エッセーのよーなもの

日々感じていることを、気のむくままに綴ってみました。


ひさしぶりに‥‥(2009.5.4)

ひさしぶりに、「リンク集」のメンテをやった。

最後に新しいリンクを加えたのが、2005年の8月末だったから、実に3年8か月ぶりのメンテである。

今回は思うところあり、ひとつひとつのリンクをクリックして、現在もちゃんと生きているかどうかを確認してみた。

冒頭の、プロミュージシャンのオフィシャルHPは大半が現在も残っていたのだが、それに続く個人のHPが、かなり消滅している。残念だ。

まあ、予想された事態ではあったが、個人系HPの約半分は、現在消えてしまっており、残っているHPの大半も、ここ何年も更新されていない、いわゆる休眠サイトのようだ。

筆者のところのように、まがりなりにも年数十回更新しているサイトは、きわめて少ないということなのだ。

こうなった理由は、いくつかあるだろう。

10年近く前、個人HPの開設が流行っているというのでとりあえず始めてはみたものの、維持していくだけの情熱、気力、ネタがなく、結局やめてしまうケース。

他に興味が移ってしまったり、仕事やプライベートで忙しくなって、自然休業になってしまったケース。

HPスタイルよりもブログやSNSのほうがより一般的となったため、そちらに移行してしまったケース。

特にこれは多そうだ。

というのは、昔は情報交換、情報共有の場として、HPに付随するBBSが果たす役割が大きかったのだが、ここ5年ほどは、ブログやSNSのコメント欄がそれに代わってしまっている。

ブログやSNS流行以降にインターネットに興味を持ったひとなら、ほぼ全員がそちらを選んでいるであろうしね。

時代の流れを感じるねぇ‥。

ということで、新しい「リンク集」は以前のものに比べて、相当スリムになった。

今後、こういう個人のテーマ別HPは衰退の一途をたどるのだろう。

だが、筆者自身としては、こうもいわせてほしい。

10年、20年と続けていくことで、蓄積・充実していくタイプのHPもあっていいのではないかと。

いかにも昔風のデザインを今様にリニューアルしていく必要はあるにせよ、地道にコンテンツを更新していったHPには、日常の雑記に終始するようなブログにはない価値があるはずだ。

数少ない「変わり者」とよばれようが、信念をもって更新を続けていこう。うん、これでいいのだ。


今年の反省・来年の目標(2004.12.11)

【今年の反省】

諸事情により、公式ライブが、年末の1回のみに終わった。(目標は年2回)

同ライブへの参加表明が遅れたために、2曲のみ、前座扱いでの出演にとどまった。

そのライブでの動員がかんばしくなかった。平たくいえば集客に失敗した。

【来年の目標】

バンドでの活動はしばしお休みにして、いくつかの少人数ユニットでの活動に力を入れる。

集客力をつける。音楽の内容を高めるとともに、人脈を広げる。

アコースティック・ブルースを極める。フィンガー・ピッキッング・ギターをマスターする。

以上。


ぼくがマカーに戻った理由(わけ)(2005.6.14)

僕が初めて自費で購入したパソコンは、実はMacintishである。

1992年の冬のボーナスで、当時のニューモデル、LC IIを買ったのが、Macとの付き合いの始まりだ。

さるところの仲介により、アメリカ製のLC IIを直輸入で買い、これに日本語版のシステム「漢字Talk7」を入れた。

このLC IIはおもにDTM(デスクトップ・ミュージック)用に使っていた。ヤマハの「ハロー・ミュージック(ヴィジョン)」やカメオの「バンド・イン・ア・ボックス」が主な使用ソフトだった。

LC IIはスペック的にはだいぶん非力だが、薄型でスマートなデザインがなんとも格好よく、インテリアの一部にもなった。

それを三、四年使っているうちに、いささかそのパフォーマンスに不満を覚えてきたので、今度はPower Mac6100を中古で購入。

LC IIは、パソコンを始めたいという親戚の青年に譲り、しばらくは6100を使った。

マシンの用途はDTMから、当時ようやく接続サービスが始まったばかりのインターネット、つまりWWW閲覧や電子メールへと移っていった。

しばらくして、Power Mac4400というモデルが新発売されたので、それに乗り換えた。

6100はLC IIを使っている青年に譲ったので、LC IIはわが家に戻ってきた。

4400に対して格別な不満はなかったのだが、そのうち、わが家にケーブルテレビを導入することになり、そのついでに、インターネットも従来のダイアルアップ接続からケーブル接続に変えた。

そうなると、二台以上のマシンをLAN接続して、同時にネットにつなぐ必要が出てきた。

いまでこそ、Macも、AirMacという無線デバイスでネットに簡単に接続できるようになっているが、当時はネットワーク機器の品揃えに関していえば、圧倒的にWindowsのほうに分があった。

というか、当時はMacだと、無線LANにまともにつながらなかったのである。

ここまではずっと筋金入りのマカーだった僕も、ここに来て初めてドザー(Windowserの意)の軍門に下らざるをえなくなった。

不本意ながら、Winマシンへ「転向」せざるをえなかったのである。

 

新マシンは、軽くて場所も取らない、ノートパソコンが当時から人気を集めていたので、その中から探すことにした。

カタログ誌を検討の結果、見栄え・価格的にも納得のいく、ゲートウェイ2000の「Solo」を選び、秋葉原の直販ショップで購入した。2001年の2月だった。

それ以来、4400やLC IIもまったく使わなくなったわけではないが、Soloがメインマシンとなった。

ほぼ毎日、このSoloは稼動し、この「NEST OF BLUESMANIA」を生み出してきた。

Soloによりネットへの常時接続が可能となり、HPの更新材料も飛躍的に増えていった。

Soloなくして、このHPの今日はなかった、そう言っても過言ではない。

 

ところで、しばらく電源スイッチを入れることもなかった4400やLC IIに、ひさしぶりに通電したのは、昨年のこと。

たまたまSoloの調子が悪いときがあって、代わりのマシンが必要になったためだったが、これがなんと、二台とも動かない!!

4400は電源ユニットがいかれたらしく(前に6100でもそういうことがあった)、まったく動かない。

LC IIは電源部は生きていて、ハードディスクも回るのだが、モニターにまったく信号が来ない。マザーボードがいかれたようだ。

実はこのマザー自体も、一度寿命が来てしまったので、ジャンク屋で買ってきて交換した代物で、二代目マザー。またしても、寿命が来てしまったのだ。

どちらのマシンも、僕がしばらく放置していた間に故障してしまったのである。

もちろん、修理の手はないではない。

が、過去の経験からいって、結構なお代を取られるのは間違いないし、最悪、交換パーツさえないかもしれない。

要するに、ハードディスクくらいしか再利用できるものはない。

不幸中の幸いで、Soloはふたたび正常に動くようになったのだが、残りのパソコンがいっぺんに二台も使えなくなったとは、本当にショックだった。

 

そうしてセカンドマシン、サードマシンを失ったあとは、とにかく残ったノートパソコンを出来るだけ、長持ちさせるしかなかったのであるが‥‥。

 

ところが先日、ついにこのSoloまで調子がおかしくなってしまった。

ウイルス対策、スパム対策、スパイウェア対策もちゃんとやり、特にディスクエラーもないはずのマシンが、急に原因不明のシステムエラーを頻発するようになった。

Windowsのエクスプローラの機能が使えなくなり(つまりハードディスクの中身も見られなくなり)、そしてある日、シャットダウンしたのを最後に、二度と目覚める(起動する)こともなくなってしまった‥。

そう、静かに臨終のときを迎えたのである。

 

まあ、寿命といえば、寿命だろう。毎日毎日、4年間も動けば、御の字といえるかもかもしれない。

修理は、ほぼ無理と思われるので、これが潮時とあきらめて、新マシンを購入することにした。

 

満たすべき条件は三つ。

1 まず小型・軽量であること。ショップから楽に持ち帰ることができ、即日使えること。

2 ノートは候補対象外。というのは、うちの飼い猫はノートPCのキーボードをひっかく習性があり、おかげでキーの半分以上は無残にも取れてしまった。

ここはどうしても、デスクトップマシンに、外付けキーボードを接続するスタイルをとらざるをえないのである。

3 ウイルス、スパイウェア等々の有害ソフトの感染対策が、楽に出来ること。

 

特に重要なのは、3番目の項目であった。僕はこの4年半ほど、ずっとこういった有害ソフトウェアに悩まされてきた。

各種のウイルス駆除ソフトやスパイウェア駆除ソフトも使用したが、それでもシステム内に残ってしまう有害なファイルというのが意外に多い。

こういったファイルを放置しておくと、マシンのリソースをどんどん食ってしまい、パフォーマンスを阻害する。ひどいときは、メモリ不足でシャットダウンすら出来なくなったりする。

それもこれもWindowsマシンを使いはじめて、初めて体験したことである。

 

Macの場合、こんなことに陥るのはまずまれである。もちろん、Mac狙いのウイルス類も、存在するにはするが、サイトめぐりをしていて、それに遭遇する確率は、Winの何十分の一といったところだろう。

Winマシンにとってはどんな有害ソフトであっても、Macならほとんど問題とならない。

最悪、スパムメールの添付書類を開けてしまっても、大丈夫。これは心強い。

 

従来、Macにおいて大きなネックであったのは、ネットワーク(LAN)関連の問題だったが、最近ではAirMac Extreamの充実ぶりからもわかるように、ハード面でもソフト面でも、Windowsにひけをとらなくなってきている。

そのへんを勘案してみて、今回はMacも選択肢に入れて問題なかろう、そう考えた。

 

最終的に、選択肢はふたつにしぼられた。

Mac Mini、そしてマウス・コンピュータのキューブPC。

 

この二台を実地でチェックした後に、決断は下された。

「ネクスト・マシンはMac Miniに決定!」

 

やはり決め手は、こうだ。

 

「置き場所を選ばない小ささ」

これは、AppleがMac Miniにして、初めて実現したこと。これは大きく評価すべきことだろう。

Mac Miniを見たあとだと、どんなキューブPCだって、大きく見える。

Mac Miniがもし出ていなかったら、僕のマカー返りはありえなかっただろうな。

「あきのこないシンプルなデザイン」

シンプルでも、決して野暮ったくない。さすがApple、デザインに関しては、他の追随を許さないものがある。

「OS込みでも6万弱という価格」

スペックよりもコストダウンを優先、このへんにAppleの戦略の転換を感じる。

そして、なんといっても、「ウイルス等に強いこと」、これに尽きる。

これが、僕が4年半ぶりにマカーに戻った理由である。


2004年の音楽活動を振り返って(2004.12.27)

「バンド活動」という一点に絞ってみれば、今年はいつになく充実していた年だったなあと思う。

NITE CRAWLERという、全員多忙な社会人、しかも住んでいる地域も職業もバラバラな人間の集合体が、まがりなりにも二回の公式ライブを実施出来たこと、これはなかなか頑張ったと言ってもいいのではないかと思う。

NCは去年も、企画物のライブに二回出演したのではあるが、メンバーも揃い切れず、時間もフルサイズではなかったので、今年のライブの充実感には格別のものがあった。

しかし一方、それ以外ではあまりめぼしい成果を残せなかったのも事実ではある。

特に、二回のライブのスケジュールを最優先したために、恒例の公開セッションを今年は一度も開けなかったこと、これはまことに残念であり、セッションを楽しみにしてくださる皆さんに対して申し訳なく思っている。

また、過去に何回かやった合同オフ会も、今年は一度も出来なかった。

これもいささか心残りではある。

結局、我々社会人が音楽活動のために割くことの出来る時間はある程度限られているので、あちらを立てればこちらが立たず、ということになってしまうのであろう。

来年はどうするか。

今年並みに二回は公式ライブをやる。

やはり、これは最優先事項だろう。

が、それをこなした上で、公開セッションも可能な限りの回数、実施して行きたい。

とにかく、この公開セッションほど、ユニークで面白いイベントはめったにない、そういう自負はある。

今後もずっと続けて行く価値はあると思うのである。

また、それ以外の企画にもいろいろ挑戦してみたい。

NCやIN AND OUT以外のユニットでのライブ、こういうのもいいかもしれない。

また、これまでは未体験のスタジオ録音にトライしてみる。

これもいい経験になりそうな気がする。

とにかく、今年よりさらにいい演奏、いい歌を皆さんにお届けすることが一番大切なことだと思う。

来年もぜひ、僕達NC、そしてこのNESTを応援してほしい。


アマチュア・バンド活動の問題点(1)(2003.11.25)

アマチュアでバンドをやっていると、その運営上でさまざまな問題にぶつかる。

たとえば、メンバーがそれぞれに多忙で、スケジュールがなかなか合わない。

進学・就職その他の理由で活動を続けられなくなるメンバーが出てくる。

メンバーの音楽的な指向性が合わない。

男女混成のバンドの場合、メンバー同士で恋愛関係が発生してしまう。(ふたりの仲がうまくいけばいいが、不仲になるとバンド崩壊の原因になることもある。)

などなど、実に多種多様な問題が噴出してくるのである。

で、筆者の見るところでは、そんな中でも、ほとんどのバンドに共通する問題点が、いくつかあるように思う。

それらについて、何回かにわたっていろいろと考察をしてみたいと思う。

第一回はバンドにつきものの、「ライヴ」における問題点について考えてみたい。

バンドをやっていて「人前でのライヴなんかしなくていい、CDを制作するだけでいい」と考えるひとは、ごく少数派だろう。

多くのバンドにとって、ライヴは最大の楽しみであり、また、一番の売り込みの場でもある。

バンドを結成した以上は、上達をめざし、ある程度腕が上がればライヴハウスに出てみんなに演奏を聴かせたいと考えるのが、ごくごく自然な心情ではないかと思う。 

しかし、ここで問題がひとつある。

ライヴをやるためには、どんな小さなハコであれ、ある程度(最低20人以上)は観客を集めなくてはならないのだが、問題は誰を観客とするかということだ。

そりゃあ、フリーのお客さんで、自分たちのファンになってくれるひとが何十人もいれば、それが理想の状態だろう。

多くのロック系のライヴハウスには、10代、20代の女性の観客が大勢やってくる。

彼女たちは、別に出演バンドと縁故関係にあるから来ているわけではない。

まったくの「他人」だ。

そんな彼女たちが、たまたま演奏を聴いたバンドを好きになる。

彼女たちが繰り返し彼らのステージに足を運ぶことで、ライヴは活況を呈してくる。

また、彼女たちの口コミにより、ファン数はさらに増えていくのである。

あの人気ナンバーワン・バンド、GLAYだって、最初は数人のオーディエンスしか来ない時期があったという。

小さなライヴハウスで少しずつファンを増やして、まずはインディーズでデビュー。

CDを地道に売りつつ、ステージを重ねることで、メジャーレーベルへの道をつかみ、そして現在に至っているという。

GLAYだけでなく、ブレイクしたバンドの大半は、まずはそういうお客をつかみ、それを何倍、何十倍にもふやしていくことでデビューへのきっかけを掴んだのだと言える。

しかし、うんと若くもなければイケメン揃いでもなく、最新流行の音楽をやっているわけでもないバンドの場合は、そうもいかない。

およそ、そういう「熱烈ファン」の動員を期待出来ない以上、とりあえず、自分の縁故関係で観客を確保するというジミな方法をとらざるをえないのである。

たとえば、自分のGF、恋人。

たとえば、家族(配偶者、親、子)や親戚。

たとえば、近所の顔見知りのひとたち。

たとえば、同級生ないしは学生時代の友人。

たとえば、会社の同僚、先輩、後輩。

そのあたりのひとびとに、「今度ライヴをやるよ」と声をかけて、メンバーひとりにつき、4、5名を動員していけば、なんとか形にはなるだろう。

しかし、この方法にも限界はある。

彼らは必ずしも、そのバンドの演奏が聴くのが好きで、来場してくれるわけではない。

つまり、半ばというかほとんど全部「義理」で来ているひとも少なくない、そういうことだ。

まあ、彼らも最初の1回、2回くらいは来てくれるのだが、だんだん来なくなる。

当たり前だ。プロと比べて相当聴き劣るアマチュア・バンドの演奏など、そう好き好んで聴き続けてくれるわけがない。

というわけで、縁故でお客をよぶという方法は、短期的にはいい策なのだが、長期的な視野に立てば、あまり得策ではないのである。

では、彼らのような「縁故系」のお客に頼ることなく、うまくライヴ活動を続けていく手は、ないものだろうか?

実は、筆者がここ数年音楽活動をしてきて、これはいい手ではないかと感じたのが、ひとつだけある。

それは、「バンド・コミュニティ」を作り、その中でライヴ活動を行っていくというやり方である。

「バンド・コミュニティ」、すなわち、ひとつのバンドに限らずいくつものバンド、さらにはバンドには所属していなくても、楽器を弾いたり歌ったりするのが好きな人たちの集合体のことである。

ひとつのバンドではいかにも非力でも、三つ、四つのバンドの力を合わせていけば、ライヴハウスを満杯にすることも、さほど難しくない。

観客動員面はもとより、機材、演出等の運営面でも、メンバー、サポーターが多いというのは、実に心強いものだ。

このやり方のいいところは、メンバーが基本的にみなプレイヤーで、音楽が好きな連中ばかりなので、演奏する側、聴く側に「温度差」がないということだ。

これは、縁故系の観客には絶対期待出来ないことなのではなかろうか。

また、あるときは聴き手に回っていても、ひとたび楽器を弾かせれば皆使い手、そんな実力派ぞろいだから、弾き手の側も気が抜けない。

アマチュアとはいえ、かなりレベルの高いライヴになること請け合いであり、これも大きなメリットのひとつだろう。

また、メンバーがなかなか集まらなくて、バンドを結成することが出来ずにいるひとたちにも、セッションなどの機会をもたらすことが出来、ひいては、新しいバンドが生まれるきっかけになることも多いのである。

筆者の場合も、そういうバンド・コミュニティに加わることで、ライヴ活動にはずみがついてきたように思う。

もちろん、それぞれのバンドは、必ずしも音楽的に同じ方向を目指しているわけではない。

が、音楽を愛する心、音を極めようという志において、なんら違いがあるわけではない。

いま、バンド活動でゆきづまっている人達、自分たちだけで悩まずに、同好の人々ともっと知り合ったほうがいい。

毛利家の「三本の矢」のたとえではないが、仲間が多ければ多いほど、道はおのずと開けるものだ。ホントだよ。

(このテーマで、あと数回書く予定です。お楽しみに。)


「次に欲しいギター」2003秋版(2003.9.2)

よーく考えてみると(いや、よーく考えてみなくても)、筆者はここのところ毎年、なにがしかのギターを買っていることに気付く。

2000年9月には、スタッフォードのアコースティック、SLG320。

2001年12月には、ギブソンのレスポール・スタンダードDC。

2002年11月には、オーヴィルのメロディメイカー。

それ以前に購入したのは、たしか1988年のフェンダー・ブロンコが最後だから、10年以上のブランクを経て、堰を切ったように買い物熱が高まったという感じだ。

しかも、購入時期を見るに、毎年秋から冬にかけて熱が高まるのがよくわかる(笑)。

これはもちろん、バンドを再開したことにより、いろいろなタイプのギターが必要になったことも大きな原因だが、それと同様、りっきーさん、えびさん、かつさんらギター・コレクターの方々と知り合ったというのも大きい。

彼らはホント、高価で音もいいギターをお持ちだからな〜。触発されますがな。

筆者などは、モノホンはまだ2本に過ぎないので、コレクターのコの字にも当てはまらないが、それでも、「出来るだけいい音のするギターが欲しい」ということでは、彼らと変わるところはない。

で、時まさに"秋"。アブナい季節の到来である(笑)。

三年連続で買ったこともあって、しばらく「禁煙」ならぬ「禁ギタ」をわが身に課している筆者だが、ボーナス・シーズンもそのうち近づいて来るし、果たして「禁ギタ」がいつまで続けられるか甚だ不安だ。

ここはひとつ「次に欲しいギター(注)」2003秋版を書きあげて、「買ったつもり」になっておこう(笑)。

「IN AND OUT」なるユニットもやっている筆者としては、まずはいいアコギが一本欲しいところだ。

現在IN AND OUT用に使っているSLG320は、ショートスケールでボディも小ぶりなので、いまひとつサウンドに迫力がない。特にコードカッティングのとき、響きがショボい。

で、これに代わるギターとして欲しいのは、やはりブルース系アコギの総本山、ギブソンのLシリーズだな。

そのなかでも、最右翼は「L-00」なるモデルだと思う。なにせ、「BLUES KING」というヴァージョンがあるくらいだから、アコースティック・ブルースにはうってつけだろう。デルタ・ブルースの得意なシンガー、山崎まさよしサンも愛用している。

このL-00、現在の価格は新品上代が23万円。これを駿河台界隈で買えば、最低二割引、うまく行けば三割引になるのだが、新品は鳴りがいまイチというか、何年も弾き込んでみないと、その真価はなかなかわからない。

当然、「当たり」もあれば「ハズレ」もある、ということだ。

新品であることにこだわりさえなければ、ユーズドですでにいい音を出すものを見つける方が、より手堅い方法のような気がする。

15万円以内で、程度のいいユーズドL-00が見つかれば、かなり気持ちが動くかも。

あと、このLシリーズで、ちょっと気になるのは、L-1だろう。

こちらは、ロバート・ジョンスンも使っていたという。最近ではそのシグネーチャー・モデルのL-1まで発売されている。(写真のモデル)

さらには、最近売り出し中の白人ブルース・ギタリスト、ハーレム・スリムもこれを愛用していて、彼のシグネーチャー・モデルも出ているとか。

このL-1、L-00よりはひとまわり大きいボディで、コードワークにも十分使えそう。

L-00とL-1、ともに、デルタ系のブルースを弾こうというギタリストたちにとっては、憧れの的といえる。

この2モデルを主なターゲットに、しばらく筆者は「シモクラセカンドハンズ」「お茶の水中古楽器センター」といった中古ショップをのぞいたり、各ショップのHPをこまめにチェックしたりして、情報収集につとめたいと思う。

さて、お次はエレクトリック。現在のメインギター、レスポールDCに、ほぼ満足してはいるのだが、それでもなお「これは欲しい!」というギターが、実はある。

それはテレキャスター、なんである。

先日、寿家さんでオフ会が開かれたときに、セッションでりっきーさんのフェンダー・テリーを弾かせてもらったのだが、この音が実に良かった。

ギブソンには出せない、独特のヌケのいい音に、もう物欲が刺激されてしまったのだよ。DCにはカヴァー出来ない世界を持っているのが、テリーなのだ。

さて、一口にテリーといっても、歴史の長いギターだけに、さまざまな"程度"と"値段"のモノがある。

当然、上を見たらキリがないので、予算は10〜15万円程度と決めて探すことにしたい。

エレクトリックの場合は、アコギに比べればユーズドに必ずしもこだわる必要はないが、そこそこの予算でいい音のものを探すなら、ユーズドも十分ありかなと思う。60年代以前のものは値段がベラボウなので、ここはハードルを下げて、80年代以降のものを探すつもり。

ルックス的には、サンバースト(バインディング付き)、白ピックガード、メイプル指板が好み。でも、プレイヤビリティも考えれば、ローズウッド指板でもオッケーかな。

こちらもショップやそのHPに網を張って行くつもりだが、けっこうバカに出来ないのは、個人の口コミ情報。

いいユーズドギターはショップに出たとたん売れてしまうケースが多いので、「今日○○楽器でこういうギターが売ってたよ」みたいな情報も貴重だ。

ということで、皆さん、この筆者の希望にぴったりのギターを見かけたら、ぜひ教えてください。情報、待ってます!

(注)「次に欲しいギター」=本HPのヒット企画(?)「ギターネタ道場」のお題のひとつ。詳しくは同ページをご覧あれ。


「カッコいい」ということ(2003.8.20)

最近、「カッコいい」とはどういうことなのか、考えることが多い。

「カッコいい」の定義付けは、ひとによってだいぶん違うだろうが、筆者の考え方はこうだ。

「偉そうにする」のと、実際に「偉い」ということががまったく別であるように、「カッコつける」と「カッコいい」はまったくの別物なんじゃなかろうか。

むしろ、「カッコをつけ」れば、つけるほど、真のカッコよさから遠のいていくのではないか、と。

世間の人々を大きく分ければ、おおよそ次の4つになるのではと思う。

1 見た目はイケているが、カッコをつける人間

こういうのは「気障り」だし、実に「いけすかない」。せっかく、素のままでいい感じなのに、かえってその良さを損ねている。

筆者の経験でいえば、昔、中学高校で同級だった某君がまさにこのタイプだった。

頭もいいし、顔もいい。スポーツも楽器もこなせる。でも、言動がいちいちわざとらしく、自信過剰なのが鼻について、筆者は決して仲良くしたいと思わなかった。

その視線、その口吻から、常に「僕はキミよりすべての面で上なんだからな」みたいな匂いを放っている人間を、いかに優秀だからといって、好きにはなれないだろ?

「偏見」のそしりを覚悟の上であえて言えば、この手の人種は関東人に多い。関西人からは「ええかっこしい」と揶揄されるタイプだ。

2 見た目はイケてないが、カッコをつける人間

これはもう噴飯物というか、問題外。救いようのない人種だ。

イケていないことから来るコンプレックスを克服しようとして、かえって本来の自分の良さを全くダメにしてしまっている。

3 見た目はイケていないが、カッコもつけない人間

これは一番フツー。が、少なくとも好感は持てるな。人間としての「中身」があるし、ある意味でカッコいいとさえ言える。

4 見た目はイケているが、カッコをつけない人間

これがカッコいいのは、間違いないだろう。たまにではあるが、こういう人と知り合いになると、本当にホッとする。

おのれが他人より容姿や才能においてすぐれていること、もしそれが「事実」であるならば、これは別に意識したって構わないと思う。

だが実際には人間は、他人を過小評価し、自分は過大評価しがちな生き物である。

「事実」であるかどうかも定かでない事実=「おのれの優越性」を過剰に意識した、頭でっかちな「カッコつけ野郎」ほど、みっともないものはない。

「そんなこと、どうだっていいじゃん」とうそぶき、飄々と生きるヤツのほうが、百万倍カッコいいと思うね。


「ギター欲しい病」との付き合い方(2003.5.26)

当HPに出入りされるかたがたの、8〜9割は罹患しているといわれる「ギター欲しい病」。

これはもう一生「治る」可能性のない病気であるからして(笑)、どう「治す」かではなく、どう「付き合うか」ということを考えたほうがいいのではないかと思う。

この病気の問題点は、つきつめると次の二点にしぼられるのではなかろうか。

1 お金がかかる。

2 置き場所が足りない。

店頭で見て「あっ、これ欲しい!」と思ったギターを手当たり次第に買っていったら、そりゃあいくら小遣いがあっても追いつかないだろうし、わが国の住宅事情では置き場所にもたちまち困ることになる。

というのは、ギターという楽器は、狭い倉庫にぎゅうづめにして保管しておくものではなく、それなりに広い、風通しのいい空間に置かないと、コンディションが悪くなる代物だからである。

そこで、ものすごく裕福で、ものすごく広いお屋敷にお住まいのかたでない限りは、いろいろと「知恵」をしぼらざるをえない。

「置き場所問題」の対策、そのひとつめは「所有本数を一定内に保つ」、これであろう。

つまり、ギターを一本買ったら、少なくとも一本は処分するということだね。

処分法としては「売る」というのが、新ギターを買う原資も調達できて、一番理想的だろう。

ギブソン、フェンダー等、本場の有名ブランドのものなら、状態がよければ、ある程度の高値で売れる。

しかし、キズの多いもの、国産でしかもグレードの高くないもの、さらには有名ブランドでも人気モデル以外のもの、こういったギターはかなり安値でしか売れないので、ご注意。

特に、3〜4万円以下の普及タイプのギターは売ること自体が大変なので、売るよりはひとにただで上げるほうがいいように思う。親戚や知り合いに、お金がないがどうしてもギターが欲しいひとがいたら、声をかけてみては。

ともあれ、購入時に「このギターは売るといくらくらいになるか」を、あらかじめ考えておいたほうがいいだろうね。セコい話ではあるが。

実はもうひとつ、「置き場所問題」の賢い解決策がある。

床に置かず、壁に掛けるのである。廊下やリビングの空間を、有効活用するんである。

もちろん、重たいギターを掛けるのであるから、壁にある程度以上の強度がないとダメなのだが、専用の金具がショップに売っているから、それを使って壁に掛けると、省スペースになったうえにインテリアとしてもカッコよく、一石二鳥だ。

当HP掲示板の常連・りっきーさんのお店「寿家」でも、ディスプレイをかねてギターを何本も壁に掛けておられるので、やってみようかなという方は、ぜひ参考にしてみてほしい。

それから、購入サイクルの問題も大きい。「高いギターを頻繁に買う」というのは論外なので、ここは「安いものを頻繁に買いかえる」のと「高いものをたまに買う」のと、どちらがいいかという問題になってくる。

これは結局、弾き手の考え方、好みによるような気がする。

出来るだけいろんなタイプのギターを弾いてみたいという「気の多い」ひとは、前者を選んだほうがいいだろう。

ある種のサウンドにものスゴくこだわりがあって、それ以外はいらないという潔いひとは、厳選した数本にしぼって、あとはすべて処分するというのがいいと思う。

とはいえ、長年弾いて来たギターは、たとえ安物でも、思い入れがあってなかなか処分できないものだ。

筆者の場合、フレッシャーのストラトがまさにそれだな。はっきり言って、ネット・オークションにも出しようのないくらいオンボロなのだが、いまだに捨てることも出来ない。

もし、ちゃんと弾いてくれるかたであれば、タダで差し上げてもかまわないのですが、そんな奇特なひともいるわけがないので、今後も自分で弾きつづけることになりそう。

やっぱり「病膏肓」だわ、こりゃ(笑)。


sailing day(2003.3.3)

現在の日本を代表するロック・バンド、BUMP OF CHICKENの新曲「sailing day」のPVを観た。

これは今月1日から公開されている、劇場用アニメーション映画「ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険」の主題歌として作られた曲だ。

ヴォーカル藤原基央のソングライター、そしてシンガーとしての実力がいかんなく発揮されたアップテンポのナンバーで、そのスピード感は圧倒的とさえいえる。これまでの彼らの作品の中でも、ベストの出来だといえるだろう。

実はこの映画の製作発表会が、今年の1月24日に行われた。

発表会は、「ONE PIECE」という海洋冒険ロマンにちなんで、東京湾を航行する豪華客船にて開かれた。

監督の宇田鋼之介さん、配給元の東映、原作の漫画を出版している集英社といった製作サイド、そして声で出演の女優・酒井美紀さんらが出席、記者会見に臨んだ。

その出席者の中に、筆者と同期入社、そして一時期は同じ部の仲間でもあったT君がいた。

午後三時に記者会見が始まってわずか五分後、T君は突然、自分の席からくずれ落ちるようにして倒れた。

当然ながら、会場内は騒然となった。会見は即打ち切り、客船は港へと至急引き返した。

ある私大附属病院へかつぎこまれたものの、最初からT君には意識がなく、一時間半後、彼は帰らぬ人となった。くも膜下出血だったという。

夕方、その報を聞かされた筆者は、ただただ呆然とした。

四十代なかばという若さで亡くなったということへの驚き、衝撃はいうまでもないが、もうひとつの理由があった。

実は筆者は、何年も前から彼と、ある銀座の酒場で今度飲もうなという話になっていたのである。

しかし、実際には彼があまりにも多忙なこともあって、その計画はずっと果たせないままだった。

彼の突然過ぎる死によって、その約束は、ついに永遠に果たせぬまま終わってしまったのだった。

T君は実に仕事熱心な男で、自分の仕事を愛することにおいて、彼の右に出るものはなかった。

彼の生活はすべて仕事が最優先で、結婚して家庭をもつこともなく終わった。

残業や休日出勤などの過重労働も、まったくいとわなかった。

なぜなら、彼はその仕事をしている瞬間が、一番幸せだったから。

死ぬほど働き続けて、結局、そのまま死んでしまった。シャレにもならない。

でも、たぶん、彼は仕事の最中に息絶えたことを、そんなに不幸には感じていないだろう、そうも思った。

「sailing day」のPVでは、麦藁帽子に赤いシャツ、半ズボンというおなじみの出で立ちをした主人公、ルフィが何十人も登場する。

そして、演奏中のバンプの傍を、全力で駆け抜けていく。後ろ姿だけを見せて。

これを観て、筆者はこう思った。

「ああ、あの1月24日がキミのsailing dayだったんだな、Tよ」

全力で人生を走り抜け、ついには永遠に旅立ってしまったTを、ルフィの後ろ姿に見たような気がしたのだ。

さよなら、T。いい旅をな。


関西旅行雑感(2002.10.4)

先日、筆者は夏休みに3泊4日で関西旅行をしてきたのだが、そのときに感じたことをいくつかアトランダムに書いてみたい。

その1 名古屋は関西?関東?

旅の一日目に名古屋に到着、そこで約一日をすごして感じたのは、街中ではいわゆる名古屋弁をほとんど聞かないな〜ということ。

「だぎゃ」「でよ」みたいなしゃべり方をする、名古屋人なんて本当にいるの?って感じだった。

アクセント、イントネーション等はよくよく聞けばさすがに関西弁の圏内だなと思ったが、ボキャブラリー的には、標準語とほぼ同じであった。

大阪や神戸に行けば、その地のことば丸出しでしゃべるひとばかりなのに比べると、名古屋はそうでもない。

東北出身のひとの多くが自分のお国なまりを恥ずかしく思って隠すように、なるべく標準語でしゃべろうしゃべろうとしているように思える。

名古屋人は、東京に対するコンプレックスが、実は相当強いのかも知れない。

JRの名古屋駅周辺で歌をうたっているストリート・ミュージシャンたちも、「ゆず」の亜流みたいな連中ばかりであった。

「新しい文化は中央(東京)でなく地方(とくに西)から出てくる」という時代はもはや終わり、文化についても着々と中央集権化が進んでいるのだろうか。

そういう意味で名古屋は、自らに強固な自信をもった「関西」ではなく、実は「関東の周縁」なのではないかと思った次第。

その2 名古屋の信号機

名古屋の横断歩道の信号機は、ヘンである。

なんとも形容しがたい、奇妙な音を発するのである。

ふつう、青になった信号機が発するのは、なんらかのメロディだろう。

ところが、名古屋の信号機は短いサイレンのような、破裂音のような、へんちくりんな音で「青」を知らせるのだ。

(言葉ではなかなか説明しがたいのだが、一度聞いたことのあるかたなら納得していただけるだろう。)

いったいどういう経緯で、この音に決まったのか、とんと見当がつかない。

ワケ知りのかた、ぜひ教えていただきたい。

その3 大阪はセクハラに寛容?

筆者は大阪では心斎橋の某ビジネスホテルに泊まったのだが、二日目、外出をして少しくたびれたため、夕方いったんホテルへ帰って休息していたときのこと。

4・5時台の大阪ローカルのワイドショーを、部屋のテレビでボーッと観ていたのだが、この番組のアシスタントの女性タレントが、なにげに巨乳なんである。

しかも、バストの大きさを隠すようなカッチリした服装ではなく、シャツの胸元をあけて、下のTシャツのふくらみを見せつけるようなわりとルーズな感じの着こなし。

そのうえ、彼女の座っている姿勢があまりよくない。胸を張った姿勢をなかなか保てず、ついつい前かがみになり、結果的にそのバストラインをさらに強調してしまっている。

その女性タレント(あとの出演者は全員中年男性)が番組に登場することによって、まちがいなく、何パーセントかは(男性の)視聴率が上がっていると思われた。

これには少し驚いた。深夜のお色気番組ならいざ知らず、東京でこういう(パブリックな)番組に出演するキャスターやアシスタントではふつう考えられない話だ。

東京の局では、ふつうこういう「肉体派」の女性タレントは、女性視聴者から総スカンを食らうことを恐れて採用しないだろうし、もし採用するにしても、その服装やふるまいに相当の「注文」が入るはずだ。

たぶん、大阪という土地では、そういう「セクシーさを強調すること」、「お色気で視聴率を稼ぐこと」に対して相当寛大なのだろう。(「11PM」以来の伝統?)

たしかに大阪では、タレントだけでなく、一般ピープルの女性も、東京にくらべると化粧や服装がケバめのひとが昔から多かった。

特に、ワイドショーの視聴者の大半を占めるであろう中年主婦層、つまりオバちゃん連中のハデさは、あきらかに東京とはレベルが違う。

メイクにせよ、服装にせよ、「上品に」なんてまったく考えず、ひたすら「目立つ」ことが、大阪のオバちゃんたちのファッションポリシーのようだ。

「ハデ・イコール・いいこと」のようにさえ考えているのではないか、と思ってしまうくらいなんである。

筆者もかつては近畿地方に住んでいたので、それは昔からそれとなく感じていたが、今回大阪の街を数日歩いてみて、その感を新たにした。

そういう土地柄だから、その女性タレントのような存在も、問題なく受け入れられるのかもしれない。

実は番組では、さらに驚くようなことが続いた。

途中のニュース・コーナーで「医師から温存療法の存在を説明されずに乳がん手術を受け、右乳房を失った女性の訴訟結果」を報じたのだが、そのニュースに対する感想を、レポーター(男性)が彼女に求めたのである。

けっこうマジメそうな雰囲気の男性ではあったが、これって、ほとんどセクハラではないの?

(しかも、その手術前・手術後の胸の写真まで放送していたのはエグかった。)

コメントを求められた女性タレントは、ごく冷静に「それ(乳房の有無)って、女性にとってはすごく大切なことだと思います」とかなんとか、無難に切り抜けていたが、観ているこちらのほうがハラハラしてしまった。

少なくとも、東京では抗議の電話が殺到しそうな場面であった。

つまり、セクハラも、その土地土地の文化によってずいぶんと許容範囲が変わるということなんだろうな。東京の文化だけが、日本の文化ではないってことやね。

その4 西宮のいま

今を去ること40年近く前、筆者は西宮市に住んでいた。芦屋市に近い最西部の「香櫨園(こうろえん)」という町で3年半ほど小学生時代を過ごし、その後父親の仕事の関係で東京へと移ったのである。

その後、10年ほどたって大学生の頃に再訪。最後にかの地を訪れたのは8年前で、阪神・淡路大震災以降は一度も行っていなかった。

今回の関西旅行は、自分が子供の頃住んでいた土地が、大きな災害を経て、いまどのようになっているのかを確認する旅でもあった。

まずは、梅田駅から阪神電車に乗り、西宮駅で下車。ここは西宮市の中心部にあたる。

予想どおり、阪神西宮駅は震災後に改築を行い、相当拡張されていた。まだ完全に工事が済んでいないようだったが。

そこから、駅前商店街のアーケードを通り抜けて、西宮のシンボルともいうべき「えびすさん」こと西宮神社へお参りすることにする。

ここの商店街は、昔からそうだったのだが、今も余り人通りが多くない。何十年たっても、大きく発展するということがない。

やはり、大阪にも神戸にも数十分で行けるロケーションが災いして、地元になかなか商業が発達しないものと思われるね。

さて、「えびすさん」は昔からの風景を、ほぼそのまま保っていた。震災で大きな被害が出なかった模様で、ホッとした。

お参りを済ませ、そこから歩いて10分ほど。となり駅の「香櫨園」についた。

香櫨園駅もまた、震災後建て直しをしたようで大分こぎれいになっていた。しかも、昔は地面を走っていたはずの電車が、今は高架の上を走っている。

これには、なにか不思議な感じがした。

駅前からさらに足を伸ばして、筆者が昔住んでいた「屋敷町(ちょう)」まで歩いてみた。

駅周辺の住宅は、ほとんどがこの7年くらいの間に建て直しをした家ばかりのようで、8年前の最後の記憶とは大幅に異なっていた。これにはかなり当惑した。

数分で、その昔市場(いちば)があったあたりまで来た。市場自体は20年くらい前には既になくなっており、普通の住宅街になっていたが、そこで道が左右に分かれていたという記憶があった。

記憶通り、道は左右へと分かれた。左は、阪神電車を越えて、名神高速道路が通っている側へ。右は筆者が昔住んでいた「屋敷町」付近へとつながっていく。

右折し、しばらくすると見覚えのある医院の看板が、視界に飛び込んで来た。昔、同級生のO君のお父さんがやっていて、今はO君が継いでいる「О医院」だった。

建物こそ新しくなってはいたが、以前と同じところにある。それを見て、またホッとした気分になった。

そして、右手には広い児童公園があった。これは初めて見たという気がする。

ここで道を左折、いよいよ屋敷町のメインストリート(といっても、ふつうの住宅地の道路に過ぎないが)へと出た。

車の往来がほとんどない道だったので、筆者は昔そこで、よく自転車に乗る練習をしたものだった。

そこは、記憶とはまったくシンクロしない、「未知」の街角といってよかった。

どの家も、妙に新しく、きれいだったが、どことなく安っぽかった。まるで、「整形手術をした後の、昔からの友人」のようだった。

もちろん、その界隈は震災でかなりダメージを受けたということを、かねてより聞いていたので、格別のショックはなかったが、「ここまでまったく別の街に変わってしまうとは…」と、感慨にふけらざるをえなかった。

さて、その中でも、「わが家」があったのはどこだったっけ、と思った。しばし、同じ道筋を行き来していると、視界に飛び込むものがあった。

それは、「町内会のお知らせ」を張り出した告知板が立っている、家一軒分の空き地の一隅にあった、「手水鉢」とおぼしき岩であった。

間違いない。筆者の住んでいた家には、裏庭に何故か、古風にも手水鉢などいくつかの岩が置いてあった。それにほかならなかった。

場所も、道筋のほぼ中間点ということで、まさしくこの空き地に、元「わが家」があったのだった。

もともと「わが家」は、どこかの大家さんが所有していた家屋を、父の勤めていた会社が社宅として借り上げたものだった。

その家はかなり以前から、社宅ではなくなり、大家さん自身が住まっていたようだ。ということは…。

筆者は深く溜息をついた。

「ここは、大家さん自身が亡くなってしまい、建て直しもままならない状態なのかも知れない…」

まあ、本当のところはよくよく調べてみなければわからないが、震災後、建て直しさえされず、空き地として雑草に埋もれているありさまを見て、いささか「無常感」をおぼえた筆者ではあった。

その後、先ほど来た道を戻って、今度は名神高速を越えた反対側に出てみた。

そちらには、筆者が3年余り通っていた「香櫨園小学校」があるはずだった。

歩みを進めて行くとすぐに、子供たちの声、そして見覚えのある、(今となってはだいぶん古い)校舎の裏手が見えて来た。まったく昔のままである。ああ、よかった。

表の校門まで回ってみたが、門構えも、学童のブロンズ像も変わりはなかった。

しばらく、海岸に向かって歩いてみたが、こちらがわは8年前の記憶とさほど変化がなかった。

住宅の密集した、北側の地帯は震災の影響をモロにかぶったのに対し、南の海岸よりの地帯は、さほど被害を被らずに済んだようだった。

その後、海を眺め、回生病院という療養所を横目に見つつ、夙川の河口へとたどりついた。

夙川沿いの緑豊かな風景も、もちろん昔のままだった。川沿いにふたたび北上、香櫨園駅へと戻った。

ふと、「そういえば、小学生のころ、よく阪神パークに遊びに行ったよなぁ」と思い出した。

プールサイドで写生をして絵画コンクールに応募したり、そこのウリであるライオンとヒョウのあいのこ、珍獣「レオポン」を見たりしていたものだ。

そこで、帰り道、現在の阪神パークに立ち寄ってみることにした。

阪神パークは、甲子園球場のある「甲子園駅」のすぐそばにあった。場所は昔のままだ。

が、どうもなんだか昔の阪神パークとは違う。実は敷地の半分は住宅展示場になり、遊園地も動物園も、大幅に規模縮小されていたのだ。

よくよく見れば、名前も「阪神パーク甲子園住宅遊園」と変わっていた。動物の種類も数も、最盛期に比べると、見る影もない状態だ。

聞けば、85年にレオポンの最後の一匹が亡くなり、入場者数がジリ貧状態だったうえに、震災の影響で園内が液状化するなどの被害を受け、5年前に今の名称に変更、入場無料のシステムにして、人気復活を目指していたという。

だが、その努力もむなしく入場者数は依然少なく、結局、来年3月の閉園が決まってしまったという。(跡地はショッピングセンターになるらしい。)

阪神パークといえば、甲子園球場とならぶ、西宮の名所であっただけに、なんとも残念な思いで、甲子園を後にし、宿泊地の大阪に戻った。

昔と変わらず元気な西宮、いったん破壊されたものの、見事に再生した西宮、残念ながら時代の流れに飲み込まれてしまった西宮。

いろいろな顔の西宮を確認することが出来たが、「ひと」と「街」には、本当に底知れぬバイタリティがあるのだなぁと痛感した。

どちらかといえば商業では今ひとつのこの街も、ショッピングセンター開設により、大きな飛躍を遂げるのではないかという予感がある。

また何年かしたら、この「旧友」の元気な顔を見に行きたい、そう思っている。


アンプ購入計画(パート1)(2002.1.18)

昨年5月から私、そまさん、HDさんほかのメンバー、総勢5名でセッション・バンドをスタートした。

7月・11月には、そのバンドに加えて、ゲストのかたがたをよんで、公開セッションを2回やったりもした。

今年は5名でさらに練習を重ねて、出来れば人前でのライヴもやりたいと思っている。

そうなると、やはり、いいアンプが欲しくなってくる。

これまでは、自宅練習用として小さなアンプ(出力10〜15W程度)しか持っていなかったのだが、もう少しパワーのある、小規模のライヴハウスでなら使えるアンプがあれば、音作りもしやすくなるからだ。

まずは、購入計画を立てることにした。

購入時期は、ボーナスが出て、楽器屋がバーゲンセールをやる7月ころ。

かなり先のようではあるが、ライヴをするためには、バンドもまだまだ練習が必要なので、半年あとでも十分間に合うのである。

価格的には、定価7万円台のものを3割引程度で5万円台で入手したい。

大きさは、自宅の部屋においてもあまり邪魔にならないくらいがいい。

具体的には、横長のタイプの場合、幅が50センチ台でおさまったほうがいい。奥行も30センチ以内が望ましい。

重さは運搬のことを考えて、15キロから20キロの間。となると、コンボ・タイプにしぼられてくる。

アンプのタイプとしては、音のことを考えると、やはりチューブアンプ、さらにいえばオールチューブ・タイプが理想だ。

出力は50W程度。これでも、小さなライヴハウスには十分過ぎるパワーかも知れない。

スピーカーの性能さえよければ、30Wくらいでもいい。

で、高音がよく伸びるかどうか、これがアンプ選択の一番のポイント。

私の新しいメイン・ギター、レスポールDCの持ち味である、ブライトな高音を出せるアンプが欲しいのである。

ギブソンと相性がいいアンプといえばマーシャルなので、とりあえずその中から、以上の条件に一番近いのを、第一候補としてピックアップしてみた。

AVT50である。

これは定価7万2千円、出力は50W。プリチューブ・タイプなのが、いささか気になるが、サイズ・重量的(554W×515H×285D・18.6kg)にはちょうどいい。

このチョイスについて、他のかたにもご意見をうかがってみることにした。

このHPでもおなじみの、厚木ファッツさんによれば、プリチューブ・タイプは、パワーアンプ部分はトランジスタなので、チューブのよさを十分生かしきれないとのこと。

やはり、オールチューブにしくはない、ということなのである。

ファッツさんが推薦してくれたのは、ピーヴィーのアンプ、その名も「デルタ・ブルース」。

これはオールチューブ・タイプで、出力は30Wと控えめだが、15インチスピーカーを装備、音的にもなかなかとのこと。

実勢価格は5万円未満。21キロと重めではあるが、デザインが実にシブい。

プロ・ミュージシャンでは、名手エイモス・ギャレットが使っているとか。

この「デルタ・ブルース」も、有力候補のひとつとして、加えることにした。

この他にも、オールチューブ・タイプとしては、フェンダーの「ブルース・ジュニア」というのがあるそうだ。

ただしこれは出力15Wなので、いささかパワー不足は否めない。この高出力版があれば、理想的なのだが。

ということで、候補もいくつか上がったので、これからはしばらく、楽器屋めぐりをして他にもいいアンプはないかどうか、実地調査をしていきたいと思う。

新品だけでなく、中古でも性能がよく、価格もリーズナブルなアンプが見つかるかもしれない。

今後も、いいアンプを発見したら、またこのページにて紹介していくつもりだ。

乞うご期待、である。


『ギタア雑感』(2001.4.27)

いまから、とりとめのない話をさせていただきます。

あまり、というかまるで論理性のない話なんで、そのへんよろしくお含みおきを。

♪♪♪

一般的にいって、あるひとがギターを弾いて三十年、とかいうと、どんなすごい腕前かとフツーは期待しちゃいますよね。

少なくとも、ひとさまに聴かせるくらいの腕はあるだろうと思うでしょ。

だいたい、どんなものでもマスターするには十年くらいはかかるとよく言われますが、単純にその三倍の三十年もかけりゃ、もう名人の域まで行っても不思議じゃないですよね。

ところがどっこい、ワタシの場合、弾き始めて約三十年経ったにもかかわらず、ギターが一向に上達せんのですわ。

もともとワタシの場合、ギターを弾くことが目的というより、自分で歌ってみたかったんですね。

どちらかというと、器楽より歌のほうに自信があったもんで。今でもそれは変わりません。

ところが、まわりの仲間たちは、はやばやとバンドを組んでしまい、ボーカル、サイド・ギターにいたるまで全パートがしっかり埋まってしまったので、手を上げるのが遅かったワタシは

バンドに参加しそこなったわけです。

しかたなく、とりあえず一人でも出来る「弾き語り」を始めることにしました。

皆さんがたで、楽器を弾きながらリードボーカルを歌ったことのあるかたって、どのくらいいらっしゃいますかね?

それって、結構難しくありませんでしたか?

弾きながら歌うという作業は、歌うだけ、弾くだけより三倍くらい大変なんですよ、実際。

一たす一は二でなく、三になっちゃうのです。

ギターのほうに神経を集中していると、歌のほうがテキメンにお留守になりますし、歌をちゃんと歌おうとすると、演奏がワヤクチャになってしまう。

もう、どっちかだけにしたい、でも人がいないから、両方自分でやらざるをえない。

絵に描いたような「ダブル・バインド」の状態なんですわ(苦笑)。

だからワタシ、ギターもうまけりゃ、歌もうまいひと−滅多に見かけませんが−そういうひとを見ると、手放しで尊敬しちゃいます。

チャーあたりですかって? いやー、彼の場合はギターは文句なしに日本のトップクラスでしょうが、歌はちょっとねえ……。

アコギの名手坂崎コウノトリサンも、ソロ・ボーカルだとちとキツいすなー。

ワタシがこれまでに聴いた中では、大沢誉志幸サン、それから山崎まさよしサンは歌もギターもウマイ!と思います。

シンガーにしとくのがもったいないくらい、達者なギターを弾かれますな。

が、ほかのかたがたは、どっちかが上手ければまあ御の字というところでしょうか。

クワタサンとか、実は弾くのが結構お好きなようですが、はっきり言ってその腕前は、ワタシとドッコイドッコイって感じですね(わ、カマしてしまった)。

ま、そのくらい、両立が難しいのであります。ギターとボーカルは。

で、どちらもやろうとしたワタシは、二兎を追った大馬鹿者でありました(汗)。

大学のときにやったバンドも、ボーカル、ギターを分けてやればいいのに、結局適当なメンバーが見つからず、ワタシがリード・ギター兼リード・ボーカルをつとめるというありさま。

はたで見てるぶんには、完全にバンドを牛耳ってる感じでカッコよろしいのですが、本人としてはかなりキツいものがありました。

しんどさでは弾き語り時代とさほどかわりなかったのを覚えています。

苦しまぎれに、「ボクは歌も半人前、ギターも半人前、あわせてなんとか一人前だい」などと屁理屈こいておりましたが、そんな算術が成り立たないことぐらい、小学生だってわかります

よね。

♪♪♪

その後、歌のほうは、いろいろ場数を踏んだこともありまして、ま、そこそこ上達できたと思っているのであります。

ですが、ギターのほうはといえば、生来ナマケモノであることも手伝って、本当に鈍亀のような歩みでしか進歩しておりません。m(_ _)m

ま、もともと才能がないのは事実ですんで、いたしかたないことなんですが。

それでも、いまだにギターを何台も手元におき、ときおり奏でているのは、ひとえにギターというもの、それ自体が好きだからなのでしょう。

「ギター偏愛記」でも書きましたが、ギターという楽器はほんと、一台手に入れるとそれで満足するということはまずなくて、もう一台、もう一台と欲しくなってしまうものであります。

住宅事情とふところ具合さえ許すのであれば、十台くらいあってもまるで構わない、そういうものなのです。

そこがピアノなどとは、だいぶん違うところだと思います。とにかくコレクターごごろをくすぐるフェティッシュな存在なのです。

それに、オトコが(女性でもいいんですが)ギターを弾くさまって、他人が見てもけっこうイカしてると思うんですよね。

ふつうの容姿のオトコだって、ギターがうまく弾ければ、男前が二、三割アップするという感じです。

こいつ、たいしたことない、そう思っていたオトコでも、実はギターがものすごくうまいヤツだと知ると、それこそ水戸黄門の印籠じゃないですが、へーやるじゃん!って見直すってもんで

す。

むかしはギターそのものがものすごく高価なものでしたから、それこそ本物のギブソン、フェンダーを持っているだけでも、十分スゴい!っていわれたものですが、だいぶん買い求めやす

くなった今では、ただ持っているだけではダメでしょう。

やはり、腕前がよくないと。

ところで、ギター・プレイヤーの「うまい・うまくない」というのは、みなさんはどういうポイントで判断していらっしゃいますか?

指の早さ(音数の多さ)? フレーズの豊富さ?

それも確かに重要なポイントでしょう。

でも、ワタシ的には、それらと同じくらい重要なポイントがふたつあると思っています。

先般UPした「ギターネタ道場」第五回での、厚木ファッツさんのご意見にもかなり近いとは思いますが、あえて書かせていただきますと、まずひとつめは、「間(ま)」ですね。

言い換えれば、パッセージを音符でベタに埋めていくのでなく、音符を「間引いて」弾くこと。

これは、カラダできちんとリズムを取れてないと、結構難しいのです。

ものスゴい速弾きをするギタリストにも、意外にこれが出来ないひとがいます。

スロー・ナンバーにまで、やたら音数を使うギタリストとか、いい例です。

少ない音数で、有効打を出すということが出来ないんです。

つまり、キツくいうなら、一種のリズム音痴。

こういうのは、センスのあるギタリストとは到底言えません。

オン・ビートでかっちり弾くことも、「食って」弾く、あるいは「吐いて」弾くこと、どれも自在に出来ないといけません。

しかも、それが行きあたりばったりな使い分けでなく、通しで聴いたときに整合感のある、そういうレベルまで行かないと、本当にうまい弾き手だと言えないと思います。

音数の多さに、眩惑されてちゃダメダ―メ、ですよ。

次にふたつめは、「音処理」。

なんじゃそりゃ?といわれるかも知れませんが、つまりはビブラート、ミュートといった、「仕上げ(フィニッシュ)」の技術のことです。

アコギなら、手のひら、あるいは指で的確なミューティングをできないようでは、うまい演奏なんてとても出来ませんし、エレキの場合なら、ボリュームつまみをこまめに調節しながら弾くこ

とを怠るタイプのギタリストに、うまいひとはひとりもいないと断言できます。

あと、チューニングをマシンまかせにして、演奏中のチューニングの狂い(これはどんなギターにもつきもののトラブルです)を演奏しながら直していくことのできないギタリストにも、名手は

決していません。

「音処理」からは少しずれますが、うまいギタリストは例外なく、運指が実にきれいです。動きが合理的でムダがない。だからビブラートのかけかたもうまい、とこういうことになるわけで

す。

そーいうふーに考えていくと、プロ・アマ含めればギタリストは星の数ほどいるわけですが、本当にうまいひとなど、そーいるもんじゃない、って結論になります。

プロと称している連中もたいていの場合は、自分の「得意技」を前面に押し出しているに過ぎませんし。ひと皮むけば、弱点の多いギタリストばっかりです。

そんな中で、森園勝敏サンは、やはり本当にうまいひとだな〜とライブを観るたびに思います。

彼の指使いなんか、ほんと、美しいですよ。ポジションもハイからローまで、まんべんなく使っているし。フレーズも実に豊富で、同じ曲を弾いても、毎回違うように弾ける、これはスゴいで

す。

これ見よがしの速弾きだけが、ギタリストとして必要な条件ではない、彼のプレイを観るたびにそう思います。

♪♪♪

ロック、ブルースのギターって、ジャズに比べれば技術なんか二の次、アイデア勝負でなんでもアリ、ガーンと一発かませればヘタでもOKみたいに思われがちです。

それはそれでまったくの間違いでもありません。もともとロックはジャズをきちんと弾く実力がない人間でも出来るところに、大きな魅力があるのですから。

ですが、やはりヘタである自分を正当化して、そこにとどまっていちゃいかんでしょう。

ロックも音楽の一ジャンルとして、最低限クリアすべきラインはクリアせにゃ、そう思うわけです。

ワタシも、一アマチュアに過ぎないとはいえ、自分の才能のなさを言い訳にして無為を決め込んでる場合じゃあないですね。

才能がないぶん、むしろ才能豊かな人たちより努力せねばと思っています。

かのエジソンだって言ってます。

「天才とは1%のインスピレーションと99%のパースピレーション(発汗)である」と。

とにかく毎日手にとって弾く、これ以上の上達の道はありえないでしょう。

ということで、今日もカッティングやスケールの練習に取り組むワタシなのでありました。


『もう、新聞はいらない』(2001.3.15)

私の家では、この3月から新聞をとるのをやめてみた。

もちろん、こんなことは、私の四十年以上の人生の中ではじめてのことだ。

それはちょっとした「冒険」ではあった。

新聞をやめると、毎日の生活は一体どう変わるのか?

それを一度、確認してみたくもあったのだ。

***

実は私は、だいぶん前から、新聞の必要性については疑問を持っていた。

新聞といえば、ラジオ・テレビの番組欄を見るためにとっている家庭が多いだろう。

ところが、わが家では、あまりテレビ番組を見ない。

ことに、連続もののドラマは、まったくといっていいほど見ない。

理由は明確。ドラマの作り手のレベルがどんどん落ちてきていて、大の大人の観賞にたえないものばかりになってきたからである。

ここではその詳細を論ずるつもりはないが、テレビ業界にはもはやすぐれた才能をひきよせる力はない、そう思っている。

私の家で見るのは、放映時間帯の決まっているニュースものの番組くらいで、ドラマを見ない。

すなわちドラマの情報を知る必要がない。したがって、テレビ欄を見る必要もほとんどないのである。

仮に知りたい情報があっても、インターネットで各局のホームページを見ればたいていは片付く問題である。

ラ・テ欄以外でいえば、株式欄を見るために新聞をとっているひとも結構いるだろう。

だが、うちでは株を頻繁に売り買いするようなことはまずない。

それに今では、株価を知ろうと思えば、インターネットのほうが新聞より速く情報をキャッチできる。

インターネットも、ダイヤルアップが一般的であったうちは、非常に時間あたりの単価が割高な情報源であった。ハード・ソフト・通信料等全部含めれば、かなり「お高い」メディアであった。

しかし、定額料金によるケーブルテレビやxDSLでの常時接続が可能になった現在、インターネットは安価で四六時中使えるメディアへと変化した。

わが家でも、11月からケーブルテレビを導入したのだが、これはどちらかというとケーブルテレビ自体より、それにオプションで利用できるインターネット接続のほうを主たる目的としていた。

ケーブルテレビ料金と合わせても、月額1万円程度でインターネットが使い放題なのである。しかも電話回線の何十倍もの速度だから、時間あたりのコストは限りなくダウンした。

株価の他にも、おおかたの情報はインターネットでキャッチできる。

ニュースしかり、新製品情報しかり、商品の売行き動向しかり。

たしかに、新聞とちがって「広告」がないとか、折込みチラシがないとかデメリットもないではない。

でも、そういった情報も、別になくてもいいものがほとんどである。

100にひとつの必要な情報をキャッチするために、わざわざ全紙面をチェックするより、知りたい情報源に直接アクセスできるネットのほうが、よほど効率的である。

よくよく考えてみたら、新聞の大半のページは、読まれることもなく、そのまま資源ゴミ回収業者へとまわされているのだ。これを資源の無駄使いといわずして、なんといおう。

そういった背景もあって、あえて新聞ストップにふみきった、そういうことである。

***

で、半月が経過して、どうなったか?

生活に必要な情報のおおかたはテレビやインターネットで入手できるので、別に情報音痴になるでもなく、以前と変わらない日常を送っている。

新聞はもはや、過去のように必要不可欠なメディアではないのだ。

少なくとも、紙に印刷されたかたちでの「新聞」は貴重な資源を無駄使いするだけの存在。

エコロジー問題、資源問題から考えても、早晩消滅するべき「前世紀の遺物」でしかない。

今後新聞社は、新聞という「物質的製品」のメーカーではなく、「情報」という名の「非物質的製品」の供給元=報道機関としてしか、生き残れないであろう。

当面は宅配も、駅売りも残るであろうが、10年後にはおそらく影も形もなくなっているはずだ。LPがCDに、公衆電話が携帯にとってかわられたように。

なにかと喧伝される「IT革命」であるが、具体的にはまず「新聞の消滅」というかたちであらわれるはずだ。

さようなら、新聞。前世紀の旧友。


『私の修業時代』(2001.1.24)

故沢村貞子さんの名著の題を借りて、私の文章修業時代について、少し書いてみたいと思う。

1981年4月、私は大学を卒業して、とある出版社に就職した。

その当時は、不況の現在と、まさるとも劣らぬ就職氷河期。

私のような、私大文学部の出身者を採用してくれる業界はマスコミ・出版関係くらいしかなかったし、また私自身、一般メーカーで営業マンをやりたいとは、まるきり思っていなかった。

苦戦の末、なんとか内定をとりつけたその出版社は、もっぱら娯楽雑誌部門―すなわち芸能・マンガ・ファッション誌等で稼いでいる会社であり、小説や美術書、辞典類を出している書籍部門は、それに寄生しているに過ぎなかった。

だから、文芸書・文芸誌をやりたいという私の希望などまったく通らず、稼ぎがしらのひとつである、ある男性向け週刊誌の編集部に配属されることになった。

ところがいざ入ってみると、その週刊誌の仕事は、予想していたよりずっと面白いものであった。

というのは、週刊誌の性格上、毎週ちがったジャンルの、ちがったテーマを取材し、記事にすることができたからである。

今週はスポーツ、来週はファッション、その次はロックシンガーのインタビュー、というように、興味のおもむくまま、新しいネタを追いかけることができた。

これがもし、マンガ誌やファッション誌あたりに配属されていたら、一年中同じような仕事を繰り返すはめになっていたことであろう。

編集部では、諸先輩のいじめに近いシゴキにあいつつも、けっこう仕事を楽しんでいた私であった。

取材し、文章を書くことの技術も、そこで大いに修業させていただいた。

大学在学のころは、国文科ということもあって、「殆ど」「況や」「即ち」「凡そ」「総て」といった固い表記を多用した晦渋な文章、つまり平野啓一郎氏のような古風な文体で文章を書いていた私であったのだが、それが一変した。

極力、表記をひらく(業界用語で、漢字を使わずひらがなで表記すること)ようこころがけ、表現も平易、平明なものにするようになった。

ひとりでも多くの読者に読んでもらい、理解され、かつ共感されるためには、これらが最小限必要なことだからである。

それから、世間ではあまり知られていないことだが、週刊誌では「リライタ−(アンカー)」という制度をとっている。

若い記者・データマンの書く文章は、取材対象に対して、かたよった思い入れ、思い込みが多いので、より世間一般的な視野にたって書ける、年長者のライター(これをリライターと呼ぶ)に、最終的に記事をまとめさせるのである。

このリライター諸兄との共同作業が、実に勉強になった。

自分が書いたデータというネタを、一流の板前であるリライター氏がさばいていくさまを見て、文章はどのように組み立てていくのかという、ケーススタディをじっくりとさせてもらった。

つまり、「記事全体の構成(起承転結など)をよく考えてから書く」、「結論は冒頭で、まず出しておく」、「必ずひとつは“キーワード”となる言葉を、意識しており込む」、「中途半端なネタは思い切って捨て、いいネタしか使わない」といったことである。

自分で取材して書くと、妙な思い入れが生じてあれもこれも入れたくなるので、某ベストセラー本の題名のように「捨てる技術」が必要になる。

「編集」とはまさに、「いかに捨てるか」が勝負どころなのだ。

もし私が、編集者は自分ではほとんど文章を書く必要のないマンガ誌や、リライターを使わず自分で書いてしまうファッション誌、芸能誌にいたのでは、絶対得られない「学習体験」であった。

現在、私が「NEST OF BLUESMANIA」で書いている文章は、その時代に学んだことの実践であるといえなくもない。

たとえば、「スラング」「隠語」「符牒」めいた表現は、世の中の過半数の人が知っているものでない限り、使わない。

知っている人が、ある世代にかたよっているような表現も、できるだけさける。

また、内容的にも、ことさらにマニアックなことを書かないようにしている。

もちろん、読み手のかたがたは、ブルースに興味をもっていて、ある程度詳しいひとばかりなのだろうが、世の中、ブルースを好んで聴くというだけでも相当な「少数派」である。

ただでさえ間口の狭いものを、さらに狭く排他的な内容にするのはあまり好ましくない。

それこそ、ブルースはB.B.とクラプトンしか聴いたことがないよ、というヒトたちにも抵抗なく入っていけるよう、カレントな話題もふんだんにからめていくつもりである。

マニアの方々が提供してくださる情報やご意見も、もちろん十分尊重していきたいが、ビギナーの方にも、門戸の「ひらかれた」HPを作っていきたいと思うものである。


HOME