ただただ脱帽であります。

アイズリー・ブラザーズ、ボラニー・ブラムレット、ビリー・エクスタイン、ジョー・コッカー、アリサ・フランクリン、エンゲルベルト・フンパーディンク、トニー・オーランド(ドーン)、ミーターズ、サム&デイヴ、シュープリームス、スリー・ディグリーズ、ルーズヴェルト・サイクス、ルーサー・ヴァンドロス‥‥。この曲をカバーしたアーティストたちである。

人種、音楽ジャンルを越えて、ここまで支持された白人作のソウル・チューンは。なかなかないよね。

スティルスの数多い作品の中でも、ひときわ輝く金字塔。文句なしの名曲であります。

2007年9月2日(日)

#10 ロイ・ブキャナン「After Hours」(Second Album/Polydor)

ブルース・ファンなら一聴しておわかりだろうがこの曲、ブルース党には、もっぱらピー・ウィー・クレイトンの「Blues After Hours」というタイトルで親しまれている。

が、ピー・ウィーのオリジナルではなく、もともとはビッグバンド・ジャズのナンバー。

戦前から活躍している、アースキン・ホーキンス楽団のリーダー、ホーキンスが、ピアニスト、エイヴリー・パリッシュとともに書いたブルースなのである。

タイトル通り、アフター・アワーズ・セッションのリラックスしたムードをぷんぷんと匂わせる曲調が、ジャズ界のみならず、さまざまなジャンルのミュージシャンに支持される。

おもだったところを上げるだけでも、ローリー・ベル、レイ・ブライアント、バック・クレイトン、ランディ・ブルックス、オスカー・ピータースン、ハンク・クロフォード、ディズィ・ガレスピー、ロイド・グレン、ベニー・グッドマン、ロイ・ヘインズ、ウディ・ハーマン、ジュールス・ホランド、アール・フッカー、ユタ・ヒップ、イリノイ・ジャケー、クインシー・ジョーンズ、ロニー・ジョーダン、ロバート・ロックウッドJr、ジミー・スミス、パイントップ・パーキンス、エディ・テイラー、ピー・ウィー・クレイトン、そしてこのロイ・ブキャナンと、錚々たる顔ぶれにカバーされている。

まさに、隠れたブルース・スタンダード。

そんな中でも、このブキャナンの演奏は白眉で、とにかくテレキャスターの音色が抜群にいい。

ほんと、出だしのワン・フレーズから、グイッと引きずり込まれてしまうような、妙なる音なんである。

これを聴くと、ホントにテリーが無性に欲しくなってしまう。危ない危ない(笑)。

先達ピー・ウィーの演奏が「クール」の極致なら、ブキャナンのそれは、まさに「ホット」そのもの。

おなじみのトリッキーなスクラッチ・プレイやらボリューム奏法を交えつつ、最後までグイグイと聴き手を引っ張っていく腕前、まさに名人技であります。

曲の素晴らしさ、そして弾き手の腕が、完璧なコンビネーションを生んだ、見事な例であります。

2007年9月8日(土)

#11 エスター・フィリップス「Use Me」(Anthology/Import)

48才の若さで84年に亡くなった、実力派女性シンガー、エスター・フィリップスがビル・ウィザーズの作品をカバーしている。これが実にいい。

エスターといえば、13才にして少女歌手、リトル・エスター・フィリップスとしてデビュー。以来、あらゆるジャンルの曲を歌いこなしてきた、プロ中のプロ。日本でいえば、美空ひばりに匹敵するような存在やね。ビートルズ・ナンバーをカバーした「And I Love Him」なんてヒットもある。

彼女は、その特徴ある顔立ちからして、いかにもアフロ・アメリカン。声も個性的で非常に粘っこく、万人向きではないが、はまると病み付きになりそう。たとえば妙に白人化してしまったディオンヌ・ワーウィックとかシュープリームスあたりなどとは対照的に、あくまでも黒人ならではのセクシーさをアピールし続けたひとである。

しかるに、ファン数はけっして多くないが、その分、熱狂的な「濃ゆ〜い」ファンの占める率が高いというのも事実。そんな中のひとりが、かの永井ホトケさんだったりする。

ホトケさんと彼女とのエピソードは、彼の著書「ブルーズ・パラダイス」にて語られている。

それによると、エスターは、ホトケさんが彼女の歌を熱狂的に好きだという感情を、一女性としての彼女が好きだということとして受け取ってしまい、困惑していたようだ。

ということで、まるで映画「ディーヴァ」の女性オペラ歌手とファンの郵便配達夫との関係のようなエピソードが、なんとも微笑ましい。

でも、別にどちらだってええんとちゃいますか。「彼女の歌が好き」イコール「彼女が好き」、そういうことになっても。

そのくらい、エスターの歌には、男心をひきつけてやまない、エモーショナルな魅力がある。お上品なだけの砂糖菓子ポップスしか聴いたことない、おぼっちゃま君たちには耳の毒なくらい、強烈な魅力が。

それは、この一曲を聴くだけでわかるはず。レコーディング後、生前にはリリースされず、1990年コロムビアのベスト盤ではじめて発表されたようだが、彼女の長いキャリアの中でも、格別の出来映えだと思う。

なんといっても、この曲での彼女のブルース・フィーリングはハンパじゃない。これを聴いてしまうと、他のブルース・ウーマンたちなど、小便臭い子供に思えてくるに違いない。心して聴いとくれ。

2007年9月15日(土)

#12 シェメキア・コープランド&ロバート・クレイ「I Pity The Fool」(Lightining In A Bottle-Original Soundtrack/Columbia)

2004年公開、マーティン・スコセッシ総指揮のもと、ブルースの年にちなんで作られた映画のひとつ「ライトニング・イン・ア・ボトル」から、この曲を。

ドン・ロビーの作品というより、ボビー・ブランド作、彼の代表的ナンバーといったほうが正しいだろう「アイ・ピティ・ザ・フール」。この名曲を若手女性ブルース・シンガーNo.1、シェメキア・コープランドとロバート・クレイが共演。

まずは、おなじみのハイ・トーンでクレイが歌い始め、続いてシェメキアがド迫力のシャウトでそれを引き継ぐ。

シェメキア(本当はシュミーキャみたいな発音なんだろうが)は、往年のテキサス・ブルースマン、ジョニー・コープランドの娘。まだ20代なのに、ものスゴく貫禄のある歌声だ。

容姿的には‥‥なのだが、とにかく人並みはずれて声がデカく、ドスがきいている。さすがシャウターの娘、血は争えんねぇ〜。

ただ、まだ迫力ばかりが前面に出て、音程の安定度とか、細かい表現力とかは今後の課題という感じだが、とにかく押しの強さでは、右に出るものがない。

彼女の太い声と、クレイの甲高いシャープな声があいまって、異様な迫力を生み出しているこの曲。そのアレンジはどことなくシェメキアの亡父、ジョニーの大ヒット「ベイビー・プリーズ」を彷彿とさせるものがある。

粘り腰、がぶり寄り、究極の押し相撲、そんなイメージがよぎってしまうのは、彼女のルックスのせい? いや、これは失礼。

ライブならではの、圧倒的なパワーを感じとってくれ。

2007年9月23日(日)

#13 チャールズ・ブラウン「I Stepped In Quicksand」(A Life In The Blues/Rounder)

チャールズ・ブラウン、90年ニューヨークにおけるライブ(リリースは2003年)から、この曲を。ブラウンのオリジナル。

チャールズ・ブラウンといえば、1922年テキサスに生まれるも、もっぱら西海岸で活躍、「チャールズ・ブラウン・マナー」と呼ばれる独特のスタイルで一世を風靡したピアニスト/シンガー/コンポーザ−。レイ・チャールズをはじめとするおびただしいフォロワーを生み出してもいる。

彼は99年に亡くなるまで、生涯現役だった。このライブは68才になった年のもの。

当CD、音源だけでなく、同じ演奏をDVDでも楽しめる趣向なのだが、映像で観るブラウンは、一段とカッコいい。

ブラウンの衆に抜きん出ているのは、声だけでなく顔立ちもオトコマエというところだな。単に歌が上手いだけでなく、スター性があるってことです。

バンド編成はピアノ、ギター、ベース、ドラムスの、カルテット。中でもギターのダニー・キャロンがいい。往年のブラウンのバック、ジョニー・ムーアのジャズィな雰囲気をにおわせつつ、タキシードを腕まくりしてハッスル・プレイを聴かせてくれます。

特に、この曲での2コーラスのソロは出色の出来だと思うので、ぜひ聴いてほしい。

もちろん、ブラウン自身の歌もピアノも、年齢を感じさせぬ張りがあって素晴らしい。

なんていうか「気合い」が満ちたパフォーマンスなんである。

こういう粋でいなせなチャンジーに、筆者もなりたいものです。

2007年9月30日(日)

#14 アイク&ティナ・ターナー「Reconsider Baby」(Outta Season/Blue Thumb)

アイク&ティナ・ターナー、最盛期のレコーディングよりこの一曲を。ご存じ、ローウェル・フルスンの代表的ナンバー。

この曲がリリースされた69年、アイク&ティナはなんと8枚ものアルバムを発表している。そのセクシーで過激なライブ・パフォーマンスが話題となり、一気にメジャー・ブレイクしたのである。

日本でも71年発表のアルバム「Workin' Together」あたりが引き金となり、人気が急上昇、「アメリカの唄子・啓助(笑)」などと呼ばれるようになる。(実際、女性ふたりの口の大きさは、タメを張ってた。)ティナのセクシーキャラの影響力は大きく、欧陽菲菲、シナロケのシーナをはじめ、それこそ倖田來未あたりにまでその路線は引き継がれているように思う。

でも彼ら、ライブでは相当エロかったのに対し、スタジオ録音のほうは割とあっさりしていた。この曲もそうだな。

フルスンのオリジナルでは、男性が女性にすがっているわけだが、アイク&ティナ版では、女性であるティナが別れた男性に「考え直して」と迫っている。でも、あまり深刻さは感じられない。

実生活ではアイクのDVなどが原因で76年に離婚。以降、ソロとなったティナのほうが、元夫のアイクの何倍もメジャーに活躍している。まるきりオトコにすがる必要などない、見事な女丈夫ぶりである。

やはり、ピンチのときに本当に強いのはオンナのほう。離婚をむしろバネにして、よりビッグに成長していったティナはスゴい。

アイクはその恵まれた音楽的才能の割には、その後ずっと伸び悩み、今もあまりいい状態とはいえない。何年か前のブルカニの出演キャンセルに象徴されるような、ジリ貧状態のままである。元女房に、運気を全部吸い取られてしまったのだろうか。

やっぱ、この曲は情けないアイクが歌ってこそ、サマになるのかもね(笑)。パワフルなティナには、似合わないのでありました。

2007年10月21日(日)

#15 ハウリン・ウルフ「The Red Rooster」(The London Howlin' Wolf Sessions/Chess)

しばらくお休みにして申し訳ない。ひさしぶりの一曲はこれ。ハウリン・ウルフのロンドン・レコーディングから、おなじみのナンバーを。70年5月録音。

この曲をストーンズが「LIittle Red Rooster」としてカバーしたことで、ウルフの白人間での知名度も大幅にアップしたが、それをストーンズの5分の2のメンバー、そしてエリック・クラプトン、スティーヴ・ウィンウッドと共演したわけだから、まさに歴史的価値のある師弟共演といえそう。

ものの本によると、ウルフはロンドンにやってきてこのセッションを始めた当初、体調も悪く、相当不機嫌モードだったらしい。

豪華メンバーによるセッションにもかかわらず、果たしてうまくアルバム一枚分録れるのか? そんな感じだったらしい。

その閉塞状況を突破するきっかけとなったのが、クラプトンがこの曲の弾き方についてウルフに訊ねたことだったそうだ。

アルバムではこの曲の直前に収められている、同曲のNGバージョンで、ふたりの遣り取りを聞くことが出来る。ウルフはギターを弾くタイミングを「BOOOM!」という擬音で表現している。そして彼らの笑い、なごむさまも聞ける。

このことがプラスとなり、白人組とウルフ、サムリンらが融和、以後セッションはうまく進んだというのだから、人生、何がきっかけで事態が好転するか、わからないよねえ。まさに塞翁が馬。

当HPの「一日一枚」2001年9月30日の記事でも既に書いたが、ここでのクラプトンのスライド・プレイは非常にリラックスしていい感じだ、とりたてて技術的に難しいことをしているわけではないけど、その音色、響きがウルフのサウンドにぴったりマッチしているのだよ。

もちろん、バックでオーティス・スパンばりの粋な響きを聴かせるウィンウッドの演奏も、忘れちゃいけない。ともすれば単調に流れがちのこの曲の、いいアクセントになってる。

白人だって、十分にブルースの心を掴んでいい演奏が出来る、そういう見事なサンプルだといえそうだ。

「一日一枚」2001年9月30日の記事を読む

2007年11月18日(日)

#16 アイズリー・ブラザーズ「Between The Sheets」(Between The Sheets/T Neck)

アイズリー・ブラザーズつーたら、54年オハイオ州シンシナティにて結成、実に半世紀以上のキャリアを誇る、黒人兄弟グループの老舗的存在やね。一時はジミ・ヘンがバックバンドにいたりしたんで、ご存知のかたも多かろう。

その長い活動期間中、そのサウンドは時代の要請に応じて次第に変化してきたが、全くかわらぬものがひとつある。「甘ぁ〜〜い」(スピードワゴン風に)ボーカル、これでんがな。

リーダーのロナルド・アイズリー、そして彼を支える同胞たちのハーモニー。

まさに永久不滅のスウィート・ソウル、シルキー・ソウルなんである。

そんな彼らの、80年代に入ってからの印象的なヒットがこれ。「Between The Sheets」ナリ。

タイトルだけでも、十分にエロいものを予感させるが、実際、歌もサウンドもきわめつけのセクシー。

この曲をBGMに、夜の首都高、湾岸エリアあたりをドライブすれば、たいていの女性は落ちそう、なんて気がします(やってみたことはないけどw)。

まあ、そういう実用性だけでなく、聴いていてホンマ、気持ちええよ。

きょうびのR&Bなんか、これに比べれば「マダマダやのぉ〜」と思ってしまう。

いまだ現役バリバリ、大御所グループの一番脂の乗った頃(ロナルド42才)の音に酔い痴れてくれや。

2007年11月24日(土)

#17 ゲイリー・ムーア「Long Grey Mare」(Blues For Greeny/Charisma)

ひさびさ登場のゲイリー・ムーア、今日はこの一曲。

ムーアはハードロック・ギタリストであると同時に、ブリティッシュ・ブルースの担い手の一人でもあることは皆さん、よくご存じだろう。

その彼がもっとも影響を受けたギタリストは、フリートウッド・マックの初代リード・ギタリスト、ピーター・グリーン。(ただレコードを聴いていただけでなく、無名バンド時代、マックの前座をつとめたこともあったそうだ。)

ムーアは黒人のブルースよりも、むしろ白人の解釈によるブルースに、強くインスパイアされたのである。このことが、彼の今日に至るブルースギター・プレイに色濃く出ているように思う。

さて、本曲はムーアがピーター・グリーンへのトリビュートとして95年に発表したアルバム「Blues For Greeny」から。

もちろん、グリーンのマック時代の作品だ。ファースト・アルバム「Peter Green's Fleetwood Mac」に収録。

曲調は、あからさまにハウリン・ウルフの「キリング・フロア」。でもこっちのほうが明らかにビートがモダンであり、ロックであります。

ムーアのソロは、そのタメ具合といい、フレージングといい、当然ながらグリーンのプレイにクリソツだけど、それ以外では、クラプトンやブルームフィールドを思わせる箇所もある。

要するに、白人ブルース・ギタリストの王道とは、こういう路線なんやね。

この曲ではギターのみならず、ムーアの歌がシブくて、なかなかいい。歌も含めてのピーターへのオマージュといえそうだ。

ムーアの人並みはずれた才能も、やはり、グリ−ンの神がかったプレイを身近に聴いて初めて生み出されたもの。

ということで、天才は過去となんらつながりなく、いきなり生まれるわけではない。

それはム−アに限らず、クラプトン、ジミヘン、ベックなど、どの天才にもいえること。

先人を侮るなかれ、そゆことであります。

2007年12月23日(日)

#18 レッズ・ツェッぺリン「Winter Sun」(Lez Zeppelin/Emanation)

あいかわらず、更新が途切れがちでスマソ。ひさびさの一曲はこれ。

一瞬、アーティスト名を読み間違えたむきも多いと思うが、レッドではないです、そう、レッズ・ツェッぺリン

名プロデューサー、エディ・クレーマーのプロデュースにより今年7月デビューしたこのバンド、もちろん、その名が示すようにツェッぺリンのトリビュート・バンドのひとつ。

まあそんなバンド、洋の東西を問わずゴマンとあるわけだが、ちょっと異色なのは、バンドメンバー全員がうら若き女性、つーことだね。

ってことは、「Lez」というのはレズビアンを意味しているかもしれんわけで、なかなか意味深なバンド名であります。

レッズ・ツェッぺリンの中心は、リード・ボーカルのサラ・マクレラン。今回の曲はインストなので、彼女の声が聴こえないのが残念だが、他の曲を聴いてみるに、ハイ・トーンというよりは中音の、わりとドスの効いた歌声で迫るタイプ。ご本家プラントとは個性がかなり違うんである。

この「Winter Sun」はZEPのサード・アルバムB面風、フォークロック調のオリジナル・インスト。ギター&マンドリンの丁寧な演奏が、彼女たちの意外としっかりとした実力を感じさせる。他のカバー曲(「胸いっぱいの愛を」「オーシャン」「ロックン・ロール」など)も、原曲にかなり忠実な演奏を再現している。

とはいえ、この手のトリビュート・バンドはその先駆け的存在の「Dread Zeppelin」以来、全部話題先行型の「一発屋」で終わっているのも事実。

おそらく彼女たちが「Lez Zeppelin」名義でのアルバムを出すのも、これきりなんだろうが、次回は別のバンド名で、別アーティストのトリビュートをしてみたら、面白いのでは。

でも、それが「Runaways」だったとしたら、ちょっとトホホだけど(笑)。

2008年1月5日(土)

#19 ハニー・コーン「Want Ads」(Sweet Replies/Hot Wax)

明けましておめでとう。今年もよろしく。新年の第一弾は、これ。

黒人ガールズグループ、ハニー・コーン、71年のミリオン・ヒット「Want Ads」。タイトルは「恋人募集」みたいな意味だな。

ハニー・コーンは69年、リード・ボーカルのエドナ・ライトを中心に、シェリー・クラーク、キャロリン・ウィリスの3人が、ロサンゼルスにて結成。

モータウンの最強ソングライティング・チーム、ホランド兄弟&ドジャーが68年立ち上げた独立レーベル、ホットワックスに入り、この「Want Ads」を大ヒットさせ、一躍看板グループとなる。日本でも東芝EMIからリリースされ、スマッシュ・ヒットとなったので覚えている人も多いのでは。

ただ残念ながら、ハニー・コーンとしての活動は、72年まで。結果的には一発屋で終わってしまったのだが、残された数枚のアルバムは、どれもいい出来である。

何より、彼女たちの歌声に若さとパワーがあふれている。ことに、この「Want Ads」にはそれが集約されているのだ。

曲調は、ひたすらハッピーでキャッチーでダンサブル。女性グループでいえば、マーサ&ヴァンデラスの系統。ジャクソン5にも通じるところのあるサウンドだ。

彼女たち、見てくれ的にはシュープリームス、スリー・ディグリーズには届かず、という感じでそのためスーパースターにはなれなかったが、歌では決してヒケをとっていなかったと思う。

エドナのパンチのあるチャーミングな声、パワフルなバック・コーラスにノック・アウトされてみて。

2008年1月20日(日)

#20 サンタナ「Well All Right」(Inner Secrets/Columbia)

「一日一曲」、記念すべき20曲目は、これ。サンタナ78年のシングルヒット、「Well All Right」。

この曲はエリック・クラプトンの参加した、ブラインド・フェイスのアルバム収録曲(スティーヴ・ウィンウッドがリード・ボーカル)としてよく知られているが、もともとバディ・ホリーが50年代末にヒットさせたナンバー。ホリー、クリケッツのメンバー、ジェリー・アリスン、ジョー・モールディン、そしてプロデューサー、ノーマン・ペティとの共作なんである。

サンタナ版カバーは、明らかにブラインド・フェイスのバージョンを下敷きにしており、それにサンタナ流泣きのギターを絡めたアレンジにしている。サンタナにしては、短めでキャッチーなヒット・チューン仕立てになってます。

収録アルバム「Inner Secrets」には、トラフィックのナンバー「Dealer」も入っているくらいだから、アルバムを制作する際に、ウィンウッドら元トラフィックのメンバーからの働きかけがあったのかもしれない。

歌のうまさに関していえば、オリジナルのホリーやブラインド・フェイス版にはやはり負けてしまうが、演奏としてはまずまずの出来ばえ。

三つのバージョンを通しで聴いていて感じることは、バディ・ホリー(とノーマン・ペティ) の作曲センスはやはりハンパじゃなくスゴいってこと。

なんていうか、白人向けに歌っている白人ミュージシャンなのに、ゴスペルとかブルースなどの、ブラックなフィーリングが横溢しているのですよ。サビの繰り返しの部分とか、特にね。

まあ、だからこそ、"もっとも黒いフィ−リングを持つ白人"と呼ばれたウィンウッドが、この曲を取り上げる気になったんでしょうな。「Peggy Sue」だったら、絶対歌わないだろーし(笑)。

50年代まで、ピアノ、サックスといった楽器が立役者だったロックンロール・バンドを、ギター中心、あるいはギター・オンリーにシフトさせていったのは、ホリーの功績がひじょうに大きいと思う。もし、バディ・ホリーがいなかったら、イギリスの60年代の音楽シーンはかなり違ったものになったはずで、ビートルズ、ストーンズ、キンクスといったギター中心のビート・バンドたちも、ホリーの存在あってこそ、自然発生してきたのではないかな。

大西洋を超えて多大な影響を与えた、元祖眼鏡ロッカー。ある意味でエルヴィス以上の神的存在といえそう。ビバ・バディ!

2008年1月27日(日)

#21 J.B.ルノアー「Give Me One More Shot」(Rhythm & Booze: 25 Shots of Vintage R&B/STATESIDE)

今週はひさしぶりに純正ブルース・ナンバーなり。きわめてユニークなブルースマン、J.B.ルノアー、50年代のヒット曲「Give Me One More Shot」。

ブルースの題材として取り上げられることが多いのは「お酒」。「酒飲みブルース」とでも呼ぶべき一ジャンルがある。この曲も、そういった一曲だ。

こんなに飲んじゃいけないのはよ〜くわかっている。でもでもやっぱり、やめられないとまらない。マスター、もう一杯、そう、もう一杯だけおくれよ。お願いだからぁ‥‥といった、あなたにもワタシにも心当たりアリアリな(笑)歌のひとつであります。

酒飲みブルースマンといえば「Bad Bad Whisky」のエイモス・ミルバーン、「Hey Bartender」のフロイド・ディクスンあたりが代表選手だけど、社会派ブルースマン・ルノアーもお酒には目がなかったようで。

あの、一度聴いたら忘れられない、甲高〜い声で歌われる「酒飲みブルース」は、他の左党ブルースマンのそれとはだいぶん趣きが違う。

シブみ一切なし、やたらとアッパー、ハイテンションな一曲。ホーンセクションをバックに、ブギウギ・リズムを刻む彼のギター・プレイもなかなか味があって面白い。

この曲は彼のベスト盤ほか、いろんなコンピに入ってますが、この「Rhythm & Booze: 25 Shots of Vintage R&B」というアルバムは、ミルバーン、ディクスンを含む、酒飲みブルースの代表的ナンバーが満載で、上戸にはたまらない一枚であります。

いうまでもなく、グラスを片手にお楽しみあれ。

2008年2月3日(日)

#22 バディ・ガイ「This Is The End」(Blue On Blues/Fuel)

今週も、どブルースでいくじょ。現在活躍中のブルースマンとしては、もっともベテランのひとりといえるバディ・ガイ、58年の作品「This Is The End」なり。

バディがこれをコブラで録音したとき、弱冠22才。同じくコブラに在籍していたオーティス・ラッシュはその2才年上。バディがオーティスを追うように、めきめきと頭角をあらわしてきた頃のナンバーだ。

曲は、ブルースによくあるパターンのひとつ、「やっぱオレたちの仲はもうダメ、終わりかも」という、男が恋人に別れを告げるというもの。

この曲をバディとともに、永遠の「だめんず」アイク・ターナーが作ったというのを聞くと、なんか妙にナットクしちゃうなぁ。イケさん、あんたは昔からそーゆーことばかり繰り返してきたんやねぇ〜って(笑)。

閑話休題(それはさておき)、22才のバディの歌やギターは、後にチェスに移籍してからの安定したそれに比べると、まだまだ荒削りではあるが、いまも変わらぬ甲高い「バディ節」や、感情先走り気味、ややせっかちだが迫力満点なギター・プレイなど、すでに彼らしい持ち味があらわれている。栴檀は双葉より芳し、なのだ。

バックはベースのウィリー・ディクスン、ドラムスのオディ・ペイン、サックスのジャッキー・ブレンストンら、盤石の構え。文句のつけようがない。重厚にして、熱いサウンドだ。

これぞ、コブラ、これぞ、シカゴ・ブルースなり!!

2008年2月17日(日)

#23 ロバート・ウォード「Toehold」(Black Bottom/Black Top)

ロバート・ウォードといえば38年生まれ、60年代よりオハイオ・アンタッチャブルズやファルコンズで活躍してきたシンガー/ギタリストだが、しばらく活動休止ののち、突如90年代にソロでカムバックして話題になったものだ。

ブラックトップ・レーベルで3枚のオリジナル・アルバムを制作後、デルマークに移り、1枚をリリースしている。

いわゆるビッグネームではないが、そのキャリアも実力も、現役ブルースマンのトップランクにあるといっていいだろう。

彼は歌、ギターともに達者で、ゴスペル、ソウル等も呑み込んだ幅の広いボーカル・スタイル、そしてテレキャスまたはストラトとマグナトーン・アンプから紡ぎ出す特徴的なトレモロ・サウンド、このへんが売りだ。

ほどよい粘り、そして枯れを兼ね備えた歌声と、ワンアンドオンリーなギター・トーン、このへんにハマるとクセになりそう。

そんなウォード・サウンドの格好のサンプルが、ブラックトップ三部作のラスト「Black Bottom」に収められた「Toehold」だ。

アイザック・ヘイズほかが作曲、ウィルスン・ピケットが歌って知られるこの曲を、しっかりとウォード節に消化して聴かせてくれる。

ノリのよさはピカ一。ボーカルとギターの絶妙な掛け合いを楽しんでちょ。

2008年2月24日(日)

#24 メアリー・ウェルズ「In The Midnight Hour」(Two Sides Of Mary Wells/DBK Works)

メアリー・ウェルズといえば「My Guy」。もうほとんどその一曲という感じだが、60年代前半はシュープリームスのダイアナ・ロスあたりと並んで、トップ・レベルの人気歌手だったのだよ、お若いの。

64年にリリースした「My Guy」がナンバーワン・ヒットになってしまったばかりに、その後が続かずジリ貧の印象があるが、モータウンの稼ぎ頭的存在であったことは間違いない。

しかしですな、人気歌手かならずしも名歌手にあらず。ウェルズも与えられた曲をソツなく歌うものの、強力な「サムシング」をついに持ち得なかった。その声質はあまりに硬く、表現も平板で、ポップな曲は歌えても、時代の熱い潮流「ソウル」にはそぐわなかった。

「My Guy」の後は、人気も次第に下がっていく。よりソウルフルな味わいをもった後進の歌手たちに追い抜かれていってしまったのだ。

そんな彼女が、あえて古巣モータウンを離れて、66年にアトコレーベルで出したアルバムが「Two Sides Of Mary Wells」。

これまでのポップな彼女に加えて、ソウルな面も強調した選曲になっていて、この「In The Midnight Hour」はまさにその代表例。

ウィルスン・ピケットとスティーブ・クロッパーの共作による、ソウルの名曲中の名曲に果敢にも挑戦したわけだが、結果は‥残念ながらイマイチな出来である。

バックはアトコのミュージシャンたちだから、バリバリのソウル。でも、歌が月並みなんだよなぁ。

それなりに頑張ってソウルっぽさを出そうとはしているのだが、どこかしっくりと来ないんである。

やはり、資質というものであろうね。「クイーン・オブ・ソウル」の称号はアレサ・フランクリンという後輩歌手にのみ与えられ、メアリー・ウェルズに与えられることはなかった。

ただただ奇麗に歌うだけでは、心をゆさぶるようなソウル・ミュージックとはなりえない。ウェルズのこの意欲的な試みが示してくれたのは、そういうことなのであります。

2008年3月2日(日)

#25 ホームシック・ジェイムズ「The Cloud Is Crying(alt.)」(Windy City Blues/Stax)

ホームシック・ジェイムズが1960年代、プレスティジ・レーベルに残した名盤といえば「Blues on the South Side」(64)だが、当時のレコーディングの別テイクが、なんと2004年になって発表された。

アルバート・キング、オーティス・スパン、ウィリー・ディクスン、ビリー・ボーイ・アーノルド、サニーランド・スリムとともに名を連ねるコンピアルバム、「Windy City Blues」がそれである。

そこに収められているジェイムズの未発表音源は3曲。「Gotta Move」「Homesick's Shuffle」、そしてこの「The Cloud Is Crying」である。

「The Cloud Is Crying」の曲名はもちろん、彼の従兄弟であるエルモア・ジェイムズのナンバー「The Sky Is Crying」をもじったもの。

本曲で聴かれるのは、ロバート・ジョンスンに強く影響を受けたに違いない、特徴的なひきずるようなビート。耳を直撃する、重心の低いスライド・ギター・リフ。そしてがなるような、あるいは泣き叫ぶようなボーカル。まさにホームシック・ジェイムズ節全開なのだ。

洗練さの感じられるエルモアのサウンドとはひと味違い、あくまでも泥臭くダウンホームな味わい。ファンキー極まりない。

彼をサポートするラファイエット・リークのピアノ、リー・ジャクスンのベース、クリフトン・ジェイムズのドラムス。いずれも見事なバッキングぶりである。特にベースが強力なグルーヴを生み出すことに成功している。

アーシー、でも一面、非常にモダンなサウンドでもある。

ワン・アンド・オンリーな、ホームシック・ワールドを味わってくれ。

2008年3月9日(日)

#26 ジョン・プライマー「Knocking At Your Door」(Knocking At Your Door/Telarc)

45年生まれ、おん年63才のジョン・プライマー、初登場である。

マディ・ウォーターズやマジック・スリムのバックバンドにいたころは、「そういやぁそんなヤツ、いたかなぁ?」程度の、存在感の薄〜いひとだったが、90年代に40代後半でソロ・デビューしてからは、次第に頭角をあらわしてきた。

で、テラーク・レーベル移籍第一弾、この「Knocking At Your Door」なるアルバムで、ついに本領発揮したといっていいだろう。プライマー、54才の作品だ。

タイトル・チューン「Knocking At Your Door」は、まさにプライマーの魅力のショーケース的一曲。

ストレートでストロングな歌声。繊細さにはちと欠けるかも知れんが、とにかく力強いのひと言。

バックをつとめるマックレイ兄弟のギター&ドラム、そしてマシュー・スコーラーのダウンホームな味わいのハープもまた強力な援軍だ。エディ・テイラー・マナーとでもいうべき、ホンマに見事なリズム・ワークなり。

同時代ブルースの中では、けっして「いま風」な音ではないが、筆者はこういうのを聴くとホッとする。白人ブルースマンに多い、みょうにロック色の濃い演奏より、絶対こっちのほうが好きだな。

なにより、歌に「キャリア」が感じられるんよ。このひとの歌は、もともとはうまくないけど、長年のキャリアの中から、なにかをつかみ取ってきた。それが50代なかばで、ようやく開花したのだろう。

そう、歳月を経ることによって「熟成」するブルースもあるのだ。

大器晩成型ブルースマン、ジョン・プライマーが50代にしてたどり着いたブルースの境地。ぜひ味わってほしい。深いぜ。

2008年3月23日(日)

#27 ジェフ・ヒーリー「Sittin' On Top Of The World」(Mess Of Blues/Ruf)

今月2日、ジェフ・ヒーリーががんのため、亡くなってしまった。まだ、41才という若さで。

昨年6月、このコーナーでも彼のことを取り上げたので、ご存じのかたも多いかと思うが、実力派ロック/ブルース/ジャズ・ギタリストとして、今後のさらなる活動が期待されていただけに、本当に惜しい。

彼が視力を生後まもなく失ったのも、がんのためである。おそらく、彼の短い生涯は、病魔との闘いの連続であったのだろう。合掌。

実はこの4月、ニュー・アルバムがリリースされることになっていた。タイトルは「Mess Of Blues」。

ジェフがこよなく愛したブルース、ロック、カントリーなどのカバー集となっていて、まさに彼の本領発揮な一枚であったのに、リリースを待たずにこの世を去るとは、かえすがえすも残念。

はからずも遺作となってしまった本盤より本日紹介するのは、ハウリン・ウルフ、クリームでおなじみの「Sittin' On Top Of The World」。

クリームのハードなアレンジを意識しつつも、ピアノを大きくフィーチャーして、よりオールド・タイムな味わいのある演奏を聴かせてくれる。

ジェフのギター・ソロも、ソリッドで切れ味鋭く、実にブルーズィだ。歌も深みがあり、さすがのキャリアを感じさせる。

黒人ブルースマンとはまた別の魅力を持ったジェフズ・ブルース。彼のありし日を偲びつつ、聴いてほしい。

2008年3月30日(日)

#28 W・C・クラーク「That's Where It's At」(Texas Soul/Black Top)

W・C・クラークといえば、その作品「Cold Shot」がスティービー・レイ・ヴォーンによって取り上げられたことで有名‥とはいかないまでも、知ってる人は知っている、そんな存在の黒人シンガー/ギタリストだ。

39年テキサス州オースティン生まれの68才。テキサス・ブルースの総元締的な存在でもあり、若き日のSRVが彼と一緒にバンドをやっていたという縁で、「Cold Shot」が世に広く知られるようになった。

そんなベテランな彼も、ソロ・アルバムをコンスタントを出すようになったのはわりと近年のことで、94年にいまはなきブラック・トップ・レーベルで「Heart Of Gold」をリリースして以来、翌年の「Texas Soul」、98年の「Lover's Plea」と、3枚を発表している。アリゲーターに移籍後も、02、04年と2作を出し、60代にしてなかなか活発な音楽活動を続けている。

今日お届けするのは、ブラック・トップ2作目より、サム・クックでおなじみのナンバー、「That's Where It's At」。クックとジェイムズ・アレクサンダーの共作だ。

クラークは「Cold Shot」のようなヘビーめのブルースを歌う一方で、けっこうソウルな曲調のナンバーも得意である。この曲はまさにその好例。

クラーク、ギターのほうはさほど特徴的なプレイはないのだが、歌はなかなかい味を出している。たとえていえば、「サッポロ一番味噌ラーメン」の藤岡琢也のような(なんのこっちゃ)。

60デコボコの男でなくては出せないような、哀感とユーモアが歌声ににじみ出ているのだ。

オリジナルだけでなく、カバーでもその持ち味は十分に感じられる。

ハートで歌いあげるソウル・マン、W・C・クラーク、今後の活動にも期待が持てそうだ。

2008年4月6日(日)

#29 デイヴ・メイスン「Don't It Make You Wonder」(Mariposa de Oro/One Way)

歌手、あるいはコンポーザーとしての実力、キャリアともに十分なのに、いまひとつ影の薄いアーティストがときどきいる。

デイヴ・メイスンは、まさにそんな一人。46年英国生まれ。第一期トラフィックをスティーヴ・ウインウッドとともに支えたシンガー/ギタリスト。

ウインウッドとの音楽性の違いによりトラフィックを離脱、その後はデラニー&ボニーのバックを経て70年にソロ・デビュー。

しばらくは鳴かず飛ばずの状態が続いていたが、米国に定住しCBSに移籍したあたりから運がつきはじめ、77年「We Just Disagree」のスマッシュ・ヒットによりブレイク(皮肉なことに彼自身のオリジナル曲ではなかったが)、同曲を含むアルバム「Let It Flow」がバカ売れしてその名が世界中に知られるようになった。

しかしながらその後は、「We Just Disagree」を越えるヒットを出せず、次第に寡作となり、87年以降はオリジナル・アルバムすら出ていない。

本来ならクラプトンに匹敵する実力の持ち主なのに、これはものスゴ〜く残念である。

ただ、彼の人気には根強いものがあり、30年ほど前の曲でも、いまだに愛唱し続けている人々がいる。

そう、我らが「Kotobuki」に集う人たちである。

店主のりっきーさん、おゆうさん夫妻、そしてこばさんを中心とするデイヴ・メイスン愛好会が、ことあるごとにアコギを抱えて「We Just Disagree」や「Will You Love Me Tomorrow」を歌っているのである。

メイスンが聴いたら、涙して喜びそうなシーンである。

その「Will You Love Me Tomorrow」も収められている78年のアルバム「Mariposa de Oro」から、メイスンのオリジナル「Don't It Make You Wonder」を。

アコギをフィーチャーしたサウンド、そして強力無比なコーラスが耳に心地よい。

米国西海岸の空のように澄み切った音世界、まさにメイスンの本領発揮である。

小遣い稼ぎと格闘技観戦だけが楽しみで日本にときどきやってくる、どこかのチャンジー・ミュージシャンより、よほど歌の才能があるんだけどなあ、この人。

やっぱり、容姿のオジさん臭さがいけないんだろうなぁ〜。はぁ〜(溜息)。

でも、音楽はホント、イケてますから! 「男前」なサウンドを堪能してくれや。

2008年4月19日(土)

#30 マジック・スリム「I'm A Bluesman」(Anything Can Happen/Blind Pig)

マジック・スリム&ザ・ティアドロップス、2005年のライブ・アルバム「Anything Can Happen」より、トップの一曲を。カリフォルニア州チコ、シェラネバダ・ブリュワリーにて収録。

マジック・スリムは現在70才。50年代なかばからシカゴで活躍している、筋金入りのブル−スマンだ。

そんな彼の、まさに名刺代わりのオープニング・ナンバー。何の衒いもなく「オレはブルースマンだ」と仁義を切る。ストレート極まりないのだが、それがまさにマジック・スリムの持ち味じゃないかと思う。

先日取り上げた、彼の盟友、ジョン・プライマーもそうだが、こういうザックリとした感触のブルースが最近あまり見られないだけに、聴くとなんだか嬉しくなる。

愛器フェンダー・ジャガー(ちょっと珍しいよね)を手に、七十間近の男が力強く歌いまくる。ぐいぐいと曲を進めるそのパワーには、なんというか「漢(おとこ)」を感じざるをえない。

前作「Blue Magic」('02)ではパパ・チャビーをプロデューサーに迎えて、少しサウンドに変化が出てきたような印象もあったが、どっこい、ライブではあくまでも「押し相撲」を通している。

バックのティアドロップスが生み出すリズムも、実にキレがよい。

これぞ永遠不滅のブルースのグルーヴ。さすがだぜ、マジック・スリム!

2008年4月27日(日)

#31 ポール・マッカートニー「All Shook Up」(Run Devil Run/EMI)

ポール・マッカートニー、1999年のアルバム「Run Devil Run」より、エルヴィス・ナンバーを。

妻リンダの死後、ようやく失意から立ち直ったポールが、ピンク・フロイドのデイヴィッド・ギルモアとともに作った当アルバムは、昔のロックンロール・ナンバーのカバーを中心とした内容。中でも目玉はこのエルヴィスの大ヒット曲だ。

ビートルズは、エルヴィスのカバーを正面切ってやることはほとんどなく、あくまでも自分たちはエルヴィスとは違うタイプのロッカーであることを強調していたようだが、ビ−トルズとて、もちろんキング・エルヴィスの影響を受けていないわけがない。

特にコーラスでは中声域を担当することの多かったポールは、声質がなじむこともあってか、エルヴィスをけっこう意識していたようだ。

ギルモアの耳に突き刺さるようなギター・フレーズで始まるこの曲は、ピアノを含むシンプルなリズム・セクションとコーラスのみでレコーディングされているが、これが実にグッド・オールドなサウンドで◎。

とても21世紀を間近に控えたタイミングで録られたとは思えない音だけど、不思議と古臭くは感じない。まさに永遠不滅のロックンロール・サウンドなのだ。

ポールのはじけた歌いっぷりが、キングとはまたひと味違っていて、彼なりの「恋にしびれて」に仕上がっている。

チープ・トリック、ロッド・スチュアート、ビリー・ジョエル‥。いろいろな後進シンガーが名唱を残しているけど、ポールもキングへのリスペクトを込めて、見事なオマージュを完成させた。

キング・エルヴィスがこの世を去ってはや30年が過ぎてしまったが、彼のロックDNAは、さまざまなシンガーに引き継がれているのが、よくわかるね。

やはり、20世紀最大のソロ・シンガー、エルヴィスを越えられる者は、当分出てきそうにないってことです、ハイ。

2008年5月6日(火)

#32 ジョー・ボナマッサ「Had To Cry Today」(Had To Cry Today/Premier Artists)

ジョー・ボナマッサ、2004年のアルバム「Had To Cry Today」よりタイトル・チューンを。

77年、ニューヨーク州ユーティカ生まれ。「早熟の天才ギタリスト」とうたわれた人は数多くいるが(先日亡くなったジェフ・ヒーリーもその一人だった)、ジョーもまさにその代表選手。

なにせ8才でB・B・キングのオープニング・アクトをつとめたほどの早熟ぶり。10代なかばでベリー・オークリーの息子、マイルス・デイヴィスの息子らとブラッドラインなるバンドを結成して94年にメジャーデビュー。17才で既に完成の域に達したプレイで、世間を驚かせた。

2000年にアルバム「A New Day Yesterday」でソロ・デビュー、はや8年が経過している。

が、これだけのキャリアがありながら、まだ30そこそこという若さなのだ。

彼はジミ・ヘンドリクスに強い影響を受けながらも、オーソドックスなブルース・ギターもこなし、フレーズの端々にジャズ的なセンスもある。

汗臭さだけでなく、洗練も感じさせる彼の演奏を、ブルースとかロックとか、ひとつのジャンルで括ろうとするのは、ナンセンスというものだろう。

さて、今日お届けするのは、スティーヴィ・ウィンウッド作の「Had To Cry Today」。そう、幻のスーパー・グループ、ブラインド・フェイス時代のナンバーなのだ。

これが実にいい出来。もしかすると、オリジナルよりもいい出来かも、というぐらい。

何より、ギターが思いきりハードだ。おなじみのリフ、そして延々と展開されるソロ。テクがあるというだけでなく、実に気合いに満ちている。

原曲はどこか中途半端、未消化な演奏だったが、ジョーのカバー版は、メーターが振り切れたようなカッコよさに溢れている。また、そのベビー・フェイスに似つかわしくないコワモテな歌声もいい感じだ。

ブラインド・フェイスも、こういう熱い演奏をしていたら、そのデビュー盤も評価がだいぶん違っていたんだろうが、既にゴリゴリ弾きまくりのギターにあきていたクラプトンは、気の抜けたような演奏しか出来なかったのだろう。

一方、ジョー・ボナマッサ版はギター 、ボーカルだけでなく、リズム・セクションも彼と同じくらいエキサイティングだ。

というわけで、聴いてみるべし、入魂の一曲。きっと気に入ってもらえると思うよ。

2008年5月11日(日)

#33 サニー・テリー&ブラウニー・マギー「Carolina Blues」(The Blues Box/Metro Triples/Union Square)

ハープのサニー・テリーとギターのブラウニー・マギーといえば、ブルース界屈指のデュオ。

「実は仲が悪い」などと言われながらも、そのパートナーシップは41年から75年まで34年も続き、コンビ解消後も、サニー・テリーが86年に先に他界するまで、何度か共演していた(78年の来日公演もそう)というから、本当に黄金のコンビといえそう。

カントリー・ブルース系の音楽を愛好する者(もちろん、ワタシもそのひとり)にとっては、もうバイブルのような存在であります、彼らの残した音楽は。

彼らのプレイの素晴らしいところは、なんといっても「コール&レスポンス」などの連携プレイのうまさ。「あなた」とよべば「なんだい」と応えるような、コンビネーションの絶妙さといえそう。

やっぱ、デュオはこうじゃないとね。おのおのが勝手に自分の芸を披露しているんじゃ、コンビでやる意味がないです。

今日はそんな彼らの数ある曲の中でも、典型的な8小節ブルース「Carolina Blues」を。

この曲では歌うのはもっぱらブラウニー・マギーで、サニー・テリーはハープ演奏に徹している。

マギーのひなびたボーカル、テリーのあたたかみのあるブロウ、とにかく一切の電気音を含まない、人間臭〜いサウンドがいいのです。

ワタシも参加しているアコースティック・ユニット「MAC & SUGAR DADDY」も、こういう「生音」の音楽を追求していきたいと思っとります。われわれにとってサニー&ブラウニーは、最高のお師匠さん達なんであります、ハイ。

2008年5月18日(日)

#34 R・L・バーンサイド「Too Many Ups」(Wish I Was in Heaven Sitting Down/Fat Possum)

「一日一枚」でも取り上げたことのあるRL爺、本コーナーでは初の登場である。

1926年生まれのRL爺が、73才のときにリリースしたアルバム「Wish I Was in Heaven Sitting Down」からの一曲。ジョン・ポーター、ブラッド・クックらによるプロデュース。

バーンサイドといえば、50年代からのキャリアを持ちながら、90年代に至るまで世間的にはほとんど認知されていなかった、遅咲きアーティストの典型。

どういうわけだかヒップ・ホップ好きないまどきの若者たちにも大ウケで、92年以降、ガンガン、アルバムを出すようになった。亡くなる前の年(2004)に出た「A Bothered Mind」に至るまで約10枚。とても60〜70代の人間とは思えぬ、精力的な活動を送ることになる。

バーンサイドの音楽の魅力といえば、よくいわれることだが、その麻薬的ともいえる「ループ感」。

いったん始まったら、いつ終わるともしれない、果てしないグルーヴ。垂れ流しにも近い、とめどのなさ。

これって何かと考えてみれば、クラブでかかっている音楽。つまるところ、ノンストップなノリの、ダンス・ミュージックってことなんですわ。

冒頭のサンプリング、歌とも語りともラップともとれるとりとめのないボーカル。そしてスクラッチ。

いかにもファット・ポッサム的な味付けのバックにも不思議と違和感のない、バーンサイドの手練れのスライドがカッチョええのです。

田舎くささと都会の洗練が奇妙に同居した、ヒップでタイトなバーンサイド・ワールド。一度はまると、病み付きになりますぞ。

2008年5月25日(日)

#35 クリス・ファーロウ「Baby Make It Soon」(Paint It Farlow/Immediate)

英国のシンガー、クリス・ファーロウ、68年のコンピレーション・アルバム「Paint It Farlow」から、オールダム=ウールフスンのコンビによる一曲。

クリス・ファーロウといってもピンとこないムキが多いかもしれない。

60年代以降、ブリティッシュR&B・ロックのパイオニアとして活動していながら、いまひとつワールドワイドな人気を獲得できず(ロッド・スチュアートはもちろん、ヴァン・モリスンのようにもなれず)、いわゆる通好みのシンガーに終わってしまった。

が、なかなか味わい深い歌声をもっているのだよ、彼は。聴き逃すのは、もったいないってもんだ。

本名ジョン・ヘンリー・デイトン。40年、ロンドン近郊に生まれる。他の多くのブリティッシュ・ロッカーたち同様、スキッフルのスター歌手、ロニー・ドネガンの影響を受けてギターや歌を始める。

そのうち歌に専念するようになり、バックバンド「ザ・サンダーバーズ」を率いて、62年メジャー・デビュー。サンダーバーズには、後にクラプトンなどとも組むことになる名ギタリスト、アルバート・リーが在籍していた。

66年にローリング・ストーンズのマネージャーとして著名であったアンドリュー・オールダムに見いだされ、オールダムの立ち上げた新レーベル「イミディエイト」に移籍する。

そのレーベルにおいてのいくつかのヒットを収めたのが、この「Paint It Farlow」というアルバムである。

レーベルオーナー/プロデューサーのオールダムの作品を歌っているほか、レーベルメイトにあたるスモール・フェイセズ、オールダムつながりのストーンズ、あるいはモータウンの曲なども取り上げている。

その声はといえば、どこか当時の同じ英国人シンガー、トム・ジョーンズを連想させる、ちょっとハスキーで深みのあるバリトン。

70年代以降のブリティッシュ・ロックのボーカルが、明らかに超高音指向になっていったのとは好対照で、実にシブいのである。むしろ米国のサザン・ソウルに近い味わいであるな。

彼の写真を見るに、同じR&Bをルーツに持つアーティストとはいえ、ストーンズやスモール・フェイセズみたく婦女子にキャーキャー騒がれ、ミーハーな人気を集められるキャラとはいいがたいし、逆にトム・ジョーンズのように、ムンムンのセックス・アピールで迫るという感じでもない。実に中途半端なポジションのひとなのだ。

スター性はイマイチ。でも、音楽的には結構わるくない。筆者的には、彼の「重心の低さ」に、自分自身の立ち位置と共通したものを感じるのである。

スターとして、婦女子に騒がれなくたってええやん。自分にとって一番グッとくる、骨太の音楽をやっていられれば。

クリス・ファーロウを聴くたび、筆者はそんなことを考えている。

今年68才のクリスに「少なくとも、オレはあんたの歌が好きだぜ」、そう伝えたい。

2008年6月1日(日)

#36 マディ・ウォーターズ、ジョニー・ウィンター&ジェイムズ・コットン「Rocket 88」(Breakin' It Up & Breakin' It Down/Epic/Legacy)

今月の一発目はこれ。マディ・ウォーターズらによる1977年録音のセッション・ライブ盤「Breakin' It Up & Breakin' It Down」(リリースは2007年)からの一曲。

以前にこのコーナーでマディの「アイム・レディ」を取り上げたが、それとほぼ同時期のレコーディングだ。

ブルースの顔役・マディ、マディの復活にテコ入れをした弟子のウィンター、マディ・バンドに在籍していたこともあるコットンの、三役揃いぶみといった感のあるこのライブ。マディを中心に、おのおのの得意なナンバーを総ざらいしている。

今日聴いていただくのは、コットンの歌とハープをフィーチャーした、ブルース/ロックンロールの古典「ロケット88」。

オリジナルはジャッキー・ブレンストン&デルタ・キャッツ。作曲者はブレンストンということになっているが、実のところはプロデューサー&ピアニストをつとめたアイク・ターナーなんだそうな。

ウルトラ早口でまくしたてる、超アップテンポのナンバ−。最初のロックンロール・ヒットとも呼ばれる51年製のこの曲を、コットンはライブの定番としていた。

コットンの汽笛ならぬブロウ一声ではじまり、ウィンターのソリッドなギターが小気味よくからむ。パイントップ・パーキンスをはじめとするバック・ミュージシャンたちの演奏も気合い十分。このうえないシャッフル・ビートが楽しめる一曲に仕上がっている。

コットンのちょっととっぽいボーカルと、エネルギッシュなハープとのコントラストもいい。

ラストは彼の気合いにみちた一喝で決まり、これにウィンターがかっさいを叫ぶ。まことにエキサイティングなり。

ロックンロールの楽しさ、この一曲に極まれり。アイク・ターナーって、一般的には余り評価されてないけど、この一曲を生み出しただけでも相当スゴい人だったんだなと、つくづく思う。

ロックンロールとはドライブすることと見つけたり。「ロケット88」は永久不滅な名曲であります。

2008年6月8日(日)

#37 アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレイテッド「I Thought I Heard That Train Whistle Blow」(R&B from the Marquee/Ace Of Clubs)

「ブリティッシュ・ブルースの父」ことアレクシス・コーナー率いるブルース・コーポレイテッド、62年ロンドンのマーキーに於けるファースト・レコーディングから。

アレクシス・コーナーは28年、フランス・パリ生まれ。ギリシャ系トルコ人の父、オーストリア人の母をもつという複雑なエスニシティの人。この無国籍性が、彼の音楽の多様性の根っこにあるのかもしれない。

10代の前半で英国はロンドンに移住。この頃からブルース系の音楽に目覚めはじめ、ピアノ、ギターを弾き始める。

弱冠20才でクリス・バーバー・ジャズ・バンドに参加、本格的なプロ・ミュージシャンとなる。その後、スキッフルのケン・コリアー・バンド、ギター/ハープ奏者シリル・デイヴィスと組んだデュオを経て、デイヴィスとともに、62年ブルース・コーポレイテッドを結成する。

このバンドが、すぐれた若いミュージシャンを数多く輩出してきたのである。

例をあげればストーンズのチャーリー・ワッツ、クリームのジャック・ブルース、コロシアムのディック・ヘクトール・スミス、ZEPのロバート・プラント、フリーのポール・ロジャーズ、アンディ・フレーザーなどなど。ジョン・メイオールのブルースブレイカーズと並んで、ミュージシャン養成校としても、名が高かった。

そんなB.I.の最初の録音は、まだブルースともジャズともスキッフルともいいがたいサウンド。ギターはスキッフル調、サックスやドラムスはジャズ調、ハープはブルース調という、なんとも不思議なR&Bなんである。

電気楽器をほとんど使わずに演奏しているというのは、ジャズ的なアプローチという感じだし、でもコーナーの歌声は、ダウンホームなブルースを強く感じさせる。

いまの若いロックファンが、コーナーの弟子たちの名前に惹かれてこれを聴くと「???」となってしまうかもしれないね。

まあ時代は62年、まだブリティッシュ・ブルース自体が未確立な時期である。アメリカとは違った英国独自のブルースが生み出されるのは、もう少しあとの話だ。

ということで、ブリティッシュ・ブルース、ブリティッシュ・ロックの黎明期を知るうえで貴重な記録として、一聴を。なかなか面白い音です。

2008年6月15日(日)

#38 グレアム・ボンド・オーガナイゼーション「Only Sixteen」(Solid Bond/Warner Bros.)

先週取り上げたアレクシス・コーナー同様、ブリティッシュ・ブルース/ロックシーンの先駆的存在だったのが、グレアム・ボンドだ。

37年、英国はエセックス州ロムフォード生まれ。最初は完全にジャズ系ミュ−ジシャンで、アルトサックスを吹いていた。

アレクシス・コーナーズ・ブルース・コーポレイテッドに62年参加し、ジャック・ブルースやジンジャー・ベイカーと知り合う。このふたりをリズム・セクションに迎え、ディック・ヘクトール・スミスのサックス、そして自らオルガンとボーカルを担当するバンドを結成した。グレアム・ボンド・オーガナイゼーションである。

デッカからシングル、EMI/コロムビアから2枚のアルバムを発表。66年にはブルース、ベイカーが相次いで脱退(そして彼らはエリック・クラプトンとともにクリームを結成するのは、皆さんご存じであろう)。ドラムにジョン・ハイズマンを迎えてトリオ編成となったが、67年9月に解散している。

アルバム「Solid Bond」は彼らの63年〜66年のレコーディングをコンピしたもので、ジョン・マクラフリン在籍時のライブ録音も含まれている。70年リリース。

その中から今日は、ボンドのオリジナル「Only Sixteen」を。

スミスの激しいブロウで始まるブルース・ナンバー。ギターレスで、おもにサックスをフィーチャーしているせいか、かなりジャズ色が濃く感じられる。

サックスもさることながら、ボンドの粘っこいバリトン・ボイスといい、ブルースの重たいベース・ラインといい、ベイカーの手数の多いドラミングといい、全体にコテコテ風味の演奏が展開される。

こういう音って、好きな人、嫌いな人にはっきり分かれると思うけど、筆者は結構嫌いじゃないな。

それに、他のパートの重たさを、ボンドのオルガンがうまく和らげていると思うし、歌と演奏がいいバランスで拮抗しているのも評価したい。

ジャズ・フォーマットに大きく寄りかかってはいるが、単なるジャズではなく、ボーカル・ミュージック、いわゆる歌モノとしてもきちんと成立しているのは、さすがである。

アレクシス・コーナー同様、こういったさまざまな実験の成果を土台にして、ブリティッシュ・ロックは発展をとげていったといえそうだ。

歴史的に、非常に重要な記録なり。ぜひ聴いてみて。

2008年6月22日(日)

#39 ジョン・メイオール・アンド・ブルースブレイカーズ「Dead City」( Blues for the Lost Days/Jive)

アレクシス・コーナー、グレアム・ボンドとくれば、次にくるのは当然このひとでしょ。ジョン・メイオールである。

1933年英国チェシャ州マックルスフィールド生まれ。朝鮮戦争時には英軍の兵として参加し、帰国後、パワーハウス・フォーというバンドを結成、本格的な音楽活動を始める。

20代の末、62年に同バンドをブルースブレイカーズと改名。当時のメンバーはメイオール、バーニー・ワトソン(g)、ジョン・マクヴィー(b)、キース・ロバートソン(ds)。

65年にレコード・デビュー。同年、元ヤードバーズのエリック・クラプトンが加入したことで、バンドは一躍注目を浴びる。

クラプトンが去ったのちも、ピーター・グリーン、ミック・テイラーといったすぐれたミュージシャンが入れ替わり立ち替わり参加したことで、ブルースブレイカーズはミュージシャン養成所としての高い評価をうることとなる。

バンドとしてはいったん69年に解散してしまうなど、決して安定した道のりを歩いていたわけではなかったが、メイオ−ルのまいた「種」は、クリーム、ストーンズ、フリー、フリートウッド・マック、コロシアムといった英国を代表するロック・バンドへと開花していった。

ミック・ジャガーが喩えたように、まさに「ジョン・メイオール・スクール」の校長であったということだ。

この校長先生、英国人だけに結構厳格なところがあって、バンドも完全に彼の独裁政治だったようだ。だから生徒たちも、なかなか長続きしなかったと見える。

さて、解散後のブレイカーズだが、82年にテイラー、マクヴィーらとリユニオンライブ・ツアーを行っている。ただこれは、あくまでも短期プロジェクトとして考えていたようで、その後、ココ・モントーヤ、ウォルター・トラウトという実力派ギタリストたちをスカウト、新生ブレイカーズを84年にスタートさせる。

トラウトは88年、モントーヤは93年まで在籍、その後はバディ・フィッティントンが参加している。今日聴いていただくのも、97年、フィッティントンのギターをフィーチャーしたブルース・ナンバーなり。

ストラトを愛用、エッジの立った音色でバリバリ弾きまくる彼のプレイは、どこかクラプトンやテイラーをほうふつとさせるものがある。

御大メイオールも、ハープと歌で彼にがっぷり四つに組み、非常にエキサイティングな仕上がりである。

メイオールがバンドリーダーとして衆にすぐれていたのは、常に自分のギタリストとしての実力のほどをわかっていて、自分より腕のたつギタリストを探すことに怠りなかったところにあると思う。

もし自分がうまいと思っていたら、自分が全部弾く、いわゆるワンマンバンド体制にしてしまうだろう。

メイオールは、歌もハープもギターも、一番うまいとはいえないが、誰が一番うまいかを知る「慧眼」のひとなのである。

それゆえに11月には75才となる現在も、バンドリーダーとして活躍し、過去の教え子たちからも信頼されているのだろう。

こういうふうに、生涯バンドを続けていけるチャンジーになることは、筆者の理想でもあります、ハイ。

2008年6月29日(日)

#40 ジョニー・テイラー「Gotta Get the Groove Back」(Gotta Get the Groove Back/Malaco)

40曲目は再びアメリカに戻ってこれ。2000年5月に亡くなったソウル/ブルース・シンガー、ジョニー・テイラー、99年リリースのアルバムよりタイトル・チューンを。

ジョニー・テイラーは38年、アーカンソー州クロウフォーズビル生まれ。ゴスペル・グループのメロディ・マスターズを振り出しに、R&Bグループ、ファイブ・エコーズ、再びゴスペル系のハイウエイQCズ、ソウル・スターラーズといったグループで歌ってきた彼に飛躍のチャンスが訪れたのは65年の暮れだった。

メンフィスのスタックス・レーベルと契約、アイザック・ヘイズ、デイヴィッド・ポーターによりプロデュースされたシングルが、2枚たて続けにヒット。35年に及ぶ、栄光のキャリアのはじまりである。

その後プロデューサーはMG'Sのアル・ジャクスン・ジュニア、スティーヴ・クロッパーに代わり、3枚ほどヒットを出す。

きわめつけは、68年、新プロデューサー、ドン・デイヴィスのもとで生み出された最初のシングル「フーズ・メイキング・ラブ」。これが記録破りの大ヒット。R&Bチャートで1位、ポップ・チャートで5位となる。スタックスでの当時最大のヒットとなり、最終的には200万枚、ダブル・ミリオンまで売れたのである。以後、デイヴィスのプロデュースによって、30枚近くのシングルが生み出されることになる。

当時の日本ではほとんどヒットせず、いや話題にさえのぼらなかったのだが、とにかくアメリカでの人気はすさまじかった。

この流れで2000年に至るまで、R&Bチャートに送りこんだ曲は40曲以上。まことに堂々たる活躍ぶりである。

サム・クックに強く影響を受け、ブルースのみならずゴスペルをもルーツに持つテイラーは、楽器を持たないスタンダップ系ということでボビー・ブランドあたりと同様、日本ではウケがいまひとつなのだが、キャリア、ヒット実績、そして遺した作品内容、どれをとっても「本物のシンガー」とよぶにふさわしい人だと思う。

さて、今日の1曲はテイラーの自作曲ではないが、実質的な遺作となったアルバムの中核をなすナンバー。

聴けばすぐにお分かりいただけると思うが、ウィルソン・ピケットの「ムスタング・サリー」「ミッドナイト・アワー」をはじめとするソウルの名曲の、タイトルや歌詞の一節をちりばめた構成になっている。

マニアにはこたえられない内容である。その歌詞の出典をどれだけ知っているか競う、トリヴィア的な聴きかたもあるだろう。だが、だからといって、出典が全部わからない者が聴いたって別にいいんでないの。ソウル初心者は、純粋にそのサウンドを楽しめばいいんである。

ジョニー・テイラーの声って、ちょっと独特の立ち位置にあると思う。

いわゆる美声ではないし、かといって極端な悪声でもない。「チョイ悪」くらいの塩辛声って感じかな。

猛烈な個性はないけど、平凡でもない。聴くとそれなりに印象に残る声で、リスナーにとってはベスト・オブ・ベストではないけど、お気に入りのシンガーの一人にはなる。そういうタイプだと思う。

筆者は70年代後半、「ディスコ・レディ」のヒットではじめて彼の存在を知ったクチ。当時は彼がそんなにすごいキャリアのある人なんて全然知らなかったのだが、彼の死を機に、彼のキャリア、彼の底力を知ることとなった。

忘れられてしまうには、とても惜しいシンガーだ。初期の大ヒット群はもちろん、晩年の「Good Love!」をはじめとするマラコ作品も佳作ぞろい。ぜひ、一聴を。

2008年7月6日(日)

#41 ビッグ・モジョ・エルム「Move On Out Of Town」(Sweet Home Chicago/Delmark)

今年も後半に入ってしまった。半年って、ホント、あっという間だねぇ〜(溜息)。

さて、7月の一発めはこれ。88年リリース、デルマークの編集盤からの一曲。

ブルース界の「歌うベースマン」といえば、なんてったってウィリー・ディクスン。でも彼以外にも歌えるベースマンはいたのだ。それが、このビッグ・モジョことロバート・エルムなり。

28年ミシシッピ州インヴァーネス生まれ、97年歿。フレディ・キングのバック・バンドでプロデビュー、その後ルーサー・アリスンのバンドに移り、そこで自らのリード・ボーカルをフィーチャーした2曲を67年に録音している。この曲と「Slow Down Baby」である。

その後、本格的にボーカル・デビューするのは94年のアルバム「Mojo Boogie!」にて。なんと65才を過ぎてからの初リーダー録音だ。あっぱれというほかない。

さて、この「Move On Out Of Town」というブルース・ナンバー、一般的には「I'm Gonna Move To The Outskirts Of Town」というタイトルでよく知られているが、まったく同じ曲である。

アンディ・ラザフ作詞、ウィル・ウェルダン作曲。もともとはカウント・ベイシー、ルイ・ジョーダン、ジミー・ラッシング、ジミー・ウィザースプーンといったジャズ/ジャンプ系のアーティストが取り上げることが多かったが、ビッグ・ビル、マディ、BB、アルバート・キングらコテコテのブルースマンらもよくカバーしている。ブルースとジャズ、両方の畑で愛されているブルースなのだ。

でも、アレンジや歌い方によって、印象がまったく違ってくる曲でもある。本バージョンをウィザースプーンのようなビッグ・バンドをバックにジャズ・アレンジで歌ったものと聴き比べると、ホント、同じ曲とは思えない。後者の洗練された音とは対照的に、「ど」がつくぐらい、シカゴ・ブルースの典型、みたいな印象なのだよ。

歌い手が変われば、まったく違う曲に聴こえる。これがまた、音楽の面白いところでもある。

ビッグ・モジョはルーサー・アリスンらをバックに、自らベースも弾きつつ歌っているのだが、これが(失礼ながら)意外とイケるのである。

ルーサー率いるバンドなのに、歌はルーサーよりも聴きやすかったりして(笑)。

少し高めの声を巧みにコントロールして、味のあるシャウトを聴かせてくれるビッグ・モジョ。こりゃあ、掘り出し物といっていい。

もちろん、ルーサーのシャープなソロも堪能出来て、一粒で二度美味しい、そんな一曲であります。乞うご一聴。

2008年7月13日(日)

#42 ウィリー・ニックス&ジェイムズ・コットン「Baker Shop Boogie」(Blow, Brother, Blow!/Charly)

ウィリー・ニックスといってピンと来るひとは、きわめて少ないだろうなぁ。歌うドラマーとして数々のブルースマンと共演し、自らもソロで歌いながら、商業的には成功せず、単独ではアルバム一枚すら出していないから、ほとんど知られていない。まさに不遇のアーティストなんである。

22年テネシー州メンフィス生まれ。故郷のメンフィスでタップ・ダンサーとして出発、踊るコメディアンとしてミンストレル・ショーで活躍。40年代の半ばにミュージシャンに本格的に転向、ロバート・ジュニア・ロックウッド、サニーボーイ・ウィリアムスンII、ウィリー・ラブ、ジョー・ウィリー・ウィルキンス、B・B・キング、ジョー・ヒル・ルイス、マディ・ウォーターズ、エルモア・ジェイムズ、ジョニー・シャインズ、メンフィス・スリムといった一流どころと共演。シンガーとしてもRPM、チェス、サン、チャンス等でレコードを出している。

これだけのキャリアを持ちながら、60〜70年代にはほとんどメジャー・シーンに出なくなり、91年、ミシシッピ州リーランドで死亡。享年68。

現在その歌声は、何枚かのコンピ盤によってのみ聴くことが出来る。

きょうご紹介する「Baker Shop Boogie」はそんな貴重な音源のひとつ。

ジェイムズ・コットンのハープ、ウィリー・ジョンスンのギター、ウィリー・ラブのベースを従えた演奏。もちろん、ドラムスはウィリー・ニックス自身がたたいている。52年メンフィス録音。

聴いていただくとわかると思うが、全体にドサドサッとしたいなたい演奏が、時代と場所柄を感じさせてグー。そしてウィリー・ニックスの、一本調子でお世辞にも巧みとはいえないけど、非常にリラックスしたムードの歌声が、なんともええのです。

名ハーピスト、ジェイムズ・コットンも、このころはいかにも田舎臭いスタイルで吹いていて、ほほえましい。

まさにメンフィス。まさに南部。このダウンホームなサウンドに酔っておくれ。

2008年7月20日(日)

#43 ザ・バー・ケイズ「Attitudes」(The Best Of Bar-Kays/Mercury)

バー・ケイズ、77年のヒット。当時のメンバー9名による作品。

バー・ケイズゆーたら、白人バンドのレイナード・スキナードと並んで「悲劇のバンド」「宿命のバンド」と呼ばれることが多いのぉ〜。

事実、デビューしてまもない67年12月、オーティス・レディングのバックバンドとしてツアーに同行中、飛行機の墜落によりメンバー4名が死亡という、とんでもない悲劇に見舞われている。

しかし、彼らのスゴいところは、ツアーに同行せず生き残ったメンバー2名が、新たなメンバーを集めスタートさせた新生バー・ケイズで、以前よりもはるかに大きな成功を収めたことだ。

70年代前半は悲劇の痛手からなかなか立ち直れず、ヒットをろくに出せずにいたが、76年、スタックスからマーキュリーに移籍したことをきっかけに、快進撃が始まる。

名プロデューサー、アレン・ジョーンズを得て、単なる演奏の巧いR&Bバンドから、真にキャッチーなファンク・バンドへと変身を遂げるのである。

76年の移籍第一弾アルバム「Too Hot To Stop」を皮切りに、87年の「Contagious」に至るまでの10枚、11年間はまさに彼らの黄金時代。

最大のヒット「Freakshow On The Dance Floor」(84年)をはじめとする数多くのヒットを連発、名実ともにトップ・バンドとなったのである。

彼らのファンク・サウンドは、確かな技術に裏打ちされたもので、いわゆるカリスマ性とか、けれん味みたいなものはほとんど感じられないのだが、後発のバンド(たとえばコモドアーズ、カメオなど)に大きな影響を与えている。

キャリア、実力ともに、三役クラスは与えていいバンド。残念ながら当時の日本では、この手のバンドのウケがいまいちで、人気は出なかったが、ファンクとは何かを知るうえで最もいい教材的存在だったと思う。

きょう聴いていただくのは、アップテンポの曲が多い彼らにしては珍しいスローめのバラード。

バラードとはいえ、甘アマな路線に流れず、適度にビターで、リードボーカル・ラリー・ドッドスンの独特な歌いまわしがファンクネスを感じさせますな。

バー・ケイズの職人ワザに、不撓のファンク魂を感じとってほしい。

2008年7月27日(日)

#44 ジャッキー・ウィルスン「A Women, A Lover, A Friend」(The Ultimate Jackie Wilson/Brunswick)

きょうび黒人シンガー、ジャッキー・ウィルスンについて語るひとは、もはや本国アメリカでもまれになってしまったが、彼のひところの人気ときたら、ハンパなくスゴかったのだよ。

34年、デトロイト生まれ。ボクサー出身で、歌手に転身。ビリー・ウォード率いる人気コーラス・グループ、ザ・ドミノスにクライド・マクファター(ドリフターズのオリジナル・メンバー)の後釜として加入。その後ソロ・デビューし、58年「Lonely Teardrops」を大ヒットさせて、一躍国民的人気を得たシンデレラ・ボーイ。60年代末まではヒットを出し続けものの、次第に懐メロ歌手的なポジションに追いやられてしまい、84年に長い患い、そして元妻たちとのトラブルのなか、49才の若さで亡くなっている。

ロック世代には、リタ・クーリッジがカバーした「Higher And Higher」のオリジナル・シンガーといえば、ピンと来るかもしれない。

当時の彼の人気は、本当にすさまじく、サム・クックと並び称されるほど。幼少期のマイケル・ジャクスンにとって最大のアイドルだったとか、そういう人なのだ。

そんなポピュラーなシンガーにしてはちょっと珍しい一曲を。60年のブルーズィなバラード「A Women, A Lover, A Friend」である。

ジャッキーの声って「華」があるといいますか、実にきらびやかで、天性のスター性を感じさせる。それはサム・クック以上かもしれない。

ボクシングでつちかった、華麗な身のこなし、ダンス。陽性のキャラクター、容姿。そしてこの美声。すべてが彼のスター性の証明といえる。

で、聴いてみると、声がいいだけでなく、実に歌がうまいのだ。ブルースな節回しを、朗々とした声で歌い上げるさまには、思わず聴きほれてしまう。

マイケル・ジャクスンも目標にしたスターの中のスター、ジャッキー・ウィルスン。

彼の場合、時代もあってかセルフ・プロデュースをせず、ヒットできるかどうかはプロデューサー次第、みたいなところがあった。

60年代までは優れたプロデューサーとの縁があったが、70年代にはそれがなくなってしまった。

すぐれたシンガーではあったが、自ら時代をリードする音楽を生み出せなかったことが、彼の限界であったということか。

でも、それにしたって、いいものはいい。ジャッキー・ウィルスンの、川の流れのように滔々とした歌声は不滅であります。

2008年8月10日(日)

#45 デニース・ウィリアムズ「Free」(This Is Niecy/Columbia)

黒人女性シンガー、デニース・ウィリアムズ、76年のデビュー・ヒット。彼女を含む4名の共作。

デニースは51年、インディアナ州ゲイリーの生まれ。ゴスペル・コーラスに子供のころから参加するうちに、次第に頭角をあらわし、ハイスクール在学中に、シカゴのマイナー・レーベルで3枚のシングルを出す。

これがなんと、スティービー・ワンダーの目ならぬ耳にとまり、彼のバック・ボーカルになるよう要請されるのだ。デニース、20才のときである。なんたるシンデレラ・ガール!

すでに結婚して子供も2人いたが、結婚を解消、子連れでカリフォルニアへ移住。プロとしてのキャリアが始まる。

70年代の前半は、スティービーをはじめとして、ミニー・リパートン、ロバータ・フラック、エスター・フィリップスといった大物シンガーのバック・ボーカルに徹し、一方ではソング・ライターとしての活動もはじめていた。

そうして、76年、この「Free」でついに本格ソロ・デビュー。R&Bチャートで2位、ポップ・チャートでも25位という大ヒットとなり、デニースの名は世間一般にもよく知られるようになる。

その後、78年にはベテラン歌手ジョニー・マティスとのデュエット曲「Too Much, Too LIittle, Too Late」(邦題「涙のデュエット」)でも大ヒット。R&B・ポップ両チャートで1位と、マティスにとっての最大のヒットともなっている。

デニースはその後もコンスタントにヒットを出し続けたが、ルーツであるゴスペル音楽への思いを断つことが出来ず、86年初のゴスペル・アルバム「So Good I Know」をリリースしてからは、完全にゴスペル中心の音楽活動を行っている。もちろん、ポップ・ミュージックを完全にやめたわけではなく、2007年には18年ぶりに「Love, Niecy Style」というポップ・アルバムを制作している。

「Free」は、彼女のたぐいまれなる美声が、100パーセント生かされた佳曲だ。その透明感あふれるハイ・トーン・ボイスは、この世のものとは思えぬほど。

バックをつとめるのは、アース・ウィンド&ファイアーのメンバーたち。プロデュースはモーリス・ホワイトとチャールズ・ステプニー。実に洗練された、センシティブなサウンドの秘密は、そのスタッフにあった。

この「This Is Niecy」というアルバム、実は当初、彼女自身のためではなく、アース・ウィンド&ファイアーのために曲が用意されていたのだという。そういえば、アースの看板シンガー、フィリップ・ベイリーが歌ってもおかしくないキーではあるね。

それが一転、デニースをフィーチャーするアルバムに変わったことで、この天才女性シンガーはソロ・デビューのチャンスを掴んだということだ。人生、チャンスはいつやってくるかわからないね。

デニースの歌声は、いわゆる黒人音楽の範疇を越えて、どんな人種・民族にもアピールしうるものだと思う。R&B系の臭みがほとんどなく、白人化しているといえばそれまでだが、白人の多くでさえ持ちえない洗練、高度のセンスが、彼女にはある。

マライア・キャリーあたりとはまた違った意味で、国境を越えて多くの人々に感動を与えられる稀有なシンガー、それがデニース・ウィリアムズなのだ。

歌声の素晴らしさと同時に、ソング・ライティングの巧みさも味わってほしい。

2008年8月17日(日)

#46 ロベン・フォード&ザ・ブルー・ライン「Good Thing」(Handful Of Blues/Blue Thumb)

ロベン・フォード、95年のアルバム「Handful Of Blues」より、彼のオリジナル・ナンバーを。

ロベンは51年カリフォルニア州ユキア生まれ。フュージョン・バンド「イエロージャケッツ」のメンバーとして名を上げ、83年にバンドを離れてからはソロとして活躍している。

基本的にはジャズ畑のひとだが、ラリー・カールトンなどと同様、その音楽的ルーツにはブルース、R&Bが色濃く感じられる。

自らもブルース・ナンバーをよく歌い、これが結構イケるのである。ソロ・シンガーとしてやっていけるほどの個性はないが、バンドの一パートとしてのボーカルは、十分にこなしている。

「歌えるジャズ・ギタリスト」としては、ジョージ・ベンスンあたりを別にすれば、当代随一といえるんじゃないかな。

彼のバンド、ザ・ブルー・ラインはトリオ。ロベンのギターにベース、ドラムスという、いたってシンプルな編成である。この曲では、キーボードがゲストで参加しているが。

「Good Thing」は、ちょっとダルな、スロー・ブルース。ここでのロベンのソロがいい。ソリッド&クリアーでメリハリのあるサウンド、ブルースとジャズを巧みに織り交ぜたフレージング。

ことに、後半、尻上がりにエキサイトしていくところなど、カッコいいのひとこと。

でも、これだけセンスのいいロベンなのに、たったひとつだけ残念なことがある。

それは髪型、コスチュ−ムなどのセンスがイマイチなこと。もともと身なりに構わないってひとなんなら、まだいいんですが、本人はお洒落をしているつもりだから、タチが悪いのです。あれはどうにかならんものかねぇ〜。

プロなんだから、専属スタイリストくらいつけたほうがいいのにと、彼の奇妙なステージ衣装を見るたびに思います。

ということで、そのファッションを除けば歌はうまいし、ギターは最高だしで、文句のつけようのないロベン君なのであります。

2008年8月24日(日)

#47 ミシシッピ・ジョン・ハート「Hot Time In The Old Town Tonight」(The Best Of Mississippi John Hurt/Aim)

ミシシッピ・ジョン・ハート、66年の録音。トラディショナル・ナンバー。

1893年、ミシシッピ州テオクに生まれたハートは、1928年に13曲のレコーディングを行っているが、それきりチャンスはなく、農業をはじめとする肉体労働で生計をたてていたという。

ところが63年、齢70才にして、おりからのトラディショナル・フォーク・ブームもあって、再度、片田舎で暮らしていた彼に脚光があたる。

史上最高齢ともいえる爺ちゃんシンガー、カムバック・デビューである。

3年後73才で亡くなるまで、65年のニューポート・フォーク・フェスティバルに出演したり、数枚のアルバムをレコーディングするなど、充実した晩年を過ごすことになる。

まさに、人生最後にして初めて訪れた、輝かしき日々といえますな。

ハートの歌や演奏は、ブルースのジャンルにとらわれることなく、バラード、スピリチュアル、フォーク、そして流行り歌と、さまざまなスタイルの音楽を包括していた。

ブルース・シンガー以前から存在していた、いわゆる「ソングスター」とよばれる、歌うたいだったのである。

そのギター・サウンドはあくまでも軽快なフィンギー・ピッキングによるものだし、歌いぶりも、鼻歌ふうで力みのまるでないスタイル。

でもこれが実にいい味を出しているんですわ。

たぶん、歌もギターも、若いころから特に変化することなく、ずっとあのホンワカした感じだったんだろうな。

きょう聴いていただく「Hot Time In The Old Town Tonight」は、田舎の小さな町の、週末のダンス・パーティを歌ったトラッド・ナンバー。

肉体労働者の唯一の娯楽ともいえる宴のさまを、例の和みと癒しにみちた声で素朴に歌いあげている。

そして、意外と力強くしっかりしているのが、彼のギター・プレイ。フィンガー・ピッキングを志すひとにとっては、格好のお手本となりそうな、リズミカルな演奏も聴きもの。70代にしてこのプレイとは、さすが昔とった杵柄ですな。

ハート翁の最晩年の置き土産。日頃、刺激の強い音楽に食傷気味のかたにはおすすめの、心安らぐハッピー・ミュージックであります。

2008年8月31日(日)

#48 パーシー・スレッジ「You're Pouring Water On A Drowning Man」(When a Man Loves a Woman/Collectables)

今月最後の一曲はこれ。サザン・ソウルの大ヒット「男が女を愛する時」で知られるパーシー・スレッジのデビュー・アルバムより。

パーシー・スレッジは41年、アラバマ州レイトン生まれ。10代より音楽活動を始め、20代は昼間は病院の看護夫、夜はエスクワイアーズというローカル・グループのボーカリストという生活をしていた。

そんなパーシーにチャンスが舞い込んできたのが、66年。白人DJにしてプロデューサー、マッスル・ショールズ・スタジオの経営者でもあったクイン・アイヴィーの目にとまり、彼の肝煎りで初レコーディング、名門アトランティック・レコードからデビュー・アルバムを出すことになる。

これがデビュー盤にして見事大ヒット。タイトル・チューン「男が女を愛する時」は40年以上を経た現在でも歌い継がれる、ソウル・スタンダードとなった。

が、スタートが幸運過ぎたのか、その後はせいぜい中ヒット程度しか出せず、「男が女を愛する時」を越えるバラードを生み出すことは、出来なかった。

嗚呼、まさに典型的「一発屋」。ショウビズの世界は、きびすぃ〜っ!

でも、こう考えてもいいんじゃないかな。たった一曲だけでも、世界中のソウル・ファンの記憶に残る名曲を残すことが出来たんだがら、御の字だと。

パーシー・スレッジの顔がどんな顔かロクにしらないリスナーは多いけど、あの悲痛なまでにソウルフルな歌声は、聴けば一発でわかる。これぞ、歌手冥利に尽きるというものでしょう。

実際、彼のデビュー・アルバムのジャケットには、彼の写真が使われておらず、白人女性モデルの写真が使われているから、パーシーの顔を知らないひとが多いのも、ムリはない。

で、そのお顔を拝するに、歌声と同様、かなり暑苦しい感じで、女性とかひきそうなタイプ。こりゃあ、イメージ写真を使って、正解だったかも(笑)。

それはともかく、彼のデビュー・アルバムは急ごしらえだったらしく、他人のカバーが多い(11曲中6曲)ものの、非常に出来はいい。パーシーのために作られた曲も、もちろん粒揃いで、仕掛人アイヴィーの腕前を感じさせる。

本日聴いていただく「You're Pouring Water On A Drowning Man」は、ベイカー=マコーミックのコンビによる作品。サム・クックをちょっと思い出させる、陽気なミディアム・テンポのナンバーだ。失恋の痛手をユーモアで包んだ歌詞を、パーシーならではの張りのある歌声で熱唱している。

「男が女を愛する時」は、その力みまくった歌いぶりといい、多分に演歌チックな出来だが(まあ、それゆえに日本でもヒットしたんだろうけど)、パーシーにも、もっと陽性な、カラッとした持ち味があることがわかる一曲だ。ぜひ聴いてみるべし。

2008年9月7日(日)

#49 エリック・クラプトン「Hey Hey」(Unplugged/Reprise)

MTV企画でのエリック・クラプトン・ライブ。92年リリース。

クラプトンにはソロ・デビュー当時から、アコースティック・サウンドへの指向があったが、それが本格的に開花したのが、この「アンプラグド」である。

この曲は、ECのレパートリーとして知られる「Key To The Highway」の作者、ビッグ・ビル・ブルーンジーの作品。

ビッグ・ビルは戦前・戦中期におけるシカゴ・ブルースのボス的存在で、レコーディング曲数もハンパではない。「Hey Hey」は、51年に録音されているが、ECがこの曲を取り上げたことで、歴史に埋もれていた佳曲が、40年ぶりに命を吹き込まれたといえるね。

歌の構造はきわめてシンプル。「Hey Hey」という恋人への呼びかけの繰り返しが、ひたすら耳に残る。

思うにブルースの歌詞には、つぶやきというかモノローグ的なものもあるが、恋人への呼びかけ、哀願的なものが意外と多い。この曲もそうだし、同じく「Key To The Highway」の後半、「Give me one〜」のくだりもそうだな。タイトルでいえば「Hey Bartender」「Hey Lawdy Mama」とか。

会話のセリフがそのまま歌詞になっていく。いかにも日常の詩(うた)、ブルースらしい表現だといえそう。

話は脱線するが、筆者はこの「Hey Hey」という曲を聴くたび、ついつい左とん平の「ヘイ・ユウ・ブルース」を思い出してしまう。

とん平氏の歌詞というかラップは、恋愛がテーマの「Hey Hey」とは全然違って社会派的なものだったけど、なにか歌の姿勢として共通したものがあるとすれば、呼びかけ、つまりオレはこう思ってんだけど、どうよ?みたいな他者への働きかけにあるんじゃないかと思う。いささかこじつけっぽいけど。

つまり、コール&レスポンス、他者との相互関係性こそが、ブルース的なのだ。

自己完結に終わったり、ナルシシズムに固まったりすることなく、つまり「ぶらない」ところが、ブルースの魅力なのだよ。

さてこの曲、ギター2本だけで、はねるような、躍動感あふれるリズムを生み出しているのが、実にいかしている。

高音に特徴あるリフが、耳に残る一曲。アコースティック・ブルースのスタンダードとして、残り続けることだろう。

2008年9月15日(月)

#50 ボビー・パーカー「Shine Me Up」(Shine Me Up/Black Top)

おかげさまでこのコーナーも、無事50回目を迎えることが出来た。読者の皆さまに感謝感謝。

さて、50曲目はこれ。ボビー・パーカー、95年リリースのセカンド・アルバムより、タイトル・チューンを。

ボビー・パーカーは37年、ロサンゼルス州ラファイエット生まれ。おん年71才のブルースマンだ。

50年代初頭から、サックス奏者ポール・ウィリアムスのバンドに参加。57年以降はソロ・シンガーとしてデビュー。何曲かのヒットを持ちながらも、アルバムを出すことなく80年代までは陰の存在だった実力派。

そんなパーカーが、ついにブラック・トップよりアルバム「Bent Out Of Shape」を出したのが、92年。3年後にリリースしたセカンド・アルバムが、「Shine Me Up」だ。

先日とりあげたビッグ・モジョといい、パーカーといい、アルバム・デビューを果たすのが50代〜60代ってのは、ブルースならではの話だろうねぇ。やっぱ、コドモには出来ん音楽だからかのぉ。

歌、ギター、曲作りともにこなすパーカー。カバーにほとんど頼らず、このアルバムも11曲中10曲、彼のオリジナルという徹底ぶりである。

曲調はブルースが多いが、ソウルな曲も結構ある。今日聴いていただくのは、ソウル系のナンバーだ。

ブラス・セクションをバックに、リラックスして歌うパーカー。少し高めで、辛口の声質が、いかにもソウルフル。

ギターのほうも、これ見よがしのテクを披露するということなく、控えめながら余裕を感じさせるプレイ。さすが40年のキャリアですな。この手のシニア系ブルースマンって、ギターは上手いけど、歌がイマイチってひとが多いと筆者は思っているんだが、パーカーについては、歌もギターも上手い。つまり、バランスが非常に良いのです。

かつてのヒット曲「Watch Your Step」は、ビートルズにも影響を与えたというパーカー。メジャーにはなりきれなかったが、そのシブい実力は、いろんな後続アーティストに影響を与えていそうだ。

知らない、聴かないままでは、もったいないのひと言。ぜひ、チェックしてみてちょ。

2008年9月21日(日)

#51 アン・ピーブルズ「I Feel Like Breaking up Somebody's Home」(The Best of Ann Peebles: The Hi Records Years/The Right Stuff)

黒人女性シンガー、アン・ピーブルズ、ハイ・レコードにおける72年のレコーディング。アル・ジャクスン・ジュニア、ティモシー・マシューズの作品。

アン・ピーブルズといえば、「アイ・キャント・スタンド・ザ・レイン」のオリジナル・シンガーとして、ロックファンにも知られる存在だが、それ以外にも佳曲は多い。特にハイ・レコードに所属していた時期は、名唱が目白押しといっていい。この曲も、そのひとつ。

MG'Sのドラマー、アル・ジャクスン・ジュニアが曲を提供しているが、ビートといい、歌詞の内容といい、そしてなにより歌いぶりといい、実にへヴィなブルースに仕上がっている。

黒人女性シンガーにしては珍しくスレンダーな体から、しぼり出すように歌い上げるピーブルズ。その迫力は、重量級のビッグ・ママ系シンガーとはまた違ったもので、心臓をえぐり出すような鋭さに満ちている。

で、さっそくこの名曲に目をつけ、カバーしたのが、御大アルバート・キング。「Breaking up Somebody's Home」とタイトルを縮めて、同年のアルバム「I'll Play The Blues For You」の中で演っている。

アルバート・キングのバージョンは、歌いかたがかなり違っていて、彼流のソフトなスタイルで通している。一聴しただけでは、同じ曲とは思えないくらい。

でも、両バージョンに共通しているのは、道ならぬ恋の悲しみ、苦しみを訴える、心の叫びだ。歌の表現スタイルは対照的でも、きわめてブルースであるという点で、二者に違いはない。

今回は特別に、ふたりのバージョンを聴きくらべていただこう。いずれ劣らぬディープな表現力に圧倒されます。

2008年9月28日(日)

#52 デトロイト・ジュニア「Anybody Can Have the Blues」(Turn Up the Heat/Blue Suit)

デトロイト・ジュニア、95年リリースのソロ・アルバムより彼のオリジナルを。

デトロイト・ジュニアことエメリー・ウィリアムズ・ジュニアは31年、アーカンソー州ヘインズ生まれ。

晩年期のハウリン・ウルフ・バンドに加入、ピアニストをつとめていたひとだ。

70年代からソロ・アルバムを発表していたが、注目されるようになったのは、本作から。

アルバムは、彼の歌とピアノによる弾き語りの曲と、バックバンドがついたリズミカルなナンバーに大きく分かれるが、本曲は前者にあたる。

これがまあ、実に独特な味わいのブルースだ。やたらと力まず、塩辛声で飄々と歌いあげていくジュニア。

彼のピアノ演奏も、味わいがふかい。歌をそこなわず、しっかりとリズムを刻んでいく。見事な歌伴プレイ、まさに職人の仕事です。

当アルバムには、亡きボス・ウルフの代表作「Killing Floor」のカバーも収められているが、あえてバックをつけず、ピアノだけでガンガン歌いまくっている。なんともユニークな「Killing Floor」なのだ。

ジュニアは本アルバム発表の10年後、73才で亡くなっている。数枚のアルバムを置き土産に。

最晩年に10年間だけ、脚光を浴びつつこの世を去って行く。いかにも手練れの職人ブルースマンらしい、人生の引き際なんでないかな。

いわゆるプロフェッショナルな歌手ではないけど、本業のピアノだけ弾くのでなく歌もきっちりこなす、こういうのが本場のミュージシャンらしいところ。日本の歌わない(歌えない?)ミュージシャンの皆さんも、見習ってほしいもんだ。

2008年10月5日(日)

#53 ダブル・トラブル「Say One Thing」(Been A Long Time/Tone-Cool)

皆さんご存知、かのスティーヴィー・レイ・ヴォーンのバックバンドだった、ダブル・トラブル。90年、SRVの死後は、さまざまなアーティストのバッキングをつとめていたが、2001年、チームとしての初めてのアルバムをリリースした。それが「Been A Long Time」 だ。

SRV存命中はキーボード、ボーカルを含む4人だったが、SRV没後はベース&ドラムのコンビとなったダブル・トラブル。ベースのトミー・シャノン、ドラムのクリス・レイトンの二人組である。

もちろん、この二人だけではさすがにアルバムは出来ない。10年来、バックアップして来た数多くのアーティストのゲスト参加により、本作は制作されている。たとえば、ダラス出身のシンガー/ギタリスト、ドイル・ブラムホール、ダブル・トラブルと改名される前のトリプル・スレット時代のリードボーカル、ルー・アン・バートン、かつてのメンバ−、キーボードのリース・ワイナンス、ジョニー・ラング、ウィリー・ネルスン、ドクター・ジョン、そしてSRVつながりのジミー・ヴォーンといった錚々たるメンツである。

人脈総動員により完成したアルバム中でも、なかなか健闘しているのが、ドイル・ブラムホール(二世)。かつてダブル・トラブルの二人、そしてチャーリー・セクストンとで結成したアーク・エンジェルズで92年デビュー、最近ではエリック・クラプトン・バンドにも参加しているブラムホールは、ソロ・アルバムは3枚しか発表しておらず、セールス的にもまだ地味〜な、いわゆる隠れた名プレイヤーなのだ。(ダブル・トラブルは、もちろん、彼のソロ・アルバムにも参加している。)

ちなみに、SRVに「Change It」など何曲かを提供しているシンガー/ギタリスト/ドラマー、ドイル・ブラムホールは、彼の親父さん、一世のほうなので、混同なきよう。

ドイル・ブラムホール・ジュニア、その歌声は線はあまり太くなく、ギターにも派手なものはないけど、実にツボを押さえたファンキーなプレイを聴かせてくれる。

もちろん、ダブル・トラブルのふたりのサポートも盤石。切れのいいビートは、さすがブルース・ロック界最強のリズム・セクションである。

同アルバムは、ブラムホールのこの一曲の他には、ZEPの「Rock And Roll」、マディ・ウォーターズの「She's Alright」なんぞをやっているが、半分は彼らのオリジナルでもある。

つまり、ただのプレイヤーではない、コンポーザー・チームとしての二人の実力も発揮されたアルバムといえる。

惜しむらくは2001年以降、第二弾のリリースはまったくされていないということ。ってことは、一回こっきりの企画盤なのかなぁ?

彼らの演奏力なら、新しいブルース・ビートを生み出すことも十分期待出来るだけに、ちょっともったいない。

ぜひ、SRVを越えるようなスゴいアーティストを発見して、世に送り出して欲しいもんだ。

2008年10月18日(土)

#54 フェントン・ロビンスン「Slow Walking」(Night Flight/Alligator)

フェントン・ロビンスン、84年のアルバムから、彼のオリジナルを。

本HPでフェントンを取り上げることは、これまでほとんどなかったですが(「パクりの殿堂」でECの「レイラ」のパクり元が、彼の作品「As The Years Go Passing By」だったなんて、小ネタぐらいですな)、ひと頃は日本でも、非常に人気の高いブルースマンだったんですよ、お若いの。

70年代、「ポストB・B・キングの急先鋒」みたいにいわれていた時期もあったぐらいで、人気投票でもつねに上位。現在のかすみ方が信じられないくらい。

それはともかく、フェントンといえば「Somebody Loans Me A Dime」(シングルは67年、アルバムは74年発表)、これでキマリ!みたいに片付けられがちですが、寡作ではありますがその後も何枚かのアルバムを出して90年代まで活動を続けていたんですよ。

で、これはアリゲイターからの3枚目ということになっていますが、実はオランダはブラック・マジック・レーベルが原盤という、いわくつきの一枚。

フェントンといえば、特徴あるメロウなギター・プレイばかり語られがちですが、もちろんシンガーとしても確かな実力を持っていて、それがあの「Somebody Loans Me A Dime」として結実したといえます。

力んで派手にシャウトしたりすることはあまりないですが、非常に深みのある、説得力のある歌声。繊細な高音と、包容力を感じさせる中低音をたくみに使いわける、見事な歌いぶりです。

フェントンの師匠格、レジー・ボイドのアレンジによる重厚なホーン・サウンドをバックに、彼のリズム感あふれるギターとボーカルが躍動する一曲。

メロウだけがフェントンじゃない、これを聴いてあなたもそう思うに違いありません。ご一聴を。

2008年10月25日(土)

#55 ジョニー・ギター・ワトスン「Cuttin' In」(The Very Best Of Johnny Guitar Watson/Rhino)

ジョニー・ギター・ワトスン、99年リリースのベストアルバムから、彼のオリジナルを。

ジョニー・Gことジョニー・ギター・ワトスンは、これまでも「一日一枚」で2回取り上げたが、いずれも後期、DJM時代の録音で、今回は1952〜63年、彼の10代から20代にかけてのレコーディングをコンピしたものなので、時代はだいぶん遡る。

このナンバ−は、ブル−スではなく、ワルツ調のバラード。歌詞を聴いていただくとわかると思うが、ダンス・パーティでの恋のさやあてをテーマとしたもの。だから、ワルツってことやね。

ジョニー・ウィンターにも多大な影響を与えた、ラフなボーカル、そしてアクの強い、ペナペナ・ギター。サウンドは古めなれど、その個性は不変。ジョニー・Gは最初(ハナ)っからジョニー・Gであった、そう感じるね。

バックのストリングスは華麗なロッカ・バラード調だが、エッジのたった歌とギターは実にエグい。まさに好対照。

あまりシャウトは多用せず、ヘタレ系シンガーと思われがちな彼だが、この曲ではけっこうシャウターしております。

DJM時代のコンテンポラリーで洒落たサウンドも魅力的ですが、リーゼントでキメた、初期のブルースマンっぽいジョニー・Gもカッコええです。必聴!

2008年11月3日(月)

#56 ゲイリー・ムーア「Walkin' By Myself」(Still Got The Blues/Virgin)

ゲイリー・ムーア、90年リリースのヒット・アルバム「Still Got The Blues」より。ジミー・ロジャーズの代表曲のカバーである。

80年代までの彼は、ヒット曲を出さねばならないというプレッシャーに追われて、やりたい音楽をのびのびと出来ない状態だった。

が、90年代に入り、ふっきれたように自分が本来求めていた音楽をやりだすようになった。

その、「再スタート点」がこの「Still Got The Blues」だといえるだろう。

オリジナル5曲、カバー7曲という全12曲。この「Walkin' By Myself」のような年代もののブルースも、結構取り上げている。フェントン・ロビンスンやアルバート・キングの「As The Years Go Passing By」とか、ジョニー・ギター・ワトスンの「Too Tired」とか、オーティス・ラッシュの「All Your Love」とか。ゲイリーが個人的に一番リスペクトしている、ピーター・グリーンの作品「Stop Messing Around(モタモタするな)」も、しっかりと入っている。

ま、曲はブルースなんだが、歌いかたにせよ、ギター・プレイにせよ、おなじみのゲイリー・ムーア・スタイルには変わりなく、やたらハイ・テンションでタイト。

この「Walkin' By Myself」もえらく歯切れがよく、オリジナルのジミー・ロジャーズ版の、あの力の抜けた、いい意味でルースな感じとはまったく対極にある。

いわゆるブルース・ファンは、まったく受け付けなさそうな音だが、これはこれでブルースのひとつのありかたとして、アリなんじゃないかと筆者は思うとります。

ブルースということばは、楽曲の形式・構成のひとつの種類であって、そのサウンド、アレンジの詳細までは定義するものではないと、筆者的には考えているので、HR/HMなブルースがあっても、ヒップホップなブルースがあっても、いっこうに構わない。果たして、その音が自分の好みにあうかどうかは別問題だが。

というわけでコクニー流にいえば「ガリー・モー」の歌うブルースも、クラプトンあたりとはまた違った意味で、ブルースというものを世に広く知らしめているといえそう。

個人的にはタイトル・チューン「Still Got The Blues」、「As The Years Go Passing By」「Midnight Blues」あたりのまったり系、メロウ系よりも、この「Walkin' By Myself」、「Too Tired」のような、べらんめえ調のアップ・テンポのブルースの方が好きだ。

黒人ブルースとはまったくテイストは違うが、白人なりのブルース唱法&奏法を打ち立てたガリー・モーの、会心の一撃。そんな感じだ。

2008年11月9日(日)

#57 セントルイス・ジミー「Dog House Blues」(Goin' Down Slow/P-Vine Japan)

日本のP-Vineレーベルから92年にリリースされた、セントルイス・ジミーのアルバムより、彼のオリジナルを。

セントルイス・ジミーこと、ジェイムズ・オーデンは1903年、テネシー州ナッシュヴィル生まれ。

8才で両親を失い、その後14才頃、セントルイスへ移住し、音楽活動を本格的に始める。芸名はもちろん、彼の地にちなんで付けられたものだ。そこで、名ピアニスト/シンガー、ルーズヴェルト・サイクスと知己になり、レコーディングでも共演している。

33年、齢30にしてシカゴに活動の場を移し、そして41年、名曲「Goin' Down Slow」のヒットを出す(55年にも再録音)。これにより「セントルイス・ジミー」の名は全国区レベルで知られるようになる。

吹き込んだレコードは、複数のレーベルにて、32年から55年の間に50曲ほど。しかし、57年、交通事故に遭い、入院したのがきっかけで、ソングライターに転向することになる。

以前から付き合いのあったマディ・ウォーターズ、そしてハウリン・ウルフらに楽曲を提供して、彼は後半生を終えることとなった。77年、シカゴにて逝去。享年74。

歌手としてのセントルイス・ジミーは自らピアノを弾きながら、訥々と半ば語るように歌うスタイルが持ち味だった。

その曲も、畢生の名曲「Goin' Down Slow」をはじめとして、苦労の多かった前半生を反映してか、ちょっと苦みのある内容のものが多い。

きょうご紹介するのは、「Dog House Blues」。これも複数回レコーディングを行っている曲だが、これはピアノ、エレキギター、ウッドベース、ドラムスというカルテットによる演奏だ。

バックにホーン・セクションが加わったバージョンもあるが、少人数のコンボによるこのバージョンのほうが、しっとりと味わい深いように思う。

ソリッドなギターに、オブリで決めるピアノ。ジャズィな演奏をバックに、かみしめるように歌うセントルイス・ジミー。決して派手なものはないが、ジンと心にしみてくる歌だ。

こういう歌は、やはりバーボン・ウィスキーをチビチビやりつつ、じっくりと味わうのが一番ですな。おすすめです。

2008年11月16日(日)

#58 ルーズヴェルト・サイクス「Sweet Old Chicago」(Blues by Roosevelt "The Honey-Dripper" Sykes/Smithsonian Folkways)

ルーズヴェルト・サイクス、61年の録音。彼のピアノによる弾き語り。おなじみロバート・ジョンスン「Sweet Home Chicago」を改題したナンバーである。

ブルース界には、やたら「キング=王」が多いが、「プレジデント=大統領」とよばれるアーティストは特にいないようである。

ジャズ界においてプレス(プレジデントの略)といえば、当然、レスター・ヤングということになっているが、もし、ブルース界でひとりプレスの称号を与えるとすれば、このルーズヴェルト・サイクスをおいてあるまい。

なにせ、名前からしてルーズヴェルトである。フランクリン・ルーズヴェルト大統領にちなんで命名された出生時(1906年)から、彼の大物ぶりは始まるといってよい。

戦前・戦後を通して、常に第一線で活躍、約50年に渡ってアメリカ国内でレコーディングを続けただけでも、その実力はハンパでない。

チョビ髭にオールバック・ヘアといい、押出しのいい体型といい、ミュージシャンにならなければ政治家になっていそうなキャラ。まさにブルース界のプレスである。

さて、今日紹介するのは、ロバート・ジョンスンの作品を、サイクス流にピアノ弾き語りにアレンジしたもの。タイトルも、都会風にちょっと洒落た「Sweet Old Chicago」に変えてあり、歌詞も結構変えてある。

ロバート・ジョンスンの原曲が、田舎に住みながら大都会シカゴを思う、そういう曲であるならば、サイクスのこの曲は、シカゴに長年住む者が、古きよき時代をしのぶ、そういう曲に仕立てられている。まさにアーバンなブルース。

弾き語りながら、原曲ではギターの低音弦が紡ぎ出していたブギのリズムを、ピアノの左手に置き換え、見事なノリを生み出している。

さすが、かのメンフィス・スリムにピアノを手ほどきしたというサイクス。そのリズムには、寸分の隙もない。

そして、特徴ある高めの声で、思い切りシャウトするボーカル・スタイル。これもサイクスならではの強烈な個性だ。

ロバート・ジョンスン、そしてその影響を受けたエルモア・ジェイムズ、マジック・サムらの、一連の流れとはまた違った、見事なアレンジに、ただただ感服。

他人の曲を演っても、自分の味にきちんと仕立てる、これが一級のミュージシャンの証明だと思う。

ジャズィな雰囲気を持ちながらも、ブルースのダイナミクスを持ち続けた、ワン・アンド・オンリーなサイクス。その歌声とピアノに酔ってくれ。

【追記】

本日、ある方から、本欄についてご意見のメールを頂戴しましたので、この場を借りて、レスさせていただきます。

「本欄の記述につきまして、事実との違いは多々あろうかと思います。それにつきましては、当方の浅学を恥じるしかございません。

しかしながら、ここは報道あるいは学術的なサイトではございません。いわば個人のひとりごと、趣味に関するオダを、脈略なく書き連ねたページにすぎません。たかだか一日数件のアクセスしかないサイトですから、社会的な責任など、あろうはずもないと思っています。

「こんなバカなことを書いている人もいるんだ。笑止千万」と呵々大笑されるのが、本欄に対する、もっとも正しい反応ではないかと思っております。

さまざまなご指摘をいただいたことは、ありがたく存じますが、本欄は今後もこのスタイルを変えずにやっていくつもりです。

よろしくご了解をお願いいたします。MAC拝」

2008年11月30日(月)

#59 フレディ・キング「Feelin' Alright」(Live At Liberty Hall/Blue Moon)

76年に42才の若さで亡くなったフレディ・キング。彼の70年代のライブから、トラフィックのカバーナンバーを。デイヴ・メイスンの作品。

68年のセカンド・アルバム「Traffic」に収録されたこの「Feelin' Alright」、白人・黒人を問わず、実にさまざまなアーティストがカバーしている。

おもだったところでは、白人ならジョー・コッカー、グランド・ファンク・レイルロード、スリー・ドッグ・ナイト、レア・アース、ジェイムズ・ギャング、バッド・フィンガー、ドクター・ジョンに、ポール・ウェラー。変わり種では可愛い子ちゃん系女性シンガーの、ルルなんてのもいる。

そしてもちろん、オリジネイターのデイヴ・メイスンやその盟友、スティーヴ・ウィンウッド、ジム・キャパルディもソロで録音している。

黒人ならこのフレディ・キングを代表格としてジャクスン5、オハイオ・プレイヤーズ、シュープリームス、フィフス・ディメンションと、さまざまな個性のアーティストがカバー。アイザック・ヘイズ、スタッフなんて人たちまでやっている。

白人が作曲したファンク・チューンとしては、もっともポピュラーになった一曲だといえるね。

さて、このフレディ・キング版は、ライブということもあいまって、非常にテンションの高い仕上がりだ。バック(フェンダー・ローズ、ハモンド・オルガン、ベース、ドラムス)の演奏も非常に重心の低い、スーパー・ヘビーなグルーヴだが、フレディはひとりでそれらに拮抗するボーカル&ギターを聴かせてくれる。

「気合い!」「一発!!」とかいうドリンク剤のCMに匹敵するノリといいますか、とにかく、フレディの歌声のインパクトは強烈だ。

トラフィックら白人系のバンドは、サビ、つまり「Feelin' Alright」の繰返し部分の歌を、コーラスにして迫力を出そうとしているのが多いが、フレディはそんなの必要なし。

ひたすらひとりで歌いまくって、全然問題ないのである。さすが、ミスター・タフネス。

これに太刀打ちできる白人シンガーは、ジョー・コッカーくらいしかおらんね(笑)。

ロック、ファンク、ブルース。すべてを飲み込んで、うねり流れる大河を思わせる、フレディ・キングのサウンド。

そのスケールの大きさには、ただただ脱帽であります。必聴。

2008年12月7日(日)

#60 ブリトニー・スピアーズ「(I Can't Get No)Satisfaction」(Ooos!...I Did It Again/Jive)

この2日で27才になったアメリカのトップ・シンガー、ブリトニー・スピアーズのセカンド・アルバム(2000)よりローリング・ストーンズのカバー曲を。ロドニー・ジャーキンスによるプロデュース。

リリース当時、ブリトニーは18才。すでにデビュー・シングル&アルバムで大ブレイク。10代半ばでポップ・スターとしての王座を獲得した彼女が、その地位をゆるぎないものにしたのが、このセカンド・アルバム、ということになる。

インナースリーブを見ると、彼女の素顔はまだまだあどけない。現在のセクシー路線(2001あたりから始まっている)に比べると、ホント、当時はアイドル歌手そのものだったのだ。

8才で芸能界デビュー、子役時代を経て、10代なかばで歌手デビュー。彼女が目標にし、後には共演も果たしたマドンナに比べると、まるまる10年早くポップ・クイーンの座に着いたわけだが、若すぎる成功というものは、子役出身の映画俳優に多いが、えてして本人の実生活に混乱をもたらすもの。ブリちゃんもご多分にもれずで、20代に入ってからの私生活における迷走ぶりは、皆さんご存知のとおりだ。パリス・ヒルトンあたりと並んで「お騒がせセレブ」の常連となってますな、ここ4、5年。

でもこのアルバムを出したころは、まだまだ清純路線のまっただなかで、なかには少々エロティックな雰囲気の曲もあるものの、おおむね健全なポップ・チューンでした。

で、この「(I Can't Get No)Satisfaction」でありますが、ロック=バンド・サウンドというよりはマドンナ・ライクなダンス・チューンに仕上がっとります。

基本的には「いい子路線」のブリトニー(なにせ、「結婚するまで処女でいる」なんてことを当時は公言していたからね)。しかし、いい子でばかりいると、シンガーとしての芸風にも限界がある。

そこで、あえて基本路線をふみはずし、あたしだって不良にだってなるかもしんないわよ、とチラリ本音を見せたのが、このストーンズ・カバーなんだと思う。

いつものさわやか路線というよりは、ちょっともの憂げでセクシーな歌い方は、マドンナをひき継いでポップ・クイーンとなった彼女にふさわしい貫禄さえ感じさせますな。日本の、あまたいる女性アイドル歌手たちとは、全然スケールが違うって感じ。

現在のやさぐれなブリちゃんの、原点ともいえる一曲。ひさしぶりに第一線に復活、デビュー以来のヒットとなった「Womanizer」なども合わせて聴いてみれば、ポップ・スターとしての彼女の底力がよくわかるのでは。ルックスだけじゃなく、歌声そのものにハンパじゃない魅力があるのですよ、ブリトニーには。

2008年12月29日(日)

#61 ザ・ヤードバーズ「Boom Boom」(Collection/Castle)

早いもので、今年ももう終わりになってしまった。今年は、しめて43曲紹介してみたが、どの曲が皆さんの心に残ったことだろう。

今年最後の一曲はこれ。ジョン・リー・フッカーの必殺的一曲を、ヤーディーズがカバーしてる。

「Boom Boom」といえば、ブルース発祥の一曲ながら、エリック・バードン率いるジ・アニマルズも取り上げたということで、日本でも結構よく知られている。

いくつかのグループサウンズもカバーしており、その中にはスパイダーズのバージョンなんてのもある。これです。↓

究極のグループ・サウンズ全集(BARKSによる試聴コーナー)

リード・ボーカルはムッシュだが、これがけっこうカッコいいのですわ。永井ホトケさんも、このカバー・バージョンが好きだったとか言ってましたし。

さて、きょうの本題。アニマルズと同じく英国のバンド、ヤードバーズもこのジョン・リーの曲を気に入ったらしく、エリック・クラプトン在籍時にレコーディングしてる。

聴いてみての感想は‥‥うーん、こりゃまたえらく迫力不足なブーン・ブーンやな〜というのが、正直なとこだろう。

キース・レルフのヘタレな歌声は、元祖・激ワルオヤジ、ジョン・リーのあのドスの利いた声、あるいはいかにも不良っぽいバードンの塩辛声に比較すると、まあ、聖歌隊の少年のそれみたいだわ。

ブルースというよりは、スパイダーズ以上にガレージ・サウンドっぽく、軽〜いのであります。

その軽さは、ヤーディーズのポップさにもつながっているわけで、彼らが次第にブルース・バンドを卒業して、ポップ・バンドへと変貌していったのも、むべなるかなと思います。

バンドにおいて、リードボーカルの声質がいかに重要であるか、この一曲を聴いただけでも、よくわかるはず。

ヘビー級ならぬモスキート級の「ブーン・ブーン」。まさに蚊が鳴いているようで情けなくはありますが、バンドがさまざまな試みをして、その中から自分たちに合った道を選び取っていく、その過程を知ることが出来るかと思います。

ヤーディーズ版「ブーン・ブーン」、ジョン・リーやアニマルズと、ぜひ聴き比べてみて欲しい。

2009年1月4日(日)

#62 ビッグ・ジョー・ターナー「TV Mama」(The Very Best Of Big Joe Turner/Rhino)

明けましておめでとうございます。今年も地道に更新してまいりますので、巣ならびに一日一曲、よろしくです。

さて、今年の一曲目はビッグ・ジョー・ターナー、50年代のヒット「TV Mama」。

ビッグ・ジョー・ターナーといえば、1911年カンサスシティ生まれ。30年代、スウィング・ジャズの時代から一貫したスタイルで歌い続けてきた黒人シンガー。

その名の通り堂々たる体躯から発するビッグ・ボイスで、ジャズ〜R&B〜ロックンロールの時代を制覇して来た、ステージ・キング的な存在だ。

代表曲は40代にして吹き込んだロックンロール・ナンバー「Shake, Rattle And Roll」や「Flip, Flop And Fly」。いずれも、アトランティックでの録音。

これが何故かティーンエージャーにも大ウケ。いまでいえば、40代半ばになっても「ゴールドフィンガー'99」みたいなイケイケのヒットを出してしまうヒロミ・ゴーみたいなもんか。

ノリのよさ、陽性のキャラも、どこか郷と似ているような気もするね。

さて、この「TV Mama」は、イントロを聴くとおわかりいただけるかと思うが、エルモア・ジェイムズとの共演盤。

ラジオに代わって、当時マスメディアへの主役へと躍り出たテレビをモチーフに、ユーモアあふれるターナー・ワールド全開のブルースに仕上がっている。

いわゆる「ブルーム調」なれど、ひと味違ったものになっているのは、ターナーのキャラクターゆえか。

テンポを上げ過ぎず、一歩一歩確実に進んで行く感じのビートが、いかにも王者の風格だわな。

ビッグ・ジョー・ターナーはその後、ジャズ系のパブロ・レーベルなどで数多くのアルバムを遺し、いわゆる流行歌手としてのピークを過ぎてからも、70代まで意欲旺盛な音楽活動を続けていた。日本の懐メロ系歌手で、こんな人、なかなかおらんよね。

年をとろうが、流行が変わろうが、泰然として音楽道を突き進む。こういう爺サマに憧れますな、ハイ。

2009年1月18日(日)

#63 ボー・カーター「Banana In Your Fruit Basket」(The Essential/Classic Blues)

新年早々「今年も地道に更新してまいります」と書いたわりには、相変わらずのマイペース更新になってしまった。スマソ。

で、今年の二曲目はこれ。ちょっと意表をついて、戦前のカントリー・ブルースでは代表的なグループ、ミシシッピ・シークス出身のギタリスト/シンガー、ボー・カーターの作品だ。

ボー・カーター、本名アーメンター・チャットマンは1893年ミシシッピ州ボルトン生まれ。ミシシッピ・シークスではメイン・ボーカルをウォルター・ヴィンスンに譲っていたが、ソロ・シンガーとしては20年代後半から40年頃まで、多数の曲をレコーディングしている。

ところで、日本のブルース・リスナーは、言語の問題があるためか、ついつい忘れがちなことがひとつある。

それは、ブルースは原初的な形態において、猥雑な内容のものがかな〜り多かった。すなわち、ブルース曲のかなりの部分は、春歌・猥歌のたぐいであったということだ。

ロバート・ジョンスンのいくつかの曲しかり、もっと時代が下ってもウィリー・ディクスンの「スプーンフル」しかりである。そのものずばりでなく、巧妙にダブル・ミーニングにしてあっても、要はBawdy Songなのである。

まあ、カネのない社会の最下層の人々にとって、数少ない娯楽のひとつが●ックスだったわけだから(あとはギャンブルね)、ブルースのモチーフとしてよく出てくるのは、いたしかたないことなんである。

さて、このカーター氏も、ご多分にもれず、そういうちょっとエロティックな比喩の歌をよく歌ってらっしゃる。今日の曲も、タイトルからして、いかにもそれっぽい、意味深な感じでしょ?

聴いてみると、歌は素朴な味わいのものなので、特別エロい印象はないのですが、歌詞はモロにあのことを歌っております。

ギター伴奏も実にシンプルといいますか、かなりシロウトっぽいのですが、むしろそれがいい雰囲気を醸し出してて、◎。

同じアルバムでいうと、「Cigarette Blues」「Let Me Roll Your Lemon」あたりもその系列の作品といえそう。

どこか突き抜けてしまったところさえある素朴なエロティシズム。これも戦前ブルースならではの特徴であり、魅力ともいえましょう。ぜひご一聴を。

2009年1月25日(日)

#64 ジョニー・ウィンター「Mother-In-Law Blues」(Raisin' Cain/Blue Sky)

ジョニー・ウィンター、CBS〜ブルースカイ時代の最後を飾る、80年のアルバムよりの一曲。

ジョー・パリス、ボビー・トレロとのトリオ編成によるスタジオ録音盤だが、ここではハープを加え、カルテットで演奏している。まるでライブ録音のように、生々しい音だ。

「Mother-In-Law Blues」というと、「アーニー・K・ドゥの?」とか聞かれそうだが、これはまったく別の曲で、ボビー・ブランドがオリジナル。例によってドン・ロビー(ディアドリック・マローン)名義の作品だ。

アーニーのほうの、ほのぼの系の曲調ではなく、かな〜りハードな味わいのブルース。

オヤジの後添えに、うっかり惚れちまった、やるせなさ。まさにブルースな内容の歌を、辛口のボーカルでシャウトするジョニー。

また演奏のほうも、相変わらず息もつかせぬハイスピードで、飛ばしまくってる。

彼のギター・ソロって、ホント、目一杯音符が詰まっていて、密度がハンパなく濃ゆい。

ワンパターンといえば、ワンパターンなんだが、こういうハード・ドライヴィングなノリの曲でこそ、彼の歌やギターは、最大限に威力を発揮しますな。

最近では、04年以来レコーディングもなく、体調不良という便りしか聞かないジョニー・ウィンター。一度も来日をしたことがなく、初公演も夢のまた夢になりそうで、非常に残念であります。

一ファンの筆者としてはともかく、彼の過去のレコーディングを聴いて、気持ちをたかぶらせる。これしかありませんな。KEEP ON ROCKIN'!!

2009年2月14日(土)

#65 ビッグ・ジョー・ウィリアムズ「Wild Cow Moan」(Big Joe Williams and the Stars of Mississippi Blues/JSP)

しばらく更新が出来なくてゴメン。三週間ぶりの一曲はこれ。ビッグ・ジョー・ウィリアムズ、45年の録音から。トラディショナルにウィリアムズが手を加えたナンバーだ。

ビッグ・ジョーは1903年、ミシシッピ州クロフォード生まれ。

ギター一台を道連れに、街から街へと演奏旅行をして渡り歩く、典型的な放浪のミュージシャンだった。

したがって彼の録音は弾き語りスタイルのものが多いが、これは珍しくバンド編成のもの。

彼と同じく放浪のブルースマン、サニーボーイ・ウィリアムスンIIのハープ、ランサム・ノウリング、ジャッジ・ライリーのリズム隊がバックをつとめている。

ビッグ・ジョーの音は、一聴してすぐわかる。声も枯れた味わいで特徴があるし、ギターも9弦という変則的なもので、高音部の響きが独特だから、間違えようがない。まさにオリジナルなのだ。

82年に79才で亡くなるまで終生、ビッグ・ジョーはカントリー・ブルースのスタイルを変えなかったが、この曲もまた、典型的な田舎のブルース。

歌詞がまずいなたく(野生の牛だもんね、まさに村(ソン)の世界!)、歌唱もまた、ひなびた感じ。ギター演奏も実にそれっぽい。さらにサニーボーイのもの憂げなハープが、歌やギターを引き立てている。

以前に「一日一枚」で、彼とライトニン、テリー&マギーと共演したライブの曲を取り上げたことがあるが、その四人の中でも、ビッグ・ジョー・ウィリアムズは、ダントツでいなたい(あ、この場合の「いなたい」は、勿論、ほめ文句だからね)。

ミシシッピという土地とともに生き、死んだブルースの巨人。このどっしりとした生き方、憧れですわ。

ビッグ・ジョーのように音楽と日常生活が一体化している、そういう「生涯ミュージシャン」を、ワタシも目指したいと思っております。ハイ。

2009年2月21日(土)

#66 meg「GROOVE TUBE」(room girl/ワーナーミュージックジャパン)

しばらくブルース漬け状態だったので、ここいらで気分転換、口直し的な一曲。日本の女性シンガー、megのデビュー・アルバムより、4thシングルを。樫原伸彦プロデュース。

シブヤ系がお好きなひとなら当然ピン!と来るだろうが、フリッパーズ・ギターのヒットのカバー。DOUBLE KNOCKOUT CORPORATIONこと小沢健二&小山田圭吾の作品だ。

meg(現在はMEGに改名)は広島県出身の28才。上京してファッション・モデルとして活動、そのかたわらインディーズでCDを出し、2002年に岡村靖幸のプロデュースでメジャーデビュー。

モデル、シンガー、そしてファッション・デザイナーの三足のわらじを履く彼女だが、「デキる女」ふうの肩肘はった感じはみじんもなく、キュートな容姿、自然体のキャラ、抜群のファッション・センスで若い女のコたちに人気が高い。

歌のほうも、実力派というよりは、ちょっと舌足らずな発声がチャラ&ユキふう。最近では、中西ヤスタカ(Perfumeを手がけている)のプロデュースでエレクトリック・ポップ路線のシングルを数曲出しているが、着ぐるみの猫をバックに従えたダンスなど、ファンシーな演出がどこかトミフェブを連想させたりする。ポップでおしゃれでキュート、それが彼女なんである。

さて、今日の一曲は、ファンクだけどめちゃポップ。バンドの編成はシンプルながら、ボーカルの多重録音や凝ったミキシングにより、カラフルなサウンドに仕上がっている。

この人の声の、独特の甘さと透明感をそこなわずに、ダンサブルな曲になっているのだ。樫原というプロデューサー、なかなかの仕事人と見た。

最近のテクノな音(アルバム「BEAM」「STEP」)も決して悪くはないんだけど、期間限定的な試みにしといたほうがいい気がする。あくまでも、MEG本来の持ち味は、ナチュラル系だと思うから。

ステージでは思い切りポップではじけて、でもスタジオでは彼女の「生成り」のような歌の魅力を引き出していってほしいもんだ。

彼女は地方出身ながら、ローカルな匂いが全くしない。「都会的でポップでキュート」という女性シンガーが最近あまりいないけど、MEGはかなりいい線いってる。お客さん、今年はブレイク必至、買いでっせ。

2009年3月1日(日)

#67 ジュニア・ウェルズ「Everybody's Gettin' Them Some」(Everybody's Gettin' Some/Telarc)

早いもので、もう3月になってしまった。今月の一曲目は、これ。ジュニア・ウェルズ、晩年(95年)のアルバムより、フレッド・ジェイムズの作品を。

ジュニア・ウェルズについては、今までほとんど取り上げる機会がなかったが、ブルース史上、非常に重要なアーティストのひとりだ。

本名エイモス・ブラックモア。34年、アーカンソー州ウエスト・メンフィスに生まれ、50年代よりシカゴ・ブルースの立役者として活躍、60年代以降はファンク色を強めていく。98年に63才で亡くなっている。

ジュニア・ウェルズといえば、ギターのバディ・ガイとのコンビがあまりにも有名だが、ピンでの録音も結構あり、このアルバムはそのひとつ。

ギタリストとして、バディ・ガイの代わりにボニー・レイット、カルロス・サンタナ、サニー・ランドレスといったベテラン、実力派をゲストに迎えた、なかなかの話題盤だ。

この「Everybody's Gettin' Them Some」はほとんどカバーされていない曲だが、なかなかファンキーでロック感覚にも溢れる、いかしたブルースだ。

歌はジュニア・ウェルズからスタート、ボニー・レイット姐さんが途中から絡んでくる。スライド・ギターも弾く彼女だが、この曲ではサニー・ランドレスにまかせて、歌に徹している。このふたりの相性がなかなかよろしい。声質もうまくマッチングしている。

ジュニア・ウェルズの歌って、シャウトし過ぎず、ちょっとドスをきかせた低めの声が、いい感じなんだわ。

ボニーのツボを押さえたコーラス・ワーク、サニーの伸びやかでパワフルなプレイも楽しめて、一粒で三度おいしい、そんな一曲なんであります。

ジュニア・ウェルズ=おどろおどろしい、はったりじみた、みたいなイメージの強い人で、それはそれで間違いじゃないですが、基本は実にしっかりとした歌がうたえる人なのです。

60代に入ってなお意気軒昂なジュニアの会心の一曲、ぜひ一聴を。

2009年3月8日(日)

#68 ビッグ・ジャック・ジョンスン「Dust My Broom」(The Memphis Barbecue Sessions/M.C.)

ビッグ・ジャック・ジョンスンといっても、マニアなひと以外はまずご存じでないと思うが、息の長い、ベテラン・ブルースマンである。

40年ミシシッピ州ランバート生まれなので、今年で69才。もちろん現在も活躍中である。

10代でギターを始め、BBに強く影響を受けるようになる。クラークスデールでフランク・フロスト(kb,hca)、サム・カー(ds)と出会い、ジェリー・ロール・キングスを結成、本格的なプロのキャリアが始まる。

87年以来、キングスの活動と並行してソロ・レコーディングもおこない、7枚のアルバムがある。「The Memphis Barbecue Sessions」はその中では異色の、アンプラグド・セッションだ。

ファビュラス・サンダーバーズのハーピスト、キム・ウィルスンとデュオ共演。今日聴いていただくのは、ブルース・スタンダード中のスタンダード、ロバート・ジョンスンの名曲である。

他のアルバムでは、コテコテのエレクトリック・ギターが売りのビッグ・ジャック・ジョンスンも、ここではアコースティックのみで、軽やかなプレイを聴かせてくれる。スライドを織り交ぜ、スナップをきかせたブギ・ビートがいい感じだ。

歌のほうは、声がつぶれていて発音もあいまいだし、ギターに比べてお世辞にも上手いとはいえないが、それでいいんである。ブルースマンの歌は声質や技術を競うんでなく、ハートが伝わるかどうかがポイントなんだから。

相方のキム・ウィルスンも、ノン・アンプリファイドでいい感じにひなびたハープを聴かせてくれる。音が前に出過ぎず、少し遠くで鳴っているふうのバランスで録れているのも◎。

このレコーディングは、ジョンスンのガンガンのエレキ演奏を期待するムキには評判があまりよくないようだが、筆者的にはけっこう気に入っている。

サニー・テリー&ブラウニー・マギーにも通じるところのある、いなたさ。その一方で、ジュニア・ウェルズ&バディ・ガイのような、陰にこもったスゴみのようなものも感じさせるし。このデュオ、臨時編成にしとくには、惜しいね〜。

他にはハウリン・ウルフの「Smokestack Lighting」、リトル・ウォルターの「My Babe」、ウィリー・ディクスンの「Big Boss Man」などもやっている。最小の編成でブルースの本質を伝える演奏がつまっているのだ。

少ない音数で、聴き手をノックアウトさせる音楽というものがある。ジョンスン&ウィルスンのデュオも、その見事な一例だと思います。

2009年3月15日(日)

#69 ピーター・グリーン「Born Under a Bad Sign」(Blues For Dhyana/Culture Press)

ピーター・グリーン、98年のアルバムから。アルバート・キングでおなじみのナンバー、「悪い星のもとに」である。

グリーンは10年ほどのブランクののち、97年にスプリンター・グループを結成して音楽活動を再開する。翌年に発表したのが、この「Blues For Dhyana」というアルバムだ。

12曲中10曲はグリーン自身のオリジナルだが、この「悪い星〜」と「セイム・オールド・ブルース」はカバー。

聴いてみると、実に肩の力が抜けているといいますか、歌にせよ、ギターにせよ、まったくリキんだところがない。

クリーム(歌はジャック・ブルース)やロベン・フォードあたりの同曲と比較してみるとよくわかると思いますが、歌はモノローグのようで枯れまくっているし、ギターはひたすらソリッドでシンプル。

まさに枯淡の境地なんであります。

昔の、つまりフリートウッド・マック時代の「神がかった」プレイを期待して聴いたファンは、見事な肩すかしをくらうことでしょう。

でも、これもまたブルース。書にも楷書、行書、草書などとさまざまな書体があるように、ブルースにも草書のようなそれがあるってことです。

重厚、コテコテなブルースばかりがブルースじゃない、そうゆうこと。

スルメのように、聴けば聴くほど味が出てくるのも、この曲の身上。ぜひ5回はリピートしてほしいです。

2009年3月22日(日)

#70 B・B・キング&アルバート・コリンズ「Stormy Monday」(Blues Summit/MCA)

70曲目はこれ。B・B・キングがアルバート・コリンズ、バディ・ガイ、ジョン・リー・フッカー、ロバート・クレイ、ルース・ブラウン、ココ・テイラー、アーマ・トーマスといったトップ・アーティストたちと共演したアルバム(93年)より、コリンズとのトラックを。

おなじみの名曲ストマンなわけだが、同年11月に亡くなってしまったコリンズとの共演ということで、実に貴重な記録であります。

ブルース界に王として君臨して50年以上、さまざまなミュージシャンと"謁見"してきたBBだが、それぞれの共演相手に花を持たせるような、心遣いが感じられますな。

この曲ではギターのイニシアティブはあくまでもコリンズにとらせ、ボーカルの大半を担当するBB。後半ではちょこっとパート交換もあるが、イントロから、エッジのたったコリンズのサステイン・トーンが前に出てきている。

コリンズは「Sun rises in the east〜」という、BB版4番コーラスの歌詞を歌った後、スキャット付きのギターソロへとなだれ込みますが、このあたりがいかにもコリンズらしい"けれん"といえそう。

歌もギターもスタイルはかなり異なるふたり。でも、その個性の違いが見事にコントラストをなしており、聴きごたえ十分な一曲となっている。

アルバート・コリンズも、亡くなって15年以上たってしまったが、いまだその「破壊力」をしのぐギタリストは登場していない。

イントロの、たったの一音で、弾き手が誰か知らしめる強烈なトーン・キャラクターを持ったギタリストは、今後も出てこないような気がするね。

2009年3月29日(日)

#71 Aice5「Get Back」(Aice5 Final Party LAST Aice5/スターチャイルド)

今日はちょっと趣向を変えて、YouTubeの映像を引用させていただく。Aice5(アイスと読む)、2007年9月の横浜アリーナにての解散ライブDVDから、デビュー・シングル「Get Back」である。

Aice5は、女性声優5人によるユニット。ほっちゃんこと堀江由衣をメインに、ほぼ同世代の浅野真澄、木村まどか、神田朱未、たかはし智秋によって2005年10月結成、07年9月に解散するまで約2年間活動していた。

結成のきっかけは、この手の声優系アイドル・ユニットの代表格、國府田マリ子率いる「DROPS(ドロップ)」の成功を見て、堀江が自分もやってみたいと思い、親しい声優仲間に声をかけたということらしい。メンバーの中には、DROPSにいた神田朱未もいる。

Aice5のシングルは、1stと5thがアニメイトで限定発売されたりしたことでわかるように、マニア向けで、マイナーな販路によって売られていたのだが、それでも地道にファンを獲得し、わずか2年で横アリ単独公演を果たすまでに人気を伸ばした。すごいといえば、すごい。モーニング娘。も顔負けだ。

パフォーマンスを観ても、現在の娘。にも見劣りすることのない、しっかりした歌を聴かせてくれる。副業とはいえ、そのレベルは高い。

リーダー堀江の個人的人気にのみ頼ることなく、他のメンバーのスキルを合わせての総合力で勝負しているのだ。

基本的にはタテ乗りポップスで、娘。よりはAKB48の路線。でも、AKBとはダンチの実力だな。まず、発声からして違う。

アイドル歌謡の基本はユニゾン・コーラス。Aice5もその例にもれないが、ユニゾンになったときの声の揃い方が、AKBあたりとはまるで違う。男性グループでも嵐とSMAPではまるで声の揃い方が違うように、である。さすが、発声のプロ。

下手すると現在の娘。よりもいいんじゃないの〜?、とまで思ってしまう(笑)。

筆者が思うには、最近のプロデューサーつんく♂氏は、娘。のメンバー総入れ替えがもたらした歌唱力低下への対策として、楽曲の傾向そのものを変えていっているように思う。久住にアニメ声優をやらせて、立て続けにアニメソング的な曲をリリースしていっているのも、もはや現在の娘。(およびその妹格のベリキュー)に以前のようなグルーヴのある、R&B的な曲を歌わせるのが無理だと判断してのことだと思う。

研究熱心なつんく♂Pのこと、畑違いの声優ユニット、Aice5やDROPSらも大いに参考にしているんじゃないかな。久住のあの甲高い煽り声は、まさに女性声優たちのお家芸をパクったものといえそう。

日本女性の歌声って、やはり、民謡の囃子方のような「赤い声」のほうがサマになる。そのへん、こういうユニットを聴くと痛感する。

アイドルグループ以上にアイドルっぽい、Aice5。さすがに年齢的に照れがあったのか、メンバーの大半が30代を迎えたこともあり解散に至ったようだが、昨今、声優さんたちのルックスがアイドル並みになってきている現状を考えれば、今後もこういう声優界からアイドル界への殴り込みがどんどん出てきそう。

何より彼女たちは声がいいし、歌もうまいひとが多い。音楽面の充実という点から考えれば、それも大いに結構なことだと思うよ。異種格闘技戦、バッチコイ!である。

2009年4月5日(日)

#72 THE BAWDIES「EMOTION POTION」(THIS IS MY STORY/Getting Better)

今週も和モノだ。まずはMySpaceへの投稿映像を観ていただこう。彼らのメジャーデビューアルバム「THIS IS MY STORY」からのシングル、「EMOTION POTION」である。

いやー、びっくりした。見た目はフツーの日本のバンドなのに、生み出しているサウンドがものスゴく洋楽っぽいし、クロいんである。

揃いのスーツに身をつつんだ彼らがたたき出すビート、そして歌声は、60年代の英国R&Bバンド、たとえばヴァン・モリスン率いるゼムあたりを彷彿とさせる。

これまでの日本のバンドで言えば、パブ・ロック系ということで、ミッシェル・ガン・エレファントの流れか。でもボーカルの黒さ、太さということでいえば、サザンとかウルフルズとかにも近い。リード・ボーカル兼ベースのROYこと渡辺亮は、ひさびさの逸材といえそう。

しかも、リード・ボーカルだけでなく、バッキング・コーラスも黒い。モシャモシャ頭のギター&ボーカル、TAXMANこと舟山卓も、実にヘビーな歌声の持ち主。いうなれば、桑田が二人、あるいはトータスが二人いるようなスゴいバンドなのだ。

レノン&マッカートニーがソウルフルになったような亮・卓コンビをバックアップするのは、ギターのJIM(木村順彦)、ドラムスのMARCY(山口雅彦)。この4人はともに学生時代からの友人で、卓以外は小学校の同級生、そして卓が高校のとき以来の付き合いで、一緒にバスケをやりながらバンドも始めたとか。つまり、完全に自然発生的なバンドなのだ。

すでに海外(オーストラリア)でもライブを行い、大好評を得たというTHE BAWDIES。日本のバンドというと、オリエンタリズムを表に出さないとウケない時代があったものだが、モロに洋楽指向、それもルーツミュージックに根ざした、かなーりレトロな音作りにもかかわらず、すんなりと受け入れられたということである。なんか時代の変化を感じるねぇ。

ま、どこの国の人間がやっているかなんて意識させないくらい、ごくごくストレートな王道ロックンロール/R&Bなんだな。

それから、THE BAWDIESというネーミングも、実に大胆だ。直訳すれば「スケベエズ」だぜ。これ以上スゴいバンド名はなかなか付けられません(笑)。

ロックンロールという言葉の意味はメイクラブ、つまり●ックスだということは、洋楽に通暁したひとならご存知かと思うが、まさにその通りのバンド名を名乗ってしまったTHE BAWDIES。あっぱれ!という他ない。

まだ20代の若者たちが、40年以上前のサウンドを追求し、しっかりと自分たちのものとして消化している。これには驚きを禁じ得ない。

欧米の影響を受けること50数年、ようやくにして日本人も、ロックの本質を体得したのかもしれない。

THE BAWDIES、今後がメチャ楽しみなバンドだ。ぜひ名前を覚えておいてほしい。

2009年4月12日(日)

#73 ロビン・トロワー「Looking For A True Love」(Someday Blues/V-12)

洋モノに再び戻ろう。息の長い英国のギタリスト、ロビン・トロワー1997年のアルバムから、彼のオリジナルを。

45年ロンドン生まれ。クラプトン、ペイジらとほぼ同世代のトロワーは、プロコル・ハルムを経て73年にソロ・デビュー。以来ずっと自分のバンドを率いて35年以上活躍し続けている、超ベテランだ。

彼の人気を決定づけたのは、76年にリリースした「ロビン・トロワー・ライブ!」だろう。このライブ盤で、スタジオ録音を上回るハイテンションなギター・プレイを披露、世のギター小僧どもの度肝を抜いたのだった。

当時の評価としては、「ジミ・ヘンの再来」みたいなギター・テクニック面のものばかりだったように記憶している。

たしかに、フレージングやエフェクトの使いかたは、かなりジミへンライクではあった。でも、ギタープレイ「だけ」に注目が当たるのは、彼にとって不本意なことだったのではなかったかと思う。

なにより彼はバンドのほぼすべての曲を作っていたのだから、もっとコンポーザーとしての面を評価すべきだったのだと思うね。

とはいえ、彼のように、派手に歌いまくるわけでもなく、格別イケメンでもない、地味〜なミュージシャンに一躍スポットが当たったというのも、実に興味深い現象だ。まだロックが、ロックということだけで世間の注目を集めていた時代だったから、ともいえる。

当時から「実力派」の評価が高かったトロワーだが、それがウソでなかったのは、35年余りを経て、いまだにプロとして活躍している事実で、十分に証明されているね。

さてこのトロワー氏、キャリアを重ねるとともに、ジミ・ヘンのモロな影響は次第に消えていき、よりルーツ・ミュージックに根ざしたブルース・ロック、ハード・ロックへとシフトしていった。

97年の本アルバムでも、かなりブルース色の強いサウンドになっている。ジミ・ヘン的弾きまくりでなく、アルバート・キングのようなタメのギター、中音をきかせたボーカル、オルガンを加えたタイトなリズム隊。実にブルーズィだ。大半はトロワーの作品だが、「クロスロード」「スウィート・リトル・エンジェル」「フィール・ソー・バッド」の3曲のカバーがいいスパイスになっている。

きょう聴いていただく「Looking For A True Love」も、アルバート・キング・マナーのツイン・ギターがバッチリ楽しめる佳曲。

ときにトロワー、52才。若い頃のギラギラした感じがうまく枯れて、ブルースがサマになってきたのだ。ブルースマンは50から、とはよくいったものだ。

アルバート・キングやレイ=ヴォーンの路線が好きなかたには、お薦め。キャリアを積んだミュージシャンならではの、味わい深い音に触れてみよう。

2009年4月19日(日)

#74 アル・キング「Reconsider Baby」(Blues Master the Complete Sahara & Shirley Recordings/Forever More)

今年83才を迎えるブルース・シンガー、アル・キング。60年代のレコーディングから、ローウェル・フルスンのカバーを。

アル・キングは、三大キングやらアール・キングやらの影に隠れて、一番ジミなキングといえそうなシンガーだが、なかなかいい味をもっている。

26年、ロサンジェルス州モンロー生まれ。本名はアルヴィン・スミスといい、51年の初録音はこの本名で行っている。

64年にシャーリーに移籍。このアルバムはシャーリーと、それに続くサハラ時代の録音をまとめたものだ。

アルは他のキング達と違ってスタンダップ・ブルースマン、すなわち楽器を弾かないシンガーだ。そのため、他の連中より注目度が低いということなんだろうな。特に日本ではまったく人気がない。ボビー・ブルー・ブランドと同じような憂き目にあっているのだ。

しかし、歌に関しては、他のキングにも負けない実力をもっていると思う。

中音中心の伸びやかな歌声は、非常に説得力がある。ローウェル・フルスンにも通じるところのある、声質だ。

また、バックにも恵まれている。ギターのジョニー・ハーツマン、このひとのプレイが実にカッコいいのだ。

クールでスマートという形容がピッタリのジョニーの演奏は、アル・キングの洒落心のある歌に見事にマッチしている。いかにもウェスト・コースト・ブルースなサウンド。

アルはその後、寡作ながらも音楽活動は続け、98年にもアルバムを出すなど、マイペースでその存在をアピールしている。

チョビ髭をたくわえた小粋なオジさんという感じのアル。他のキングたちとは、ひと味違ったブルースが味わえます。必聴。

2009年4月26日(日)

#75 オーシャン「Put Your Hand In The Hand」(The Buddah Box/Essex)

カナダのグループ・オーシャン、71年の大ヒット(全米2位)。日本では原題よりも邦題「サインはピース」で、あまりにも有名なあの曲だ。

この曲が出た頃、筆者は中学2年だったかな。とにかく、当時ものすご〜く流行った。AMラジオではひっきりなしにかかっていた記憶がある。

で、いま考えてみれば、この曲が筆者にとって初めての「セカンド・ライン」体験だったように思う。

同系統の曲、ザ・バンドの「Upon The Cripple Creek」は69年発表のセカンド・アルバムに収録されていたから、そちらを先に聴いた可能性もないではないが、ザ・バンドなんておっさん臭いバンド、ボクらの間ではまったく流行ってなかったから、たぶん当時は聴いていない。やっぱり、「サインはピース」が、生まれて初めて聴いたセカンド・ラインだったのだろう。

もちろんその頃は「セカンド・ライン」という言葉すら知らなかった。ただただ、「なかなか新鮮な、かっこいいビートだな」と思っていただけだった。

その後、セカンド・ラインの曲で流行ったのはニール・セダカ(とエルトン・ジョンのデュエット)の「Bad Blood」だが、これは75年、筆者が高3のときのヒット。だいぶん後になってからである。

しかも、その時点でもまだ「セカンド・ライン」という言葉は知られていなかった。ようやくその言葉を覚えたのは、大学時代にリトル・フィートにハマったあたりからだ。

ということで、いまでは当たり前のように自分のレパートリーの中に取り入れられているセカンド・ラインも、こうやって長い時間をかけて、徐々に意識されていったわけだ。自分の音楽史において、この「サインはピース」は、実に記念すべき曲だということやね。

ここでオーシャンについて少し紹介しとくと、女性リード・シンガー、ジャニス・モーガンを中心とする5人組バンド。ヒットらしいヒットは「サインはピース」のみで、後は3曲ほどがビルボードの70〜80位台に入っているだけである。

典型的な一発屋といえそうだが、実はこの「サインはピース」、彼らのオリジナルではなく、ソング・ライターが別にいる。

彼らと同じカナダ出身のシンガーソングライター、ジーン・マクレランである。

もともと彼はいまのフリーター達のようにさまざまな職業につきながら、セミプロとして音楽活動を続けていたが、70年前後、カナダのTV番組に出演するようになってから、大きくチャンスが広がった。

当時売り出し中の女性シンガー、アン・マレーと知り合い、彼女に「スノーバード」を提供したことで一躍注目され、キャピトルと契約、カナダのみならず米国でもデビューを果たす。

そして、オーシャンに提供したこの曲でいま一度、そのたぐいまれなるソングライティングの実力を証明したのである。

当時筆者は、雑誌などメディアの情報量不足ということもあって、そんな裏話をまったく知らなかった。が、とにかくこの曲については「いいものはいい」と感じていた。他のリスナーも、みんなそうだったのだと思う。だから、大ヒットとなった。

当時のレコード会社やラジオ局はこの曲をソフト・ロック、あるいはバブルガム・ロック的なものとして紹介していたという記憶があったけど、いま聴いてみると、実にしっかりとした骨太なサウンドなんである。

歌いかた、ハモのつけかたはいかにも白人的なカントリー・ロック路線なんだが、曲の底流にあるのは、セカンド・ラインの本質、ゴスペル・ミュージックそのものなんだと感じる。

それはやはり、作曲者であるマクレランのセンスによるところだろう。

「一発屋ヒット」というと、曲もチンケでつまらないものだという先入観があったりするが、必ずしもそういうものではない。全く無名のアーティストが出したホームラン級ヒットには、それなりのワケがある。

マクレランの作曲センス、ジャニスの声の魅力、バックの4人の確かな演奏力。この3つがそろったからこそ、この曲はすべての人々から熱狂をもって迎えられたのだろう。

ぜひいま一度、聴き直してみてほしい。

2009年5月6日(水)

#76 イヴァン・リンス「Bandeira Do Divino」(Best Of Ivan Lins/Disky)

ブラジルを代表するシンガーソングライター、イヴァン・リンスの初期ベスト・アルバムより、彼のオリジナルを。

イヴァン・リンスは45年生まれだから、今年64才。ブラジルはリオ・デ・ジャネイロ生まれ。生粋のキャリオカである。

元々は理系出身だったが、ミュージシャンの道に入り、70年にメジャーデビュー。同世代だが既に歌手として著名であったエリス・レジーナに「Madalena」という曲を提供したことで注目される。

70年代はずっと長髪、ヒゲもじゃのルックスで通してきたイヴァンは、80年代後半にはヒゲをきれいにそり落とし、髪も短かめにしてイメチェン。眼鏡をかけ、ちょっとインテリ風のイメージがある。

自作自演をモットーとするシンガーソングライターだが、彼の楽曲にひかれ取り上げるアーティストも多い。カーメン、エラ、サラといったジャズ・ディーバたちがカバーしたほか、パティ・オースティンやマントラ、ジョージ・ベンスンも彼の曲を歌っている。インストでもクインシー・ジョーンズ、デイヴ・グルーシン、リー・リトナーといったトップ・ミュージシャンが演奏している。まさに玄人好みのミュージシャン。

彼のきわだった特徴は、何よりもその「声」にあると思う。

わりとアタックの強い、やや甲高い声だ。この声については地元ブラジルでも評価が分かれているらしく、人により好き嫌いがあるみたいだ。

ブラジルの音楽は基本的に都会的であること、洗練されていることが重要事項なのだが、どうも彼の声は「田舎くさい」と思われているらしい。たとえていうなら、カントリー・ブルース系の声でモダン・ジャズを歌うみたいな、ミスマッチってことやね。

歌声はどこかいなたい。でも、彼の作る曲は非常にモダンである。アメリカのジャズやフュージョンを意識した、テンションコード、転調を多用した曲作りを見ると、音楽的にはかなり高度なことをやっているのがわかる。

この不思議なミスマッチ感こそが、イヴァン・リンスの個性なのだ。

実は筆者も20年ほど前、彼が来日したときに昭和女子大講堂でライブを聴いたのだが、緻密なバックの演奏を上回るほどの、パワーのある歌声に感銘を受けたのを、昨日のことのように覚えている。人間の声ってやっぱり、あらゆる楽器の中でも一番説得力があるものなんだなと。

さて、今日聴いていただく曲「Bandeira Do Divino」(78年録音)も、ヴォーカルにどこかいなたさを感じさせながら、バックのコーラスや演奏はあくまでも洗練され、美しい。

とにかく彼の紡ぎ出すメロディは、絶品だ。ブラジルの豊かな土壌の上に咲いた、大輪の向日葵のような、生命力にあふれた楽曲。

自分もぜひ歌ってみたい、そういう気を起こさせる魅力に満ちたイヴァン・リンスの音楽世界を、とくと味わって欲しい。

2009年5月10日(日)

#77 Sphere(スフィア)「Future Stream」(GloryHeaven-ランティス)

先日、Aice5を取り上げて以来、彼女たちに続く次世代声優ユニットはないものかチェックしてみたところ、このスフィアが目に飛び込んできたのでご報告。

スフィア(Sphere)とは、英語で球体、天空等の意味。この2月に結成、4月22日にCDデビューしたばかりの、寿 美菜子、高垣彩陽、戸松 遥、豊崎愛生による4人組だ。

寿は17才、高垣は23才、戸松は19才、豊崎は22才。平均年齢20.25才と実に若い。Aice5とは完全に10年のへだたりがある(笑)。

それぞれが何年かのキャリアはあるが、声優としてはまだ駆け出しといったところか。戸松はすでにソロ歌手としてシングルデビューしており、他の3人もアニメ内ユニット等での歌手経験がある。

人気の戸松を中心に、若手女性声優のきれいどころを集めた。というよりむしろ、最近の声優界の傾向として、ルックスのいいコを優先的に採用して、将来的には歌手、女優などの「表」の仕事へ売り出していく、そんなもくろみが透けて見えるんだけどね。

声優がアイドルになったというより、アイドル向きの素材をまず声優業界内で育てておいて、知名度の上がったところでアイドルとして売り出す、そんな感じでしょう。

それはともかく、筆者としては、うたってくれる歌がナイスならば、全然オッケーなわけで。まずは、YouTubeのPV映像を見ていただきやしょう。

この「Future Stream」は、テレビアニメ「初恋限定。」のオープニングテーマ。アニメに声優として出演しているのは寿、豊崎のふたりのみで、そういう意味でスフィアは、アニメ内ユニットとはいえない。

PVの演出でわかるように、アニメ色は払拭されており、意図的にアイドルユニットとして売ろうとしているのがよくわかる。

キャラとして一番目立つのは、最年長ながら最も小柄(150.8cm)でポニテ茶髪で大塚愛にちょっと似た高垣彩陽(あやひ)かな(彼女がリーダー格)。次に目立つのは最も長身(169cm)でショートヘアで小顔、宮崎あおい似の豊崎愛生(あき)かな。 戸松と寿は、ふたりともちょっと古風でおとなしめでロングヘア、ということで見分けがつきにくいかも知れないが、背の高いほうが戸松である。

さあ、これできょうからあなたも立派なスフィア通です(笑)。

曲のほうは、まあ可もなく不可もなく的な、無難な作り。彼女たちの透き通った地声をそのまま生かした爽やか系の王道ポップス。う〜ん、悪くはないんだけど‥、なんのひっかかりもない。

ちょっともの足りないなあ‥と思っていると、「Future Stream」のカップリング曲も聴く機会があった。「Treasures!」だ。

こちらは、ハードロックのアレンジ。「Future Stream」よりはもう少しガッツが感じられていい。ステージでやったら、盛り上がりそうだ。

PVでは全員白の衣装を着て、しきりに清純なイメージをアピールしているが、ちょっとカマトトな感じではある。

アニメの鉄則として「キャラが立つ」ことは大切だ。4人のキャラはまだ若干かぶっているので、まずはそれぞれのメンバーのコンセプトをきちんと決めて、衣装にも差別化をはかるようにしたほうがいいと思う。

うた的には最低限クリアすべきところを十分クリアしているので、あとは場数でしょう。

これまではAKB48あたりを聴いて満足していた層をうまく引き込めれば、第二のAice5どころか、スピードとMAXを合わせたような存在になりうるかも。

ひとえに、プロデューサーの手腕が問われるところであります。

まだ何の色もついていない状態のスフィアが、どういう色に染まっていくか、非常に興味があります。ハイ。

2009年5月17日(日)

#78 J.B. ハットー「I Feel So Good」(Atlantic Blues: Chicago/Atlantic)

スライド・ギターの達人、J.B. ハットーのアトランティックでの録音より「I Feel So Good」を。おなじみ、ビッグ・ビル・ブルーンジーの作品だ。

J.B. ハットーは、1926年サウス・キャロライナ州ブラックヴィル生まれ。ジョセフ・ベンジャミン・ハットーがフルネームだ。83年にイリノイ州ハーヴェイにて57才で亡くなっている。

J.B. ハットーといえば、エルモア・ジェイムズ直系のブルースマンとしてよく知られているが、エルモアの幅の広い音楽性をすべて継承したというよりは、エルモアの中の一番泥臭い部分のみ受け継いだというべきだろう。そういう意味では、エルモアの従兄弟のホームシック・ジェイムズに近いという気もする。

とにかく、彼のスライド・プレイを聴けば、そのことがよくわかる。突飛なフレージングにせよ、ペナペナな音色にせよ、なんかすごく気ままに弾いている感じだ。また、そのボーカル・スタイルにしても然り。あくまでも田舎臭さを隠そうとしない。

時代が移り変わり、流行に取り残されそうが、おかまいなし。あくまでも自分のスタイルを貫く。うーん、ブルースマンやねぇ。

マディ・ウォーターズなどについてもいえることだが、時流に合わせて器用にスタイルを変えていくよりは、とことん一芸で通していくほうがその人らしい個性のあらわれだ、という気がする。

ということで、今日の一曲、聴いてみよう。バック・ミュージシャンはわりといま風にアップデートされた器用な演奏をしているのに対し、ハットーは全然洗練されていない。

リード・ギタリストの達者な演奏と比べてみると、一目瞭然ってやつだ。

でも、それでいいんである。ハットーは、ハットー。バンドの中で一番キャラが立っているから、無問題なのだ。

フェンダー、ギブソンみたいな有名ブランドをあまり使わず、マイナーで安価なギターを弾き、王様みたいな奇妙な帽子をいつもかぶっていたハットー。マイペースを絵に描いたようなこのブルースマンは、特に商業的に成功したわけではないが、妙に存在感がある。

いつも大きな口を全開にして歌い、叫び、スライドをプレイする彼は、「バイタリティの塊」って感じだ。

まさに元気の出るブルース。ハットーの快唱、快演を聴いとくれ。

2009年5月24日(日)

#79 ジュニア・キンブロウ「Nobody But You」(All Night Long/Fat Possum)

ジュニア・キンブロウ、ファット・ポッサムにおけるデビュー盤('92)より。キンブロウのオリジナルを。

バックバンド名はソウル・ブルー・ボーイズ。ベースはゲイリー・バーンサイド。ドラムスはキンブロウの息子、ケニー・マローン。

ジュニアことデイヴィッド・キンブロウは30年、ミシシッピ州ハドスンヴィルの生まれ。98年同州ホリー・スプリングスにて67才で亡くなっている。

彼は、R.L.バーンサイド同様、遅咲きのブルースマンとして、90年代、一躍脚光を浴びたひとである。

その、とめどなくループするようなブギのグルーヴは、R.L.爺にまさるとも劣らぬ強烈なものがある。

そのR.L.の息子ゲイリー、わが息子ケニーという次世代ミュージシャンを率いて、生み出すファミリー・グルーヴ。古いんだか新しいんだかよくわからんサウンドだが、とにかくクセになる音だ。

ゴツゴツとした歌とギター、粘っこいベース、ドラムス。ワン・コード、ワン・リフで押しとおすその音は、黒い。あくまでも黒い。

これが白人も含む若いリスナーにウケて、キンブロウは60過ぎにしてもっともヒップなアーティストとして認められたのだから、世の中何が起こるかわからない。

きょうの一曲も、ワン・コード・ブギ。まさに典型的キンブロウ節なナンバー。

キンブロウが経営していたジューク・ジョイントでのライブ録音なので、観客の反応もビビッドにとらえられており、その場の熱気がまんま伝わってくる。

酒焼けしたような野太い歌声が、実にいかしてるオヤジ、キンブロウの濃厚な世界を、とくと味わって欲しい。

2009年5月31日(日)

#80 ローウェル・フルスン「Blue Shadows」(Chess Blues/Chess)

ローウェル・フルスン、チェッカー在籍時のヒット。フルスンのバンドのピアニスト、ロイド・グレンの作品だ。

このボリュームたっぷりのボックス・セット(なんと、101曲を収録!)以外では、日本盤「Hung Down Head」のボーナス・トラックでも入っているので、そちらで聴くことも可能だ。

ローウェル・フルスンといえば、ケント時代の「トランプ」というイメージが強いけど、チェッカー/チェス時代にもいい録音がある。この曲など、まさにそう。

リラックスしたムードでのびのびと歌い、かつギターを弾くフルスン。ホーンをフィーチャーしたジャジィなバックも実にごきげんだ。そして作曲者、グレンのピアノ演奏もいい。

ローウェル・フルスンは、知名度とかセールス枚数とかでいえば、ブルースの王者だったとは決していえないが、王者たるBBに多大な影響を与えたということで、第一級のひとだと思う。

フルスンの代表的ナンバーをBBは何曲もカバ−しているが、この「Blue Shadows」も、64年のアルバム「Rock Me Baby」でカバーしている。

フルスンは「怒り節」が基本のBBに比べると、もっと大らかというかラフな持ち味だが、おさえるべきところはつねにビシッとおさえている、そんな芸風だ。

このひとって、ホントに気持ちよさげに歌うんだよねぇ。まるで、風呂に入ってその中で歌っているように。

ある意味、シンガーの理想形ですな。ぜひ、その貫禄あふれる歌いっぷりを味わってみてください。

2009年6月7日(日)

#81 ロバート・ナイトホーク「Sweet Black Angel」(Drop Down Mama/Chess)

ロバート・ナイトホークの、代表的ヒット・ナンバーを。ナイトホーク自身のオリジナル。

ジョニー・シャインズ、ハニーボーイ・エドワーズ、フロイド・ジョーンズらを収めたコンピレーション・アルバム「Drop Down Mama」で日本でもよく知られているナイトホークは、1909年アーカンソー州ヘレナ生まれ。67年、同地にて57才で亡くなっている。

本名・ロバート・マッカラム。戦前はロバート・リー・マッコイ、ランブリング・ボブなどといった名でレコーディングしたのち、改名。歌のみならず、スライド・ギターもよくこなすブルースマンだ。

きょう聴いていただく「Sweet Black Angel」は、BBが改作し、ステージでも定番曲となった「Sweet Little Angel」の、元歌としても知られている一曲だ。

どこか翳りのある落ち着いた歌声、そしてまるで人声のようによくうたい、泣くスライド・ギター。実に雰囲気があるね。

BBみたいにテンションの高い、ステージ・アクトで映えるタイプのブルースマンもいれば、ナイトホークのようにメランコリックで、モノローグ的な世界をもつブルースマンもいるのだ。

現在、入手できる音盤はごくごく少ないが、残されたわずかな曲でも、彼の独自の魅力を知ることが出来る。

名は体を表すとはよくいったもので、彼の芸名「Nighthawk(アメリカヨタカ)」は、いかにもその芸風にぴったりだと思う。

しっとりとしたそのサウンドは、あくまでも夜に聴くのがふさわしい音楽、そういう気がする。

シカゴ・ブルース・シーンで活躍しながら、そのテイストは正統派シカゴ・ブルースというよりは、戦前のブルースに近い。

サニーボーイ一世、ビッグ・ウォルター、ルーズベルト・サイクス、バディ・ガイなど、新旧さまざまなシカゴのブルースマンたちと共演をしているが、彼はやはり彼。

どのようなスタイルで演奏しても、人生の苦み、渋みを、その歌とスライド・ギターに味わうことが出来る。

これこそが、ミュージシャンにとって一番重要な「存在感」ではないかと思います、ハイ。

2009年6月21日(日)

#82 レイジー・レスター「If You Think I've Lost You」(I'm a Lover Not a Fighter/Ace)

レイジー・レスターの、エクセロ・レーベルにおける代表的ナンバーを。ジェリー・ウェストの作品。

レイジー・レスターは1933年、ルイジアナ州トーラス生まれ(存命中)。本名。レスリー・ジョンスン。

彼の郷里ルイジアナには、ルイジアナ・ブルースとよばれる独自のスタイルのブルースが育っている。アーティスト名でいえば、ライトニン・スリム、ロンサム・サンダウン、スリム・ハーポ、そしてこのレイジー・レスターが代表選手である。

彼らに共通していえるのは、独特の「ゆるさ」だ。陽性で、どこか白人のC&Wにも通じるところのある、のんびりした感覚。ルイジアナの気候、風土が生み出したカラーといえよう。

レスター自身は、ジミー・リード、リトル・ウォルターあたりのシカゴ・ブルースのハーピスト/シンガーの影響を受けたが、またそれらとも微妙に違った、地方色のある芸風だ。

レイジーの芸名通り、怠惰な感じが身上。歌は一本調子で音程も微妙、お世辞にもうまいとはいえないが、ハープはなかなか達者である。テクニックに走り過ぎず、味わいを大切にしているそのスタイルは、ハープ初心者にも結構参考になりそうだ。

きょうの曲のテーマは男女の「別れ」なんだが、深刻になったり湿っぽい感じになったりせず、どこかカラッとしている。レスターならではのユーモアが感じられるのだ。

レスターはこの「If You Think I've Lost You」のほか、全部で15枚のシングルをエクセロ時代に吹き込んでいる。これがいい曲揃いで、このアルバムでその大半を聴くことが出来る。

プロデューサー、J.D.ミラーの作品「I'm a Lover Not a Fighter」「Sugar Coated Love」「I Hear You Knockin'」あたりは必聴。ミラーは、ルイジアナの音楽シーンにおいて非常に広範囲の活躍をしたひとなので、ぜひその名を覚えておいて欲しい。

シカゴにはない、のどかな味わいのブルース。ぜひ、味わってみるべし。

2009年7月19日(日)

#83 レッドベリー「Leaving Blues」(Leadbelly/Virgin)

四週間ぶりの更新は、この一曲であります。フォーク/ブルース・シンガー、レッドベリーの40年代の録音より、自身のオリジナルを。

レッドベリーは1888年ルイジアナ州ムーアリングスポート生まれ。49年、ニューヨークにて61才で亡くなっている。

テレビはおろか、ラジオ放送もまだ始まっておらず、レコードも普及していなかった20世紀の前半、庶民はどうやって音楽を楽しんでいたか?

各地を回って、生の弾き語りで歌をうたいきかせるシンガーが、そういったメディアのかわりに存在していたのだ。彼らはソングスター(Songster)と呼ばれていた。

レッドベリー、本名ハディ・レッドベターもそのひとりで、12弦ギターを手に、さまざまなジャンル(フォーク、ブルース、ワークソング、スピリチュアルなど)の音楽を、ひとりで歌って旅をしていた。

1930年代以降、国会図書館用や商業レーベルへの吹き込みも始まり、彼の名前は全国区的に有名となる。

白人、黒人を問わず人気を博し、後代にも大きな影響を与えている。たとえば、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル。彼らの4枚目のアルバム「ウィリー&ザ・プア・ボーイズ」では、A面、B面で一曲ずつ彼の代表曲「コットン・フィールズ」「ミッドナイト・スペシャル」がカバーされていて、その影響度がよくわかる。

きょう聴いていただく「Leaving Blues」も、アメリカのみならず、海を渡って英国のミュージシャンたちにもカバーされている。スキッフルのスター、ロニー・ドネガン、それからロリー・ギャラガー率いるバンド、テイストも録音しているのだ。

レッドベリーの歌の魅力といえば、なんといってもその円熟味あふれる「声」だろうな。きょうの一曲でも、ちょっと鼻にかかった高めの声でウェイルする、いかにもレッドベリーらしい歌唱を聴くことが出来る。そのひなびたムードは、いかにもルイジアナなんだよな〜。

ギターのほうも結構達者で、そのプレイは実にリズミカルでスピード感があふれている。

明るい曲、メランコリックな曲、しみじみとした曲、どんな曲を歌っても、レッドベリーの個性がそこににじみ出ているのだ。

20世紀前半のアメリカ民衆音楽を象徴するシンガー、レッドベリーの歌う「Leaving Blues」。これぞカントリー・ブルースの粋(すい)だと思います。必聴。

2009年7月26日(日)

#84 中島愛「天使の絵の具」(ノスタルジア/flying DOG)

若手女性声優・歌手の中島愛(めぐみ)のセカンド・シングル所収のナンバー。

このタイトルを聞いてピン!と来た方、あなたは決して若くありませんね(ニヤリ)。

そう、この曲はアニメ映画「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」のエンディング・ナンバー。実に25年前の曲なんである。

個人的なことをちょっと書いてしまうと、筆者は当時、少年漫画誌の編集者。担当している作品の仕事がなかなかうまくいかず、プライベートでも失恋続き、八方ふさがりの状態だった。

そんなある日、仕事の空き時間に吉祥寺の映画館にふらりと入って観たのが、この劇場版「マクロス」。で、その中で一番印象に残ったのが、ヒロインの一人、アイドル歌手のリン・ミンメイ役の声優もつとめた女性歌手、飯島真理の歌声だった。

テーマソング「愛・おぼえていますか」は、当時大ヒットとなったが、実はその曲以上に気に入ったのが、この「天使の絵の具」。飯島自身のオリジナルで彼女のセカンド・アルバムにも既に収録されていたが、それを清水信之がアップテンポの曲調にリ・アレンジ、非常にポップでキャッチーな感じにリニューアルしたのが映画版バージョンだった。

この、彼女の甘〜い歌声に、筆者は一発でノックアウトされてしまったのだ。

けっして、ミンメイのキャラクターに(いまふうにいえば)「萌えた」わけではない。また、「中の人」である飯島のルックスが好みだったわけでもない。むしろ、苦手なタイプだった。

ただただ、純粋に飯島の「声」に萌えてしまったのである。

こんな「声萌え」は、めったにあることじゃない。筆者自身でいえば、これまでの人生でも、松田聖子と飯島真理ぐらいしかないのだ。

ある女性歌手に惚れ込むときは、自分の場合、たいていは歌声だけでなくそのルックスやキャラも含めて総体的に気に入るケースがほとんど(具体的には、小林麻美、中森明菜、中山美穂、工藤静香などがそのパターン)だが、ルックス的に格別好みでないこのふたりを好きになったということは、やはり、声そのものにとてつもない魅力があった、そういうことなんだろう。

さて、前フリがやたら長くなってしまったが、きょうの一曲は、昨年放映して大人気だったTVアニメ「マクロスF」のヒロイン、ランカ・リーをつとめた中島愛による、マクロス・スタンダードのカバーというわけだ。

聞くところでは、現在のマクロス・ファンに「ランカ・リーに歌ってほしい過去のマクロス・ソング」の人気投票をしてもらって、見事一位となったのが、この「天使の絵の具」だとか。「ああ、みんなもこの曲が一番好きだったんだ!」とわが意を得たりで、実にうれしい。

さて、中島自身は「マクロスF」のオープニング・ナンバー「星間飛行」を既にヒットさせて、歌手としても好調なスタートをきっている。日比のハーフということで、エキゾチックな濃い顔立ちをしており、スターの素質も十分だ。

とはいえ、この「天使の絵の具」を聴くに、声の高音部の伸びとかツヤとかいったキメどころで、残念ながら飯島真理版より聴き劣りしてしまうのも事実だ。

25年以上前のオリジナル・マクロスこそ最高!と信じて疑わない原理主義者たちには、まず受け入れられそうにないなぁ。ちょっと残念。

でも、当時を知らない若いファンたちにしてみれば、それがどうした!?という感じだろうね。

オリジナルとはいえ、昔のマクロスはいまのマクロスとは別物。時代の流れに応じて、キャラの絵柄も変化しているし、人物造型、ストーリー展開も変わってきている。

新しい時代には、やはり、新しいヒーロー、ヒロインが必要なのだ。

弱冠ハタチの中島の表現力が、飯島のそれに追いついていないからといって、叩くのはどうかと思う。

どんな歌い手でも、歳月を経て、歌を成長、進化させていくものなのだ。

そういう意味で、この中島愛はあえてアニメキャラクターに寄りかかった声(いわゆるキャラ歌唱)でなく、彼女自身のスタイルで、正統派の歌い方で歌おうとしているのが頼もしい。

飯島真理ほどの、天賦の声の魅力はないにせよ、いいシンガーになる可能性は十分に持っている。

中島愛の今後の成長に、大いに期待してます。

2009年8月2日(日)

#85 ココ・テイラー「I Cried Like a Baby」(Queen of the Blues/Alligator)

今年の6月3日、73才で亡くなった女性ブルース・シンガー、ココ・テイラーの75年のアルバムより。ナッピー・ブラウン、ポール・デイヴィッドの作品。

ココ・テイラーといえば、とにかくその男勝りの豪快な歌唱で知られる人。「女傑」という呼び名が、彼女ほどハマる人はいないね。

60年代〜70年代前半はおもにチェスにて活躍。ブルース界のボス、ウィリー・ディクスンの肝煎りによりデビューし、女性版ハウリン・ウルフのような強烈なキャラクターで、他のブルース・ウーマンたちを圧倒した。

代表曲はディクスン作の「Wang Dang Doodle」。これは60年代を通しての、チェス・レーベルの最大級ヒットとなった。

一度聴くと忘れられないワイルドなシャウト。およそ力のセーブなんてありえない、120%直球勝負の歌声だった。

75年からはアリゲーターに移籍。32年に渡って、地道にアルバムを発表し続けた。遺作は2007年の「Old School」。70代になるまで、ずっと第一線で歌い続けたのは、見事というほかない。

「I Cried Like a Baby」は、彼女が一番脂が乗っていた頃、40才になった年の録音。

アルバム・タイトルの「Queen of the Blues」を名乗っても恥ずかしくないくらい、確たる地位を築いた彼女の、会心の一曲といえる。

とにかく、聴いてみて欲しい。バックの堂々たるサウンドを全て圧倒して余りある、文句なしの咆哮(うたごえ)を。

そして、野獣のような歌声の中にもしっかりと感じられる、きめ細やかな感情表現を。

まさに赤ん坊のように泣き叫ぶココには、ブルースという最もプリミティヴな音楽がふさわしい。

さようならブルース・クイーン、ココ。僕らは、あんたの全身ブルースな生きざまを決して忘れない。その歌声とともに。

2009年8月9日(日)

#86 リロイ・カー「How Long-How Long Blues」(Whiskey Is My Habit, Women Is All I Crave: The Best of Leroy Carr/Columbia-Legacy)

第二次大戦前のブルース・シンガー/ピアニスト、リロイ・カーの代表的ナンバー。彼自身の作品。

リロイ・カーは1905年、テネシー州ナッシュビル生まれ。35年にインディアナ州インディアナポリスで、30才の若さで亡くなっている。

非常に古い時代のシンガーであるにもかかわらず、彼の名前がいまだに残っているのは、「Blues Before Sunrise」や、この「How Long-How Long Blues」といった、何人ものシンガーたちによって歌い継がれてきた佳曲をものしていたことによるのだろう。

とはいえ、クラプトンによるその2曲のカバー・バージョンを聴くことはあっても、原曲に触れる機会はめったにないと思う。

このアルバムは上記2曲はもちろん「Mean Mistreater Blues」「Muddy Water」といった代表曲を40曲も収録しており、リロイの歌・ピアノの魅力を存分に満喫できるのでおススメである。

リロイの歌声は、どちらかといえば線が細く、迫力というよりは、きめこまやかな情感表現で聴かせるタイプ。

自身の達者なピアノに乗せて、訥々と歌い聴かせる。ギタリスト系のブルースマンにはない、もうひとつのブルースの世界がある。

ブルースの電気化が始まる前(1928年〜35年)の録音なので、すべてアコースティック楽器での演奏。オールド・タイミーな雰囲気がぷんぷんとしとります。

もともと、ブルースはこういう感触の音楽だったんですけどね。戦前と戦後では、ホント、別物になってしまったといえます。

ゆったりとしたテンポにのせて演奏される、癒し系ともいえるブルース。なんとも、粋であります。

名手、スクラッパー・ブラックウェルの好サポートも印象的な一曲。ぜひ、何度も聴いて、独自の世界を堪能してほしいです。

2009年8月16日(日)

#87 リトル・ミルトン「A Juke Joint in My House」(Feel It/Malaco)

リトル・ミルトン、2001年のアルバムより、ラリー・アディスン、ジョージ・ジャクスンの作品を。

リトル・ミルトンというシンガー/ギタリスト、日本ではあまりファンが多くないようだが、聴かないというには実にもったいない、そんな魅力にあふれたひとだ。

60年代はチェッカーに在籍、71年から75年にはスタックスにて精力的な活動をしていた。約5年間で実に10枚のアルバムがある。

リトル・ミルトンことミルトン・キャンベルは、34年ミシシッピ州インバネス生まれ。2005年テネシー州メンフィスにて70才で亡くなっている。

このマラコでの録音は、晩年にさしかかってのものだが、全然衰えを感じさせぬ、まことにファンキーな歌声を聴くことが出来る。

歌に加え、ギターでも健在ぶりを示している。やはり、彼は自分がシンガーであると同時に、ギタリストであるという意識を強く持っていたようで、2005年のテラークにおける遺作「Think of Me」でも、ギターを抱えたジャケ写を撮らせている。

ミルトンにとっても、やっぱり、ギターこそは生涯の伴侶なんだなぁ。

その昔は、発売されて間もないギブソン・フライングVを愛用していて、その写真は以前に「一日一枚」で取り上げたサン・レーベルのコンピ盤「Blue Flames」にも載っていた。

それを見るに、筆者にも劣らぬ、相当なギター偏愛者ではなかったかと思う(笑)。

まあそれはともかく、彼の個性とは、ブルースという旧世代の黒人音楽と、ソウル、さらにはファンクという新世代のそれとを、見事に混ぜ合わせたブレンダーぶりにあると思うね。

ノリはソウル。でもフレージングなど表現にはかなりブルース的な要素が含まれており、彼の本来の出自を感じさせる。その骨組みはコンテンポラリーなものでありながら、ガチなブルース・ファンにもすっと入っていける。いわば、現在のブルース・ミュージックの基礎を築いた先駆者だ。

21世紀初頭のこの曲でも、その姿勢は一貫して変わっていないと思う。

粘りのあるボーカル、アルバート・キングにも通じるところのある、ファンキーなギター・フレーズ。これぞ、ミルトン節である。

老いてなお情熱を忘れぬ、ブルース・マスターの好演。聴くべし!

2009年8月23日(日)

#88 ミシシッピ・フレッド・マクダウェル「All the Way from East St. Louis」(Mississippi Fred McDowell/Rounder)

ミシシッピ・フレッド・マクダウェル、62年録音、71年リリースのアルバムより、彼のオリジナルを。

ミシシッピ・フレッド・マクダウェルは1904年テネシー州ロスヴィル生まれ。72年に同州メンフィスにて68才で亡くなっている。

この人もまた、遅咲きブルースマンの典型だ。長年農夫としての生活を続けたのち、アラン・ロマックスにより見出され、50代半ばにしてようやくレコーディングのチャンスを得て、亡くなるまで10年あまりメジャー・シーンにて活躍したという、文字通りの老春派ミュージシャン。

基本は生ギター、スライドによる単身の弾き語りで、バックがついてもせいぜい一人。ごくごくシンプルな編成なのだが、そこから生み出されるグルーヴが、ハンパなくすごい。

まずは一曲聴いていただきたい。この「All the Way from East St. Louis」、最初から最後まで、延々とワンコード、ワンリフ、ワングルーヴで展開されるのである。

この曲によらず、ストーンズによるカバーで一躍知られるようになった「You Gotta Move」にせよ、「Highway 61」にせよ、彼のレパートリーの大半はワンコード、あるいはそのバリエーションといえる。

このスタイルは戦前のブッカ・ホワイトあたりの、カントリ−・ブルースの流れを引き継いだものだが、こんなブルースマン、60年代にもまだ生息していたんだから、ブルースの奥は深いねぇ。

このスタイルをさらに継承し電気化をほどこして世に広めたのが、以前取り上げたことのあるR・L・バーンサイドやジュニア・キンブロウらの、ファット・ポッサム系アーティストということになる。いわばヒル・カントリーの教祖的存在なのである、マクダウェル翁は。

見た目はいかにも田舎のおじいさんなのだが、その音楽は強力無比きわまりない。

その特徴的な塩辛声と、パーカッシヴなギター・プレイは、まさにリスナーの聴覚を幻惑させてやまないマジックに満ちている。

音の魔術師=ミシシッピ・フレッド・マクダウェルの生み出す、蟲惑的なビートに酔い痴れてくれ。

2009年8月30日(日)

#89 エイモス・ミルバーン「Chicken Shack Boogie」(Chicken Shack Boogie Man/Proper)

ピアニスト/シンガー、エイモス・ミルバーンの代表的ヒットを。ローラ・アン・カラムとミルバーンの共作。

エイモス・ミルバーンは1927年、テキサス州ヒューストン生まれ。80年、52才で同じくヒューストンにて亡くなっている。

テキサス出身ながら、おもに西海岸で活躍。10代末にアラジンにて初録音、後にはキング、モータウンほかでも録音しているが、彼の全盛期はやはり、アラジン在籍時だろう。

アラジン時代(1946〜57)、20代のミルバーンの人気はホント、すごかった。ビルボードR&Bチャートにたて続けにヒットを送りこみ、ナンバーワンを、4曲もモノにしている。

今でこそ、彼の名前はマニアしか知らないものになってしまったが、当時は黒人音楽界のスーパースターだったんである。

ナンバーワン・ヒットのひとつが、この「Chicken Shack Boogie」。アルバム・タイトルが示すように、彼の代名詞とすらいえるビッグ・ヒットだった。

まずは、聴いてみよう。軽快でドライブ感にあふれたブギ・ビートに乗せて、どこかとぼけた味わいのあるミルバーンのボーカル(歌というより、ほとんど語りですな、この曲の場合)、そして玉を転がすような流麗なピアノ・プレイが楽しめる。

バック陣の演奏も、実に達者だ。ソリッドなギター、ノリノリのベース&ドラム。これぞブギウギ!といいたくなる。

いつも満面の笑みを浮かべている彼の顔写真を見るとわかるように、とにかく底抜けに陽気なのですよ、ミルバーンの楽曲は。こういう曲を、酒とともに聴けば、一日の疲れなど一瞬に吹き飛ぶこと、うけあい。

このアルバムでいえば、「Roomin' House Boogie」も、やはり超ノリノリのブギでおすすめ。

また、彼は「酒飲みブルース」というジャンルの第一人者でもある。「Bad Bad Whisky」に代表される酒飲みブルースは、この1枚には2曲程度とあまり収録されていないが、上戸なひとにはこたえられない味わいがある。

強力無比のブギ・マン、エイモス・ミルバーンのビートは、永久に不滅であります。

2009年9月6日(日)

#90 マット・ギター・マーフィ「J.F.A.」(Lucky Chram/Roesch)

ギタリスト/シンガー、マット・ギター・マーフィ2000年のアルバムより、マーフィのオリジナル・インスト曲を。

マット・ギター・マーフィは1927年ミシシッピ州サンフラワー生まれ。

プロ・ミュージシャンとしてのキャリアは、40年代末にメンフィスにてスタート。以来、半世紀以上にわたって、ブルース/R&B/ソウル界でバッキングの達人として活躍してきた。

おもな共演相手は、メンフィス・スリム、ハウリン・ウルフ、ジュニア・パーカー、ボビー・ブランド、ジェイムズ・コットン、そしてブルース・ブラザース。

アレサ・フランクリンの亭主役となった、ブルブラ映画二作での役者ぶりを、覚えているかたも多いだろう。

ヒゲ面にキャップにTシャツ姿、見てくれはいかにも「おっちゃん」という感じだが、ギターを持たせれば、右に出る者がない。

そのプレイは正確無比でスピーディ、計算しつくされたテクニカルなものだが、けっして無味乾燥なものでなく、ブルーズィなフィーリングも十二分にもっており、いわば完全無欠のギタリストなのだ。

60才を過ぎてようやくソロ・アルバムをリリース、2000年までに三作をリリースしているが、その後は健康上の問題があり、活動停止の状態にある。実に残念である。

とまれ、きょうの一曲、聴いてほしい。ジャズィな味わいのスロー・ブルース・ナンバーで、マーフィは実に気持ちよさげに、愛器を弾きまくっている。

タイトルの「J.F.A.」とは、日本サッカー協会のこと‥‥なわけもなく、全く意味不明なのだが、まあこの際、意味を知ったところでしょうもない。(おそらく、マーフィの友人の名前から来ているんだろうな。)

とにかく、そのフレーズひとつひとつが、過去何十年かにわたる、ありとあらゆるカッコいいブルース・ナンバーを凝縮したもの、そんな感じである。

ハムバッカーの粘りある音色が、実に艶(H)っぽくて、いい。この演奏を聴けば、世間で名ギタリストともてはやされている(おもに白人のロック系)ギタリストのプレイが、まだまだ大したことがないのが、よくわかると思う。

「ギターとはこういうふうに弾くもんじゃい!」と無言で教えてくれるのが、マーフィの演奏だ。

一音一音にゆるぎないフィーリングがみなぎる、マット・ギター・マーフィのプレイ。まさに「ギター」のニックネームにふさわしい。必聴であります。

2009年9月13日(日)

#91 カール・ウェザズビー「Come To Papa」(Come To Papa/Evidence)

今年56才の中堅ブルースマン、カール・ウェザズビーの4枚目のソロ・アルバムからタイトル・チューンを。ウィリー・ミッチェルとアール・ランドルの作品。

ウェザズビーは53年、ミシシッピ州ジャクスン生まれ。係累にミュージシャンが多いこともあってか自らもギターを弾き始め、父親がアルバート・キングと懇意にしていたことからそれがキングの目にとまり、20代の後半にはキングのバック・バンドに一時参加することになる。

彼の本格的なプロ・ミュージシャンとしてのキャリアは、ハーピスト、ビリー・ブランチが率いるバンド、サンズ・オブ・ブルースから始まる。

80年代前半から90年代半ばまではそのグループに在籍、96年、ソロ・デビューを果たす。

以来、病気によるブランクをはさみながらも2004年まではコンスタントにアルバムを発表。2005年以降はふたたび録音が休止状態となっているものの、玄人筋では非常に評価の高いひとだ。

まずは、きょうの一曲、聴いてみよう。この曲はもともと、ベテラン・ソウル歌手アン・ピーブルスが「Come To Mama」のタイトルで歌い、ヒットしたナンバー。それを男性版バージョンで出すに際して、わざわざオリジナル・シンガー、ピーブルスを引っ張り出してレコーディングしたあたり、ウェザズビーの相当な意気込みが感じられる。

このアルバムではおまけに同じピーブルスの代表曲、当コーナーでも昨年の9月21日に取り上げた「(I Feel Like) Breaking up Somebody's Home」までカバーしてるんだから、すごい気合いだ。ソウル・シンガーとして、一歩前に出てやるぜ、みたいな。

とはいえ、シャウトな歌姫、ピーブルスとは対照的に、ウェザズビーの歌声はわりとソフトで、ほとんどシャウトしない。師匠格にあたるアルバート・キングにも通じるところのある、スモーキーな声が印象的だ。

これがよくも悪くも、彼の個性といえるだろう。「クルーナー唱法」というのがソウルにもあるとしたら、彼はその見事なサンプルといえそうだ。

バック・ミュージシャンに目を転じてみると、これがなかなか。ベースにウィリー・ウィークス(クラプトン、ジョー・ウォルシュのバックなどでおなじみですな)、キーボードにラッキー・ピータースン、そしてメンフィス・ホーンズと豪華豪華なのだ。当然、音には文句のつけようがない。

ウェザズビー自身のギター・ソロは控えめで、そちらを期待したムキには肩すかしだったかもしれないが、これも彼の、ギターよりあくまでも歌を前面に出そうという姿勢のあらわれなんだろうね。

アルバート・キング亡きあと、そのソウル・ブルースのラインを引き継ぐ稀少なひとり、カール・ウェザズビー。

派手さはないが、自分の気に入った曲をじっくりと歌いこんでいくウェザズビーには、隠れたファンも多い。

ふたたび新作で、その味わい深い歌声とギターを聴かせてほしいものであります。

2009年9月20日(日)

#92 ロニー・ブルックス「Figure Head」(Authentic Blues/Fuel 2000)

1933年生まれのベテラン・ブルースマン、ロニー・ブルックス、若き日のレコーディングより。クレイグ=デニーズ=エマーソンのトリオの作品を。

本名リー・ベイカー・ジュニア。ルイジアナ州ダビュイッソンに生まれ、テキサス州ポート・アーサーに移り住む。20代の後半、ロックン・ローラーとして「ギター・ジュニア」という芸名でローカル・レーベル、ゴールドバンドよりデビュー。後に同名のミュージシャンがいたこともあり、ロニー・ブルックスに改名することになる。

60年代はメジャーを目指してシカゴに出てきたもの、鳴かず飛ばずの状態が続き、レコード会社を転々とすることになるが、運が向いてきたのが79年にアリゲーターに移籍、アルバム「Bayou Lightning」を出したあたりからだ。

この一枚で見事、ブレイク。ブルックス、46才にしてついにオトコとなったわけである。

本曲はそのアルバムに収められた79年録音版‥‥ではなく、オリジナル録音版から。ミディアム・スローのブルース。オルガン(とホーン)のバック・サウンドが時代を感じさせる、いなたいナンバーだ。

もともとはルイジアナやテキサスといった「田舎」で、ほのぼの、ゆるゆるとしたブルースをやっていたブルックスが、都会(シカゴ)の世知辛い環境に入って揉みに揉まれた。そんな足跡も感じられる、ちょっとメランコリーな味わいもある。

ロニー・ブルックスというひと、日本ではいわゆるブルース・マニア以外にはほとんど知られていないし、その歌声よりもギター・プレイで語られることが多い。

が、彼は歌でも結構な実力を持っていると筆者は思う。メジャー未満のブルースマンのおおかたは、おもにギター・プレイで勝負、歌は素人に毛が生えた程度というのが相場だが、彼はもともと流行歌手的なデビューをしただけあって、声に魅力があるのだ。

とくにその中音・低音の巧みな使いわけかたとか、声の響きのよさは、特筆に値いするように思う。

塩辛声系のブルースマンにはない、ほどよい「甘さ」も感じられる。

「Bayou Lightning」にも、この曲の再演が収められているのだが、比較するにオリジナル版のほうが断然いい。若いころのほうが、歌声にまろみと色気があるのだ。

あえてギター・プレイを抑えて、歌一本で勝負するこの一曲。けっこうお気に入りであります。

2009年9月27日(日)

#93 ミッキー・ベイカー「Midnight Midnight」(Atlantic Blues: Guitar/Atlantic)

シンガー/ギタリスト、ミッキー・ベイカーの59年のインスト・シングル曲を。ベイカーとカーティス・アウズリーの共作。

ミッキー・ベイカーといってもピンとこないムキも多いだろうが、R&Bデュオ、ミッキー&シルヴィアの片割れのミッキーといえば、少しは通りがいいかもしれない。

ミッキー&シルヴィアは56年にデビュー、「Love Is Strange」(邦題・恋は異なもの)をヒットさせた男女デュオ。ふたりともエレクトリック・ギターを弾くというのがその特徴で、実際ベイカーがシルヴィアにギターを手ほどきしていた。

ふたりはその後も何曲かヒットを放ち、3年後にコンビを解消している。シルヴィアはその後、ロス・インディオスに参加‥‥というのはもちろん冗談で、70年代にソロで「Pillow Talk」というお色気たっぷりなディスコ・ナンバーをヒットさせたから、そこのお父さんもご存じかも。

相方のミッキー・ベイカーのほうも、その後ソロとしてギターに歌に活躍しておりまして、きょうの曲は、アトランティック在籍時代にヒットさせている。

これが実にカッコよろしい。ミディアム・テンポのシャッフル・ビートに乗せて、メリハリあるギター・プレイを聴かせてくれるのだ。

ジャズ、ブルース、R&B、ロックンロールと、さまざまな要素を匂わせるそのプレイは、なんともクール。

その手のブルーズィな音楽を志すギタリストたちにとって、格好のお手本といえますな。

ファースト・ソロ・アルバム「The Wildest Guitar」にも収録されているが、そこで演っている曲を見ると「夜も昼も」「枯葉」「オールド・デヴィル・ムーン」「落葉の子守り唄」といったジャズ・スタンダードあり〜の、自作のブルースあり〜のと、実に選曲の幅が広い。

あえて歌はうたわず、ギターのみで勝負しているが、フレーズの豊富さ、表現の巧みさにより、決してあきさせるということがない。コール・ポーターの「夜も昼も」が見事なゴーゴー風ダンス・ナンバーになってしまっているのには、ただただビックリ。

ピー・ウィー・クレイトンの「ブルース・アフター・アワーズ」の流れをうけ、後にはフレディ・キングの一連のインスト・ナンバー(「ハイダウェイ」「ザ・スタンブル」など)にもつらなっていく、ギター・インストの傑作、それが「Midnight Midnight」。

とにかく、ビートがメチャご機嫌なのであります。

ベイカーは今年、84才。音楽活動の話はここのところとんと聞きませんが、いまも元気でギターをつまびく生活を送っているというんだったら、いいんですが。生涯現役プレイヤーを貫いて亡くなった、あのレス・ポール翁のように。

レス・ポールにもまさるとも劣らぬ、「リビング・ギター・レジェンド」、それがミッキー・ベイカーであります。必聴。

2009年10月10日(土)

#94 ピー・ウィー・クレイトン「Blues in the Ghetto」(Essential Recordings/Cleopatra)

今回も、インストでいくじょ。シンガー/ギタリスト、ピー・ウィー・クレイトンのオリジナル。彼個人のアルバムでは、2001年リリースの編集盤で初お目見えのナンバーであります。

録音は少なくとも40年以上前かと思われますが、これがまた時代をまったく感じさせない、クールでヒップな出来映えなんよ、お客さん。

ピー・ウィーは1914年、テキサス州ロックデイル生まれ。本名はコニー・C・クレイトン。85年、LAにて没。

ジャズ・ギターの開祖チャーリー・クリスチャン、エレクトリック・ブルース・ギターの開祖T・ボーン・ウォーカー。こういった先達の影響を強く受けながらも、独自の演奏スタイルを作りあげていったのが、ピー・ウィー・クレイトン。

とにかく、早いパッセージをガンガン弾きまくり、トレモロ・ピッキングも多用。ワイルドでアグレッシブなことでは、右に出るものがなかった。

フツー、ブルース・ギタリストとゆーと、「タメ」とか「間」とかで勝負するタイプの奏者が多いが、彼の場合は問答無用のハッスル・プレイが身上。

この「Blues in the Ghetto」も、割りとゆったりしたミディアム・テンポだが、ギター・プレイはいかにも彼らしく、スピード感があふれている。

バックの重く、力強いリフとは対照的に、華麗に舞い、切り込んでくる、剣のような鋭さ。ええですな〜。

ジョニー・オーティス・ショウの一員として活躍していた頃にも、同グループでこの曲をよく演奏していたらしいのですが、ホント、「Blues After Hours」とまさるとも劣らぬ、カッコいい曲であります。

口ひげをたくわえたダンディなルックス。そしてソリッドでクールなギター。歌はまあご愛嬌レベルではありましたが、ピー・ウィーはもっと評価されていいアーティストだと筆者は思ってます。

ぜひ、あなたも ピー・ウィー・ワールドを味わってみてください。

2009年10月17日(土)

#95 レバランド・ゲイリー・デイヴィス「Candy Man」(Heroes of the Blues: The Very Best of Rev. Gary Davis/Shout!)

今週は、ひさしぶりに趣きを変えて、カントリー・ブルース系でいってみる。ゲイリー・デイヴィス師による弾き語りナンバーを。彼自身のオリジナル(といっても、トラッドをベースにした改作といった方が正しいだろうが)。

ゲイリー・デイヴィスは96年、サウスキャロライナ州ローレンス生まれ。72年にニュージャージー州ハモントンにて亡くなっている。

その呼び名通り、牧師がデイヴィスの肩書きのひとつだが、もうひとつがギタリスト/シンガーとなる。

10代からそのミュージシャンとしてのキャリアは始まっており、フィンガーピッキングの名手としてさまざまな後進のギタリストに影響を与えている。たとえば、ブラインド・ボーイ・フラー、ステファン・グロスマン、ボブ・ディラン、タジ・マハール、それにライ・クーダーなどなど。

まさに20世紀アメリカ音楽の礎を築いた人なのだが、意外とその音楽自体は聴かれることが稀である。

今日は、そんな彼の代表的ナンバーを、2003年リリースのベスト盤より、聴いていただこう。

軽快にして清涼感あふれるフィンガーピッキング・ギターにのせて、彼の素朴なことこの上ないボーカルを味わうことが出来る一曲だ。

歌のほうはともかくとして、ギター・プレイは実に正確無比だ。ギター教材にもうってつけの演奏といえる。

フォーク、ブルース、ラグタイム、ゴスペル等々。ジャンルにとらわれず、さまざまなタイプの音楽を吸収し、ギター・ミュージックとして構築した、音の達人。それがデイヴィス師なんである。

すべてのアコギ・プレイヤーは、一度は彼の演奏を聴くといい。

そのリズム感覚の巧みさを体感し、ぜひ自分のものにもしてほしい。

2009年10月24日(土)

#96 ルーファス・トーマス「Did You Ever Love a Woman」(Atlantic Blues/Atlantic)

ルーファス・トーマス、アトランティック在籍時代のレコーディングから。B・B・キングの作品。

ルーファス・トーマスといえば、「ウォーキン・ザ・ドッグ」。これはもう万人の認識だろう。永遠のティーンネージャー、偉大なオヤジロッカー&ダンサー&コメディアン、そんなイメージの人だが、実は違う横顔もある。

1917年ミシシッピ州ケイス生まれ。戦前はメディスン・ショーの一座で活躍、レコードデビューは戦後で、サンレコード時代、以前にも取り上げた「ハウンド・ドッグ」のアンサー・ソング「ベア・キャット」で注目される。

全盛期はもちろん、「ウォーキン・ザ・ドッグ」をヒットさせたスタックス在籍時代。ダンサブルかつちょっとコミカルな曲調のナンバーで、一世を風靡した。

その後も、ステージ、映画等で広く活躍して、2001年メンフィスにて84才で亡くなる。生涯現役、実に堂々としたショーマン人生だった。

そんな彼も、意外とシブい味わいのブルースマンでもあったという証明がこの一曲。BBだけでなく、ゲイトマウス・ムーアも十八番としていたスロー・ブルースだ。

ルーファス・トーマスの歌声は、その二人とはまた違った味わいがある。まずはソフト&マイルドに、囁きかけるように歌い出したかと思うと、感情の高ぶりとともにいきなり激しいシャウトに変化する。なんともエモーショナル。

コミカルばかりが彼の売りではない。ブルーズィできめ細かい感情表現もまた、トーマスの得意とするところなのだ。

このナンバー、ライブでも10分にわたって歌いまくり、延々とディープな世界を展開していたとか。

エネルギッシュ、でもダンス・ナンバーとはまた違っためいっぱいブルースな歌声に、ノックアウトされてちょ。

2009年10月31日(土)

#97 yozuca*「S.S.D!」(Lantis)

ヒットチャートの上位にいる曲だけが、いい曲ではない。今週は音楽通でも知るものの少ない、正真正銘の隠れた名曲を紹介しよう。

女性シンガーソングライター、yozuca*(ヨズカ)、といってもピンとくる人はきわめて少ないだろうな。

はっきりいってゲーム好きな人しか、その名前を知る者はいないかもしれない。チャートでは2曲ほど10位台に食い込んだことがあるものの、おおむね50位以降が大半だ。

だが、ゲーマーの中では、非常に重要な位置を占めるアーティストといっていい。

なにしろあの人気恋愛ゲームシリーズ「D.C.〜ダ・カーポ〜」の、一連のオープニング、エンディングテーマ、イメージソングでファンに強い印象を残しているのだから。

「D.C.〜ダ・カーポ〜」において、彼女の歌い上げるしっとりとしたバラードが、その作品世界のイメージ作りに大いに貢献してきたのは間違いない。

で、この「S.S.D!」は、長らく「D.C.〜ダ・カーポ〜」シリーズ中心に曲作りをおこなってきたyozuca*としては、従来にないイメージを打ち出した一曲だ。

アコースティック・ギターの響きを基調としながらも、ヘビメタの味付けでメリハリを出した、そんなサウンド。

彼女のシングルとしては、初めて詞・曲ともに本人の自作なのだとか。

yozuca*といえばスローバラード、あるいはアップテンポでもどちらかといえばマイナー系のメロディの曲が多いという感じだったのだが、この曲は見事にポジティブでキャッチー。

太過ぎず、でも繊細過ぎず、どこかゆらめきを感じさせつつも、一方で力強さを合わせもったyozuca*の声は、不思議と耳に残るのだ。

タイトルの「S.S.D!」は「Sun Shiny Day!」の略だそうだが、そのきらめくようなメロディは、彼女のほど遠からぬブレイクを予感させる。

今回はTVアニメ「プリンセスラバー!」のエンディングとして、アニメファンを中心にアピールしたが、次はさらに彼女自身の「顔」を前面に出したシングル曲を期待したい。

アニメやゲームの世界でも、確かな音楽性をもったアーティストはけっこう大勢いる。

そんな中でも、yozuca*は注目株だ。ぜひ一度チェックしてみてくれ。

2009年11月7日(土)

#98 アイク・アンド・ティナ・ターナー「I Smell Trouble」(Atlantic Blues/Atlantic)

アイク・アンド・ティナ・ターナー、60年代のライブ録音より。ドン・ロビーの作品。

いうまでもなく、ボビー・ブルー・ブランドの代表曲であるが、これをオリジナルにまさるともおとらぬハイテンションで演っているので、ぜひ聴いてほしい。

アイク・アンド・ティナ・ターナーといえば、とにかくそのライブアクトのセクシーさ、過激さで話題を集めていたものだが、もちろん音楽的にも非常に充実していたデュオだ。

ティナの鋭く切り込んでくるような歌声、トリッキーで挑発的なアイクのギター。まさにダイナマイト級の迫力でオーディエンスを圧倒していた。

今日の一曲は、そんな中でも極めつけのパフォーマンス。

「I Smell Trouble」は、その緊張感に満ちた歌詞内容からいっても、起伏に富んだ激しい歌唱からいっても、第一級のスロー・ブルースだが、ご本家ブランド=ベネットのコンビネーションに匹敵するのは、やはりこの二人をおいてないように思う。

全身を震わせ、痙攣するかのようにシャウトするティナ、ニワトリの鳴き声を思わせるヒステリックなプレイを聴かせるアイク。まことにスリルに満ちた7分間だ。

71年のパリ・オランピア劇場ではさらに長い10分もの演奏をやっていて、こちらも必聴だが、とにかくダレるということない、異常なまでのテンションには脱帽するしかない。

アイク・アンド・ティナの数あるレパートリーの中でも、もっともブルース濃度の高い曲のひとつ。

「やるからにはこれくらい演らんと、お客は満足しない」という気合いがひしひしと伝わってくる。これぞ芸人魂の真骨頂。

さわると火傷しそうなライブ。心して聴いとくれ。

2009年11月14日(土)

#99 ビリー・ボーイ・アーノルド「Get Out of Here」(More Blues on the South Side/Prestige)

シンガー/ハーピスト、ビリー・ボーイ・アーノルド63年のアルバムから。B・B・キングの作品。

ビリー・ボーイ・アーノルドとゆーと、イコール「I Wish You Would」という感じで、ほとんど一発屋的にしか見られていない人だが、実際には50年代から2000年代に至るまで、極めて息の長い活動を続けているブルースマンだ。

もちろん全盛期はヴィー・ジェイ在籍時の50年代ではあろうが、その後もいくつかの佳作を残している。

このプレスティッジでのセッション・アルバムもそのひとつで、ギターのマイティ・ジョー・ヤングやピアノのラファイエット・リーク(以前取り上げたホームシック・ジェイムズのアルバムでもいい感じだった)らの好サポートを得て、ナイスな演奏を聴かせてくれる。

アーノルドは35年シカゴ生まれ。生粋のシカゴ・ブルースマンというわけだ。

近隣に住むサニーボーイ・ウィリアムスンI世の影響を受けてハープを吹くようになり、10代からプロの道を歩む。初期はボ・ディドリーとともに活動していた。

「I Wish You Would」のヒットで注目され、その曲や「I Ain't Got You」がヤードバーズによりカバーされたことで、ロックファンにも広く知られるようになった。

でも、なかなか原曲を聴くことは少ないに違いない。

本日の一曲は、60年代のBBナンバーのカバー。でも、BBの怒り節とはかなりテイストが違って、ちょっと掴みどころのないふにゃ〜っとした歌い口が、ブルースというよりはR&B、ロックンロールという印象。

そう、ビリー・ボーイは、ブルースにしてはリキみがあまり感じられない「脱力系」なのだ。

この曲ではハープは特に吹かず、ギターがおもにフィーチャーされており、マイティ・ジョーの特にテクニカルとはいえないが、ソリッドでエッジの立ったトーンがビリー・ボーイの歌声をうまく引き立てている。

歌詞内容の殺伐とした内容にしては、へんにギスギスした感じにならず、クールというか飄々とした味わいに仕上がっているのは、彼のいい感じに力の抜けた歌唱ゆえといえよう。

ビリー・ボーイ・アーノルドの小粋な世界を味わってみてくれ。

2009年11月22日(日)

#100 バイザー・スミス「So Mean To Me」(Hold That Train/Delmark)

このコーナーも、ついに100番台に突入した。これからも頑張って更新しますんで、よろしく。

1933年ミシシッピ州生まれのベテラン・ブルースマン、バイザー・スミス2004年のアルバムより、リトル・ミルトン=オリバー・セインの作品を。

これは81年のデビュー・アルバム「Tell Me How You Like It」(Grits)にも収録されている一曲だ。

オーティス・ラッシュ、フレディ・キングらとほぼ同世代にあたるスミスは、シカゴに移住してプロとなったものの、ラッシュらのようにはスポットライトが当たらず、60〜70年代を地味にシングルのみリリースして過ごしている。

でも、日本でもシングル「Money Tree」あたりをきっかけに、輸入盤でブルースを聴いているようなコアなファンがついてきたという。

そんな彼にやっと日の目があたり、日本でも容易にその音を聴けるようになったのが、80年代。以来、2、3年おきにコンスタントにアルバムを発表し続け、その名前も定着するようになってきた。

今日の一曲は、リトル・ミルトン・マナーの、ミディアムスローなブルーズン・ソウル。

ここで彼は、歌とギターともに達者なところを見せている。

彼の歌声はオーティス・ラッシュにも似て、少しハスキーで泥臭く、塩辛い味わい。思い切りのいいシャウトが実にさまになっている。

また、ギター・プレイのほうも文句なしに素晴らしい。ヘヴィーさと鋭い切れ味を兼ね備え、絶妙なタメ、間で聴かせる、これぞブルース・ギターといえるような名演だ。

愛器ストラトキャスターから繰り出す音の、なんとも官能的なこと。

ストラトもさまざまな雰囲気の音を出せる名器だが、スミスにかかれば、きわめて艶っぽい響きを奏でるのである。これぞ名人芸なり。

そのテンションの高さ、表現の深さは、ラッシュ、キング、バディ・ガイといった同じ30年代生まれのスターたちにも、決してひけをとっていない。

これは聴かないと絶対損しまっせ、お客さん!


HOME